2.開戦
ジャクリーヌはそろそろ我慢の限界だった。
これまで耐えてきたのは、母にくれぐれも失礼がないように言い含められてきたからだ。そのため喉元まで出かかった言葉を何度も飲み込み、人生の勉強だと自分に言い聞かせてきた。
けれど座り心地の良いソファーにも、見事な調度品の数々にも、香り高い紅茶にも、芸術的な焼き菓子にも───もう飽きた。
そうなると目の前で面倒くさそうな表情でだんまりを決めこみ、鏡に映る己の容姿を絶え間なく確認する男と過ごすのは、苦行以外の何物でもない。
「殿下。」
ジャクリーヌは挨拶以外の言葉を初めて口にした。目の前の男はさっと手のひらの鏡を隠すように手を組んだ。気づかないとでも思っているのだろうか。生憎とこちらはそこまで愚鈍ではない。更に面倒くさそうに顎をしゃくり話を促す男にこめかみの辺りがピクピクするのを堪え、にこやかに続けた。
「光栄にも殿下とお茶を頂く機会を頂戴致しましたが、私では役不足の御様子。有限かつ貴重な時間を何もせず過ごすのは無意味かと存じます。我が家へご配慮を頂いての事とは承知しておりますが、どうぞさっさと…んん、早急に破談にして下さいませ。」
一気に言い過ぎて本音が出かかったが、これぐらいは許して貰おう。「時間の無駄なんでさっさと破談にしろ。」と言いたいところを、最低限はオブラートにつつめたはずである。
微笑みを崩さぬジャクリーヌの対面で、男は初めて表情を変えた。
「…噂通りだな。」
「はい?」
「これまでの女はやたらに五月蝿く話しかけてきたうえ、最後まで縋り付いたのだが。」
「左様でございますか。」
「一言も喋らず、自分から破談を持ちかけてきたのは君が初めてだ。」
ポカンとした表情の男を見ながら、それはそうだろなとジャクリーヌは考えていた。
男の名はローラン・エル・マルカン。現国王夫妻の一人息子。王位継承権一位の王太子である。加えて亜麻色の髪、アクアマリンのような水色の瞳、通った鼻筋に薄い唇。それらがこれ以上ない場所に配置された絶世の美男子なのだ。
長い手足に細身の体は中性的で、独特のオーラを醸し出している。更には頭脳明晰で社交的。多少、甘やかされたボンボンで俺様なところがあるが、それすら一部熱狂的なファンには堪らないらしい。
この男の婚約者、後の王太子妃・王妃の座など、喉から手が出る程欲しいだろう。すでに有力な高位貴族の令嬢は我先にと名乗りをあげたと聞く。
それなのに何故、全く乗り気ではないジャクリーヌが彼と茶を飲んでいるかと言えば、理由は一つだ。
目の前の男がことごとく破談にしやがったからだ。
生涯の伴侶を選ぶのだ。国の為とはいえ、なるべくならば性格的に合う人間を選びたいのは当然だろう。けれど来るもの拒みまくるのはどうなのだ。意気揚々顔合わせに向かった令嬢方は、例外無くその鼻と心をへし折られた。
結果、有力候補は一巡。流石の国王夫妻も焦り出したらしい。そこで目を付けられたのがジャクリーヌだった。
「参考までに“噂”というのは、どのような?」
「他の令嬢とは毛色の違う、いや、根性のある、か。」
この失礼な男は考えて物を喋らないのだろうか。それとも単なる馬鹿なのか。裏表がないと褒めるべきなのか、頭脳明晰はデマなのか。ジャクリーヌは頭が痛くなってきたが、自分が選ばれたであろう理由は分かった。
納得だ。
ジャクリーヌが生を受けた伯爵家はそこそこの歴史を持つ平凡な家柄だった。そのまま行けば無難な人生を歩むはずが、ジャクリーヌの父親は欲深かった。そもそも野心のため、婿となり伯爵家現当主になった男だ。子供は所有物も同然で、特に娘は如何に利益のある結婚をするかが重要視されていた。
聞き分けの良い令嬢ならば抵抗もしなかっただろうが、生憎ジャクリーヌは黙っているような性格ではない。厳しい淑女教育の合間を縫って、経済や経営を学んだ。更には外国語や各国文化も習得。それらを使って少ない元手で事業を起こし結果を残した。今では家業の一部を担うまでになり、婚姻以外の価値を自らの手で掴み取った。
その評判は社交会でも広まった。ジャクリーヌは表向きは才ある前衛的な女性、裏ではしゃしゃり出る小賢しい娘とされていた。良からぬ噂は当然父親の耳にも入っていたが、その頃には何も言われなかった。そんな噂以上にジャクリーヌの手腕は家にとって必要になっていたからだ。
ようやく少しの自由を手に入れたと喜んだ矢先、この縁談が舞い込んだ。まさか自分の努力がこんな面倒事を呼んでくるとは思いもしなかった。狂喜乱舞する父親に隠れてジャクリーヌは舌打ちした。
