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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

時の契約書

作者: 白川雪道

 

 夢を、見ることがある。

 町でその誰かと出会って、その人は自分に優しく笑いかけてくれる。

 そして、その誰かは、きっと大切な人──



 ◇◆◇



 あるところに、不幸な少女が暮らしていました。親はおらず、たった独りで寂しい日々を過ごしていました。友達も、一人のお人形だけ。

 更には貧しく、一日一食の酷しい生活。

 ですがある日、そんな少女の元に、優しい魔法使いが現れたのです。

 魔法使いは、そのステッキを揺らしながら、少女の願いを一つだけ叶えてくれると言いました。少女に、一つの光が差し込んだのです。


 少女は喜びました。

 そして、笑顔で答えたのです。


「私は───」


 果たして、少女は何を願ったのでしょう。







 レティシアはその本を静かに閉じた。

 不幸な少女の前に魔法使いが現れ、願いを一つだけ叶えてくれる──一見、ただのよくあるおとぎ話。


 けれど、何故か記憶に残ってしまう。だから、幼児向けの絵本だと分かっていても捨てられない。それは、主人公の少女が自分と似ているから、だと思う。


 絵本の中の少女は独りぼっちで、親も友達もいない──レティシアの両親もまた、六年前家を出たっきり帰ってきていないのだ。恐らく、捨てられたのだろう。

 別に、悲しかった訳ではない。

 前から、一週間に一度、帰ってくるか分からないほど放置……されていたし、そのお陰で一人でも何とかやっていける。

 ──ただ、埃を被っていたほど古い本。懐かしいなとパラパラめくっていると、寂しいような、何とも言えない感情が湧いてくる。


 魔法使いと聞くと、あまり身近には感じない。町には出ていないし、実物勿論なんて見たことはなかった──けれど、存在はしているらしい。


 とても珍しいパターンだが、生まれつきに魔力……と言うものを持っていて、それによって魔法を扱える……らしい。


 勿論、レティシアは魔法を扱えない。そんな人は見たことがなかった。レティシアの父は本を読むことが好きで、まるで科学者のように沢山の知識を持っていた。

 魔法使いの話をしてくれたのも父だった。小屋にも魔法に関するその本は沢山あるし、それで覚えた。


 魔法を扱える人間が居るのなら、是非会ってみたいものだ。

そう思っては居るけれど、実は半信半疑だったりもする。

 何となく、本当はそんな人は存在していないんじゃないかと。

 暫く町へ行っていないので、というよりあった事が無いので、まだ事実か嘘かなんて分からないが。もしかしたら、大きな町なら魔法を扱える人が沢山居るかもしれない。

 レティシアは、今年で十七。

 子供っぽいとは分かっている。けれど、本当に存在していたら、凄いではないか。少しくらい夢を見ても良いのかもしれないと思いながら、魔法使いの話題を辞めるために本を棚に押し込んだ。

