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7.奇跡の壁ドン

「何してるんですか…?」


ローランの補佐官であるマルクは己の主人の姿を見て絶句していた。


代々王家に使える由緒正しき家系のマルクは、幼い頃よりローランの傍に仕えている。この少々横暴で偏った価値観の男に思う所はあるものの、それでも有能なローランの元で働く事は有意義であった。


この日は珍しく業務が立て込み明日の連絡事項を失念してしまった。幸いまだそれ程遅くはない時間。マルクは書類を片手に主の私室を尋ねたのだが、入室した先で思わず固まった。


いつもは美しく纏めている髪を無造作に束ね、隙なく着こなす服を脱いで簡素なシャツを申し訳程度に羽織っている。ズボンのベルトはなく、何なら素足。更には額も胸元も汗が伝い、顔は赤く息は荒い。


男でもドキリとする色気を放つ男が、産まれたての小鹿でももう少しマシだろうと言うガクガク具合で腕立て伏せをしているのだ。


本人曰く神すらひれ伏す中性的な美貌の彼が、己の筋肉を鍛える姿など、産まれてこの方見たことはない。剣の鍛錬すら逃げ回り、苦情を受け付けたのは二日前の話だ。


イキナリどうした。明日は槍でも降るのか。それとも夢か。いくら何でも筋力無さ過ぎだろう。


「何してるんですか…?」


正しい言葉が見つからず再度問いかける事になった。


「女とは倒れやすい生き物らしいな。」

「は?」

「お前の周りでそういった事はないのか?」

「何度かお見かけした事は御座います。体調不良や精神に衝撃を受けた時など、男性よりもか弱くはあるようです。」

「やはり、そうなのか…。」

「殿下?」


震えたまま、結局一度も屈伸出来ずにいたローランは取り敢えずその場に座った。汗だくで前髪をかきあげる姿は艶やかだが、コイツは小鹿以下だ。


「どうかされたのですか?」

「マルク、女の狂気とは何だと思う?」

「女の凶器、ですか?」


頭の良い人間は説明をすっ飛ばし話題を展開する事が多い。自分の頭の回転速度と他人のそれとに差異がある事に気づかないからだ。例に漏れずこの男は説明が足りない。いや、頭云々ではなく思いやりの類か。


頼むからもう少し説明をしてくれ。


「ジャクリーヌに言われたのだ。倒れた時に抱えて運ぶことの出来る男が望ましいと。何でも女は倒れやすいらしい。女の狂気、によるものらしくてな。」


婚約者選びが難航する中、少し毛色の違った令嬢が選ばれた事はマルクも知っている。やり手実業家との肩書を持つジャクリーヌはあくまで時間稼ぎとの噂もあったのだが、どうやらそれが大当たりだったとも。


ジャクリーヌの遠回しな表現も、日頃説明の足りない主によって鍛えられたマルクは、『女性が倒れる原因』というキーワードから瞬時に正解に辿り着いた。彼に姉がいた事も大きかった。


「なるほど。」

「知っているのか?」

「聞いた話ではありますが、時に体を蝕むほどに苦しいそうです。」

「なんだって!?」

「食事も喉を通らず大変だとか。意中の男性の前では一段ときつくなるようです。」

「…そうなのか…。」

「美しさへの執念とでも言うのでしょうか。体にかかる負荷は相当なものでしょう。時には数人がかりと言いますから。」

「…それほどまで。」

「まぁ、その呪縛から女性を解き放つ事が出来た暁には、至極の快ら…いえ、甘美な時間を過ごせると上司が言っていました。」

「………。」


マルクはその辺の話はよく聞いていた。男の身からすれば、体を害する勢いで締め上げるコルセットなど凶器、いや、狂気の沙汰だ。


当然ローランもその辺は熟知しているだろうとの予測の元での会話であったが、生憎とローランはドレスに関して無知に等しかった。ベッドを共にする女はその道のプロであり、当然コルセットはおろかまともな衣服を身につけていない。王族であるが故、女性の着替えなど見る機会もない。


従ってマルクの言葉を文字通り受け取ることになった。加えてローランの色眼鏡ならぬナルシスト眼鏡が発動。多少の違和感も良いように改変された結果、


ジャクリーヌは美しい俺に執着し、押さえられぬほどの恋慕を抱いて苦しんでいる。


と、いう謎の結論に達してしまった。


「ジャクリーヌはそんなに俺の事を…。」

「はい?」

「いや、美しさとは罪だな。知らずに傷つけていのだろうか…。」


主人の反応に絶対に間違った結論に至ったのだと悟る。更に目の前で悦に入る勘違い野郎にイラッとした。


「…どうでしょうねぇ。殿下は他人の気持ちを慮るという事がありませんから。」

「うっ。」

「でもまぁ、殿下のそれは主に私共のような身内にみせるお顔でしょうから大丈夫でしょう。外交の時にはそれは素晴らしい対応をなさります。よもや婚約者候補の令嬢にそのような事はないと信じております。」

