第15話「襲撃」
「危ないんじゃないか?」
テディがチャックに言った。
既に彼女は、ライフルとロングソードを背負っている。
まるで戦争に行くみたいだ。
「………なら君は、残れ。」
厳しい口調でチャックは、そう答えた。
「正直、これまでとは、勝手が違う。
”死者の掟”を拾った人間がどれほど使えるか分からない。」
「第一、なんで使える!?」
急にテディが腹を立てて怒鳴った。
なぜ俺が怒られなければならないのか。
チャックは、そう思わないでもないが女は、こういう生き物だと口を出さない。
「恐らく楽観的に解釈して本が持ち主に所在を伝えるためだろう。
これまでに所有者を次々に蛇で絞め殺させたように。」
その死体を追ってチャックたちは、ここまで来た。
そして今、本の持ち主に魔法を使わせている。
これは、発見して貰うための手立てであって危険はないと判断した。
しかしこの判断が、勝手な思い込みということもある。
「私は、行くぞ!
死ぬなら私の目の前で死ねっ!!」
テディは、興奮している。
彼女も分かっているだろう。
体重2トンのゴルゴボア相手に人間は、無力だ。
チャックは、苦笑いする。
「分かった。
だが死ぬのは、俺が先だ。
君は、俺が死んだら逃げてくれ。」
「分かってる。」
二人は、人目に付かぬよう夜の街を急いだ。
助けを求めに来た男は、やや裕福でウェレスターの郊外に屋敷を持っていた。
「こんなところで大立ち回りしたら目立つな。」
テディがいった。
だがチャックは、後始末のことより今のことだけを考えている。
「コソ泥が入るような場所より安全だと本が考えたんじゃないか?」
「なあ。」
テディがふと思い付いたようにチャックに訊ねる。
「どうしてセイラに盗まれた時、本は、すぐ自衛しなかったんだ?
そうすりゃ、あの片腕の男の手を離れることはなかったじゃないか。」
「それは、逆だろうな。
持ち主の手から離れたから自衛行動に移った。
………機転を効かせたつもりなんじゃないの?」
二人とも怪訝に首を傾げて苦笑いした。
もっとも何かしら欠点がなければ持ち主を転々としないだろう。
屋敷に入るとガラの悪いメイドが応対した。
明らかにそれと分かるタバコの匂い。
言葉の端々にやる気の無さが目立つ。
「どッちら様でしょ?」
「チャールズ・クルックシャンク探偵事務所の者です。
ご主人のフェビアンさんから依頼を受けて来ました。」
チャックは、何も気にさずに挨拶する。
しかし彼の後ろでテディは、メイドを睨み返していた。
「あ~…ッ。
クルックチャック様ですかァ?
……今、ご主人様に確認しゃあすのでお待ちして貰って良いッスか。」
この耳障りな喉音と風変わりな発音は、いったいどこの田舎者だろう。
地方から都会に来た農民が就職するには、斡旋業者の紹介がいる。
この時、家庭使用人、工場労働者など紹介先が決められる。
普通、斡旋業者は、顔立ちが良く礼儀正しい者を使用人として紹介する。
使用人は、家主のステータスを表すもので良い人材を集めるものだ。
特に男を使用人として雇うと税金がかかった。
メイド───つまり家庭使用人の大半が女なのは、これが理由の一つだ。
だから執事や男の召使いは、より裕福な暮らしのシンボルだった。
他に女の方が男より従順だからという意見もあった。
しかしこのように実際は、個人の性格と性別に関係はない。
きっとここの家主は、金をケチったのだろう。
このメイドは、若く美人だが仕事に熱心でもないし、品行方正とも言えない。
「お客様ァァァ。
ご主人様が中にお通しするよーにと言ってますんで。
どーぞ、お入りください。」
メイドは、玄関に戻って来るとそう言って二人を応接間に案内する。
「………感じるか?」
廊下を歩きながらチャックがテディに訊ねる。
既に戦いは、始まっていた。
「感じるかって言うか。
………ほら。」
テディが顎で前を指す。
メイドのスカートから逆さまの小鬼が二人を監視していた。
手のひらに乗るぐらいの、前に大勢ブチ殺したインプよりさらに小さい奴らだ。
「不味いな。
出遅れたかもしれない。」
と言ってチャックは、顔をしかめる。
”死者の掟”を穏便に手に入れたかったが。
今さら、競合相手が出て来るとは予想していなかった。
「ああ!
