3.デザイン画の刑
「それで?計画は進んでいるのか?」
一週間後。政務を持ち込んでも良いと言ったのに、どうした事か目の前の男は笑顔で出迎えた。初めての事だが随分と上機嫌だ。余程暇な日常を送っていたのだろうか。ジャクリーヌもニコリと微笑む。
「はい。まだまだ準備段階ではありますが。」
「今日は目を通す書類があると聞いたが。」
「えぇ、お時間を取って頂きありがとうございます。それでは早速。」
ドスン
ティーセットを横に片付け、ジャクリーヌは持ってきた物を乗せる。高く積み上がったそれに、ローランは目を丸くした。
「こ、これは…?」
「オーダーメイドドレスのデザイン画です。長身、肩幅がある、胸は心許ない令嬢用に考えてもらった物です。あと喉元も隠す仕様です。全てに目をお通しください。」
「全部!?」
「当然です。ご自身のほうが似合うと豪語されたのですから、最もお似合いになる形をお選びくださいませ。」
「俺が着るのか!?」
「他に長身で肩幅のある、胸は心許ない、喉元を隠す必要のある令嬢がどこに?」
「令嬢ではないだろう…。」
「些細な言い間違いです。さぁ、お早く目を通して下さいませ。」
ジャクリーヌの圧に押されたローランは、とりあえず最初のデザイン画から確かめていく。が、眉間の皺は時間が経つ事に深くなっていく。
「この襟周りの装飾はふざけているのか…?」
「とんでも御座いません。肩幅の広さをカモフラージュするのに効果的なデザインです。」
「この二つ、デザインが同じではないのか?」
「よくご覧下さい、ウエストの位置が異なります。」
「このフリフリリボンは…。」
「殿下でしたら着こなせるのでは?お似合いになるのでしょう?」
「あとは代わりに…。」
「殿下、ご協力頂けるのでしたよね?」
良い笑顔のジャクリーヌに恨みがましい視線を送るが、思いの外真面目に取り組んでいる。その様子を優雅に茶を飲みながら眺める。いつになく美味しい。
女性を馬鹿にした罪は身をもって償って貰おう。自分のほうが有能と言うなら見せてもらおうじゃないか。苦労も知らず机上の空想だけで馬鹿にする男には、制裁を与えてやる。
あの暴論を聞いたジャクリーヌは即座にそう決めた。残された時間であらゆる嫌がらせを───もとい厳しい淑女の生活を手とり足とりお教えして差し上げよう。
ジャクリーヌが悪い笑みを浮かべる間、長い時間をかけてローランは三枚を選び出した。眉間の辺りを押しながら、その紙を差し出す。頭をかきすぎて髪の毛も少し乱れている。
「候補はこの三つだ…。」
「お疲れ様でした。」
「ドレスは毎度このような形で作っているのか?」
「場合によりますが…既製品をお召になる令嬢もいますし。」
「だったら…!」
「相応しい地位と財産をお持ちの方が、相応しい物を身につける事で経済が回ります。当然お解りですよね?」
「………。」
「それにまさかこの程度で弱音は吐かれませんよね?流行のアイコンとなる貴婦人ならば、自らデザインを考える事もありますのに。」
「………………。」
大人しくなったローランを尻目に選んだデザイン画を確認する。流石は似合うと豪語しただけの事はある。
「殿下はセンスがよろしいのですね。」
「当然だろう。」
「ではこちら三枚を基本として、後はデザイナーと相談致しましょう。では、殿下。」
「なんだ?」
持ってきたデザイン画を鞄にしまい、さらにゴソゴソと何かを取り出す。「まだ何か?」といううんざり顔のローランに、ジャクリーヌはにこやかに微笑んだ。
「脱いでください。」
「…はぁ!?」
赤い顔で慌てるローランの目の前に、ジャクリーヌは巻尺を突きつける。
「時間がありません、お早く。」
「いやいやいやいや!?」
「採寸致します。脱いでください。」
「…採寸?」
「殿下がドレスを仕立てるなど、公に出来るはずもありません。内密に仕立てるためにも私が採寸致します。どの数値が必要かは調べて参りましたので。上だけで結構ですので、お脱ぎください。」