 気分転換に外の空気でも吸おうと、扉から外に出る。

 小さな段差に躓いてしまったが、上手くバランスをとって転ばなかった。


 けれど、悲劇が起きた。


 背後から、何かが崩れるような、大きな音がなる。

「えっ、何っ」ふと背後に目をやると

「え、嘘……」

 家とは言えないほどに小さな小屋が──一瞬にして崩れ落ちた。


 修理もせず、もう何年も暮らしていたのに……いや、だから崩れたのか……

 レティシアは無表情のまま、どうしたらよいのか分からずに立ち尽くしていた。


 ◇◆◇


 それから数日後。

「ふかふかのベッドって最高…」

 家が崩れたという割には平気そうなレティシアの声が、借りたばかりの部屋のなかに響いた。


 あれから仕方なく苦手な町に下り、小さな宿を借りた。

 レティシアは、小さく呟く。

「それにしても、何でこれだけ持ってきちゃったんだろう…」

 レティシアは、あの絵本を手に取った。


 崩れた家の中からはあまり使えそうな物がなく、この絵本だけ見つけて持ってきたのだが……古すぎて売れないし、貯金も少ししかないし、役には立たないだろう。


 レティシアは大きく溜め息を吐いて、絵本を棚の上に乗せる。

「日用品だけ、買わないと…」

 人の多い所は苦手なのだが、仕方ない。


 取り敢えず笑っていればなんとかなるだろうと自分を納得させ、宿を出た。


 ◇◆◇


 小さな鞄一つで町へと飛び出したレティシア。早くも、それを後悔した。

「高いなぁ…」暫く町へと出ていなかったせいで、何を買えば良いのか分からない。


 取り敢えず日用品だけ買おうと思っていたのだが、ついつい美味しそうな食べ物の匂いに付いていきそうになる。反対方向に行こうとしても、やはり食べ物には勝てなかった。

「一つだけ……買っちゃうか」

 そう自分を納得させ、屋台の前へと歩いていく。

 そこでは、濃厚なタレで味付けされた肉を串刺しにしたものが売っている。

「お嬢ちゃん。これ、オススメだよ」

 そう言って男性が指差したのは、安めだが確かに美味しそうなもの。

「じゃあ……これください」

 暫く人と話していなかったので、表情筋が上手く働かない。変な笑顔になってしまったが……まあ、いいだろう。銀貨を一枚差し出し、お肉を一口頂く。

 正直に言おう──今まで食べた中で一番美味しいかもしれない。  

 それくらい、衝撃的な味だった。

「あぁ、無くなっちゃった」

 いつの間にか、手元には串だけになっていた。また今度買おうと頬を緩ませていると、歩いてきた人にぶつかってしまった。

「あっ、すみません」

 上を向いて見ると、それは見とれてしまうほどき美しい漆黒の瞳をした、年上らしき男性だった。

 レティシアがそのまま通り過ぎようとすると、何故か男性に止められる。


「ねえ、君……何か、可笑しくはない?」

 意味が分からない。初対面で変なことを聞かれ、レティシアは戸惑いつつ答えた。

「私達、初対面ですよね。何ですか?別に何も可笑しくないですけど……」

 不審に思い、そう言って男性を睨むと、

「そっか……やっぱり……」

 と、男性は何処かへ行ってしまった。

「何、今の……」

 謝りもせず、初対面でまるで知り合いのような口調で話し掛けてきた男性に違和感と嫌悪感を覚えたが、すぐに忘れた。


 この出会いが運命を変えてしまうということなど、知らなかったから。



「日が暮れちゃったな……」必要な物を買い揃えている間に、空は鮮やかなオレンジから青紫色へと変化していく。

 早く戻ろうと後ろを振り返ると、ふと、広場の噴水が目に入った。

 透明の水が空と混ざり合い、空間に溶けていくようで。それはそれは美しかった。


「あの人……」

 それよりもレティシアを驚かせたのは、噴水の近くで空を眺めている──昼間ぶつかったあの男性だった。

 瞳と同じように漆黒の髪の彼は、夕日を浴びて更に美しく輝く。けれど、その瞳はそれよりも美しかった。

 レティシアがそれに見とれていると、男性が此方に気付く──声を掛けられた。

「ちょっと、いい……?」それは紛れもない、レティシアが見とれていた漆黒。

「……なんでしょう」

 また、声を掛けられた……レティシアは戸惑いつつ返事をしてみる。

「僕のこと、知ってる?」

 昼間初めて見た顔だし、今まで小屋に引きこもっていたので、知らない筈だ。


「いえ、昼間も言った通り初対面ですが……」

 早くこの場を立ち去りたくて苦笑を浮かべる。

 すると、男性は真剣な表情で言った。


「じゃあ、覚えていないんだ……なら………」

 独り言のように呟く男性は、レティシアのことを知っているのだろうか。

 困っていると、男性ははっきりと言う。

「じゃあ、改めて……こんばんは。僕の名はアルバート・ウィンガル……もし、もしも、“明日”になっても僕のことを覚えていたら、此処へ来て。いつでも、いいから」

 その男性──アルバートはそんな事を言っているが、意味がよく分からない。

 改めて……?覚えていたら……?


