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第2話「依頼」




ヤーネンドン。

ミュリエットミンスター区、グラームス通り。


ここは、豪奢な新古典(ネオゴシック)様式の建築物が立ち並ぶ。

ミュリエットミンスター大聖堂を中心にした旧市街は、傑出した美観が多い。

しかしそんな街にも開発に取り残された一角がある。


チャールズ・クルックシャンク私立探偵事務所。

それは、肩をすくめて立っているように細く、貧相な3階建てのビルだった。

流行遅れの奇妙な装飾は、大気汚染の影響で黒くくすんでいる。


「おっごッ!!」


三十半ばの青年が女に殴る蹴るの暴行を受けていた。

床に這いつくばる男に女は、手加減しない。


「この穀潰し!

 情けないッ!!

 ペットのナポレオン以下だ!!」


男を蹴り上げているのは、テディ。

本名は、エドヴァルダ・デン・ゴルムスソン。

エドヴァルダは、女性名だが男性名のエドワードと聞き違えられることがあった。


蹴られている男は、家主のチャールズ・クルックシャンク。

彼は、チャック(チャールズ)で通っている。

この事務所兼自宅の持ち主で自称・私立探偵を名乗っていた。


「どうして収支がマイナスになるんだ、このマヌケェッ!?」


美しい顔を鬼のように歪めてテディが訊ねた。

いや、これはすでに拷問に近い。


チャックは、四つん這いの体勢のまま答えようとする。

ブルブルと背中が震え、呼吸も辛そうだ。


「うう…。

 あの…その………。」


しかしハッキリとした返事はない。

だがテディもそんなことは、最初から期待していなかった。


「ああ…。

 また美人の前でカッコつけたんだな?」


テディは、残忍な微笑みを浮かべてチャックの後頭部に足を置いた。

ゾッとしたチャックの顔が青くなる。


「いいよ、やってくれるじゃねえか。

 だが後悔しても遅いぞ?」


「ゆ、許してください…。

 ぎゃあああ~~~っ!!」




二人は、同居しているが夫婦ではない。


最初は、傭兵だったテディが結婚を断った。

いつ死ぬか分からないし、海外を飛び回っていたからだ。


大航海時代。

熾烈な海外進出競争を経てヴィネア帝国は、他国を退け、全世界に版図を広げた。


この世界中の植民地支配のため、外国人傭兵を大量に雇用した。

労働力の低下、遠隔地に送られることを嫌がる自国民の不満を避けるためだ。

特に外国人なら遺族年金も参政権も関係ない。


テディもそうした()()()の一人だ。


傭兵の大半が植民地の現地民である。

連れてくる手間がかからない使い捨ての消耗品だ。


だがその指揮官は、旧大陸出身の元将校である。

テディは、騎兵将校としてベルンフォーンで教育を受けた。

その後、暗黒大陸で振り下ろされる棍棒の嵐を4年間、潜り抜けて来た。


ヴァイキング戦士の末裔―――と本人は、信じている。

彼女にとって戦闘と略奪、冒険が人生の彩りだった。


しかし流石に今時、船葬墓に自分と全財産を一緒に埋める気にはなれない。

剣に生き、剣に死ぬのが人生だと10代の頃、漠然と信じていた。


だが人喰い人種を22ダース斬り殺し、ジャングルでひとり呆然と生き残った。

味方の軍艦が火を噴いて沈んでいく。

仲間の騎兵隊は、みんな血の泡を吹いて苦しんでいる。


人生最大の戦闘を生き残った二十歳の誕生日。


誰かを見つけて、子供を持っても良い。


そんなことを考え始めた頃、チャックと出会った。


二人が出会ったのは、捕鯨船だ。

海賊に襲撃を受けていたところにテディら、チャガ軍(ヴィネア領チャガ軍)が居合わせた。


チャックは、本職の漁師ではなくアルバイトとして捕鯨船に転がり込んだ。

これは、金に困っていたこともあるが頼まれると断れない性格のせい。

しかしそれ以上に彼も冒険が好きだったからだ。


ミュリエットミンスター区は、世界でも屈指の高級住宅地だ。


そんな場所でも取り残されたような場所がある。

チャックは、どんな魔法を使ったのか。

小さく古いながら3階建ての家を手に入れた。


しかしそこから二人の人生は、何か満たされない。