「あ、そういう…。」
「何か?」
ローランは安心したような、ガッカリしたような表情で、ジャクリーヌに急かされしぶしぶ服を脱いだ。
「では、背をこちらに。両手を軽く広げて下さい。」
諦めたようにされるがままのローランの背に巻尺を添え、淡々と採寸を開始した。日も傾いて来た頃ようやくほとんどを測り終え、ジャクリーヌは書き込んだ用紙を確認する。腰周りと胸囲を測り忘れた事に気づき、ローランの対面に立って背に手を回したところで、頭上から咳払いが聞こえた。
「お寒いですか?」
「いや、その…何でもない…。」
歯切れの悪さを不思議に思い見上げると、自分の想像より近くにローランの顔があった。背けた顔の耳朶が赤い事に気づいた途端、ジャクリーヌの心臓がおかしな音を立て始めた。
きめ細やかな、少し汗ばんだ肌。
思いがけず引き締まった胸筋に、割れた腹筋。
長い筋肉質な腕に、長い指。
密着した鼻を擽る微かな香水の香り。
自分とは違う男性的なそれに、ジャクリーヌの鼓動は急激に早まっていく。長い首筋と喉仏、くっきりと浮かび上がった鎖骨をチラリと見て思う。
何が中性的な魅力、だ。紛うことなき男だ。
今抱き締められたら、すっぽりと収まってしまうだろう身長差。押し倒されたら抵抗出来ないだろう力強さも感じる。そして今、自分が割ととんでもない状態にある事に気づく。
「有難うございました!終わりました!!」
艶かしい妄想をしてしまったジャクリーヌは、慌てて飛び退いた。耳の奥から沸騰していくように頬も身体も熱い。
誤魔化すようにソファーへ触り直し、冷めきった紅茶を飲む。火照りがなかなか引かず困っていると、服を着たローランも対面に腰掛けティーカップを手にした。
「申し訳ありませんっ。喉が渇いてしまってっ。」
「そうだなっ。」
視線を明後日の方向に逸らしたままジャクリーヌは捲し立てた。上擦った声は震えており、その事にまた狼狽える。そのため目の前の男も全く同じ様子である事に気づかない。
肌に触れるジャクリーヌの柔らかな指先、その路に長けた女性とは違う優しげな香り、思いがけず華奢な体つき。長時間葛藤に耐えて来たのに最後の極めつけ、腰周りを測るジャクリーヌの胸元やら、艶やかな唇やら、腰の位置から見あげられた角度やらが絶妙で、うっかりベッドでのあれこれを妄想した。
首をもたげる欲望を抑え込むように服を着込み、こちらも明後日の方向を向いて冷めきった紅茶と共に色々流し込む。暫くは部屋の気温すら暑くなったようであった。先に口を開いたのはローランのほうだった。
「それで、他にする事はあるか?」
「…ゔうん、いえ、特にはありません。ご協力有難うございました!」
「そうか、苦労かけるな。」
思いがけない労りにジャクリーヌは驚く。他者を気遣う男だとは思いもしなかった。罪悪感でほんの少し胸がチクリとする。
「…殿下こそお忙しいのに、よくお付き合いくださいましたね。」
「協力すると言ったからな。自分の言葉には責任を持たねばなるまい。」
ごくごく当然の事を言われたのだが、ローランへの期待値が底辺だったせいか、はたまた沸騰した脳ミソのせいか、ジャクリーヌは素直に彼を見直していた。何だかソワソワしてしまい、早々に暇を告げる事にした。
「それでは、本日はこれで失礼致します。」
「あぁ。馬車まで送ろう。」
「え?」
「ん?」
ローランの言葉に驚いて顔を上げれば、言った本人も驚いた顔をしている。聞き間違いかと思い「殿下?」と問かければ、真顔になったローランが早口で答えた。
「いや、その、あれだ。今日は重い鞄を持っているようだしな!俺のために持ってきてくれたのだろうし!そのくらいはな!」
そう言ってジャクリーヌの鞄を掴むと先に扉へと歩いていく。どうした風の吹き回しかとも思うが、正直助かる。
「有難うございます。」
優しい所もあるのね、と思ったら、また心臓がおかしな音を立て始めた。
お互いが自分の事に忙しく口数少ない。
けれど並んで歩く歩調は緩やかで、思いの外心地良かった。