第9話「火戦」
ロージアブリジ州、ウォルバラ。
「ライフルは、効果ありません!!」
兵士が上官に泣きつくように報告する。
軍隊も例の恐竜の進行を食い止めようと攻撃を試みていた。
しかし一体、どういう訳か。
ヤーネンドンから出現した謎の恐竜は、どんな攻撃にも損傷を受けない。
200名近い兵士がバリケードを設置して迎え撃つ。
信じられない巨体を前に震え上がった兵士たちが懸命に銃撃を試みた。
しかし相手は、平然と兵士たちを無視し、障害物を蹴散らして走り去った。
「とにかく戦っているように見せろと上からのお達しだ。」
つまらなさそうに指揮官が答えた。
何もしないで国民から非難を浴びる訳にはいかない。
無駄と分かっていても恐竜に攻撃しているという事実は作らねばならなかった。
恐竜は、次々に守備線を突破。
誰一人、止めることが出来ず、我が物顔で街を横断する。
「おい、恐竜なんているのか!?」
守備線の中の一人の兵士が喚いた。
隣の兵士が汗を浮かべ、真っ赤な顔で怒鳴り散らす。
「馬鹿言えッ!!
あのデカいのが見えないって事あるか!?」
「俺は、見えギャッア!!」
恐竜の巨大な顎が兵士の上半身を食い千切る。
周りの兵士たちが一斉に逃げ出していく。
「ふわあああッ!!」
「こ、こんなの相手になる訳ねえ!!」
「逃げろーッ!!」
「はい。
………このままでは、被害が出るばかりです。」
逃げ回る兵士を見ながら指揮官が電信で連絡を取る。
通話の相手は、国家戦略室に集まった軍高官と科学者、政治家たちだ。
この常に締め切った部屋は、国家戦略室。
あるいは、最高作戦室と呼ばれる。
ヤーネンドン、ミュリエットミンスター区、戦争省にある。
戦争省あるいは戦略省は、国外開発省、植民地省(暗黒大陸省、南洋省を管轄)、エネルギー省、資源省、軍需省、陸軍省、海軍省を統括。
要するに戦争の準備がこの省の役割である。
その広範な権限は、内務省に比肩する。
官庁街でも一際、立派なこの建物の中で帝国の戦略は、すべて決まる。
しかしあまりに巨大過ぎる官僚組織と権力は、議会と衝突を繰り返した。
これまでに組織の縮小が行政改革と共に進んでいる。
2788年に植民地省からチャガ省が独立、2790年に新大陸省が独立。
2809年に通商庁が内務省に移管し、後に通商省が創設。
2920年に虎の子である情報省が独立。
次第に権限を縮小しつつあるものの依然、王権の象徴である。
「今すぐに撤収許可を。
国民へのアピールなら十分でしょう。
これ以上、死者が出ると厄介ですよ?」
それ見たことかという表情で指揮官は、呆れた様子で話している。
だがスピーカーの向こう側は、まだ死なせたりないらしい。
「クラレッド、まだ早い。
国民を失望させるな。」
ガサガサと雑音が混じる電信機からお偉いさんの声がする。
苛立った指揮官は、目を細めた。
スピーカーの声は、まだ話し続ける。
「攻撃を初めてまだ1週間も経っておらん。
まだまだ攻撃が手ぬるいと各方面から騒いでおる。
死ぬのは、若者の義務だ。
まだ……少なくとも避難が済むまで続けるのだ。
恐竜の進行予想ルート上の避難は、まだまだ済んでおらん。」
この命令に現場の指揮官は、反対した。
「お言葉ですが、こちらの攻撃は、一切効果がないのですよ?」
彼は、固唾を飲んでスピーカーの返事を待ち構える。
すると。
「空砲でも構わん。
逃げても隠れても良い。
だが恐竜を追って貴官らも移動を続けるのだ。」
質の悪い通信機でも明らかにそれと分かる。
前と違う老軍人の声がスピーカーから響いた。
「どうせ国民には、恐竜がどこにいるかまでは、正確には伝わっておらん。
安全な距離を保ちつつ、国民に兵士の姿を見せるだけで良い。
今後は、攻撃を試みる必要はない。
すべての防衛線の構築を中断し、各部隊を疎開させよ。
命の安全を最優先に。」
「待て、元帥。
それでは、話が違う…!」
違う男の声が割り込んだ。
後では、もっと色々な声が飛び交っている。
「とにかく鳴り物だけは欠かすな。
静かになり過ぎると馬鹿どもが街に引き返してくる。
派手にやれ。
そこが四方世界でもっとも地獄に近いと国民に理解させてやれ。
家財も何もかも投げ打って、避難に熱狂できるようにな。」
老軍人がそう命令を与えると現場の指揮官は、苦笑いする。
「………略奪を考える兵も出かねません。」
「こうも馬鹿ばかりだと貴官も気が休まらんだろう?」
老軍人は、そういって隣の背広の男に顎で合図した。
「……状況は、いずれ変わる。
今は、十人の乙女のように時期を待て。」
現場も慌ただしいが国家戦略室も騒がしい。
円形のテーブルの上には、乱雑に資料が飛び交う。
向こうで蒼い顔で突っ伏しているのは、首相だ。
その姿を見て老軍人は、腕組みして顔をしかめた。
「………公爵は、一度帰してやれ。」
「はい、閣下。」
老軍人に声を掛けられた若い男女が首相に肩を貸して退室させる。
「イングルナム公、一度、お休みください。」
半生半死の表情で老人は、なんとか立ち上がった。
「うう……。」
皆、仕事を続けながら横目で首相の姿を追う。
大勢の人々に見守られながら疲労困憊の老人が両開きの扉から出て行った。