第327話 『勇敢なるダニアの女たち』
プリシラたちが王城で激闘を繰り広げていた頃、王国北部の港町ではダニア海軍と王国海軍の激しい戦闘が続いていた。
クローディアの従姉妹であるベリンダが指揮するダニア海軍は港に上陸し、そのまま王国海軍の兵舎を陥落させた。
そしてそこに次々と集結したダニア海軍は防衛線を構築。
王国海軍の港湾機能を麻痺させ、港の乗っ取りに成功した。
もちろん王国海軍も指を咥えて見ているだけではない。
兵舎と港湾機能を取り戻すべくダニア海軍に猛反撃を浴びせた。
赤毛の女たちにも少なくない戦死者が出る熾烈な戦いだった。
しかしベリンダは冷静に兵たちを指揮して防衛線を維持し、自らも果敢に敵兵を討って奮戦した。
戦いは夜通し続いたが、夜明けと同時に沖合から大船団が姿を見せたのだ。
それはダニア海軍から一日遅れて海路を進んできた共和国海軍だった。
50隻は超えるその大船団に共和国の本気を見た王国海軍は戦慄を覚えた。
ゆえに王都より停戦の命令が届いた時、王国海軍の動きは早かった。
すぐさま王国兵らは停戦の合図である白地に【停戦要請】と記された旗を振り、その広がりと同時に港町の各地で起きていた小競り合いは鎮まっていった。
「ふぅ。クローディアとプリシラはうまいことやったようですわね」
ベリンダは安堵の息をつきながら、部下たちに停戦命令を告げるのだった。
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「ば……馬鹿な……我らが負けるだと? 新型兵器を誇る我らが、あんな田舎女どもに……」
公国と共和国の国境地帯を攻めていた王国軍のウェズリー副将軍は、一晩かけて形勢逆転されたことに信じられない思いで呻く。
そしてウェズリーは苦々しい顔で吐き捨てた。
「ダニアのブリジット……銃火器対策をこれほどまでにしているとは。忌々しい!」
拳銃や狙撃銃、大砲を駆使してダニア軍を攻めていた王国軍だが、ダニア軍は銃火器対策を想像以上に練っていた。
赤毛の女たちは数人がかりで持つような巨大で幅広な大楯を掲げて突進してきたのだ。
鉄板を何枚も重ねたような重厚な大楯は、拳銃はおろか、狙撃銃の銃弾でも貫くことは出来なかった。
唯一、大砲の砲弾のみが大楯ごと敵を吹き飛ばすことが出来たが、砲弾には限りがある。
そして何よりも痛かったのは、ダニアの別動隊によって後方の補給線が断たれたことだ。
これにより銃弾や砲弾の追加補給が出来ず、王国軍はあっという間に弾切れを起こして困窮した。
業を煮やしたウェズリーは剣や槍などの通常武器での応戦を兵たちに命じたものの、そうなると王国兵らはもうダニアの戦士たちの敵ではなかった。
ウェズリーのいる指令室に駆け込んできた伝令役の兵士が悲痛に叫ぶ。
「さ、最終防衛線が突破されましたぁ! 敵の先陣が我が砦に雪崩れ込んできます!」
その報告を受けたウェズリーは慌てふためき、青ざめた顔でその伝令兵を怒鳴りつける。
「い、今すぐ退避だ! 馬を用意しろ!」
金切り声でそう言うとウェズリーは兵士の返答も待たずに指令室を飛び出し、廊下を駆けていく。
圧勝するはずだった。
敗北はおろか、苦戦などするはずのない戦いだったはずだ。
屈辱的な怒りにウェズリーは吠える。
「くそぉ。ラフーガに戻り、急ぎヤゲンに再出撃の準備をさせねば。生意気な女どもに目にもの見せてくれるわ!」
「何を見せてくれるって?」
その声と同時に廊下の窓からいきなり飛び込んできた人物に側頭部を殴りつけられ、ウェズリーは派手に石床に転倒した。
「ぶふぇ!」
「よう。大将。指揮官がイの一番に逃げ出すのは感心しねえな」
ハッとして起き上がったウェズリーの喉元に剣の切っ先が突き付けられた。
見ると剣を手にした赤毛の女がウェズリーを見下ろしている。