硬い大地を裸足が叩き、髑髏が尖った杭の先に飾られた暗黒大陸。

象牙の束、血玉髄とルビーの袋、積み上げられた黄金。

遠くから聞こえる原始的な太鼓の打ち鳴らされる音。


蒸し暑い、羽虫が飛び交う夜。

あの天幕の中で結ばれた時、二人とも幸せだったハズだ。


冒険が足りない。

この煙だらけの帝都まちでは、騎兵剣サーベルが錆び付く。




「ここだ。」


先刻の異邦人がクルックシャンク探偵事務所の前に立つ。

隻腕の青年は、袖を風に靡かせながら後に続いて歩いていた。


「探偵?

 ………なんで、こんな場所を知ってる。」


当然の質問だ。

この異邦人は、今日、ヤーネンドンにやって来たばかりだ。


「事前に教えて貰った。」


といって異邦人は、ドアノッカーを鳴らした。


「なんだって?」


隻腕の青年が眉を吊り上げた。

異邦人は、ドアノッカーで扉を叩いている。


「向こうで厄介事に出くわしたらクルックシャンク探偵事務所を頼れって。

 先達がね。」


「先達?」


「いま行きます!!

 いま出ますッ!!」


扉の向こうで声がした。

どうやら家人の声らしい。


「………ヴィネアでは、どこでも女中メイドを雇ってると聞いたが…。」


肩をゆすって異邦人が隻腕の青年にそれとなく訊ねた。

確かに妙だ。


「まあ、家庭の事情は、さまざまだから。」


「このドアノッカーってどれぐらい聞こえ()ますか?

 本当に聞こえる?」


「結構、響くものだよ。」


ややあってドタドタと階段を踏む音がした。

そのまま二人が待っていると扉が開く。


「はい、クルックシャンクですが?」


チャックが外の二人に挨拶する。

走って来たせいか肩を弾ませ、衣服が乱れている。

また顔に打撲跡があった。


「実は、依頼があって。」


「ああ、依頼!?

 さあ、中に!!

 いま、お金に困ってたんですよ!!」


そう言ってチャックは、嬉しそうに二人を家にあげた。


金がないと明け透けに話すなんて。

異邦人と隻腕の青年は、顔を見合わせた。




外は、かなり痛んでいるが中もやっぱり痛んでいる。

異邦人と隻腕の青年は、思わず部屋をまじまじと見渡した。


この家に不釣り合いなテーブルは、誰かから譲って貰ったのだろう。

古いが大変、立派なものだ。

ただし椅子は、違う物が4脚並んでいる。


壁には、野蛮な武器が飾ってある。

どこかの民族に伝わる品だろうか。

色とりどりの民芸品が並んでいた。


「………あれ、象牙ですか?」


異邦人が驚いた様子でチャックに訊ねた。

三人の目線の先には、立派な象牙が飾られている。


「ええ。

 恋人が植民地軍の傭兵をやっていた頃に持ち帰ったものです。」


まさに略奪品といった趣がある。

客人二人は、驚いたものか怖がったものか応えに迷う。

少なくとも感心はしない。


ヴィネア帝国の圧政。

植民地を力で抑える現状には、誰もが畏怖している。

もちろん、これが帝国主義の時代なのだろうが。


「で、探し物は?」


「ダイヤモンドが表紙に埋め込まれた本だ。」


隻腕の青年が答える。

伝説の呪文書”死者の掟”とは、言わなかった。


「それだけですか?」


「質屋を当たってくれればいい。

 金は、幾らでも払う。」


目を血走らせて隻腕の青年がいった。

平静を装っているが声がガラガラで興奮気味だ。


「おいおい。

 幾らでもっていうのは、言い過ぎじゃないか。」


異邦人が苦笑いして青年の肩を叩いた。


「ダイヤモンドが着いた本ですか。

 ……う~ん。」


チャックも青年の様子に困惑した。

少し話を引き延ばして相手の様子を調べつつ、情報を聞くことにする。

ダイヤモンドだけでは、探しようがない。


「盗人の目的は、ダイヤモンドだ。

 本自体は、俺にとっては重要でも他人にしてみれば価値がない。」


「じゃあ、ダイヤモンドだけ売られている可能性もありますね。

 本は、もう捨てられているかも知れない。」


「いや、それはない。」


「本のタイトルは?」


「それも関係ない。」


青年の返事にチャックは、眉を吊り上げ、口を尖らせた。

あまりにも不自然で奇妙だ。


「………本は、何と言うんですか?

