第16話「神々」
一方、リュエルプール。
チャックたちが本を見つけた以上、こちらは空振りである。
しかしまだ隻腕の青年は、それを知らない。
「やはり海だ。」
と隻腕の青年が言った。
隻腕の青年と異邦人は、港にやって来た。
彼らは、本というよりも召喚された古い神の痕跡を追っている。
これは、呼び出された怪物と本が一緒にいる可能性があること。
もしそうでなくとも、そのまま放置できないことが理由にあった。
「海の中に古い神がいる。」
「海ですか…。」
力なく相槌を打って異邦人も途方に暮れて背を伸ばした。
海という領域に対し、人間はあまりにも無力だ。
太古から多くの人々が海を制そうと挑み続け、未だに多くの謎を隠している。
この暗い塩水の底には、まだ人間の想像も及ばない世界がある。
天体望遠鏡も及ばない海水は、ある意味で星々の世界より遠い。
その海に神と呼ばれた何かが潜んでいる。
とても探す方法が思い付かない。
「まあ、手がないでもないな。」
隻腕の青年は、ぽつりとそう言って薄暗い道を急いだ。
異邦人も首を引っ込めながら後に続く。
大ヴィン島の冬は長い。
気温は、9月頃から下がり北部なら降雪する。
ただヤーネンドンのある南西部は比較的、温かく雪が降ることも珍しい。
ここリュエルプールも氷点下まで下がることはない。
隻腕の青年は、異邦人に冬用のコートを買ってやった。
異邦人は、分からなかった。
この青年は、いったい何で生計を立てているのだろう。
魔法使いというのは、よほど裕福なのだろうか?
「ご老人。
この辺は、ディガンとデルチェトのどちらだね?」
隻腕の青年は、年老いた漁師に声をかける。
妙なこともあるものだ。
朝早い漁師がこんな時刻に何をしている。
「………。」
年老いた漁師は、むっつりと口を真一文字に結んで答えない。
その顔立ちは、種としての後退、原始的な不快感を引き起こさせた。
隻腕の青年は、しばらく老人相手に話し続けた。
それは、耳慣れないヴィン語と他の言語が組み合わされていた。
隣で聞いている異邦人には、とても理解出来ない。
これがある種、秘密の符丁だったのだろう。
陰気な漁師は、ようやく口を開いた。
「……恐ろしいことだ。
もう、リュエルプールは、お終いだ。」
「詳しく話を聞きたい。」
老人の話は、無軌道で長い。
掻い摘んで話を要約すれば、こうだ。
28世紀、リュエルプールが急速に発展した時期。
とあるカルト宗教が広まった。
もともと西海岸には、リュエルプール以外にも港町があった。
それがこうしてリュエルプールだけが発達したのは、他の港町が寂れていったからだ。
住民の失業、疫病の流行、事故、不漁、水道や道路の破損…。
これらは、カルトが呼び出した怪物の仕業だったという。
やれやれ…。
そんなこと、本当に関係あるのかね。
隣で話を聞いていた異邦人は、内心疑ってかかった。
しかし”死者の掟”だの恐竜だの太古の女王だの信じられない事ばかり起こる。
リュエルプール発展の裏にカルト宗教というのもあながち出鱈目じゃなさそうだ。
「それが外国人も他の神を、この街に持ち込んだ。
教団の幹部たちは、こちらも対抗すると言い張った。
………だが、終わりだ。」
「例のヤーネンドンの恐竜だな?」
隻腕の青年がそう言うと老人は、浮かない顔で頷いた。
異邦人だけ一人、怪訝そうに眉をつり上げている。
だが、次第にこの話が出鱈目じゃないのだと確信した。
「………どこの連中か知らねえが、あれがここに来たらえらいことだ。
俺たちの神様があんなのに勝てる訳がねえ。」
三人がそんな話をしていると真っ黒な海から大きな影が現れた。
それが具体的にどんな姿をしているのか三人には、見えない。
あまりにも巨大過ぎた。
「……デルチェトの娘か。」
隻腕の青年が黒い塊を睨み付けるようにいった。
「デルの鯨?
つまりこいつが召喚された古い神ってことですか!?」
異邦人が叫んだ。
しかし隻腕の青年は、鼻で笑う。
「話を聞いてなかったのか?
