第215話 『背後から迫る手』
「プリシラがいなくなった? どういうことだ!」
怒声を上げて詰め寄るジャスティーナに赤毛の女兵士は面食らってわずかに言葉に詰まる。
ダニアの都からプリシラが消え、その後の消息が掴めていないと女兵士は言ったのだ。
「プリシラ様を呼び捨てとは不敬だぞ! 何だおまえは。そう言えば見ない顔だな。所属部隊を言え!」
そう言い返す女兵士にジャスティーナはさらに食ってかかろうとした。
だが、そこに必死にジュードが身を割り込ませる。
「す、すみません! 俺たちは放浪の身なんです。彼女は統一ダニアの所属ではなくて……」
「なに? はぐれ者か。チッ。この緊急時に紛らわしい。いい気なもんだな。根なし草は」
「いいから何があったのか教えろ!」
「部外者に言うことではない。消えろ」
そう言うと赤毛の女兵士はジャスティーナを振り払ってさっさと立ち去って行く。
それを追いかけようとしたジャスティーナだが、その腕をジュードが掴んだ。
「落ち着け。ジャスティーナ。揉め事を起こして逮捕されたりしたら面倒だ」
相棒の言葉にジャスティーナは深く息を吐いた。
エミルに続いてプリシラについての不穏な報せに気持ちがささくれ立っている。
だがジュードの言う通り、騒ぎを起こして牢にでも放り込まれたら、それこそ動けなくなってしまう。
「何となくだけど想像はつくよ。エミルが攫われたってことはダニアもしくは共和国で当然、奪還のための捜索隊が組まれるだろう。そこにプリシラも参加しようとして止められたってところじゃないかな」
冷静なジュードの分析を聞いてジャスティーナも頭が冷えて来る。
「なるほどな。プリシラの性格からしてエミルの奪還を他人の手に委ねるなんて我慢が出来なかったんだろう。で、自分で王国に向かったってことか」
「向かう先が決まったな。ジャスティーナ。道案内なら任せてくれ」
そう言うジュードにジャスティーナは決然と拳を握る。
「やり残した仕事を片付けにいくか。今度こそあの姉弟を親元へ返してやろう」
ビバルデの街に到着したばかりの2人だが、すでに心は王国へと向いているのだった。
☆☆☆☆☆☆
共和国首都では連日、議会で多くの議題が集中的に審議されていた。
議題はもっぱら国防および戦時下での王国や公国との貿易についてだ。
大統領イライアスとダニアの銀の女王クローディアの夫婦も公務に追われ、家に帰る間も無いほどだ。
先日、王国のチェルシー将軍率いる部隊に誘拐されかけたヴァージルとウェンディーは、大統領公邸にて厳重な警備の元、守られながら不安な日々を送っている。
そんな中、クローディアの秘書官を務めるアーシュラは大統領夫妻や子供たちに危険が及ばぬよう、連日周囲に目を光らせていた。
彼女はダニア分家時代に多くの工作活動に携わり、暗殺なども手掛けてきた。
そうした経験者の視点から、敵がどのように要人らを狙って来るか分かっているため、危険を事前に察知するべく日々神経を尖らせている。
そしてアーシュラは優秀な黒髪術者だ。
周囲から害意を向けられれば、その超人的な感覚で察知することが出来る。
現在のところ大統領夫妻や子女らに向けられるのは明確な害意ではなく、監視の目だった。
間違いなく何者かがこちらを監視している。
それ自体は驚かなかった。
共和国が他国に諜報員や協力者を潜ませているように、他国も共和国に同じことをしているのだ。
今も大統領ら要人の行動を監視し、情報を得ようとしているのだろう。
アーシュラとしては明確な敵意や殺意や向けられない限りは、こちらから動くつもりはなかった。
そうして大統領周辺の警備を続ける彼女の元に、この日は古くからの友人が訪れたのだ。
「よう。アーシュラ」
短めの赤毛で背も高く、精悍な顔付きをしたその女は大統領公邸を訪れてイライアスとクローディアに挨拶を済ませると、すぐにアーシュラを廊下で見つけて歩み寄って来た。