「えっと、それはどういう……」

 レティシアが戸惑って居ると、後ろからガシャン、と大きな音がする。

 ……今度はなんなのだ。

 レティシアがそう思った瞬間。


 折れ曲がった店の看板が、アルバートの背後に落ちていくのが見えた。

「……!う、後ろっ」

 慌ててアルバートの手を引こうとしたが、全く動かない。

 危機的状況、の筈なのに、アルバートは美しい笑顔を浮かべて言った。

「じゃ、明日……また会えたらいいね」





 その瞬間、看板がアルバートの体に直撃し、レティシアの前に倒れた。

 アルバートの体は潰れているのか、看板の隙間から生暖かい血液が流れていた。


 駄目だ、死んでいる。


「ぇ…?」

 生まれて初めて、人が死んだ瞬間を目撃した。




 ふと、目が覚める。

「ふかふかのベッドって最高……」

 何だか聞き覚えのある声。

「………あれ?」


 何か、違和感に気が付く。

 そうだ。家が崩れて、宿を借りて、昨日はアルバートが──

「うっ…ぇ」

 広がる血溜まりが脳裏に映る。

 吐きそうに、なった。


 けれどあの後、どうやって帰ってきたのだろう。どうにも記憶が抜け落ちて……

 アルバートは、どうなったのだろう。


 歯を磨こうと洗面台に立つが、コップも何もない。

「あれ?日用品は、昨日買った筈なのに……」

どうしようもない、違和感。

「確かに買ったと思ったのに……夢?」


 この時はまだ、何も気が付いていなかった。


「まあ、いいや。また買いに行くか……本当に、買ったと思ったのになぁ……」


 この違和感の正体は何?


 レティシアは、“また”買い物に出掛けた。



 ◇◆◇



 町は人が多くて、酔いそうになる。

「高いな…」暫く町に出ていなかったせいで、お金の感覚も分からなくなってしまった。

 本当は日用品だけ買おうと思っていたのだが、食べ物の匂いに吊られてついつい肉を買ってしまった。まあ、すぐに食べきってしまったが。


「何だか、つまらないなぁ」

 何となく、同じ事を繰り返しているような気がする。不思議な感覚。朝から調子が悪いし、一体なんなのだろう。


 ふと、見たことがあるような色が、視界を掠めた。

 見とれてしまうほどの漆黒で、確かに見覚えがある……気がする。

「あのっ……」

 気が付いたときには、その人の腕を掴んでいた。

「ア、アルバート……さん?」

 そこには、昨日確かに死んだ筈の人物が、いつも通り歩いている。

 ──男性は、目を見開いた。

「……?何で、覚えてるのかな……?」

 それは、確かにアルバートだった。

「昨日、死……」んだ筈ですよね、という前に止められる。


「そんな事より…ねえ、可笑しいと思わない?」

 何故か、昨日と同じ台詞を投げかれられる。


 昨日のレティシアは、何も可笑しくはないと答えた──けれど、今日は

「………今日は何だか、変なんです。まるで、何かを繰り返しているような……それに、何で貴方が此処に……!」

 アルバートは、自ら聞いておきながら目を見開いている。よほど、驚いたのだろう。

「そっか……出られたんじゃなくて、巻き込んじゃったのか………」

 そうやって何かを呟いているアルバートは、何か知っているのだろうか。

 暫くして、震える口を開く。

「今日……いや昨日、君は僕のことを知らないと言っていたけど、僕たちは、会ったことがあるよ」

 会ったことが、ある?

「そう、なんですか?」

 アルバート・ウィンガル。聞いたことも、見たこともない。

「……今、君が僕を呼び止めて、出られたと思ったんだ………でも、違ったんだね…」

「出られた……?」

 それと、この違和感は関係があるのだろうか。

「少し、場所を変えようか」

 アルバートは深刻そうな表情をして、その瞳を隣のカフェに向ける。

 何か、話をしようとしている?

