イケメンはごめんなさい!! 56
シュッ、シュッ、シュッ。
力強く空を裂く拳を振るう男の背を家の縁側から瀬奈は眺めていた。
シュッ、シュッ、シュッ。
まだ、春先だと言うのに男はタンクトップに短パン姿。しかも、幼い瀬奈の目にも分かるくらいの肉厚な筋肉からは湯気が薄っすらと立ち昇っている。
「……どうした?こんな時間に起きてるなんて珍しいな」
男の目線は変わらず前を向いていたが、縁側で座って眺めていた瀬奈にそう話しかけた。
「うん……昨日、寝るの早かったの」
瀬奈は縁側から出した足をブラブラとさせながら正面の男―兄の背をただ何となく眺めていた。
時刻はまだ朝の4時。
日の出はまだない。薄っすらと空が明るくなり始めてはいるが辺りはまだ暗く両親もまだ寝ている。
「……お兄ちゃんは何でそこまで頑張れるの?」
瀬奈は不思議だった。
兄とは、10歳離れている。今、大学生の兄は学生でありながらも色々な大会に出てはいるが勝率は5割程。この数字だけを聞けば普通。可もなく不可もなくと言った所だろう。
ただ…、兄の勝率を5割にした相手がたった1人の人である事を除けば。
「………勝ちたい奴がいる。ただそれだけだ」
兄は最後に一振り、見えない誰かに拳を叩き込む。そして冷たい空気を熱くなった体内の中に吸い込んで、吐く。何度か同じ事を繰り返したあとクルリと振り返り瀬奈の方に歩いてきた。瀬奈は傍に置いてあったタオルと兄特製ドリンクを差し出す。
「おっ、サンキュ」
ニカっと笑う兄の顔の半分には赤黒い字が痛々しく浮き上がっていた。先日の試合で勢い余って顔面から倒れた兄。その後は言わずもがな、床も兄の顔も吹き出した鼻血で血の海とかした。一時的な鼻血の処理をした後は何とか試合には勝ったが、観ている方は色々な意味でヒヤヒヤとさせられた。
「それに、自分自身を鍛えるのに丁度良いし頭の中も空っぽになるから…色んな小難しい事ばかり考え過ぎるお前には良いかもしれないぞ?……少し、やってみるか?」
「えっ?無理」
即答でそう答えた瀬奈に、兄は笑って私の頭を撫でてくれた。
「護身術にも良いぞ?」
「……」
「ダイエット効果もある」
「やるっ!」
挙手までした私に兄は一瞬びっくりして、そしていつもと同じ笑顔をくれた。
(……あぁ、懐かしいな……)
***
「うっ……眩、しい……」
眩い光に照らされて瀬奈は目を細めた。
「失礼、太陽光が反射しましたか。まだ本調子ではないのですから日陰に移動されます?セナ様」
「……あ、ここで大丈夫です」
瀬奈が眩しいと言ったのは太陽光だけではない。この目の前で優雅に座るマクシミリアン・ヴィルヘルム・ハノーヴァと言う人。瀬奈が目を覚まして最初に天使かと思った人は黒騎士団の団長さん……らしい。
あのユリウスさんの上司と何故か一緒にお茶をしながら、団員達の練習風景を眺めているのには訳がある。
目覚めてからすでに4日程たった頃。そろそろ背中の傷の熱も引き、相変わらずのネル君特製の薬草汁のお届けも終わりに近づいたと思ったある日の昼頃。
「えっ?検査入院ですか?」
騎士団内にある医務室のベッドの上で瀬奈は、お土産にもらった林檎をシャクリと食べていた。剥いてくれたのはリアム邸の庭師のアヴィ君「お見舞いにはやっぱり林檎ですよね!」と言って、食べきれないくらいの量を持って来てくれた。
ありがたいけど、多すぎて困っていた私に手を差し伸べてくれたのは騎士団の人達だ。今日も何人かが訪ねてきてくれて林檎を持って行った。入れ替わりに黒の騎士団のユリウスと、団長のマクシミリアン。それから神経質そうな眼鏡の人がもう1人入って来た。
「やぁ、体調に変わりはないかな?」
マクシミリアンはベッドの上の瀬奈にそう声をかけたあと、空いていたもう片方の椅子に優雅に座る。その背後にはピッタリとユリウスが仁王立ちで控えている。
(なんか……こう見ると物々しい雰囲気だよね。2人共、身長もあって上に立つ人のオーラを放ってて私がいた世界ではお目にかからない程の美丈夫ばっかりだし……騎士団はやっぱり王様とか国の顔みたいな所があるから顔も入団基準とかになってるのかしら?)
