4.馬車の中の妄想
「それで?今日は何処に行くんだ?」
数日後。何とも複雑な表情をしたローランと、表面上はいつも通りのジャクリーヌが馬車に揺られている。前回の件から僅か三日後。二人の間には何とも甘ったるい気まずさがある。気付かぬのは本人たちだけだ。
「お忙しい中、時間を取って頂いて有難うございます。本日は流石に私では持ち運べない物の確認をして頂きたいのです。」
「持ち運び出来ない物…?」
「あ、もうすぐ着きます。」
得体の知れない恐怖を感じるローランを他所に、ジャクリーヌは淡々と告げる。着いたのは一等地に建つ、今一番人気のデザイナーが経営する店だ。なかなか予約がとれないと王妃が嘆いていたのは最近の話だ。
「毎回ここで仕立てているのか!?」
「まさか。殿下の物をお作りするからです。」
「そうは言っても…予約すら取れないだろう。」
「実はちょっと貸しがありまして。」
「ジツハチョットカシガアリマシテ?」
「さぁ行きましょうか。」
ローランが言葉を反芻する間に、ジャクリーヌはさっさと先に降りようとする。扉を開きかけた所で、反対の手が掴まれた。
「?何か?」
「何か、じゃないだろう!先に降りるな!危ないだろう。」
ジャクリーヌは目を丸くした。よもやエスコートをしてくれる気でいるとは思わなかった。しかもその理由が“危ないから”という、気遣いである事に驚いてしまった。
勿論これも当然の事であり、そもそもエスコートしない方がマナー違反な訳だが、ローランの評価は底辺の底辺。しかし底辺というのはある意味最強で、まともな事をしさえすれば好感度が上がるのだから不思議である。
そして目の前の極上のイケメンが狭い車内で自分を心配して真剣な眼差しを向けるという状況に、ジャクリーヌは急激に落ち着きを失くした。思わず距離を取ろうと後退りするが、そこは先程自分が開きかけた扉。何の抵抗もなく扉が開き、支えを失くした体が外へと傾く。
「あっ…!」
「おい!」
背中から落ちそうになるジャクリーヌの腕を引き、抱き抱えるように車内へ戻す。慌てたローランは力加減を調節できず、ジャクリーヌを抱き締めたまま馬車の床に倒れ込んだ。
「大丈夫ですか!?」「殿下!」
ローランの慌てた声と馬車の揺れに驚いて駆け付けた御者と護衛が見たものは───
抱き合った二人が馬車の中に横たわっている状態、しかもジャクリーヌがローランの上に乗っている。表情は見えぬが乱れた髪とドレスの裾。
「大丈夫か?」
「は、はい。」
「痛むか?」
「平気です。…あ!」
「無理に動かなくていい。俺に任せろ。」
「で、も…。」
「動けば痛むだろう?大丈夫、辛抱するのは少しの間だけだ。信じて委ねてくれ。」
漏れ聞こえる会話にギシリと揺れる馬車。実際のところは倒れた拍子にジャクリーヌの髪が、ローランのカフスに絡まっただけだ。
が、思い切り誤解を産んだ。
「「………。」」
馬車の扉は顔を赤くした護衛たちによって音もなく閉められた。
一方、馬車の中の二人もおかしな状態になっていた。ジャクリーヌはローランの力強い腕と密着した身体に、ローランはジャクリーヌの軽さと思わぬ柔らかさに心臓が爆音を立てているのだ。触れ合っている部分がどんどん熱を帯びて来る。
熱に浮かされたままローランは通常時の倍は掛けて、ジャクリーヌの絡まった髪を取った。取った髪を彼女の耳にかけ、そのまま頬に触れる。至近距離で瞳を合わせた二人の周りには薔薇が飛んでいるようだ。
「申し訳ありません!お、重いので!」
「そんな事はない。軽すぎるくらいだ。」
「!?」
「それに…柔らかいな。」
「!!??」
産まれてこの方、これ程に色気がダダ漏れている男と密着していた事はない。と、いうか男と密着した事がないジャクリーヌは、ローランの言葉にパニックになる。即座にローランの上から逃れようとするが、腰のあたりをガッチリと捕まれていて逃げられない。無理に動くと、何と言うか、余計に不味い事になりそうだと思う。