「…。」

「それにしてもジャクリーヌ嬢は良いご指摘をなさるのですね。確かにいざと言う時に女性を守れる男性は魅力的です。」

「だが!」

「中性的な美貌とは一定の年齢までの需要でしょう。勿論、殿下も理解しておられますよね?そもそも大人になって腕立ても出来ぬ細腕の男など、ただの優男、いえ、人以下か。」

「…………どうすれば良いのだ…。」


どんよりと落ち込むローランが消え入りそうな声で聞いてきた。


「まずは必要な筋力をお付けになっては如何でしょうか。殿下の授業は必要があって組まれている物ばかりです。これまで避けてこられた剣の鍛錬などもしっかりされると良いでしょう。」

「…分かった。」

「それから成長には栄養バランスも大事だと聞いたことがあります。野菜も十分に召し上がるのがよろしいかと。」

「…努力する。」


素直過ぎて気持ちが悪い。


流石のマルクもそう、はっきりとは言えないが、己の主人は予想を遥かに超えて重症らしい。本人はまるで気づいていないようだが、遅れてきた初恋だろうか。マルクは最後にもう一つ言葉を重ねた。


「それからジャクリーヌ嬢には花でも贈って、お優しく接するのがよろしいのでは?」


だが、この助言を受けたローランの行動に困惑したのは他でもないジャクリーヌだ。


先日まで無愛想にふんぞり返っていたいけ好かない男が、突如として花束を抱え登場しエスコートして来るからだ。しかも何かにつけて小さく「くっ。」だの「痛。」だの言ってくる。


「…ローラン様、何か悪い物でも召し上がりました?」

「そんな事はないぞ。」

「頭を強くお打ちになったとか?あるいは記憶の混濁などはございませんか?」

「至って健康だ。」

「しかし何処かお怪我を。」

「至って健康だ!」


ただの筋肉痛とは口が裂けても言えない。


話を逸らすローランに疑問符を浮かべつつ、ジャクリーヌはその日の目的地である図書室へと向かった。しかし居住区より幾分離れたその場所へ向かう間に、非力な小鹿以下の足は限界を迎えた。


図書室の扉を開け入室した一歩目、何もない所で躓いたのだ。


無様に転ぶなどローランのプライドが許さない。もちろん、エスコートしているジャクリーヌに助けられるなんて事があってはならない。


体が傾く僅かな間に頭を高速回転させたローランは、ジャクリーヌを片腕で抱き込むと同時に、更に一歩踏み出した足を軸足に反転した。途端様々な筋力が悲鳴を上げる。支えきれない体重を閉じた扉に預ける事で転倒を何とか防ぐ。ジャクリーヌを抱いたのと別の腕を打ち付けることで扉への激突も回避した。


そして出来上がった構図が片腕に抱いたジャクリーヌを、図書館の扉と自らの身体の間に拘束する図だ。これ以上ない程、完璧な壁ドンだ。


目の前のジャクリーヌの目が見開かれ、次の瞬間その顔が真っ赤に染まる。ところが当のローランは扉に打ち付けた腕や軸足の痛みに悶えている。


「少しの間このままでいてくれ。」

「!?」

「頭では分かっているんだが、身体が言う事をきかないのだ。」

「ローラン様…。」

「今は…このまま動きたくない。」


筋肉痛の言い訳するローランと慣れない事とは花束やエスコートの事だと思うジャクリーヌの会話は、何故か奇跡的に噛み合っている。


痛みに耐えるローランの横顔は赤くなっており、他の者からは照れているように見える。そんな彼の様子に誰より驚いたのはジャクリーヌだ。まさか、自分に好意を抱いたとでも言うのだろうか。


「…急にどうなさったのです。」

「君の言葉に真摯に向き合っているのだ。」

「!?」

「このままではいけないと気づいたのだ。…君には感謝している。」


ただの優男などになるものか。これからはワイルドなイケメンを目指すのだ。


「君を(物理的に)支えられるように努力する。」

「ローラン様…。」

「だから、(筋力がつくまで)少しだけ時間が欲しい。」


初めて真剣な瞳を向けられたジャクリーヌは、是とも否とも言えずただ固まった。周りの者は気配と姿を消した。


全く別の事を考える二人は、暫くの間見つめ合っていた。


来週の投稿はお休みさせて頂きますm(_ _)m

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