「え、ええ…」

 レティシアは不信感を覚えつつ、違和感の正体を知るためにアルバートと共にカフェへと入っていく。


 案内された席についた後、レティシアは暗い表情をしたアルバートに問いかけた。

「あの……私は、昨日貴方が死んだのを見て……目が覚めたら、いつの間にか部屋にいて……何か、知っているんですか?」

 何故、この人は生きているのか。

 いつ、レティシアを知ったのか。

 確かに昨日会ったばかりの他人なのに、何故か、この人がレティシアの“違和感”と関係しているのではないかと思った。


 アルバートは、「そうだね」と落ち着いた口調で話し始める。


「信じてもらえないかもしれないが……」

 アルバートは、その漆黒の瞳を閉じた。

 硬い空気が流れる。


「僕は、何度も今日をループしているんだ……一日の何処かで必ず死に、その度に巻き戻る……昨日、君が見たのはその瞬間だよ」


「ルー、プ……?」今日を、繰り返す?

 言葉の意味は理解できる。

 だが、急にそんな事を言われても、全く分からなかった。


「はは……無理もないね……君はこれで一回目だろうし……」

一回目……?どういうことだろう。


「君は昨日を、正確には前の僕を覚えていた……なのに、ループは終わらない。原因は分からないが、多分君も、巻き戻されている……」


「貴方が死ぬことで、時が戻ると?……私も、今日を繰り返す?」  

 段々と、意味は理解できてきた。

「信じないなら、それはそれで構わない……でも、巻き戻っているかもしれない君と、何度も昨日を繰り返す僕……暫くは共に行動した方が……」

 勝手に話が進んでいく。

 ループ。一日のどこかで必ず死ぬ……

「待ってください……!それが本当だとして、私を巻き込んだのは貴方なんですか?もしかして、私も死……」


 そこに響いたのは、冷たい声。

「君が戻っているとして、それに巻き込んだのは、確かに僕だろう……そして、君が僕と同じように死ぬのか……それは、分からない……」


 完璧に理解した訳でも、信じきった訳でもない……ただ、状況を整理したい。

 取り敢えず、アルバートの言っていることをまとめよう。


 アルバートは一日の何処かで必ず死ぬ。

 それがトリガーとなり、時が戻る。

 それにより、今日を繰り返している。

 レティシアは、それに巻き込まれたかもしれない。


 レティシアが死ぬのかは分からないが、これからも今日を繰り返すことにはなるだろうとのこと。

 何となく、本当なんだと思った。

 現に、昨日死んだアルバートはここにいるのだし、レティシアも何だか可笑しいとは思っていた。


「その、いつから……?」

「もう三十回は死んだし……一ヶ月は経っていると思うんだ。急に、朝起きたら昨日と同じ事を繰り返しているような、変な違和感を感じて……死んで、戻って……特にきっかけはなかったんだけど………あ、一気に死ぬことが多いから苦痛はあまり無いんだ。慣れちゃったと言うか……そこのところは気にしないで」