クルックシャンクさん、早速お願いします!!」
家主のフェビアンがすぐに二人の所に駆け寄ってくる。
それは、良い。
問題は、応接間にある他の顔だ。
中年の男女が8人。
一斉にチャックとテディを敵意に満ちた目で見つめる。
おそらくここ、ウェレスターの探偵たちだろう。
「………彼らは、同業者ですか?」
頭の中で悪態を突きながらチャックが家主にいった。
家主も目を泳がせながら答える。
「ああ、いや、あの……。
急に……今しがた………あちらさんから……。
私が呼んだ訳ではないのです。」
弁明は、それだけだった。
面倒なことにならなければいいが。
「僕が今、何を考えてるか。
あなた方は、分かりますか?」
チャックは、かなり性急に問題に手を着けた。
急がなければならない。
だが探偵たちは、彼の考えなどまるで察していない。
「余所者に仕事を盗られる訳には…。」
などとまるで平和ボケが抜けていない。
だから
「死ぬぞ!!!」
チャックは、耳が千切れそうになるほど大きな声で怒鳴った。
その鬼気迫る様子に応接間の全員が凍り付いた。
ただ一人、メイドだけ気怠そうに壁に寄り掛かって怠けている。
「俺をキチガイだと思うのなら、それで良い!
だがこの一件は、お前らの考えてるようなタイプの事件じゃない!」
チャックは、そういって8人の勘違いした同業者たちを。
───正確には、まったく彼の専門と違う業界の人間を大声で罵った。
「あッ。」
短くメイドが呟いてスカートからインプを蹴落とし、踏み殺した。
それが合図だ。
応接間の窓という窓を蹴破って小鬼たちが踏み込んでくる。
だがしかし彼らが目指しているのは、”死者の掟”ではない。
「これは、予想外!!」
テディは、ロングソードでエルフの首を跳ねる。
もはや御伽噺の存在として信じる者の稀となった耳の長い古い種族の末裔だ。
彼らは、その古色蒼然としたイメージに反し、近代的な武装をしている。
ライフルや回転式拳銃で探偵たちに襲い掛かった。
「そういうことかッ!」
チャックも物陰に身を隠す。
素早く家主のフェビアンだけは、一緒に連れて来た。
フェビアンは、もともと神経が参っている上に、この戦闘だ。
すっかりこれが現実の物と思っていない。
「悪夢だ……。
ああ、俺は夢を見てるのか?」
そう譫言を繰り返して天井の染みを見ていた。
馬鹿な連中だ。
チャックとテディは、8人の探偵たちを睨んだ。
もっとも早々と4人にまで数を減らし、時期に息のある者が居なくなるだろう。
襲撃を試みたのは、本を狙う魔術師でも物好きな成金でもない。
狙いは、探偵たちだ。
察するにチャックがオカルトじみた事件の専門とどこかで知ったのだろう。
思い思いの方法で神秘の世界の住民たちを怒らせてしまった。
彼らは、ここでまとめて落とし前を着けるつもりだ。
「止めろッ!!
手を引かないととんでもない目に会うぞ!!」
壁を背に身を守りながらチャックは、エルフたちに向かって叫んだ。
「確かに今の人間は、君たちを童話のものだと信じ込まされている!
だが支配者たちは、君たちを忘れている訳じゃないッ!!
報復を試みる君らの動機を知らないが、きっと大きな代償を支払うことになるぞ!?
理不尽だろうな!!
だがそれが力の差だッ!!」
「ひひひッ。」
メイドが嘲ってエルフたちを笑う。
どうも彼女の田舎は、古い世界のことに精通しているようだ。
探偵は、まだ2人残っている。
だがエルフたちも怖気づいたらしい。
報復を諦め、夜の闇の中に駆けていった。
その姿は、美しい月夜の住人といった見事なものだった。
灯り一つ持たず、疾風のようにウェレスターの街から郊外の森に帰っていった。
「ふう。
………今のは、暗示の魔法を使った。」
チャックは、そういってテディに苦笑いする。
「まったく、とんでもないところで足を掬われる所だった。」
チャックは、生き残った探偵たちを見下ろしていった。
彼らは、泣きべそをかいて震えている。
「ところでご主人。」
チャックは、早くも本題に入ろうとしている。
しかし急に死体を大勢、見せられて平然としていられるものではない。
家主のフェビアンは、吐き気を堪えるので精一杯だ。
「うううっ。
……な゛、何でずがァ?」
「奥さんは、どうしました?」
チャックが家主に訊ねると彼の代わりにメイドが答えた。
「奥様は、今夜、お屋敷にはおりません。
ご主人様が奥様の異変に気付いたのもそれでッス。」
このまま家主と話すより彼女の方が早そうだ。
