第211話 『図書室の密談』
王国の王城には数多くの書物を収めた図書室が存在する。
公国への侵略戦争によって野蛮な印象を持たれる王国だが、前国王の時代には文学や芸術などの文化面で優れた者たちが優れた作品をいくつも生み出した文明的な国家でもあった。
そんな図書室に白い髪の少女が頻繁に出入りしていると、ここのところ王城内では噂になっていた。
「見て。ココノエの娘よ」
「まだ子供じゃない。あんなうちから髪は真っ白だなんて気味悪いわね」
シャクナゲが王の公妾になって以来、以前にも増してココノエの者たちが王城に出入りするようになったが、彼らは目立つ。
何かあればすぐに王城内で噂になった。
ヒソヒソと囁く声を聞こえないフリをしながら、ヤブランは今日も本を探す。
囚われのエミルに持っていく本を。
(髪の色の違いなんてお互い様じゃない。どうして自分と違うものを怖がるのかしら)
ヤブランは内心で辟易しながら、平静を装って本棚に目を通した。
森に住む魔女と村の少年の交流を描いた物語。
戦に勝った英雄の後日譚。
空の彼方に住む竜が人の姿となって里の者たちと交流する物語。
ここには様々な物語がある。
(ココノエにも似たような物語があったけれど、王国の物語の多さはすごいわ……)
ヤブランは思わず自分も夢中になってしまう。
エミルの元に持っていく本はあらかじめ自分も読んでおいた。
単に本が好きだということもあったが、エミルと本の内容について話せれば楽しいと思ったからだ。
相変わらずエミルはヤブランと目を合わせたり話をしたりはしてくれないが、彼女が持っていった本はどうやら読んでくれているようだ。
彼は読み終えた本は丁寧に鉄格子の外に重ねて置いている。
一日中ああして牢の中にいるのだから、本は何よりの娯楽となっているだろう。
少しでも彼の心の慰めになってくれていればいいとヤブランは思った。
(私の自己満足でもいい。罪滅ぼしになんてならなくてもいい。エミルが一時でも辛さを忘れてくれれば……)
そう思って本に手を伸ばした彼女は、ふと視界の端に自分と同じ白い髪が閃くのを見た。
そちらに目を向けるが、すでにその髪の持ち主は本棚の向こう側だ。
自分以外の同胞をこの図書室で見かけたことがないヤブランは不思議に思い、足早にそちらに向かうと本棚の陰から顔を出した。
すると白くて長い髪を舞い踊らせながら、1人の女が小気味よい歩調で本棚の間を歩いているのが見えた。
それはヤブランも良く知る女だった。
(シャクナゲ様だ……本を読みに来たのかな)
何となく気になるヤブランだが、それでも声をかけることはしない。
シャクナゲのことはオニユリと同じくらい苦手だった。
その物腰は柔らかいが、人を見る目付きが恐ろしいのだ。
蛇のような彼女の目に見つめられると、ヤブランは自分が蛙になったような気分になる。
(シャクナゲ様……オニユリ様みたいに嫌な噂は聞かないけれど、シジマ様やヤゲン様はひどく嫌っている)
そんなことを考えながら見つめるヤブランの視線の先、シャクナゲは本棚の間を歩きながら本には目もくれず、図書室の司書の元へ向かう。
そして初老の女性司書と何やら話をしていた。
それから彼女は司書に案内され、奥の部屋へと向かっていく。
資料室と思しきその部屋にシャクナゲが入っていくと、司書の女性は自分の仕事に戻っていった。
(……何だろう?)
ヤブランは訝しみ、本を探すフリをしながら資料室に近付いていった。
そして資料室近くの本棚の陰に隠れて様子を窺う。
すると図書室の入り口から資料室に近付いてくる足音が聞こえてきた。
ヤブランが身を隠しながら様子を窺っていると、彼女の視線の先を1人の男が資料室へと向かっている。
その男はヤブランとは別の意味で目立つ特徴があった。
黒髪の男だ。
(黒髪……黒帯隊の人だわ)
整った顔立ちの男は背も高く、女性の目を引きそうな容姿をしている。
その男は資料室の前に立つと扉をノックし、中からの返事を待って扉を開けた。
そして部屋の中に消えていく。
ヤブランは思わず眉をひそめた。
(何なの? まさか逢い引き?)
