第216話 『暗い謀略』
「王国にも伝手があるなんて、さすがですわねレディー」
共和国首都の町外れにある娼館。
高級娼婦ばかりが集められた娼館がこんな寂れた地域にあるのは、地位の高い貴族たちがお忍びで通うためだ。
豪奢な建物の最上階である3階に、この館の主の事務所がある。
主の名はレディー・ミルドレッド。
この共和国でいくつもの娼館を営む実業家だ。
そしてこの日、この事務所を秘密裏に訪れたのは、かつてこの街を我が物顔で闊歩していた貴族の元令嬢だ。
マージョリー・スノウ。
すでに中年に差し掛かっている彼女が、この首都に足を踏み入れたのは実に十数年ぶりのことだった。
マージョリーは実家である大貴族スノウ家を勘当されて、この首都への立ち入りを実家から禁じられている。
ゆえに彼女は姿を偽り、誰にも見咎められぬよう昨晩、真夜中に街を訪れたのだ。
「悲しいね。自分の故郷に戻るのに、そんなコソコソしないとならないなんて。わざわざ自ら足を運ぶ必要があったのかい? マージョリー」
そう言うミルドレッドにマージョリーは不機嫌な顔を見せた。
「まあ。意地悪ですわね。レディー」
そう言ってマージョリーは冷たい笑みを浮かべ、目の前のミルドレッドを見る。
マージョリーがここにいることが知られれば、実家からは咎められるだろう。
しかも彼女は貴族の令嬢でありながら裏社会との繋がりを持っていたことが露見し、共和国の貴族社会からは鼻つまみ者として追放されたも同然だった。
もはやこの街に自分の居場所はないことをマージョリーも分かっている。
(悪戯の結果を近くで見たいというだけでここに来たわけじゃない。私は……もう一度這い上がる)
マージョリーの胸の奥で強い決意が炎となって燃え盛る。
彼女はすでに30代後半。
この年になると、自分の人生の辿り着く先がぼんやりと見えてくる。
おそらくこのまま裏社会で地道にのし上がっていけば、将来は目の前にいるレディー・ミルドレッドのように一定の財力を持つことが出来るだろう。
だが、そこ止まりだ。
マージョリーは内心でゾッとする。
目の前にいる初老の女が、20年後の自分の姿なのだと。
それは彼女を腹の底から冷えさせた。
(そこが私の人生の最高峰になるなんて……冗談じゃないわ)
かつて思い描いていた通りならば、今頃自分は大統領夫人としてもてはやされていたはずなのだ。
見目麗しきイライアスと結婚し、彼の愛情を一身に受けて彼との間に子供を産む。
そして大統領夫人として誰もが羨む華やかで満たされた人生を歩んでいたはずなのだ。
この街にコソコソと人目を忍んではいったり、こんな場所で裏社会の女頭目と密談をするような人生は自分のものではないはずだった。
だが、これが現実だ。
しかしそれを受け入れるにはマージョリーの心は尊大過ぎた。
マージョリーは懐から一通の書状を取り出す。
「レディー。すべては商売ですわ。私がこの街にわざわざ足を運んだのも」
「……随分と高貴な書状のようだね」
鼻を鳴らすミルドレッドに、マージョリーはわずかに自尊心がくすぐられるのを感じた。
「ええ。王国のジャイルズ王の公妾シャクナゲ様からのお手紙ですわ。内容は今回の仕事を成功させた暁には、私に王国貴族との縁談を都合して下さるとのことです」
その話にミルドレッドは目を見張る。
「へえ。それは随分と旨味のある話だね。あんたの人生に一発逆転の芽が出てきたってことかい」
ミルドレッドの言葉にマージョリーは頷いた。
一発逆転。
そうだ。
この先、共和国での貴族としての浮上の芽はもうない。
だが、他国でならば再び貴族として返り咲くことも可能であるという道すじがこの書状には記されていたのだ。
マージョリーにとってはまさしく天恵だった。
「レディー。協力して下さらない? この話がまとまって私が再び貴族の端くれに戻れた暁にはレディーへの永続的な見返りをお約束いたしますわ。私に賭けてみませんこと?」
「そううまくいくのかい? 言っちゃ悪いが、あんたはキズモノだ。もらってくれる貴族もまともじゃない恐れがあるよ」
貴族であれば本来は然るべき結婚相手がいるのは当然のことだ。
わざわざ他国で貴族失格の烙印を押されて裏社会とのを繋がりもある女を娶ろうというのは、相手も曰く付きの人物である可能性が高い。
だがマージョリーは一発逆転の芽にかけた。
「分かっておりますわ。ですが私は再びのし上がると決めております。そのために利用できるものは何でも利用する所存でしてよ。レディー。あなたでも。ですからあなたも私を利用してみては? 私からはきっと甘い汁が出ると思いますわ」
そう言うマージョリーの覚悟を見て取ったのか、ミルドレッドは大きく息を吐くとニヤリと笑った。
「面白い。見返りを期待して、あんたに手札を預けようじゃないか。賭け事には目がなくてね」
そう言うとミルドレッドは部下を呼び、進行中のある計画に追加の人員を増派するよう命じた。
確実に事を成すために。
☆☆☆☆☆☆
「プリシラ様の件。聞いたよ。ワタシの責任だ」
共和国の大統領公邸からほど近い茶屋の個室。
食事を終えて茶を飲みながらアーシュラは話を切り出す。
旧友デイジーとのせっかくの昼食なので、出来る限り楽しい話をしようと食事中は昔の思い出話や他愛もない話に終始した。
しかしこの2人がこうして意見を交換できる機会は少ない。
悲しいが思い出話にだけ興じていられる立場ではないのだ。
お互いに。
「前回の任務のこと。悔やんでんのか」
「うん……隊員たちは皆、才能のある子たちで、必死にがんばってくれた。ワタシが彼女たちの力を引き出し切れなかったから」
「仕方ないさ。才能のある連中だって必ず成功するとは限らねえ。確かにエミル様が王国に囚われたという事実は重い。だが状況はすでにおまえの手を離れた。今は自分の仕事に集中する他ないよな。まさかプリシラ様のようにおまえも1人で王国に向かうわけにはいかないだろう?」
デイジーは落ち着いた口調でそう言うとお茶を一口含み、その味を楽しんでからゆっくりと飲み干した。
「デイジーは昔から肝が据わっているよね。うらやましい」
「おまえがそれを言うか? 拷問でも何でもやってのける心臓の強さがあるってのに」
デイジーはそう言って笑い、茶器に手を伸ばした。
そして空になったアーシュラの器に新たな茶を注ぐ。
「エミル様の一件は青狐隊が何とかしてくれると信じよう。同時にプリシラ様のことも信じよう。まだ経験は浅いが彼女は紛れもなくブリジットの血を引く娘だ。簡単には倒れたりしないさ」
かつて敵方にありながらブリジットの強さに心酔し、その臣下となったデイジーは女王の娘であるプリシラの強さも認めている。
単に身体能力の強さや武芸の腕前を、というのみならず母親譲りのその胆力を。
「そうだね。ワタシも仕事に集中……」
そう言いかけたアーシュラは茶を飲む手を止めた。
そしてデイジーを見る。
デイジーはアーシュラの視線で全てを察した。
途端に天井の天板が外れ、頭上から刃物や袋を持った男たちがアーシュラ目がけて飛び降りて来るのだった。