チャックもそう考え、彼女と話を進めてしまうことに決めた。
「それは、何日も遊び続けてるってことか?」
「そうッスね。
………帰って来てもォ様子がおかしいッかな。」
ついには、タバコまで吸い始めた。
異常と思えるほどの落ち着きようだ。
「で、問題の本は、奥さんの部屋にあるのかな?」
「鍵ィ掛かってますけどォ?」
「案内してくれ。」
早速、メイドの案内で奥さんの自室に向かう。
気分が悪そうなフェビアンは、チャックたちの後ろをとぼとぼと着いてくる。
「ここです。」
メイドがそういって部屋の扉の横に立った。
「開けられますか?」
チャックは、顔色の優れないままのフェビアンに訊いた。
彼は、肩を大きく上下させながら首を横に振る。
「いや、妻が自分で交換してしまったらしい。
……糞ッ、なんで……。」
自分の妻が不倫していると知って平静で居られないのは、当然だろう。
それは、本の影響だろうか。
「魔法の本という力を手に入れなければ。
奥さんは、そんなことしなかったでしょう。」
チャックは、気の毒そうにフェビアンに声をかける。
「しかしそれは、機会があれば不倫を望んでいたということです。
僕は、こっちの専門じゃありませんが。
事が済んだら弁護士に相談することですね。」
「つまり……何が言いたいんだね?」
青い顔を恐ろしい形相に変えてフェビアンが唸るように言った。
だがチャックは、ちっとも怖がらない。
平然と吐き捨てるように返答した。
「奥さんを信じる気持ちは、捨て去ってしまいなさい。
ドアは、破壊して構いませんね?」
「………ああ。」
フェビアンが許可するが早いか。
テディは早速、ドアの破壊作業に取り掛かる。
閑静な高級住宅地に相応しいドアが、メキメキと破られる。
テディとチャックは、フェビアンの妻の室に侵入した。
「いいぞ。
何か結界や罠がある気配はない。」
「よいしょ。」
テディは、室内灯のスイッチを捻った。
産業革命期の大ヴィネア帝国の室内灯は、ガス灯である。
ただし新大陸では、もう一部で電灯が導入されていた。
しかし大ヴィン島は、既に都市ガスが隅々まで発達。
このため、かなり後になるまでガス灯が使われ続けることになった。
「本人が本を持ち歩いてるってこと、ない?」
テディが訊くとチャックは、少し馬鹿にしたように笑った。
「お前、これまでの仕事でそんなことあったか?」
「ないけど?」
「中世の本ってのは、とにかく重いんだ。
厚紙を作る技術がなかったから木を使ったり。
ページの接着も今と違う方法でやってたから。
あんなの持って出歩けないよ。」
そこまで言ってチャックは、気が付いた。
テディの体格なら古書を軽々と持ち運べるだろう。
北方人とヴィネア人では、物事の尺度が違う。
「ああ、お前は、あれぐらい平気だな。」
「はあ?
なんだよ、その納得の仕方…。」
下らない会話をしつつも部屋の中を探す。
こういう時は、徹底的だ。
机の引き出しを引っ繰り返し、本棚を総浚いする。
ものの1分で強盗が押し入ったような酷いありさまになる。
流石にフェビアンがムカムカと目くじらを立てて怒り始めた。
「ちょっと待ってくれ!!
幾ら何でもそのやり方は、酷いんじゃないかッ!?」
「まあまあ。
ご主人様、あっちら様ァ、この仕事長いから。
ここはァ、任せてご主人様はァ、黙って見ててください。」
といってメイドがフェビアンを引き下がらせた。
彼も怒りを抑えようとして、また妻の不倫で塞ぎこんだ。
「ううう……うっぐ。」
「あった。」
チャックが床に手を触れる。
そこには、何も不自然なところはない。
「どう?」
テディが隣にしゃがみ込んだ。
チャックは、何かを探している。
「妻がそんなところに本を隠しているなんて…。
でもいつの間に床下に物を隠すスペースなんて作ったんだろう?」
弱り切ったフェビアンが眉を寄せて独り言を呟いた。
しかし彼の見ている目の前でチャックの手が床に吸い込まれた。
黒胡桃の床にチャックの手が突き刺さっている。
丁度、水を貼ったバケツに手を入れているように見えた。
「うわあ、ああ!?
な、なんだそれ…!!」
「ご主人様、世の中にゃあ知らない世界があるんッス。」
メイドがそう言ってフェビアンを落ち着かせようとする。
すっかり彼の神経は、限界を迎え、顔が痙攣し始めている。
そんな彼を無視してチャックは、”瑠璃色の研究”を回収した。
重さ20kgはある大きな古書でチャックは、歯を食いしばって持ち上げている。
「うおお……っ。
よいしょっと。」
「ええっ!?