 答えられない理由があっても話して貰えませんか。

 心配しなくても僕は、言い触らしたりしません。」


チャックは、両掌をこすり合わせて唇に当てる。

そしてチラッと連れの異邦人に目線を送った。


「………探偵さんは、聞いたことがありますか?

 ”死者の掟”という本を。」


異邦人は、妙な喉頭音の発声で訛ったヴィン語を操る。

聞き取れないことはないが、かなり独特だ。


「”死者の掟”……?

 ”死者の掟”………。

 ”死者の掟”………。」


チャックは、繰り返し同じ言葉を呟いた。

その言葉の響きを何度も確かめるように。


「古代ザトランに”死者の書”なんてものがありますが。

 それの親戚みたいなものですか?

 つまり錬金術師とか魔法使いが持っていたような…。」


「そういうタイプの本です。」


異邦人が身体を前に乗り出して何度も頷く。

隣の隻腕の青年は、目を泳がせ、黙って何か考えていた。


「じゃあ、ダイヤモンドが無くても問題ありませんか?

 本を探すのがご依頼でしょう?」


チャックは、顎を拳の上に乗せ、本音の見えない語調で質問した。

何か別の意図があるような。


「いや、その必要はない。

 ダイヤモンドが”死者の掟”から取り外されることはない。

 ダイヤモンドが目印だ。」


隻腕の青年は、汗を浮かべて言い切った。


なかなか刺激的な情報だ。

チャックは、背もたれに身体を預け、首を傾げた。


「例えば燃やされたら、本を?」


「ダイヤモンドも燃えてしまいませんか?」


異邦人が口を挟む。

それにチャックは、即答する。


「ダイヤモンドは、木炭と同じ炭素で出来ている。

 しかしダイヤモンドは、簡単に燃えたりはしません。

 少なくとも本と一緒に燃えることは考え難い。


 本とダイヤモンドは、別れたりしないという話ですが。

 こういう場合でも離れたりはせしませんか?」


その質問に隻腕の青年は、ごくりと喉を鳴らす。

そして真剣な顔で答えた。


「ダイヤモンドが目印だ。

 ”死者の掟”には、必ずダイヤモンドが着いている。」


「ふう~ん………。」


チャックは、しばらく何か考えていた。

時計の針の音だけが耳障りに部屋を支配する。

そのまま、この依頼は、断られてしまうのか。


だがやがてチャックは、再び口を開く。


「分りました。

 ”死者の掟(ネクロノモス)”の書を探してみましょう。

 といっても一般的な犯罪シンジゲートを当たるだけですので、過度の期待はしないで下さい。


 相手がもしダイヤモンド目当てのコソ泥じゃなく。

 秘宝や太古の遺物を欲しがる金持ちだとか、そういう手合いなら僕には、無理だ。」


「ええ……。」


チャックの答えを聞いて隻腕の青年は、深く頷いた。

二人の間で何か無言の同意があったらしい。

秘密を知る者同士の符丁のような、何かが。




隻腕の青年と黄色い皮膚の異邦人は、探偵事務所を後にする。


「うわあ。

 すっかり腹ペコだ。」


建物を出てすぐ異邦人は、腹を抑えて苦笑いする。


隻腕の青年は、まだ浮かない顔をして俯いていた。

流石に”死者の掟”が気になるのだろう。


「まあ、気持ちはわかるけどな。

 とりあえず、何か食べよう。」


そう言って異邦人は、青年に声をかける。

励まそうとしているのだろうが奇妙なイントネーションが滑稽だった。


「ああ……。」




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