ヤブランはハッとした。
まだ12歳の彼女だが、書物によって多くの知識を得ており、世の中には色々なことがあると知っている。
権力者の妻や妾たちが、若く美しい男を密かに囲うことは歴史上、枚挙にいとまがない。
だが、シャクナゲは異国の民でありながらジャイルズ王からの寵愛を受けており、それを妬む敵も多い立場だ。
そんなことが周囲に知られてしまえば、オニユリの醜聞が発露してしまうよりも遥かにマズい。
ココノエの民の立場は悪くなる。
(まったく。オニユリ様といいシャクナゲ様といい……)
ヤブランは一冊の本を適当に手に取ると、それを別の本と見比べるフリをしながら資料室の扉に一番近い本棚の前に陣取った。
そこで耳をそばだてると部屋の中から男女の声が聞こえている。
男の声は低くて聞き取ることが難しかったが、シャクナゲの高い声は途切れ途切れながらも聞き取ることが出来た。
「……適量を間違えないでね。あの子、勘がいいから。力を回復させたら予定通り……」
ヤブランは注意深く話を聞いていたが、ところどころ途切れて聞きづらいので話の全容は見えない。
だが……。
「……エミルの利用価値……チェルシーを超える最強の兵士に……」
シャクナゲが口にしたエミルの名前をヤブランはハッキリと聞き取った。
ヤブランは心臓が跳ね上がるのを覚える。
だが、そこで急に話が途切れてまったく何も聞こえなくなった。
次の瞬間……資料室の扉が静かに開いたのだった。
☆☆☆☆☆☆
「エミルの力が強くなっています」
図書室の資料室。
黒帯隊の男の言葉にシャクナゲは満足げに頷いた。
「予定通りね。結構。でもこの先も慎重に。食事に混ぜる薬剤は適量を間違えないでね。あの子、勘がいいから。力を回復させたら予定通り、次の段階に移行するわよ」
彼女の言葉に黒帯隊の男は懸念をその顔に滲ませた。
「本当に大丈夫でしょうか。エミルは重要な人質。もし壊れてしまったら人質としての価値が……」
そう言う男にシャクナゲは鷹揚な笑みを浮かべる。
「私がそんなヘマをすると思う? それにエミルのことは王陛下より全権を任されているわ。余計な心配は無用よ。あなたは今まで通り、私の手足となって働いてちょうだい。これが……手に入れられなくなるのは嫌でしょう?」
そう言うとシャクナゲは懐から手の平に乗るくらいの小袋を取り出した。
それを見た途端、黒髪の男の目の色が変わる。
腹を空かせた犬の前に餌をチラつかせた時のように、男は飢えた光をその目に浮かべた。
その様子にシャクナゲは目を細め、小袋を男に手渡した。
それを受け取ると男は恭しく頭を下げた。
「すべてシャクナゲ様の仰せの通りに」
「よろしく頼むわね。あと、それはくれぐれも人の目の無いところで使ってちょうだい」
「御意」
そう言った時、男はハッと目を見開く。
彼は黒髪術者だ。
部屋のすぐ外で何者かがハッと息を飲む気配を感じ取った。
すぐに資料室の扉をそっと開ける。
「……」
近くには誰の姿も無い。
背後からは訝しげな様子でシャクナゲが声をかけてきた。
「一体どうしたの?」
「いえ……何者かの気配がしたのですが……」
そう言うと男は資料室の外に出て、周辺の本棚の間を見て回る。
しかしそこには誰の姿もなかった。
仕方なく男は資料室に戻ると再び扉を閉め、声を潜めて言う。
「私はこのまま行きます。念のためシャクナゲ様はしばらく間を置いてから出ていらして下さい。お気をつけて」
そう言うと男は扉をそっと開けて、部屋を後にするのだった。