こいつは、28世紀に呼び出され、近隣の街を荒らした張本人さ。」
「じゃあ、君が感知した古い神は?」
「この街に移って来た移民たちの仕業だろう。」
ということは、何かしらの呪文書をそいつらも持ってるってことだろう。
回収しなければならないな。
それが隻腕の青年にとって本来の仕事だ。
「君は、ここにいな。」
隻腕の青年は、異邦人にそういった。
彼は、一人で行くつもりだ。
「置いていかないでくれよ。
私は、こういう面白いことを期待して君に着いて来たんだ!」
といって異邦人は、目を輝かせている。
どうやら本当に自分の計りを超えた変わり者らしい。
思えば地の果ての極東の国から遠く最西の国に来たほどだ。
隻腕の青年は、ようやく観念した。
「じゃあ、行こうか、お侍さん。」
隻腕の青年は、そう言って夜の街にかけていく。
黄色の異邦人もその背中を追った。
老いた漁師だけが波止場に残され、海を眺めるでもなくただ呆然としている。
彼の時は、すでに過ぎ去った。
繁栄の頂点を極めた生まれ故郷も移民だらけの街になった。
彼らの支えだった教団も他勢力との戦いで醜く変わってしまった。
盛時が過ぎ去り、いまリュエルプールは、老い行くのみだ。
「ああ………。」
老いた漁師の渇いた唇から人の物と思えない絶望の呻きがこぼれた。
輝くリュエルプールの街で黒い二つの塊が激突する。
かつて誰も見たことのない激しい戦いが繰り広げられていた。
強烈な鉤爪が互いを襲い、細長い何か尻尾か触手のような物が弧を描く。
貧弱な背割り長屋が踏み潰される。
自動車が引っ繰り返され、怪物の足が石畳を引っ繰り返した。
ガス管が爆発し、街のあちこちで閃光が白く眩く点滅する。
凄まじい怪物たちの絶叫で人々が震え上がって街を駆け出す。
突き飛ばされた人、運悪く瓦礫の当たった人たちが通りで呻きをあげている。
その大混乱の渦を隻腕の青年と異邦人が走る。
「ここは、奴らにとっても自分たちの街だ!」
隻腕の青年が息を弾ませて言った。
「つまり好き勝手に怪物を暴れさせたりはしない?」
そう異邦人がいうと隻腕の青年も頷く。
「俺ならそうするし、普通に考えればそうなるだろう。
自滅覚悟なら知らないがなッ。」
自滅か。
そもそも古い神だか何だか知らないが怪物を呼び出すなんて。
それこそ後先考えてないとしか思えないじゃないか。
と異邦人には、思えてならなかった。
日ノ元では、神は遠くにあって畏れるものだ。
その化身や落し子を呼び出して力を利用するものじゃない。
触れたり近づいたりするなど考えの外だ。
「×××××××××××××××!」
「××××××××…ッ。」
逃げ散る人々を無視して一塊になっている集団があった。
ついに見つけた。
「居たぞッ!」
隻腕の青年が大勢の男たちを指差した。
明らかにヴィネア人と違う顔立ちの男たちだ。
特記すべきは、彼らの歯が鋭く尖っていることだ。
彼らは、暗黒大陸の人喰い人種。
あるいは喰屍鬼と呼ばれた。
人食いの神、グリュ=ヴォの上位者を信奉し、かつては黄金の都に住んだという。
「××××!!」
「××××××ッ!!」
互いに目が合った瞬間、銃撃戦が始まった。
相手は、機関銃まで準備しており鉄の嵐が隻腕の青年を襲う。
しかし隻腕の青年は、左袖でそれらを軽々と防いだ。
───正確には、人間に見えない神秘の腕がそこにあるらしい。
相手は、腕に覚えのある者もいるようだ。
だが、それはあくまで人間同士の殺し合いの話。
変幻自在に襲い掛かる魔法の腕に抗する術などありはしない。
「その左腕以外に武器はないの!?」
と異邦人が漏らした。
もっともな話だ。
確かに強力な戦力だが、これじゃ怪獣には手も足も出ない。
敵が怪獣にこっちを攻撃する命令を出せば一溜りもない。
「”死者の掟”が手元にあったら、こんな苦戦はしないね。」
そうもっともらしく答えて隻腕の青年は、苦笑いした。
「じゃあ、私が。」
そうくれば自分の出番だ。
異邦人は、適当に入手した杖で反撃にでる。
「××××ッ!!」
強烈な杖の一撃が人喰い蛮族の顎を砕く。
厳密には、彼らも人類と違う進化を辿った枝。
宇宙の悪意が凝り固まった種なのだ。
人の進化図の中で肉食獣として枝葉を伸ばした彼ら。
牙、爪、強靭な骨格と筋肉の塊と化した五体の力。
先祖のように曠野で野人特有の生命力を培えば一人の敵に遅れを取ったりしない。
だがそれらは、この煙だらけの島で弱められてしまった。
彼らは、鎖でつながれた白い野人になり下がった。
「……××××…××。」
最後の一人が撃退され、硬質の音が響いた。
何か金属が石畳とぶつかった音だ。
「な、なんだこれ?
