第4話「地下」
ヤーネンドン、ベイルズベリー地区。
大ヴィネア博物館。
黄金のペンダント、双頭の蛇、象牙のマスク。
どれも大ヴィネア帝国が植民地から略奪して来たものだ。
ヤーネンドン自然史博物館や大ヴィネア図書館は、ここに納まり切らなかった物を展示している。
「マッチンマンガから運んで来た翡翠の山頂。
やっぱり、これを皆、見に来るんですね。」
高さ256cm。
見上げるほど大きな本翡翠、硬玉だ。
澄んだ濃い緑色をしていて神秘的に輝いている。
2999年、マッチンマンガの奥地、ヘルゲン山の頂を切り取って来たものだという。
元は、大自然の切り立った山の山頂がまるごと翡翠の塊であったことが注目された。
当時も今も賛否両論の事件であり、元の場所に戻すべきだという意見もある。
異邦人は、感嘆の声を漏らした。
隣には、例の隻腕の青年がいる。
「こんなところで遊んでる場合じゃないんだが…。」
「まあまあ…。
探偵さんが情報を掴んでくるまでは、リラックスしましょう。
昨日だってずっと寝てないんじゃないですか?」
異邦人は、そういって青年の気分転換を計ろうとした。
いろいろあってずっと面倒をかけている。
「あまり根を詰めるといけませんや。」
「それは、その通りなんだが……。」
青年は、ぼーっと博物館の展示品を眺めていた。
何だか石像やレリーフの目線が自分に向かって集まってくる。
そんな錯覚がしてきていた。
「タワーブリッジやミュリエットミンスター大聖堂も見に行きたいですね。
国会議事堂の時計台も良いなァ。」
青年の気を紛らわせるためなのか。
本当に楽しんでいるだけなのか異邦人は、ニコニコしていた。
しかし唐突に。
「そういえば、ここにも”死者の掟”があるらしいですね。」
と思い出したように切り出した。
単なるバカか?
この東夷の田舎者は、何か企んでるのか。
隻腕の青年は、ためらいながらも答えを選ぶ。
「ああ…。
ハルヴォランド皇帝が持っていたという奴だ。
最初の原本から写本複製された24冊のうちのひとつらしい。」
「24冊もあるんですか?
尸条経典って案外、いっぱいあるんですね。」
と異邦人は、驚いた。
これもなんだかわざとらしく思えてくるから厄介だ。
何か聞き出そうとしてるように見える。
「いっぱいあるよ。
もっとも焚書でかなりの数が減ってるはずだが。」
「そういえば……。」
ふと思い付いた素朴な疑問を異邦人は、青年にぶつけてみる。
「貴方は、魔法使いなんでしょうか?」
「……そういうことになるね。」
隻腕の青年は、かなり不機嫌そうに答えた。
ただ全く悪意なく異邦人は、質問を続ける。
「はあ、そういうの本当にいるんですね。
でも呪文って暗記する訳には、いかないんでしょうか?
何としても取り戻さないといけない理由があるんですか。」
「他の呪文書のことは知らない。
だが”死者の掟”は、特別なんだ。」
隻腕の青年は、少し歩きながら話し続ける。
二人は、博物館の外のベンチまでやって来た。
他にも休憩している客が大勢いる。
その中で片腕の若い男と見慣れない異国人は、かなり目立っていた。
「チャガの信仰哲学に”色”という概念がある。」
隻腕の青年は、なにやら難しい話をしたそうだ。
ほんの戯れに質問した異邦人は、ちょっと困っている。
自分は、本式で魔術師の弟子になりたい訳じゃない。
「人間は、五感、肉体の感覚器官で外界の情報を得ている。
しかし視力や聴力に個人差があるように人間は皆、同じように世界を知覚してる訳じゃない。
より広く、より深く世界を知覚している人間もいる。」
「霊感というやつですか?」
異邦人が話の途中でそういった。
隻腕の青年は、右手で顎を撫でながら頷く。
「だが古代チャガ哲学は、全ての実体を”空”と捉えた。
虚無だ。」
「虚無?」
「かつて造物主は、宇宙より先に姿を現した。
『それは、はじめから存在していた』
造物主が世界を作ったのであって、世界に造物主が誕生した訳じゃない。
そうウルス教では、教えている。
だがチャガ人は、それ以前に虚無が存在したと提唱した。
時間も空間も存在しない―――つまり”なにもない”状態が創造主より以前に存在した。
0の概念だ。」
青年がそう言うと異邦人は、苦笑いして首を傾げる。
「ちょっと待ってくださいよ。
要するに無でしょ?
