第213話 『姿を消した女王の娘』
「プリシラ様がお戻りになられていません!」
青ざめた顔でそう報告する赤毛の兵士にボルドは表情を曇らせ、ブリジットは顔をしかめた。
ダニア評議会である十刃血盟会の会議室で夕食も取らずに会議に参加していた女王夫妻の元にもたらされたのは、娘のプリシラが外に馬を走らせに出たまま2時間近くも戻らないという報告だった。
会議に出席していた十刃血盟会の議員からは兵士らへの叱責の声も飛ぶ。
「なぜプリシラ様をお止めしなかった!」
そんな議員らを、手を挙げて冷静に制し、ブリジットは落ち着いた口調で兵士に尋ねた。
「追跡の者たちは?」
「すでに各方面に捜索に走らせております。この時刻ですので鳩便は飛ばせませんが、プリシラ様をお見かけしたらすぐにお止めするよう近隣の街にも伝令を走らせます」
その報告に頷いてすぐさま兵士を退室させると、ブリジットは会議室にいる面々に目を向けた。
「娘のことで迷惑をかけてすまない。捜索は我らに任せて、皆はウィレミナ議長の下で会議を進めてくれ」
評議会の決定権はブリジットには無いため、ここには意見を言うために参加していた彼女は夫のボルドを連れて会議室を後にした。
ボルドと並んで廊下を足早に歩きながら、ブリジットは苛立たしげに頭をかく。
「あの馬鹿娘。今がどんな時だか分かっていないのか」
「単独でエミルを助けに向かったのだとしたら、まずはビバルデの方角に向かうだろうから、すぐに見つかるといいんだけど……」
ボルドも懸念をその顔に滲ませる。
プリシラはまだ成人前の13歳だが、分別は十分に弁えていると思っていた。
しかし娘の持つ若き衝動の激しさを夫婦は見誤っていたのだ。
「とにかく連れ戻さねばならん。この上、プリシラまで敵の手に捕らえられてはどうにもならんからな。あいつめ。帰ったらみっちり説教してやる」
夫婦はとにかく侍女らに状況を確認するべく、自宅である金聖宮へと向かうのだった。
☆☆☆☆☆☆
「今頃、母様怒っているわね」
プリシラは小船に揺られながら母であるブリジットの怒りの形相を思い浮かべた。
昔から怒った母はとてつもなく怖く、プリシラは今でも母の怒りを思い出すと背すじが寒くなるのを感じるのだ。
だがそれでもプリシラは引き返すつもりはなかった。
自らの手で弟を取り返すのだという強い決意でダニアの都を後にしたのだ。
その決意の炎は母の怒りであろうと消し去ることは出来ない。
そしてプリシラはそんな中でも冷静だった。
馬で王国に向かうのであれば共和国領のビバルデを経由して公国領のアリアドへ入るのが常道だが、その道を進もうとすると人の目に付く。
戦時ということもあり、国境封鎖は平時以上に厳しくなっていた。
そして手をこまねいているうちにダニアからの追手に追いつかれてしまう可能性が高い。
プリシラはその道は選ばなかった。
なぜならプリシラにはこの大陸の近隣諸国における地理的な知識がある。
王国に向かうためには陸路もしくは海路を使うことになるが、海路も今は使えない。
現在は王国が他国からの船舶を受け入れていないからだ。
だが一般にはあまり知られていないがもう一つ、王国に向かうための道がある。
河川を伝う道だ。
おそらくダニアでは今、プリシラを探すための捜索隊が出されているだろう。
しかしプリシラがこうした道を選ぶとは思っていないはずだ。
だからこそ難関の多いこの道を敢えて選んだ。
ダニアの都を馬で飛び出してからプリシラは共和国領南部の川に出て、そこで川漁師の集落に立ち寄った。
そこに集落があることもあらかじめ知っていたのだ。
そして乗ってきた馬をそこで川漁師に譲り、代わりに上等な小船を譲ってもらったのだ。
その際、王国に向かうと言うと訝しまれるので、公国領に向かいたいと告げた。
