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第306話 『悲しき再会』

 アーシュラの先導に従って王城内を進んでいたクローディアは、ある音を聞き取って目を見開いた。

 剣が激しくぶつかり合う金属音。

 そして女同士が激しく言い争う声。

 それを聞いたクローディアは足を速めて全力で走った。

 ブライズもアーシュラもその速さに付いて来られない。

 

「クローディア! 無茶するな!」


 後方からかけられるブライズの声にも振り返らず、クローディアは常人離れした脚力で階段を駆け上がり、3階の廊下ろうかに出た。

 その廊下ろうかの先には大きなバルコニーが広がっている。

 この辺りの構造はクローディアが公国に属していた頃から変わっていない。

 そこで開かれる夜会や祝宴しゅくえんにクローディアは母と共に幾度いくどとなく出席したものだ。


 そのバルコニーでは今、銀髪の女性と金髪の少女が剣を打ち合っている。

 あろうことかその2人はクローディアにとっては妹とめいだ。

 その2人が剣を交えるという悲劇的な光景にクローディアはカッと頭に血が昇るのを覚えて、バルコニーに出ると同時に叫んでいた。


「今すぐ戦うのを止めなさい! 2人とも」


 雷鳴のようなその声に2人の女たちはおどろいて動きを止め、大きく目を見開いた。

 そんな2人の姿にクローディアは目を細める。

 プリシラ。

 娘同然の大事なめいだ。

 

 彼女がダニアの都を単身飛び出して、この王城まで辿たどり着いたことは驚嘆きょうたんに値する。

 苦難の旅をてプリシラが大きく成長したことは一目で分かった。

 そして……。


「……チェルシー」


 その名を呼ぶだけでクローディアは涙がこぼれ落ちそうになる。

 まだたった1歳だった頃の妹の姿しか知らないクローディアの目の前に、立派な女性に成長したチェルシーの姿があった。

 色々と話したいことばかりだ。

 その体を優しく抱きしめたくてたまらない。

 

 しかし実際にこうしてチェルシーの姿を目の当たりにすると、クローディアは一歩も動けず言葉を発することも出来なかった。

 2人を分けへだててきた距離と時間はとてつもなく重い。

 そんなクローディアを見て同じように固まっていたチェルシーはようやく声をしぼり出した。 


「姉……さま」


 その声にクローディアはその目に涙を浮かべてうなづく。  


「チェルシー……立派になったわね。会いたかった。ずっと……ずっと……一日だって忘れたことはなかったわ」 


 クローディアにそう言われてチェルシーはわずかに肩を震わせた。

 そして震えるくちびるで言葉をしぼり出す。


「ええ……ええ。ワタシも会いたかったわ。姉さま……いえ、クローディア!」


 そう言うとチェルシーは剣の切っ先をクローディアに向ける。

 クローディアは微動だにせずそんな妹の視線をまっすぐ受け止めた。

 妹の目に浮かぶのは憎しみと怒りと、そして悲しみの色だ。

 そうした感情を自分は全て受け止めなければならないとクローディアは思った。


「ごめんなさい。チェルシー。あなたにはずっと辛く苦しい思いをさせてきた。ワタシのせいよ。どれだけ謝っても許されることではないわ」


 姉の言葉にチェルシーはぜるように激昂げっこうした。


「そうよ! 全てあなたのせい! 母様がさびしい最期さいごを迎えたのもあなたのせいよ!」


 その言葉にクローディアは辛そうな表情を見せた。


「ええ。母様のことはずっと申し訳なかったと思っているわ。ワタシには墓前に参る資格もないけれど、心の中でび続ける」


 クローディアの謝罪の言葉を聞きながら、母のさびしい最期さいごを思い返し、チェルシーは憤怒ふんぬくちびるをきつくみ締めた。

 そしてすぐにその顔に怒りとあざけりの混じったゆがんた笑みを浮かべる。

 その口からつむぎ出されるのは侮蔑ぶべつの言葉だ。


「それにしてもすごいわね。今や共和国大統領の妻だというのに、自ら敵国に乗り込んで来るなんて。実の妹には一度も会いに来なかったくせに、めいおいを救うためならなりふり構わないのね」


 そんな妹の口ぶりにクローディアは首を横に振る。


「プリシラとエミルを救いにきただけじゃないわ。あなたに……謝りに来たの。これまでのことを」

「謝罪? 今さら謝られてワタシが泣いて喜ぶとでも思ったの? ワタシが果たしたいのは……復讐ふくしゅうよ! 剣を取りなさい! クローディア!」


 チェルシーのこの言葉に、それまでだまっていたプリシラが異をとなえる。


「やめなさい! チェルシー! 姉妹で斬り合うなんて……」

「引っ込んでいなさい。プリシラ。クローディアを斬ったら次はあなたよ」


 そう言うチェルシーの目が見たことのないほどの殺気と狂気にギラついているのを見たプリシラは、自分もクローディアに加勢しなくてはいけないと思った。

 クローディアはブリジットと並び立ち、プリシラが知る中では最も強い武人だ。

 全盛期はとうに過ぎているとは言われているが、それでもプリシラは母とクローディアほど強い人間を見たことがない。

 いかに強敵チェルシー相手とはいえ、そのクローディアが負けるとは思えなかった。

 