無が存在するって矛盾しませんか?」
「それが”死者の掟”だ。
それは、最初から存在しない。
願いを人が抱く時、ページに呪文が現れる。
だから書き写すことも暗記することもできない。
呪文は、その都度、新しく生成し続けられる。」
青年がそう話すと一層、異邦人は、混乱した。
「ま、待ってくださいッ。
写本がいっぱいあるって言ったじゃないですか?」
「それらは、書き写された訳ではない。
”死者の掟”の多相を写し出す幻影なのだ。」
「狂ってる…。」
「君は、無知だ。」
そこまで話して異邦人は、なんだか意気消沈してしまった。
「はあーっ。
死後の世界を垣間見たアヴド・エル・アトバラナの書いた本と聞いたけど。
……そんな途方もないデタラメな本なんですか?」
「おそらく人間には、真理など知覚できんのだろう。
あるいは、人間が常に変化し続けていて真理は、不変なのかも知れない。」
「ほわーっ!!」
急に悲鳴が聞こえて二人は、はっとして辺りを見渡す。
他の人たちも何が起こったのか、まだ理解していない。
「なんだ!?
なんだーッ!?」
「恐竜ーッ!!
でっかいトカゲが暴れてるぞ!!」
「デカいトカゲ?」
「良いから逃げろーッ!!」
ヤーネンドンのあちこちで騒動が起こり、それは次々に連鎖していく。
正体不明の怪物の出現で帝都は、大混乱に陥った。
「皆さん!
軍の誘導に従って帝都から脱出してください!!」
若い軍人が声を張り上げているが効果はない。
群衆は、芋洗い状態で前にも後にも進まない。
「どこだ!?
恐竜は、どこにいるんだ!?」
ヤーネンドン自然史博物館から恐竜が出たという。
この嘘か本当か分らない情報。
だが当然、帝都は広い。
件の恐竜の姿は、どこにも見えない。
隻腕の青年と異邦人は、街路の混沌を見下ろしていた。
「こ、これは、まさか…!
”死者の掟”と関係あるのでは!?」
異邦人が叫んだ。
青年は、黙って市井の混乱を眺めている。
「呪文書を盗んだ輩が、何かの儀式に利用した。
そういうことじゃないんですかッ!?」
「そうじゃない。」
青年は、静かに答える。
「もし”死者の掟”を手に入れた者なら、わざわざ恐竜の化石標本など利用しない。
儀式で悪魔でも怪物でも直に召喚すればいい。
あれは、それだけの力ある本だ。」
「じゃあ…!
一切、関係ないということなんでしょうか…?」
異邦人がそう訊ねると今度は、青年の表情が険しくなる。
「……一切無関係とは言えない。
連中の目的は、”死者の掟”だろう。
帝都をパニックに陥れ、書を手に入れる計画だ。」
「そんな偶然…。」
「囚人は、自由を求め、脱出の機会を常に伺っているものだ。
魔術に関わるものなら”死者の掟”を知る。
その威力を知っていればこそ、多くの魔術師は恐れている。
魔法が御伽噺となって、今や隠されているのは、”死者の掟”の力。
強大な呪文書が魔術師や魔女たちを抑圧している結果だ。
だからこそ、書の所在を常に伺っている物なのさ。」
青年の話で異邦人は、得心がいった。
それほどの呪文書だからこそ、紛失したことで彼は、動揺していたのだ。
また”死者の掟”の力が魔に関わる人々を抑止しているという事実を知った。
「待ってください!