こんな若い娘がたった1人、船で公国へ向かうと聞いた川漁師はたいそう驚き、危険だから国境までは船に同乗して送り届けると川漁師は言ってくれた。
しかしプリシラはワケありの旅なのでと告げ、それを丁重に断った。
そして川漁師に銀貨を一枚渡すとそれで魚の燻製などを購入し、釣りはいらないから自分がここに来たことは黙っていてくれるように頼んだのだった。
「川漁師のオジサンが言っていた通りね」
川の流れは緩やかであり、両岸には木々が生い茂っているため、あまり目立たない。
密かに行動するにはもってこいの環境だった。
「王国までこのままいければいいのに……」
そう言うとプリシラは川漁師のところで買った魚の燻製や干した果実を口に運んだ。
これからはこうして食糧を自分で調達する必要がある。
家を出てくる時に出来る限りの路銀は持ってきたが、いつもいつも食糧が買える場所にいるとは限らないのだ。
採集や狩猟などによって食糧を調達する必要も出てくるだろう。
仲間たちと一緒だった時は分担して協力し合うことが出来ていたが、これからは全て1人でやらなくてはならない。
プリシラは小船の船首に取り付けた角灯の明かりに照らされた暗い川面を見る。
先行きは暗く、見通しは悪いと言わざるを得ない。
それでもこの川の先にエミルがいると信じて、プリシラはたった1人で進み続けるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「あ? プリシラが家出したって?」
エリカとハリエットの話を聞き、訓練終わりで水浴び中のネルは頭をブルブルと振って雫を飛ばした。
「家出じゃないわよ! 1人でエミル様を探しに行ったんだわ!」
血相を変えてそう言うハリエットに、ネルは顔をしかめる。
「1人で? そこまでアホじゃねえだろ。あの跳ね返りも」
「ネル。不敬だよ。プリシラ様は……」
「お姫様なんだろ? けどそういうの、あいつ自身が嫌がってたじゃねえか。もうアタシの中じゃアイツはただのプリシラだ。んなことより何で弟を探しに行ったって分かるんだよ。おまえら」
聞き咎めるエリカの言葉を遮ってネルはそう尋ねる。
エリカはハリエットと顔を見合わせ、そしてネルに言った。
「これは絶対に内密の話よ。共和国からエミル様の捜索隊が出されたわ。プリシラ様はそこに参加したいと名乗り出て反対され、会議でひと悶着あったらしいの」
エリカは多弁な師匠であるベラから聞いた内容をネルに話した。
プリシラは捜索隊への参加に反対され、会議の席で声を荒げたという。
そして不満げに自宅に戻っていったそうだ。
「今、エステルとオリアーナがウィレミナ議長に呼ばれて事情聴取を受けているわ。あの2人、プリシラ様が出て行く前に会って話をしていたらしいから」
そう言うとエリカは顔を曇らせるが、ネルは無造作に手拭いで髪を拭きながら言った。
「どうせすぐに連れ戻されるさ。家出娘には怖〜い母親のお説教が待ってるぜ」
そう言うとネルは手拭いをエリカに放って背を向けると歩き出す。
エリカは気色ばんで声を荒げた。
「ネル! あんたプリシラ様……プリシラのことが心配じゃないの? 仲間でしょ!」
その言葉にネルは立ち止まり、大仰に肩をすくめて見せる。
「ケッ。この前たった一度行動を共にしたからって、すっかりお友達気分か? 友情ごっこしたきゃ、おまえらだけで勝手にやってろ」
そう言ってサッサと立ち去って行くネルを、エリカは怒りの形相で追いかけようとした。
だがハリエットはそんなエリカを止めて首を横に振る。
「ほっときなさいよ。エリカ。あいつはああいう奴なのよ。とにかく議会に行きましょ。エステルたちに話を聞かないと」
そう言うハリエットにエリカは悄然と頷き、2人は急いで議会のある本庁舎へ向かうのだった。