勿論、林檎を貰い訪れた団員達ももれずに皆様顔が良かったなと瀬奈は思った。ただ、ふっとリアム邸の新人で元騎士団(現在謹慎中)のロッシュはどちらかと言えば下町のオジサンみたいな感じだったが……。
「セナ様?」
おや?とした顔でマクシミリアンがやっぱりどこかまだ調子が悪いのでは?と、聞かれる前に。
「あっ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたもので……背中の傷が少し痛むだけで、それ以外は全然大丈夫です。むしろここで出される食事が美味しくてこの後が心配になりそうです」
一瞬、キョトンとしたマクシミリアンは直ぐにフッと口角をあげ。
「それは、何より。騎士団内の食堂の料理人達に言っておきます。セナ様がそう言っていたと知ったら彼らは喜びますがセナ様は少し困るかもしれませんね」
「……程々にとお願いします」
ふふふ、と優雅に笑うマクシミリアンの背後には微動だにしないユリウスはいつもの事なのだが、それよりも気になるのは2人と一緒に部屋に入ってきた眼鏡の彼だ。
部屋に入り、扉の脇で直立不動で待っているのに何故だか眉間の皺はどんどんと深くなっているのは気のせいだろうか?
「あの……そちらの方は?」
「……ああ。紹介しよう。彼はサシャ・リンドバーグ。見た通り黒騎士団の団員だ」
名前を呼ばれた眼鏡の彼ーサシャ・リンドバーグはクイッと指の腹で眼鏡を押し上げた後、瀬奈の所までやってくると。
「黒騎士団所属、サシャ・リンドバーグだ。今回、貴方の背に傷を負わせた食人花の魔物について調べる用仰せつかった。結論から言わせてもらえば、今の所あの花は人体に無害と診断された。ただ、僕の私見ではあの様な状態であったことから無害とは考えにくく何かしらの要因で…?」
サシャは口を閉じ、怪我人である彼女のベッドの向こう側に座る彼。ひたすら林檎をうさぎカットに切っていた彼の手が止まり、サシャを見上げる様に見ていた。
「……失礼。彼は団員だが非戦闘員でね。主な仕事は研究なんだ、許して欲しい」
マクシミリアンのそんな一言が、林檎を切る彼に向けられていた。何故?そんな疑問がサシャには浮かんだがそれよりも説明の続きをと、口を開きかけたが。
「サシャ、死にたくなければ口を閉じなさい」
珍しく、少し緊張気味のマクシミリアンにサシャの開きかけた口は固く結ばれる。
「セナ様、大丈夫ですか?」
アヴィはフイッと彼らから目を逸らし、瀬奈にいつもの顔を向ける。
「ええ、大丈夫。少し頭痛がしただけだから。……どうぞ、続けて下さい」
マクシミリアンは瀬奈の様子を見て、続けるかどうか迷ったが。何かあってからでは遅いのでサシャに変わり、話を続けることにした。
「なるほど……それじゃ、私はもう少しこちらでお世話になると言う事ですね」
話しを聞いた瀬奈は納得した。自分に傷を負わせたあの花は本来なら花自体で人を食すのだが、今回のは人に寄生して花を咲かすタイプ。とても珍しいタイプの魔物で、今の所人体に直接種を埋め込まなければ無害ではあるが今後何があるかわかないので念の為に騎士団の施設での検査入院兼療養となった。
***
そして現在である。
検査入院と言っても先日までとなんら変わらない日々を過ごしていた。変わった、と言えば病室が医務室から療養の為の部屋に移された事だろうか?当たり前のように豪華な個室を与えられ、食事も今までより少しグレードアップしているのは何故だろう?それに。チラッと瀬奈は少し離れた場所に待機する白の服を着た団員達を横目でみやった。
白の団服。それは白の騎士団を象徴している。つまりはリアム様率いる白銀騎士団と言うことなのだが……。
「気になりますか?」
「えっ?」
マクシミリアンが日陰用のパラソルを持って来る様に指示しながら、瀬奈の視線の先に居た彼らを指さした。
「白騎士団自体が目立ちますからね、そこに所属する団員もまた目立つばかりなのは仕方がないのですが……リアム様の命令ですので我慢して下さい」
ニッコリと何処か嬉しそうに微笑むマクシミリアンとは反対に、瀬奈は苦虫でも潰した様な表情で彼らを一瞥し軽いため息を吐いた。