ようやく私にも、ことの重大さが理解出来ました!!」
「そう。
これは、一大事なんだ。」
青年は、キッパリと答えた。
その声には、やや投げやりな感情がこもっている。
しかし絶望はしていない。
「だが、まだ”死者の掟”が悪意ある誰かの手に落ちていない証拠でもある。」
それは、最後の砦だ。
まだ呪文書がどこかに逃れている間は、その力を振るう者も現れない。
「とりあえず地上を馬鹿どもと一緒に逃げるのは、危ない。
地下を行こう。」
「地下を?」
異邦人は、隻腕の青年の言葉を繰り返した。
それの意味することは、容易に解することができる。
だからこそ、躊躇われた。
ヤーネンドンは、古代から大ヴィン島の要所だった。
故に何度も支配者が代わり、繰り返し争われた。
場合によっては破壊され、あるいは再建された。
10世紀中葉、大陸のハルヴォランド帝国が属州支配の拠点とした。
しかし13世紀、島内勢力のチューリア族が破壊。
大ヴィン島から帝国を追い出した。
しかし13世紀末には、島内のオムマン族のヒューレンス王が再建した。
ハルヴォランドが建設した川港や城壁跡が有用だったからである。
現在、これらの地上部分の遺跡は、一掃されている。
長い歴史の間に家屋や寺院、新たな城塞の建材として流用。
28世紀から帝都の拡張に伴い、残っていた城壁や土塁は、完全に破壊された。
ただし地下を掘り返すと様々な文明、諸王国の記憶を留めている。
それは、下水道網より深い地層に古々しく眠る失われた世界である。
「……洪がトゥーレ文明を滅ぼした後。
旧時代の種族は、細々だが現在まで生き続けた。
彼らが古い神の信仰を現生人類に伝えたのだ。」
「そして?」
「完全に滅んだ。」
そう話しながら隻腕の青年は、ミュリエットミンスター大聖堂の壁の一部を押す。
仕掛けが働き、大聖堂の石の壁を動かし、隠された入り口が姿を見せる。
「火を頼む。
俺の腕は、一本しかない。」
青年は、そういうと異邦人にランタンを持たせる。
今、礼拝堂の壁と床がスライドし、地下への入り口を露わにしている。
どこまで続くのか薄っすらと階段の一部が見える。
中は、真っ暗だ。
「なんだか怖いな。
……何度も来たことがあるの?」
「いや。」
「えッ!?」
その一言で異邦人は、凍り付いた。
ここまでの身のこなし、振る舞いは、何度も来慣れた人間に見えた。
だから隻腕の青年を信じて着いて来たのだ。
それが初めてだと言われれば、急に不安が募る。
1時間。
2時間。
ただひたすら暗闇を降る。
それは、濃密な死の腸に潜り込むような感覚を覚えた。
異邦人は、進むごとに背後の空間が消滅し、後に戻れない気がして来た。
「なあ、いまどのぐらい進んだんだ?」
異邦人が恐怖に耐えきれず、隻腕の青年に訊ねる。
彼の顔は、ランタンの灯りから外れ、今は闇の中にある。
何も表情が読み取れず、慣れない異国の言葉が返ってくるのみだ。
「安心しろ。
ここには、何もでない。」
「確かに……。
横穴も何もないけど……。」
そういって異邦人は、わざわざ周囲を灯りで照らす。
相変わらず階段は、一本道でひたすら地下に向かって二人を飲み込んでいく。
「そう。
何か来るとすれば正面だけだ。」
といって隻腕の青年は、立ち止まる。
異邦人も足を止め、ランタンを振り回した。
「これは、戸?」
金属製の両開きの扉が二人の目の前に現れる。
行き止まりか。
「よっと……。」
隻腕の青年は、何やら扉を調べ始めた。
さっきから淀みのない動きで始めて来たとは、思えない。
まるで何もかも知っているかのようだ。
やがて金属製の扉が開き、二人を神秘の内側に招き入れる。
男たちが扉を潜ると再び門扉は、重々しい音と共に閉ざされた。