 気にしないでと言われても、昨日の、いや、今日と言うべきか──下敷きになったアルバートを思い出してしまう。

「原因は……分かっているんですか?」

 レティシアは恐る恐る伏せた目を上げてアルバートを見つめる。


「ん……推測だけど、大体は……見た方が早いかな」

 そう言うと、アルバートは右手の指先をくるくると回した。

「何を……?」

「いいから、よく見ててよ」   

 アルバートは無邪気な笑顔を此方に向けると、ゆっくり、ゆっくりと指先を回し続ける。

 すると、目の前にあった小さな紙が、くるくるとアルバートの指先に合わせて、空中へと浮かび上がるではないか。


「えっ」


 次の瞬間、その紙は粉々に崩れて消えてしまった。

 テーブルの上を擦っても、何も無い。


「ま、魔法…!?」

「そんな立派なものじゃない。ただ、魔力を加えて壊しただけ……魔法なんて、簡単な物しか扱えない」


この人は──


「この体質に気付いたのは三ヶ月くらい前だし、まだあんまり試してないんだけど」

 ニッと笑うアルバート。


「……本当に、いたんだ」

 あまりの衝撃に、その声を漏らしてしまった。

「今じゃ、三十人に一人は魔力を持って産まれるらしいよ」

「へぇ……あっ、何でもないです」

 ついつい子供っぽいことを言ってしまったが、そろそろ本題に戻ろう。

「それで、それとループになんの関係が?」

 アルバートは右手で三を作ると、静かに話し始める。

「可能性は三つ、あくまで推測だけど」

 アルバートはレティシアの瞳を真っ直ぐに貫き、先程の無邪気な笑顔ではなく、真剣な表情だった。


「一つ目は……ほら、僕のこの体質……気付いたばかりだし、何もしてないからまだ魔力を扱いきれてないんだけど……」

「何らかの影響で魔力が暴走して、この現象を起こしたって可能性……魔力にそれほどの力があるのかどうかは知らないけど、時に関する魔法は沢山あるし、可能性はある」

 アルバートは薬指を折り曲げ、残りの中指と人差し指で二を作った。


「二つ目……誰かが意図的にループを引き起こし、僕らに何かをさせたがっている……とか。本を読んだり、まあ禁術書を覗いたりもしたんだけど、時を戻す魔法や、似たような呪いもあるらしい……人物に検討はつかないけど。この可能性も捨てられない」


 そして、中指を折り曲げた。

「後は、それ以外の新たな可能性。主にこの三つかな……」


「原因が三つのどれかだとしても、今日を終わらせるのは難しそうですね」

 魔力の暴走だとしても、まだ魔力を扱いきれていないアルバートには何も出来ないと思うし……誰かが意図的に引き起こしているとしても、その人物が分からなければ意味がない……それ以外の未知の可能性だって──