一際見栄えのする真紅の革鎧を身に着けた女はニヤリと白い歯を見せて笑った。
その革鎧の胸には指揮官であることを表す白い羽根の紋様が刻印されている。
「私はデイジーだ。知ってるか?」
デイジー。
ダニア軍の将軍だということはウェズリーも知っている。
だが指揮官がこんな前線まで自ら乗り込んでくるなどとは思いもよらなかった。
ウェズリーは顔を引きつらせ、声を上擦らせて必死にまくし立てる。
「お、おおお俺はウェズリーだぞ。ジャイルズ王の弟である俺を殺せば、人質のエミルは帰ってこないぞ」
「うるせえよ」
そう言うとデイジーはウェズリーの顔面を靴の裏で蹴り付けた。
ウェズリーは鼻血を噴き出してその場にのたうち回る。
そんなウェズリーを心底軽蔑したような目で見下ろしてデイジーは言った。
「てめえは人質だ。だが人質としての価値がないと分かったら容赦なく殺す。祈りな。てめえの兄貴に見捨てられねえことを」
デイジーの眼光の鋭さにウェズリーは震え上がり、言葉を失うのだった。
☆☆☆☆☆☆
王国軍が陣取っていた公国側の砦はダニア軍によって制圧された。
指揮官であるウェズリーを捕えられた王国軍の兵士らは次々と投降し、あっと言う間に王国軍は瓦解した。
突撃部隊の指揮をデイジー将軍に任せ、後方から全体を見守っていたブリジットは側近のベラやソニアを従えて戦いの終わった戦場を進む。
「アデラがしっかりと補給線を断ってくれたことで勝てたな」
獣使隊のアデラ隊長率いる別動隊が、公国の砦へと向かっていた王国軍の補給部隊を襲撃したために、王国軍は弾丸や砲弾を補充できずに敗れ去ったのだ。
ブリジットらの前方にはデイジー将軍が簡易的な陣を敷き、そこにダニアの兵たちを集めていた。
そしてデイジーの目の前には捕縛された一人の男が地面に座らされて項垂れている。
「デイジー将軍。ご苦労だった」
「はっ」
ブリジットが陣に入るとデイジーは跪いて女王を迎える。
ブリジットは兵たちに労いの言葉をかけると、次にウェズリーを見下ろした。
「貴殿がウェズリーか。アタシの息子が世話になったようだな」
ウェズリーは赤く腫らした顔を上げて、思わず息を飲む。
初めて見るブリジットは堂々たる佇まいで、その顔には凄みのある笑みを浮かべていた。
その女王然たる迫力にウェズリーは反抗の言葉すら口にすることが出来ずに唇を震わせる。
「そう怯えるな。無事にエミルを返してもらえたら、貴殿の身柄も王国に返還しよう。だが……エミルにもしもの事があれば……貴様は生きたまま黒熊狼に食わせてやる。牙で皮膚や肉を千切られ、強力な顎で骨を砕かれて死んでいくのは苦しいぞ? エミルの無事を必死に祈ることだ。ウェズリー副将軍殿」
ブリジットの目に浮かぶ殺気立った光にウェズリーは呼吸すら忘れて恐れおののく他なかった。
☆☆☆☆☆☆
共和国領の港町に滞在するイライアス大統領やその弟であるボルドの元に数々の知らせが隼便によって届けられたのは昼過ぎのことだった。
王国による停戦合意、そしてブリジットらダニア軍の勝利、さらには人質となったエミルの救出。
それらの吉報にイライアスもボルドも安堵と喜びの表情で握手を交わした。
戦いは終わった。
しばらくは戦後処理で忙殺されることになるだろう。
停戦したとはいえ敗戦国である公国と、侵略国である王国との間には引き続き緊張感が漂うはずだ。
蹂躙された公国側の怒りは簡単には収まらない。
共和国大統領としてイライアスはこの先も数年かけて戦後処理を行わなければならないだろう。
「兄さん。大丈夫。兄さんには多くの味方がいます。皆で乗り越えましょう」
「ボルド。頼りにしているよ」
方々で放蕩をしていた父親の軽薄な行為の結果として生まれた弟の存在が、これほど頼りになることにイライアスは運命の悪戯を感じて思わずクスリと笑う。
黒髪の兄弟はそのまま港町に留まり、家族の帰還を待ちわびるのだった。