全く気乗りしなかったがしぶしぶ従ったのは、ジャクリーヌを影に日向に守ってきた母の言葉があったからだ。母の協力なければ様々な知識を得ることも、家業で結果を残す機会もなかったジャクリーヌは、母にだけは頭が上がらないのだ。
仕方なく人生の勉強と心に折り合いをつけ、見合いのような茶会に赴いてみれば、いかにも面倒くさそうな男が待ち構えていたという訳だ。
ジャクリーヌは耐えた。
それでももう限界だったのだ。
時間がもったいない。
ならば穏便かつ早急に破談にしてしまいたい。そもそもこの男との婚姻など冗談でも笑えない。
「それで、如何でしょうか?」
「……。」
「何か問題でも?」
「また小言を言われるなと。」
だったら愛想笑いの一つ、話題の一つ提供したらどうなのだろう。何よりもう少し取り繕ってはどうだろうか。
「でしたら何故ここまで破談になさったのです。」
「喧しい鳥など不要だ。」
「ならば口数の少ない令嬢をご希望すればよろしいのでは?」
「どうせ俺の意見など聞いてはくれない。」
不貞腐れたようなローランの様子に王太子の苦労を察するが、八つ当たりはやめて欲しい。ジャクリーヌは我慢をやめ、ため息をついた。
「手頃なところで手を打っては如何ですか?」
「手頃とは?」
「例えば見目が麗しいとか。教養が飛び抜けて優れているとか。」
ジャクリーヌの言葉を聞いた途端、ローランの眉間の皺が深くなった。何か変な事を言ったかと考えたが思うたる節はない。仕方なく次の言葉を待っていると、真っ直ぐとジャクリーヌを見た男が口を開いた。
「俺の方が見目麗しいだろう。ドレスも装飾品もはっきり言って俺の方が似合う。母上は女性には女性の社交と闘いがあると言っていたが、俺の方が上手くやれるはずだ。何せ見ての通り俺自身が神の寵愛を受けているからな。女などどうせ茶を飲んで下らぬ話をしているだけだろう?使えもしない五月蝿いだけの女を今から隣に置いて金をかけるのは気に食わん。幸い女には困っていない。飾りの妃など世継ぎが必要になった時に娶ればいいと思わないか?」
目の前で暴論を繰り広げる男は真顔だ。どうやら冗談で言っているわけではなさそうだ。ジャクリーヌは表情を消して問いかけた。
「ちなみに…殿下はこれまで貴婦人のドレスをお召になった事は?」
「ある訳がなかろう。」
「それでは茶会にご参加された事は?」
「幼い頃、母の付き添いではあるが?」
「夫が仕事中に他家と交流し、派閥をとりまとめ、屋敷内の統制をしている方はどなたとの認識を?」
「さぁ…一般的には執事ではないか?王家ならば摂政や各部の大臣がいるけどな。」
ジャクリーヌの質問の意図が分からず、ローランは疑問符を顔に張り付けている。その対面で何度も頷くジャクリーヌは、とても良い笑顔だ。
「殿下。気が変わりました。私に一ヶ月ほどお時間をくださいませ。言っておきますが私は殿下の隣など期待しておりませんので、そこはご安心ください。茶をしている体で、政務のお仕事を持ち込んで頂いても構いません。殿下も小言を言われるのはお嫌なのでしょう?」
「?それは有難いが…。」
「お許し頂けるなら婚約者の件において、殿下のお考えを証明するお手伝いをさせて頂きたく存じます。殿下のご協力と一筆頂きたいのですが…。如何でしょうか?」
ジャクリーヌの提案に目を丸くしたローランは、次の瞬間笑い出した。そのまま上機嫌で「面白いな。やってみろ。」と了承の意を示す。すかさずジャクリーヌはサラサラと契約書を作成した。
“ローラン・エル・マルカンは本日より一ヶ月ジャクリーヌ・ド・コリンカの計画に協力し、その内容については罪に問わない事とする”
素早くしたためた紙を二枚用意し、それぞれに署名する。「念の為の覚書です。」と微笑みローランに押し付ける。笑いながら書かれたローランの署名も確認し、一枚を丁寧に折りたたむとバッグに入れて立ち上がった。
「それでは準備が御座いますので、本日は失礼致します。」
「あぁ、楽しみにしているぞ。」
淑女の礼を取って部屋を後にする。去り際に見たのは飽きもせず鏡を見つめるローランの姿だ。見送りのエスコートがないのはいつもの事。けれど今日に限っては都合がいい。
言質は取った。
簡易ながら保険の契約書もある。
相手は失礼極まりないこちらを舐め腐った唯我独尊ナルシスト男。
「…性根を叩き直してやるわ…。」
ジャクリーヌの低い低い笑い声が響いた。