「とにかく今日を終わらせる為に、どうにかするしかないんですよね……」


 レティシアが呟いた瞬間、その時が来た。


「うっ……」

 急に、目の前のアルバートが呻き声を出した。

「大丈夫ですか!?」

 レティシアが叫ぶと、アルバートはそれを落ち着かせるように笑った。


「今日は毒か……まだ昼間だけど……じゃ、また明日の今日に……」

 口から鮮やかな血を吐くアルバート。

 苦しそうだが、どこか手慣れているような、まるで、こうなることが分かっていたように。

「えっ、ちょっ」


 そうして、二日目の今日が終わった。



 ◇◆◇



 朝、心地よい光が差し込み、ふかふかのベッドで──


「本当に、戻った…」服も、スッキリとした快晴も、部屋の中も、そっくりそのまま昨日のまま。

 半信半疑だったが、嘘ではないようだ。

 確かに買い揃えた筈の物もない。

 アルバートの顔も、過ごした時も忘れていない。

 はっきりと、覚えていた。

 夢では、なかったのだ。

「私は、死んでない……ってことは、アルバートが死んだら、私の生死は関係なく戻るってこと……?」

 その可能性が、高いようだ。

「とにかく、アルバートさんを探さないと……」

 死ぬタイミングが決まっていない、というのは不便だ。アルバートは何処に居るのだろう……

 探さなければ。まずは、それからだ。

 町に居るのは間違いない。

 あの漆黒の髪と瞳は目立つから、早く見つかる筈。

「アルバートさんの話は本当だった……なら、話の続きを聞いて、対策を考えないと……」

 状況の飲み込みが早いのは、レティシアの良いところだ。

 レティシアは素早く身支度を済ませ、その部屋を出た。




 ──その漆黒のお陰で、アルバートは案外早くに見つかった。

「アルバートさん」昨日の今日と同じようにその腕を掴むと、アルバートは此方を向いてほっとしたような表情を見せる。

「良かった。探してたんだ……次からはここで待ち合わせよう」ここは、アルバートが下敷きになった場所──噴水前。


「えぇ、そうですね……取り敢えず、昨日の続きをしましょう」


 そう言って、昨日の今日と同じ近くのカフェの扉を開くと、カランと小さなベルの音。また同じ席に着く、同じように向かい合った。

「それで、どうします……」

 何となく気まずい空気のなか、静かに揺れたレティシアの声。

「そうそう、今日は禁術書を持ってきたんだよね」

「え、何処にあったんです?」

 使ってはならない魔法が載っている禁術書なのに、個人で持てる物なのだろうか。

「あぁ、家の奥に並べてあった。父さんもこういう体質で、何でか分からないけど、多分父さんの。カバーもしてあるから持ち運べ……」

「家の奥に、禁術書……」

 まあでも、手掛かりにはなるかもしれないし、本を読むことは好きなので、読むだけ読んでみよう。

 席を立ち、アルバートの隣へ移動する。


 そして、本を覗き込んだ。


「明らかにヤバそうなのしか載ってない……」

「禁術だしね。で、これ、僕のループに似てる気がしない?」

 アルバートが指を指したのは、他人を呪う為の魔術のページ。

「同じ苦しみを何度も繰り返させ、精神的苦痛と肉体的苦痛を何度も体験させる……」

 一日を繰り返すループではないが、必ず死ぬ、と言う苦痛を味あわせると言う点では確かに似ている。

「確かに似てますが……仮に、アルバートさんに掛けられたのがこの呪いだとします……それなら」


 “誰がやったのか”


 何故、無関係なレティシアまで巻き込まれたのか。

「確かに似てますが……仮に、アルバートさんに掛けられたのがこの呪いだとすると、その人物、私の関係性……色々と疑問が残ります……これは誰かが意図的に起こしたループにしては、違和感がありすぎるような気も……完全な否定は出来ませんが……」

『誰かが意図的に起こしたループ』の可能性は低いように思えた。

「まあ、役には立ちそうですよね……」

 今後、役立てよう。

 そんな事を考えていると、とあるページが目に入った。

「相手を密室に閉じ込める……」

 これも、禁術らしい。

 密室に閉じ込めて、出られなくする。

 そのページを眺めていると、ふと、頭に浮かんだ。


「そうだ、死ななければいいんですよ……!」


 レティシアは思わず立ち上がるが、アルバートはその言葉に溜め息を吐いて、落ち着かせる。

「はぁ……?それができないから……」

 レティシアは興奮しながら、アルバートの言葉を遮った。

「これ、これを使えば…」

 レティシアが指したそのページを見たアルバートは、目を見開いた。

 その瞳に、光が宿る。

「そっか、やってみよう……」



 ◇◆◇



 その数十分後。

 ここは、レティシアが借りた宿の中。

 暖かい落ち着くような香りを漂わせた室内で、レティシアはそのページをアルバートに見せながら、説明をする。

「この魔法……相手を閉じ込めるだけでなく、外からの攻撃も防げるんですよ!つまり、この中にアルバートさんが入って、一日中安全に過ごすんです……そうすれば、死なずに今日を越えられるかも……」


