第220話 『地獄に堕ちる者たち』
「どういうことですの! レディー!」
マージョリーはレディー・ミルドレッドに怒りの形相で詰め寄った。
つい先ほど密偵から報告があったのだ。
クローディアの秘書官であるアーシュラの暗殺計画が失敗に終わったと。
ミルドレッドから依頼を受けた男たちは十数名が死亡し、残りの十数名が捕らえられた。
そしてマージョリーの用心棒の男はダニアのデイジー将軍との一騎打ちに敗れて死んだという。
「一緒にいるのがダニアのデイジー将軍だったんだ。仕方ないだろ。しかもアーシュラとかいう女、茶屋に奇妙な仕掛けをしていやがったんだ。腹立たしい!」
忌々しげにそう言いながらミルドレッドは慌ただしく紙幣やら貴金属やらを鞄に詰め込んでいる。
この首都から逃亡するためだ。
アーシュラ暗殺を依頼した男らが捕らえられたということは、遅かれ早かれミルドレッドが首謀者であると割り出されてしまうだろう。
一刻も早くこの首都から離れなくてはならない。
だが納得いかないマージョリーはミルドレッドの腕を掴む。
「レディー。こちらは自前の用心棒を失っているのですよ。私に賭けると仰ったのは偽りですか?」
だがミルドレッドはその手を強引に振り払った。
「フンッ。その賭けは始まる前に終わったんだよ。アーシュラ暗殺計画に成功して初めて賭けのテーブルに乗ることが出来たんだ。これじゃ賭けようもないだろ。今からまた暗殺の計画を練り直すか? ハッ。無理だね。向こうだってもう警戒してる。あきらめな」
そう言うとミルドレッドはパンパンに膨らんだ鞄を抱える。
「馬車を用意してある。早いうちにここから逃げて、ほとぼりが冷めるまで田舎にでも引きこもるよ」
そう言うミルドレッドにマージョリーは悔しげに唇を噛む。
「くっ……ここまできて……」
「次の機会を待つんだよ。こういう時に潔く退けるかどうかが命を永らえさせるコツさ。あきらめ悪く深追いして破滅した奴を何人も知っているよ。あんたもそうなりたいかい?」
そう言うミルドレッドにマージョリーは仕方なく従った。
娼館の前にはすでに馬車が用意されている。
ミルドレッドはホッと安堵の表情を浮かべた。
「随分と早いね。助かるよ」
ミルドレッドはマージョリーを伴って幌付きの馬車に乗り込むと、御者に行き先を告げた。
いざという時のために用意していた潜伏先のある郊外の小さな街だ。
「かしこまりました」
御者は小さくしゃがれた声でそう言うと馬に鞭を入れて馬車を走らせる。
それからしばらく走り続けたが、馬車の中では2人とも言葉少なだった。
威勢良く賭場に入ったものの大負けして帰る者たちのようだ。
だが、ふとミルドレッドが顔を上げ、幌の隙間から御者台を見やる。
御者は外套をすっぽりと被って黙々と手綱を握っていた。
ミルドレッドは周囲の景色が自分の想像と違うため、訝しげな顔をしながら御者の背中に声をかける。
「あんた。道順が違うんじゃないかい? 南東の小門を目指すならこっちじゃないだろ」
隣国の戦火の報を受けてから、この共和国首都も街への出入りについて検問が厳しくなっている。
東西南北の大門はもちろんのこと、それ以外に8ヶ所ある小門でも人や荷の検査が強化されていた。
しかし南東の小門だけはミルドレッドが数人の衛兵を金で抱き込んでいるため、この街に入る際もすんなりと通過できたのだ。
御者は老婆を思わせるしゃがれ声で質問に答えた。
「いえねえ。実は南東の小門に査察が入りまして……」
「何だって?」
「どうも金で抱き込まれて汚職に身を染めた衛兵がいるという情報が入ったらしいんですよ」
「ど、どうしてそれを……」
ミルドレッドがハッとしたその時、御者が外套を脱いで顔を見せた。
現れたのは老婆などではなく、30代くらいの赤毛の女だ。
「お、おまえは……」
そう言いかけたミルドレッドの顔に、女は何やら粉を吹き付けた。