これは……ねえ、これって!!」
異邦人は、大きな本を見つけた。
それは、奇妙な文字が刻まれており、不気味で呪文書のように見えた。
「なあ、”死者の掟”じゃないか!?」
「いいや、違うよ。」
隻腕の青年は、首を横に振る。
しかし確かに彼の瞳も興奮を隠せない。
「違うが、これは、驚いた。
───スケロスの書だ。」
「スケロスの書?」
「”死者の掟”よりエイボンの書より古い。
あるいは、同じ物とも言われているけどな。」
その本は、金属で装丁されており、夜の闇で黒々と光っている。
とんでもなく重いはずだが隻腕の青年は、軽々と持ち上げた。
「すごいな。
5貫ぐらいあるんじゃないか?
よく持ち上げられるね。」
「はははッ。
呪文書が重くて持ち上げられない魔法使いなんて見たことないね。」
と答えて隻腕の青年は、鉄の本をポンポンと片手で扱って見せる。
本そのものが持ち主を認めて自重を制御しているようだ。
「………スケロスの書か。
これは、完全じゃないんだろうがとんだ拾い物だ。」
スケロスの書は、アトランティス時代に書かれ、後に3冊の写本が作られた。
しかしこの時点で3冊の写本には、抜け落ちたページがあった。
3冊は、それぞれで補完し合う。
それ以降の写本は、更なる欠落が意図的に用意された。
こうして大魔術師スケロスの叡智を分割して秘匿した。
「なんでだ?
貴重な本なのは、分かったけど”死者の掟”じゃないんだぜ?」
そう異邦人が訊くと隻腕の青年は、答える。
「それは───
とりあえず食人族が呼び出した化け物を封じてからだ。」
咳払いして隻腕の青年は、スケロスの写本を調べる。
秘文字で書かれたスケロスの書は、本職の魔術師でも手古摺る難文だ。
著者と現代人の間には、推定100万年の隔たりがある。
「読めるの?」
怪物同士の戦いを見守りながら異邦人が隻腕の青年に訊ねる。
答えは、苦笑いの混じった不安そうな声だ。
「はは、難しいな…。
スケロス大師は、100万年前の人物だし。」
「それ、読めるのッ!?」
「言葉が古すぎて今ほどボキャブラリーがないからな。
意味するところを解するには、骨が折れる。」
そう言いつつも隻腕の青年は、適当にアタリを着ける。
古びた絹布に記されたインクを喰屍鬼の言葉で唱えた。
「×××××××××××××××××××××××。」
(我らの祖ブバスティスに代わり虚空の神、ヨクに願い奉る。)
「うわあ。
あの牙の生えた男たちの言葉だ!」
隣で異邦人は、大興奮ではしゃぎだす。
隻腕の青年は、気を取り直して集中力を取り戻した。
「×××××××××××××。
××××××××××××××××××××××××。
××××××××××××××××××××××××××。」
(速やかに三界より元あるべき場所に還り給え。
奇しき御業に拠りて汝を苦痛にて責め苛むものは、我である。
我は、セタハストゥールの子、人喰いの神ブバスティスに代わって名も無き者が命じている。)
やがて怪物の一方が苦しみ始め、攻撃を受けて為すがままになった。
夜の闇の中、小さな人間には、戦いの全容を俯瞰して見ることはできない。
だが怪物は、傷付き、人間でいう手足に相当する部分が剥ぎ取られて行く。
このまま殺されてしまうのかと異邦人が見ていると異変が起こる。
一方的に嬲られていた怪物が次第に消えていく。
やがて完全に姿を消すと、元居た異次元に還っていったのだろう。
それを見守っていた隻腕の青年も一息ついた。
「………ここからが本題だ。
たぶん本は、探偵たちの手にあるだろう。
実は、俺もそう思って行動していた。
いいか。
この前、俺を襲って来た監視者は、俺が本を隠してる可能性を恐れてた。
だが本が探偵の手にあると知ったら、もう警戒する必要がない。
俺たちが探偵と合流する。
ここが一番肝心なところだ。」
隻腕の青年がそういうと異邦人は、飛び上がりそうになる。
「な、なんで別行動してたのさ!?」
本音をいえばお前を警戒してたから。
と隻腕の青年は、答えられない。
「俺たちは、敵の目を引く囮だ。
だから探偵たちに先に本を見つけて欲しかった。」
隻腕の青年は、とりあえずスケロスの書をベルトで縛って後ろ腰に着ける。
予定になかったが、これは戦力として期待できる。
「さあ、最後の仕事だ。
別れるのなら、ここが最後かも知れないぜ?」
といって歯を見せて笑う。
異邦人も同じように笑った。
「”死者の掟”を読ませて貰うのが約束ですよ。
でないと私を犯人呼ばわりしたかどで大使館に引っ張って行きますからね?」