「デイジー!」
デイジー。
アーシュラにとって幼馴染である彼女は、今や統一ダニア軍の最高責任者である将軍職に就いている。
武芸に優れ、軍を率いるカリスマ性にも満ち溢れた彼女は、久々に顔を合わせる幼馴染の様子に嬉しそうに笑みを見せた。
「元気そうだな。アーシュラ」
「ええ。あなたも。忙しくてなかなか会えないけれど、変わってなくて安心したよ」
今やアーシュラもクローディアの秘書官としてこの共和国で多忙な日々を送っている。
ダニアの都を守る要であるデイジーと顔を合わせるのは半年に一回あるかどうかだ。
デイジーがこの日、この共和国首都を訪れたのは、ここに駐留しているダニアの部隊に激励を送り、首都の警備体制を視察するためだった。
「これから駐留軍の兵舎に?」
「ああ。その前に昼飯でも一緒にどうだ? 色々と聞きたいこともあるしな」
「分かった。クローディアに報告を済ませてくるから玄関で待っていて」
そう言うとアーシュラはクローディアの執務室へと向かっていった。
デイジーはそんな彼女の背中を見送りつつ、玄関の扉を出る。
衛兵らが普段の数倍動員されており、公邸の中庭はものものしい雰囲気に包まれていた。
隣国の戦火の影響が確実にこの共和国に及びつつあるとデイジーは感じていた。
そして彼女は職業柄、この公邸の立地を考える。
安全を考慮して周囲には高い建物はない。
だが、公邸の外の道路には通行人がひっきりなしに行き交っている。
一般人に扮した暗殺者がこの公邸に忍び込んできてもおかしくはない。
どんなに万全を期しても、警備に絶対は無い。
鉄壁であってもわずかな穴から綻びは生じるのだ。
「さて……何も起きなければいいんだが……」
大統領公邸ということもあって、通行人らの視線が絶えずチラチラとこちらを向いている。
その中の誰が間者であるかはデイジーにも分からなかったが、どうにも嫌な予感が彼女の肌を撫でるのだった。
☆☆☆☆☆☆
共和国首都の大統領公邸からほど近い通りには大小いくつもの商店が立ち並んでいる。
人々が大勢行き交う中、買い物客らが店の軒先で品定めをしていた。
戦火が隣国に迫る中、共和国は平時と同じように食糧を仕入れ、民の間に混乱が起きぬように努めている。
しかし先行きの不安からか、民衆は保存の利く商品や医療品などを買い溜めするように、競って購入するようになりつつあった。
そんな商店街の中、果物を売る店舗でリンゴを手に取った客がボソリと店主に言う。
「大統領公邸。警備多数。全方位に死角なし」
客はそう言うと金を払い、店主は黙って頷く。
そして釣り銭に紛れて紙片を客の男に手渡した。
客はそれを懐にしまい、リンゴを手に店を後にした。
そして男はリンゴをかじりながら次の店へ向かう。
各種の薬剤などを販売している薬売りの店だ。
その軒先で男は店主に声をかけた。
「水虫の薬はあるかい? かゆみを取ってスッキリさせてくれるとっておきのやつだ」
その言葉を聞くと店主の目がわずかに細められた。
「ああ、あるよ。けど強い薬だから処方箋が必要だ。あるかい?」
その言葉に男は頷き、先ほど果物屋で受け取った紙片を内容も確認せずに薬屋の店主に渡した。
その際、声を潜めて男は告げる。
「ダニアの将軍が公邸を訪れている。例の女と会っているようだ」
その言葉に店主は眉を少し動かすだけの反応に留め、紙片を受け取って店の奥へと引っ込んでいく。
そしてすぐに戻ってきたその手には小瓶が握られており、店主はそれを男に手渡した。
「強い薬だから効くよ。もったいないから零さないように気を付けな」
そう言う店主に男は金を渡し、小瓶を受け取る。
蓋がしっかり閉まっていることを確認すると、それを柔らかな羽毛入りの巾着の中にしまい込み、店を後にするのだった。