(でも……クローディアはきっと妹相手に本気で剣は振るえない)


 それどころか妹への贖罪しょくざいの気持ちが高じて、チェルシーの剣を甘んじて受けてしまうかもしれないのだ。

 プリシラにはそれが不安でたまらなかった。

 彼女は思わずクローディアの目を見つめて声をかける。


「クローディア。戦わないで。ずっとチェルシーに会いたがっていたじゃない。ようやく会えたのにどうして2人が剣を交えないといけないの?」 

 

 そう言うプリシラにクローディアは微笑ほほえみを向けた。


「プリシラ。無事でいてくれてよかった。チェルシーのことはワタシに任せて。あなたはエミルを助けるのよ。ワタシと同じ姉の立場だから分かるわよね。姉はしっかりしないと」


 そう言うクローディアのそれはいつもより少しだけさびしげな微笑ほほえみで、プリシラは思わず胸がめ付けられた。


「ダメよ! クローディア。あなたはイライアス伯父おじ様やヴァージルとウェンディーのために無事に国に帰らないといけないの!」

「プリシラ。これは大人の決断よ。分かってちょうだい」


 そう言うクローディアの厳然とした視線と口調にプリシラは思わずたじろいだ。

 初めて見るクローディアの厳しい顔だったからだ。

 それは女王としての決然たる態度だった。


 いつもやわらかな微笑みを浮かべて自分に優しい目を向け、穏やかな口調で話しかけてくれるクローディアはプリシラにとってあこがれの女性だった。

 戦士として尊敬するのは母のブリジットだったが、女性としてあこがれるのはクローディアだったのだ。

 必然的にプリシラはクローディアの口調や振る舞いを真似まねるようになり、それがすっかり身に付いていた。

 そんなクローディアの態度にプリシラはそれ以上、彼女を思い留まらせる言葉を発することが出来ずにその名をつぶやく。


「クローディア……」 


 プリシラが呆然ぼうぜんとしているとそこに2人の人物が駆けつけて来た。

 クローディアの後を追ってバルコニーに飛び込んで来たのは、アーシュラとブライズだ。

 2人はプリシラの姿を見てホッと安堵あんどの表情を浮かべ、次にチェルシーの姿を見てハッと息を飲む。

 クローディアはチェルシーに目を向けたまま、アーシュラに命じた。


「アーシュラ。プリシラと一緒にエミルの救出に向かいなさい」

「……かしこまりました」


 アーシュラもクローディアの決意に思うところはあっても水を差すことはしない。

 プリシラは心配で思わず視線を泳がせる。

 そんなプリシラの様子にブライズが快活な口調で声をかけた。


「プリシラ。心配すんな。クローディアにはワタシが付いてるから。おまえはエミルをきちんと連れ戻せ」

「ブライズおば様……」


 プリシラはブライズの言葉にわずかに逡巡しゅんじゅんするが、今こうしている間にもエミルは自分から遠ざかっていく。

 アーシュラの黒髪術者ダークネスの力があればエミルを追えるし、今ならまだ間に合うだろう。

 出来ることなら体を二つに分けて片方をここに置いておきたいくらいだが、プリシラは身を引き裂かれるような気持ちで決断した。


「……分かった。ブライズおば様。クローディアをお願いね」

 

 切なる願いを込めてそう言うプリシラに、ブライズは任せとけと言うように自分の胸を拳でドンと叩いて見せた。

 ブライズが付いてくれているのなら、クローディアも無茶はしないだろう。

 そう信じてプリシラは先に進むことを決めた。

 クローディアの言う通り、自分は姉として弟のエミルを救わなければならないのだ。

 プリシラは最後にチェルシーを一瞥いちべつする。


「チェルシー。忘れないで。クローディアはあなたを思ってずっと手紙を書き続けていた。それはこの国で握りつぶされてあなたの元に届かなかったけれど、アタシは知っている。クローディアがたった1人の妹をずっと思い続けていたことを。あなたはその事実から目をらすべきではないのよ」


 プリシラの言葉にもチェルシーは冷然とした表情をくずさない。


「ふん。どうでもいいわ。プリシラ。どこでも好きに行きなさい。もはやあなたもエミルも王国も……過去も未来もどうでもいい。ワタシはこの日の復讐ふくしゅうのために生きてきた。今までの全てはこの時のためよ!」


 もうチェルシーはプリシラを見ていない。

 彼女の目はもうクローディアしか見ていなかった。

 プリシラは静かに息をつき、クローディアに目を向ける。

 クローディアも今はチェルシーしか見ていない。


 クローディアは今、過去の自分の行いが引き起こした悲劇の運命と対峙たいじしているのだ。

 それはプリシラには手出しも口出しも出来ないことだった。

 クローディア自身がその手で決着させなければならないことなのだ。

 姉妹の悲しき再会を前に自身の無力をみしめながら、プリシラは後ろ髪引かれる思いを振り切って先へと進むのだった。

 弟をその手に取り戻すために。

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