その粉を吸ったミルドレッドは激しく咳き込んで荷台に倒れ込む。
「ゴホッ! ゴホッ! ち、ちくしょう……マージョリー……」
見るとマージョリーはすでに荷台の床に倒れ込んで気を失っている。
ミルドレッドはようやく気付いた。
自分がこの御者の女によってハメられたのだと。
しかし気付いた時にはもう遅かった。
吸い込んだ粉のせいか暴力的なまでの眠気に襲われ、ミルドレッドはすぐに意識を失うのだった。
御者台に座る女は馬を止め、冷めた目で荷台に倒れた女2人を見下ろす。
「クローディアに仇成す者たちは許しません」
先ほどまでのしゃがれ声とは別人のような澄んだ声でそう言うと、赤毛の女はマージョリーとミルドレッドを縄で縛り上げていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
マージョリーが目を覚ますと、そこは冷たい石壁と石床に覆われた狭い部屋だった。
窓はなく、前面には鉄格子がはめ込まれている。
マージョリーはまだボーッとする頭を振って記憶を辿った。
(馬車に乗っていたら急に眠気が……)
隣を見ると、憮然とした表情で椅子に座ったミルドレッドの姿があった。
彼女は両手両足を縄で椅子に縛り付けられて拘束されている。
それを見たマージョリーはようやく気付いた。
自分も同じように椅子に縛り付けられているのだと。
ミルドレッドは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「しくじったね……」
そんな2人の耳に足音が聞こえてきた。
近付いてきた足音は牢の前に歩み寄って来た赤毛の女のものだった。
その赤毛の女は鉄格子の扉を開けると、牢の中に入ってきた。
「お目覚めのようですね。ご気分はいかがですか? レディー・ミルドレッド。そしてマージョリー・スノウ」
そのダニアの女にしては小柄な女が自分たちを捕らえたあの御者だと気付き、ミルドレッドは激昂する。
「くそっ! よくも謀ってくれたね! あんた誰なんだい!」
そう言うミルドレッドに女は恭しく胸に手を当てて挨拶をした。
「ご挨拶が遅れましたね。ワタシはあなた方に暗殺の標的にしていただきましたアーシュラと申します。その節は大変お世話になりました」
そう言うとアーシュラは柔和に微笑んだ。
「ア、アーシュラ……あんたが……」
ミルドレッドは呻くようにそう声を漏らし、マージョリーは声もなく青ざめている。
暗殺対象であったアーシュラが逆に自分たちを捕らえている。
それは暗殺計画の首謀者が自分たちであることを見抜かれているということだ。
アーシュラは2人が顔を強張らせているのを見ても柔和な笑みを崩さずに言った。
「そんな顔をしないで下さい。ワタシを暗殺しようとしたことは別に怒っていません。ワタシも大概いろいろとやってきた身です。誰かに恨まれて命を狙われても当然と覚悟をしておりますよ。ですが……」
そう言うとアーシュラは表情を一変させた。
「クローディアの大事な子供たちに手を出したのは許せません」
見る者を凍りつかせるような冷たい表情でそう言うアーシュラの目に、殺意の光が宿る。
その迫力にマージョリーは思わず息を飲み、ミルドレッドは声を上擦らせる。
「わ、私らはそんなことしちゃいないよ!」
「おや。そうですか」
アーシュラはそう言うと部屋の隅に置かれた大きな箱を開ける。
そこには瓶に入った数々のあやしげな薬品や、見るもおぞましい拷問具の数々が収められている。
アーシュラはそのひとつである金属の串を手に取った。
「では……あなた方の犯行かどうか……じっくり調べるとしましょう」
そう言うアーシュラにミルドレッドとマージョリーは地獄に堕ちてこれから審判を待つ者たちのように、体の芯から震え上がるのだった。