一方女に乗られた経験がないローランは、恥ずかしさで頬を染め、瞳を潤ませるジャクリーヌに妄想が暴走していた。何より勝気なジャクリーヌが眉を下げる姿が堪らない。腕の中にいる彼女を守りたいような、困らせたいような───男性としての欲が疼く。
「で、でで殿下!」
「ローランだ。」
「ローラン様!退きますので!!腕を!」
「っ!あぁ。」
頬撫でていたローランの指が、彼女の唇に触れかけたところで、ジャクリーヌはついに降参した。泣きそうな彼女の懇願に正気を取り戻したローランが拘束を解く。即座に距離を取ったが、気まずい事この上ない。
「申し訳ありませんでした!」
「気にするな。怪我がなくて良かった。」
ローランの労りに脈拍が限界になったジャクリーヌは、早口に捲し立てた。
「さ、さぁ!早く行きましょう。お忙しいローラン様に折角時間を取って頂けたのですから時間は有効に使わないと!」
「そうだなっ。」
頷いたローランは、今度は先に扉を開け馬車を降りた。ぎこちない御者と護衛には全く気付かずに、ジャクリーヌをエスコートして足早に店へと向かった。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」
「今日はよろしくお願いします。」
「お任せくださいませ。あら?皆様お熱がおありですか?お顔が赤いようですが。」
「ナンデモアリマセン!気ノ所為デス!!」
「…畏まりました。ではこちらに。」
エントランスで待ち構えていたマダムは、赤顔で挙動のおかしな一行に声をかけたが、それ以上に空気が読める彼女は慌てるジャクリーヌを見て無駄な詮索はせずに直ぐに店内へ招き入れた。貸しが完全にチャラになってしまったが、流石の接客は正直有難かった。
マダムの後について歩いて行くと、やがてひと際豪華な扉の部屋に着く。中に入ると広いスペースの端の方に、触り心地の良さそうなソファとテーブルが置かれている。この広い空間は何だと首を傾げるローランにマダムは「すぐ持って参ります。」とだけ告げて部屋を出ていった。ちなみに御者は別室で、護衛はパーテーションの裏で待機している。
「何が始まるんだ…?」
「それは…。あ、そうだ先にご確認頂く物が御座いました。」
ソファに腰掛けながら呟くローランに、ジャクリーヌは一枚の紙を差し出した。受け取って見てみると、先日ローランが選んだドレスのデザイン画の一枚だった。
「デザイナーと話し合って、体型とも合わせて此方が最もお勧めだと言う事でした。」
「???そうなのか?」
「えぇ、ですから───。」
ジャクリーヌが言いかけた時、部屋の扉が開く。マダムが戻ってきたと顔を上げれば、そこには数人がかりで運び込まれる箱、箱、箱。広いスペースを埋め尽くすそれらに入っていたのは、ありとあらゆる布地だった。
「どの布地で仕立てるか、お選びください。」
「…はあ!?」
「本来なら糸から選んで頂くべきなのですが、時間が無くて申し訳ないません。」
「いやいやいや!?」
「超一流のこちらのお店に協力して貰ったので、それなりの数は揃えられましたので!ご不満かもしれませんが、お選びくださいませ。」
良い笑顔のジャクリーヌの号令により、再びローランの試練の時間が始まった。
「此方と此方の布は同じでは…?」
「よくご覧下さい。折り方が微妙に異なります。」
「この薄すぎる布地は一体?」
「それは女性の寝室で着る勝負着に使われたりもしますが、何枚も重ねると美しいグラデーションが出来ます。」
例によって真面目に取り組むローランがふいにジャクリーヌを手招きした。護衛のいるパーテーションをチラリと見た後、ジャクリーヌの耳元に顔を近づける。
「ところで、なんでドレスを仕立てるのだ?」
「説明してなかったですか?」
小声で問いかけられ、ジャクリーヌはシレッとすっとぼける。ついに問われたか。もう少し引っ張りたかったが、まぁ大丈夫だろう。ここまで来れば引き返せないはずだ。
「ローラン様には貴婦人に扮して、貴婦人のお茶会に参加して頂きます。」
「…はあぁ!?」
顔色を変えるローランに、ジャクリーヌ楽しそうに微笑んだ。