第3話「瑠璃色の研究」
その日の晩。
早速、チャックは知り合いの盗品バイヤーと密会した。
「盗品を探してる。」
チャックは、小声で、ただしハッキリと発声した。
「へえ……。」
相手は、薄暗い路地裏の闇の中に居る。
表情は勿論、姿さえ見えない。
「ダイヤモンドが表紙に埋められた本だ。
22世紀か25世紀あたりに書かれた本で、タイトルは”瑠璃色の研究”。」
”瑠璃色の研究”は、20世紀のディルモールで書かれている。
これは、禁書とされた”死者の掟”に偽装として着けられたタイトルだ。
内容は、ほぼ同じである。
伝承によればアヴド・エル・アトバラナの原書は、クンビ国の都市ケシェダで書かれた。
1730年ごろと言われているがもっと古い時代の書物にもよく似た文章が見られる。
ここから”死者の掟”自体がオリジナルではなく、さらに古い原書があったと考えられている。
つまり、アヴドが参考にした本が別にあった。
それは、歴史の深い霧の向こうにある洪で滅びる前のもの。
つまりトゥーレ時代の遺物だと学者たちは、考えた。
アヴド直筆の最初の”死者の掟”は、ドレアミ修道院で24冊の写本が作られた。
正確な時期は、不明だが19世紀中葉だと考えられる。
大ヴィネア博物館は、ハルヴォランド皇帝ミゲルサンドロ2世が所蔵していたものを入手。
これは、1823年の禁書指定によって焚書から免れた本物だと言われている。
現在まで一般公開されておらず、どこかに封印されているという。
偽装タイトルの写本作成を命じたのは、ディルモール王ルドウェル。
完成した写本は、1950年ごろ、写字生オーミオン・ゴルジの手になる。
オーミオンは、王のお抱えの学者であり、数多くの写本作業も熟した。
しかしオーミオンは、少なくとも20世紀初頭に死んでいるはずである。
存命なら117歳であり、やや考え難い。
従って一部に死者を蘇らせる秘法によってオーミオンを復活させたという迷信がある。
”瑠璃色の研究”は、名前通り、ラピスラズリの利用法に関する科学本を装っている。
しかし実際は、”死者の掟”に書かれていた様々な呪文、儀式を隠していた。
例えば挿絵の一部、誤字・脱字、不自然な文章の中にである。
似たような形式で”死者の掟”の写本は、31世紀現在まで残っている。
もっとも巨大なものは、ナベリン大聖堂だ。
これは、建物の至るところに”死者の掟”の文章を隠していた。
建物全体が本の内容を書き写した立体的な情報媒体だったのだ。
他にも完全に内容を暗誦できるという一族。
巧妙に一部を抜粋して残したトリックは、世界中に拡散しているという。
今や、そのすべてを特定できずにいる。
「ほう。
………幾ら出せる?」
「15万エキュ。」
これは、一般的な労働者の収入、20年分に相当する。
「それは、法外だ。」
そう言って盗品バイヤーは、闇の中で低く笑った。
「依頼主が払うと言ってる。」
「そうだな。
”死者の掟”の偽装写本で中世末期のものなら、それぐらいするだろう。
特に”瑠璃色の研究”は、質がいいとされてるからな。」
そこまで話して盗品バイヤーは、訝しそうにチャックに訊ねる。
「だが魔術師が自分の呪文書を盗まれるものか?」
「………おそらく普通の写本じゃない。」
そう白状したチャックは、やや血色の悪い顔になった。
1823年の禁書指定により1万1千冊の”死者の掟”が燃やされた。
これを逃れるため、考え付く限りの方法で偽装写本は、長い時代を逃れている。
上記のようにタイトルを誤魔化し、内容が暗号化されるなど、物理的な保護は、当たり前。
中には、何らかの魔術的な自衛手段を仕込まれた写本もある。
「探してみよう……。
早くしないと被害者は、ひとりやふたりでは済まん。」
そういって盗品バイヤーは、闇の奥に立ち去っていく。
チャックも路地裏から離れ、大都会ヤーネンドンの眩しい夜の街に歩み始めた。
ドッグランズ地区。
工場排水の吐き気を催す悪臭の中、女の子の死体が見つかった。
「セイラとかいったか。
手癖の悪いコソ泥だ。」
そういって腰に両手を着いているのは、テディだ。
紫色の瞳には、冷酷な光が宿っている。
13歳の女の子が骨を折られ、異常な変死体で見つかった。
しかもゴミのように廃油に浸かって見つかったのだ。
可哀想だと感じるのが普通だろう。
だがこのセイラという女の子は、窃盗の常習犯だ。
煙突掃除の職だか製紙工場から逃げ出して、ここらに住み着いた。
日頃、船の旅行者を標的にしている。
隙を見て彼らの荷物を盗んでは、質屋に流していた。
「乱暴された形跡はない。」
警官らしい男がいった。
「ふふっ。
乱暴されるぐらい美人なら、こんなところにいないよな?」
テディは、そういってセイラの死体を見下ろした。
嘲笑するテディに警官は、流石に嫌悪感を見せる。
「おい。」
「悪かった。」
といってテディは、咳き込んだ。
ここは、本当に空気が悪い。
「人間の殺し方じゃない。」
「たぶん、蛇だろう。
それも2mぐらいあって女の子を絞め殺すぐらいの。」
間違いない。
”死者の掟”に仕込まれた魔法生物だろう。
本を盗んだ相手を殺害した。
「つまり本は、完全に自律防御態勢で逃走中ってことじゃないか?」
テディがそういって警官の方を向く。
男は、タバコをふかしているところだった。
「それはない。
なら呪文書は、持ち主のところに戻る。」
「イカレた本かも知れない。
前の持ち主は、バイロニー・クロムレックだぞ。」
バイロニーは、26世紀のリンドールの死霊術師だ。
ダイヤモンドが表紙に着いた”瑠璃色の研究”を持っていた。
異端審問で摘発。
2555年、判事ダドリー・グストハムによって火刑に処され、本は没収された。
おそらく隻腕の青年が持っているのは、彼の物だ。
「そこまでは、知らない。
とにかくアンタの旦那の依頼は、達成したぜ。」
そういって警官は、腕組みする。
まだ立ち去らないのは、待っている物があるからだ。
「ああ…。
また今度、事務所に来てくれ。
礼金を払うよ。」
「おいおい。
今くれよ。」
警官は、不満そうに両手を広げる。
これから酒場にでも行きたかったらしい。
だがテディは、良い返事をしない。
そのまま逃げるように退散した。
「今夜は、まっすぐ家に帰りな。」
持ち合わせは、まったくないんだ。
こればっかりはしかたない。
協力してくれた警官には、悪いんだが。