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第5話「脱出」




呪文書”死者の掟”を盗まれたという隻腕の青年と異邦人が地下に潜っている頃。

チャックとテディは、混乱の坩堝と化した地上にいた。


「おら!」


「よっと!」


二人は、軍や警察の指示を無視してエボン川に向かった。

既に船で帝都から逃れようという人々が大勢、集まっている。

これも陸路での脱出が遅々として進まないためだ。


もちろん自家用船など持ってはいない。

他人の船を盗んで出航するつもりだ。

二人とも暗黒大陸や南洋を巡る冒険で操船は、お手の物だ。


「ようし、さっさと逃げるぞ。」


チャックは、手ごろな船を手に入れると早々と出航準備を進める。


もちろん似たような悪人は、彼らだけではない。

後から現れた不埒者が船に飛び込んでくる。


「この!

 この!!

 このォッ!!」


その一切をテディが撃退する。

腰にピストル、背中にライフル、ロングソードまで引っ張りだして来た。

すっかり未開の地で悪名を鳴らした傭兵に戻っている。


「この女ぁ!」


漁民らしい中年男がテディに挑む。

相手も火掻き棒みたいな物を乱暴に振り回している。


しかしテディは、舌を巻く早業で相手の武器を奪った。

動きも機敏だが相手の火掻き棒を奪った握力も目を見張るものがある。

そして稲妻の早さでそれを投げつけ、中年男を貫いた。


「げえ!?」


火掻き棒は、相手の胸を貫き、左の肩甲骨を背中に隆起させて止まった。


そんな血も凍る光景が続くのだ。

次第に襲撃者は、数を減らし、チャックたちが船を出すのを邪魔する者はいなくなった。


「さすが、荒事にはなれてるな。」


チャックは、大人しくいう事を聞くようになった船のエンジンから離れてそう言った。

今や船は、岸を離れ、黒く濁った川の中央へ滑るように移動した。

景色が動き出し、船の煙突から黒い煙が爆発する。


「ああっ。」


テディは、飛び掛かってチャックにキスした。

雌豹めひょうの軽やかな足取りで愛する男にしがみ付く。

そして情熱的な抱擁を交わし、夢中になって官能に浸った。


「待って。

 なあ、待ってくれ。

 操舵ぐらいさせてくれ。」


そういってチャックは、テディの腕から逃れ、慌てて船の舵に飛びついた。

船は、河口に向けて船首を回し、他の船を避けながら前進し始めた。


「じゃあ、舵を取れ。

 だが唇は、私に向けておくんだ。」


そういってテディは、彼の隣に立つと再び彼を抱き留めた。

忙しなく頭が動き、舌と唇が絶えずなまめかしく愛撫を続ける。


まったく信じられない話だが帝都に恐竜現る。

二人は、急いで事務所兼自宅を飛び出した。

恐ろしいのは、恐竜よりもパニックに便乗した暴徒だ。


船で川の上に逃れたとて、まだまだ安心はできない。


そう自分を戒めるチャックだがテディが次々に彼に与える刺激に自制が緩む。

血管が脈打ち、肉欲のうしおが渦巻く。

そして遂にあからさまに彼女の身体への関心を示した。


不意に、あまり心地良いと言えないヤーネンドンの風が吹き抜ける。

風が止むとテディのトウモロコシ色の髪が滝のように垂れ下がった。


「わっぷ。」


しばらくテディは、自分の髪と格闘し、ようやく顔を出した。


素晴らしいオリーブ色の肌。

北方人種エッサー人のシンボル、燃えるような紫の瞳。

そして息を飲むほど美しい顔立ち。


どれも聞き古した陳腐なフレーズだがテディには、この言葉が似合っている。

中世のヴァイキング戦士が現代に現れたような。

そんな空気を彼女は、まとっているからだ。


何と言っても冷酷で毒を含んだ表情、好戦的に歪んだ唇は、説得力がある。


「悪いがしばらく俺から離れてろ。」


といってチャックは、舵を手に前を向く。

ヤーネンドンを離れるまで魅力的な女の身体に熱中する訳にはいかない。


悔しそうにテディは、彼から離れた。


「ふんっ。」


そんな彼女の横顔をチャックは、何だかんだといって盗み見る。

大きな瞳が狂暴性を忘れ、鏡のように静かなのは、ほんの不意の一瞬だ。


やがて膨らんだ肉が上着を押し上げるのを。

肉感的な姿態が次々に表情を変えるのを遠目で確かめた。


だが次第に気持ちを静める。


さて女の事は、ひとまず忘れよう。

チャックは、ここまでの事を整理する。


さあ、この事件は、”死者の掟”と関係があるのか?