こんな分厚いの!!」
テディも目を丸くしている。
これまで何冊も魔法の本を回収して来た。
しかし”瑠璃色の研究”は、何もかもが違っていた。
長辺50cm、短辺30cm、厚さ20cm。
これは、持って歩けないだろう。
表紙には、隻腕の青年が言っていた通り、ダイヤモンドが着いていた。
真っ青で人差し指と親指で作った輪ぐらいの大きさがある。
ガス灯の光を反射し、燃えるような青い光を幾条も吐き出していた。
他にも金属の装飾が配われていたが錆一つない。
金箔を捺し、インシュラー体で「A Study in Sapphire」と書かれている。
「え、ヴィネア語で書かれてるの?」
テディが意表を突かれた様に叫んだ。
”瑠璃色の研究”は、ディルモールの写字生オーミオン・ゴルジが作った写本だ。
ならガリシア語かトゥーレ語で書かれるハズだろう。
チャックは、本を床に降ろしながら答える。
「”死者の掟”は、常に新しい。
故にこの中に書かれている呪文は、最強なんだ。」
いかなる対抗呪文や防御術式にも結界にも阻まれない。
そこに浮かび出す呪文は、最新最強。
敵にとっては、死の棘、持ち主にとって祝福となり得る書。
だがチャックの手にある本は、たちまち輝きを失った。
「急に燻んでいってるけどッ!?
平気なの!?」
「ちょっと俺たちにサービスしてくれたのさ。」
「つ、妻は!?
妻を助けてくれ!!」
矢庭にフェビアンが本に飛びついた。
チャックの手を払い除け、本の上に覆い被さる。
「本は、見つかったんだッ!
も、もう、どこにもやらない!!
わ、私が命の代えても見張るからッ!!」
フェビアンは、そう必死に訴える。
だがチャックが心配しているのは、本の守護獣の方だ。
こんな風に暴れたら本が自律防御態勢に戻ってしまう。
「落ち着いてください。
本当に、その本は、危険なんです。
刺激しないで。」
言葉こそ穏やかだフェビアンを掴んだチャックとテディは、手荒かった。
本から彼を引き離し、床の上に叩き付けたのだ。
それも彼の安全のためには、仕方ない。
「妻を……妻を探してくれぇっ!!」
「勿論です。
これから、これから奥さんの方を解決します!」
チャックは、そう言ってフェビアンに何か呪文を囁いた。
もともと限界を超えていた中年男は、いとも簡単に暗示に堕ちた。
「うう……うあ………ああ…。」
目が虚ろに光を失い、そのまま膝を折って床の上に座り込む。
そして気怠そうに俯いて黙り込んだ。
「メイドさん。
ご主人を見ててください。」
「このまま奥様は、失踪した方がご主人様の心象には、良いんじゃない?」
メイドがそう言ってタバコを吹かした。
平然と主人の近くに灰を落とす。
まあ、どうせ彼女が掃除する部屋だ。
チャックは、屋敷の外には出ない。
ずっと本のあった家主の妻の部屋を調べている。
「………思うに家の外には、出てないと思う。」
「っていうと?」
「大勢の男と関係を持った。
と奥さんは、旦那に打ち明けたらしい。」
そう話しながらチャックは、部屋の壁に耳を当てている。
本人は、真剣だが周りから見るとかなりマヌケだ。
「誘惑や暗示みたいな魔法を簡単に習得できるとは思えない。
そもそも触媒や香油、秘文字護符、魔女の軟膏もない。
彼女が他人に働く魔法を使うのは、不可能だ。」
「ってことは?」
「本の内容を発声してしまった。
それが偶然、オーミオンが呪文を隠した部分だったんだろう。」
”死者の掟”の複製写本は、別の本に偽装された。
不自然な文章、誤字に見せ掛け、アヴド・エル・アトバラナの詩が隠されている。
それこそ古い神々を呼び起こし、神秘を具現化する力ある言葉だ。
「唱えるだけで発動するような初歩的なもの……。
となると、かなり種類が限られてくる。
………例えば………変身呪文とか。」
チャックが何か見つけた。
というか気が付いたらしい。
「………これだな。」
チャックが壁の近くにしゃがみ込む。
メイドとテディも興味深そうに近づいた。
「臭っ。」
「何この匂い…?」
二人は、チャックの隣で顔をしかめる。
鼻を突く異臭に眉をつり上げていた。
チャックだけが複雑な顔で二人の疑問を明かした。
「猫のおしっこ………。」
察するにフェビアンの妻は、雌猫に変身して屋敷の庭にでも出たのだろう。
そこで発情した雄猫たちに代わる代わる交尾されたのだ。
「ネズミに変身していたら大変でした。
殺鼠剤を撒いたばかりッスから。」
メイドは、そう言って屋敷の庭に駆けていった。