恐竜の出現と伝説の呪文書は、何と無く誰もが結び付けたがる。

しかしチャックは、ここに探偵の勘が働いた。


もし偶然、本を手にした奴に”死者の掟”が扱えるとは考え辛い。

盗品が運良く魔術師の手に転がり込む確率は低そうだ。


では計画的か?

だとすれば何故、1日開ける必要があった?

本を手に入れた当日にサウロンサウルスを暴れせればいい。


もちろん低い確率が的中し、無計画的な人間の仕業という可能性もある。

しかしそれはないとチャックの勘が言っていた。


「何としても”死者の掟”を手に入れるぞ。」


チャックがそういうとテディは、振り返って大声を上げる。


「信用してるの!?」


「昨日も話したが”死者の掟”に関する講釈は、あちこちで聞きまくった。

 あの隻腕の男が言っている話は、俺の知る限りでは信頼できる。」


といってチャックは、また前の船を避ける。

川のあちこちで船同士がぶつかり、人間がザルの中の豆みたいに落ちていく。


「ひゃー!」

「このォ、死ねー!」

「地獄に行きやがれぇッ!」


川に落ちた暴徒たちは、地獄の亡者そのものだ。

浮かびながら目から火を吹き、凄まじい形相で怒鳴っている。


やれやれ。

政府は、何を考えている。

これじゃ、恐竜に食われるより被害が大きくなってるじゃないか。


チャックもテディも呆れて肩をすくめた。


「でも、どうするの?」


テディがチャックに訊ねた。


ヤーネンドンは、恐竜騒ぎで滅茶苦茶だ。

とても盗品の足取りを聞き込みで探すことはできなさそうだ。

あるいは、盗品を仕入れた奴が本を持って逃げ出したかも知れない。


「なんでそう思うの?」


テディがいった。


「盗んだセイラは、本に仕込まれていた魔法の守護獣で殺された。

 しかし本が防犯態勢に移行して何時間もそのままってのは考え難い。」


「そんなの分らないでしょ?

 あの手の本は、作った人間の性格で全然違うじゃない。」


確かに絶対の保証はない。

だがチャックは、自分の中の推論を挙げた。


「うん。

 でも、仮に蔵書を守るためといっても半日も本が自律行動したら面倒だろう。

 よほど神経質か、考えナシでもなきゃさ。


 それに現に盗まれた本を探そうと思ったら本は、人の手にあることが望ましい。

 本がどこかに隠れてるより、ずっと探し易いはずだ。

 要は、魔法に無縁な人間にとっては、ダイヤモンド着き古書なんだし。」


ただこれは、全てチャックの思い付きだ。

確たる証拠は何もない。


しかしかつて魔法は、存在した。

星々をも動かし、時を逆巻き、あらゆる快楽を享受する。


だが、この産業革命期までにほとんど人々の目から隠された。

今や、ごく一部の階層、真の特権者だけが、その恩恵を独占している。

過去の出来事は、すべて童話として歴史の霧の中に秘匿された。


の時代であれば取るに足らぬ魔法書が紛失したとて、さしたる問題には至らない。

そのまま数百年、あるいは数万年、忘れ去られたまま残っていることも珍しくない。


チャックは、過去にも魔法の道具や文献の探索に加わった。

それらは、本来の持ち主が紛失し、代替品を手に入れ、放棄された物を依頼人が横から欲しがったに過ぎない。

古い血族、王侯貴族たちがうっかり失くしたガラクタを成り上がりの新興富裕層ブルジョアが拾って集めているだけのこと。


だが今回、持ち主の手を離れたのは、”死者の掟”である。


本物の中の本物。

”死者の掟”ならもし持ち主の手を離れても、取り戻す手立てを仕込んでいるだろう。


遠見とおみの玉は?」


テディがいった。


遠見の玉とは、いわゆる魔法の水晶玉だ。

術者の知覚を拡張し、過去や未来さえ幻視させる道具だ。

厳密には、水晶クォーツではなくそれ自体が魔法で作り出された玉である。


「チャチな代物じゃあるまいし。

 追跡できるような本なら依頼主が自分でやってるさ。」


といっても、その逆も真なりだ。


「………試す価値はあるな。」


だが問題は、二つある。

持ち主を探さなければならない点が一つ。

あと、もう一つは、持ち主に”死者の掟”が行方知れずと知られることだ。


「とりあえずフォルトンあたりを探してみようか。」


二人は、エボン川を下り、黒真珠海を目指した。

そこから大ヴィン島を反時計回りに航海して北上、フォルトン州に向かう。




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