 その内容は──描いた魔方陣の上に人が乗ると術が発動し、一度中に入ったものは出られないし、新たに中に入ることは出来ない……と言うもの。

「……と言うか、僕はどうやって出ればいいの?」アルバートはレティシアに対して首を傾げる。

「えっと、発動者が……文字が滲んでて読めない……仕方ありません。どうにかして頑張って出てください」

 とにかく、やってみよう。

 話はそれからだ。


 レティシアは禁術書に載っている通りの魔方陣を描き始める。

 アルバートはその様子を不満げに見つめていた。


最初に引いた線と、最後の線が繋がる。

「書けました……でも、書によると光るそうなんですが、何が足りないんでしょう」

 本来なら魔方陣が光る筈なのだが、レティシアの描いたものは光っていない。

 レティシアが困っていると、アルバートが立ち上がり、「魔力が、足りないんじゃない」と呟いた。

「そっか、そうでしたね……でも、どうやって?」

 レティシアの言葉を聞いたアルバートは、ポケットから何か──小さなナイフを取り出す。

「えっ、何を……」

 レティシアが一歩後ろに下がると、アルバートは自身の親指に切り傷を付けた。


 そこから流れ出す血液を、魔方陣の上に垂らして──すると、魔方陣が怪しげに光り出した。


「光った……えと、あと何時間かはこの魔方陣の中で過ごしてください」

 レティシアは買っておいた食糧を魔方陣の上に乗せる。

 ──物には反応しないらしい。


「でもさ、僕が死ななくても、君が死んで巻き戻る可能性だって……」アルバートは、魔方陣に足を踏み入れるのを躊躇しているようだ。

「その時はその時で……どうせ、繰り返すんですから」

 レティシアは何の感情もこもらない、まるで仮面のような微笑みを浮かべた。

 取り敢えず、やれるだけのことはやってみよう。


 アルバートは、仕方ないと魔方陣の中へ足を踏み入れる。

 その瞬間、空気が凍るような、ヒヤッとした汗が背中を通った。


 何となく、術が発動したんだと思う。

 レティシアは試しに、アルバートへと近寄る──が、それは見えない壁に弾かれてしまった。


「よし、今日一日頑張りましょう」

何だか、ワクワクしてくる。

「窮屈……」会話は出来るらしい。レティシアとは反対に、アルバートは不満げに呟いた。


 ──そうして、十五時間後。


「後数分で明日ですよ……!」

 特に問題も起きないまま、平和に時は過ぎていく。

 もしかしたら、今日と言う時を越えられるかもしれない。


 残り一分。


 三十秒。


 二十秒。


 レティシアは、生唾を飲み込んだ。時計の針は止まることなくカチカチと進んでいく。

「……」

 アルバートは窮屈そうな魔方陣の中で、静かに時計を眺めている。


 一秒──


「や、やった……!!」

 レティシアが立ち上がる。


 時計の針が、ぴったりと十二時を告げた瞬間。



 

 レティシアは、その違和感に気が付いた。




「何で、何で戻ってるの……!?」

 ベッドから飛び起きたレティシア。

 窓から見える景色も、部屋の中も──描いた筈の魔方陣はない。


 時計の針が十二を指した瞬間、戻った。


 アルバートも、レティシアも死んでいないのに……

「こんなのって……どうしたら……!」

 自分のしたことに意味がなかったと気が付き、膝から崩れ落ちる。

「どうして……どうしたら……」



 ◇◆◇



「ええつまり、アルバートさんが死ななくても、明日になる前に確実に戻される……」

 人が居ない静かな店内に、沈んだレティシアの声。

 アルバートは俯いたまま、

「そうだね」と短く返した。

 何を考えているのか分からない。

 この沈んだ空気の逃げ場が欲しくて、珍しく注文した暖かい紅茶を口に運ぶ。

 白く柔らかい湯気が鼻を擽り、それと共に優しい香りが広がった。

「わぁ、美味しい」

 空気を変えようと大袈裟に言ってみたが、アルバートは特に反応を示さなかった。

 代わりに、同じく暖かい湯気を立てる、自身の頼んでいたコーヒーを口に運ぶ。

「このループに、終わりなんて無いのかもしれないな」

 そう、静かに呟くのだ。

 レティシアよりも前から今日を繰り返す彼は、一体何を思っているのか。

 何度も死んで、戻って。死んでは、戻って。

 繰り返しの中で、何を感じたのだろうか。


「でも、死ななくてもループするなんて新たな発見です。このままコツコツと繰り返せば……他にも、何か見つかるかもしれない」

 レティシアは励ますような声色で笑いかけるが、沈んだ空気が和むことなど無く。

「何かって……今回みたいに、絶望するだけだよ」

アルバートはカップをくるくると回しながら、その中の揺れるコーヒーを見つめている。

「なっ……でも、昨日は死ななかったじゃないですか……」

 アルバートが諦めてしまえば、可能性は消えてしまう。

「始まりがあれば、終わりも必ずあります。このループにも、何か意味があるのかもしれない……」

 膝の上で拳を握りしめる。

 何だか、泣きたくなってきた。

 何度でも繰り返すことが出来ると言ったが、急に明日が恋しくなってしまう。

 アルバートも、平和な明日を望んでいる筈だ。

「アルバートさん……明日を迎えるために、頑張りましょう……?」

レティシアがループし初めてから、早くも三日。

繰り返す前の今日を入れると四日目だ。

「ごめん、分かってるよ……ちょっと、頭が混乱してるだけで……」

 その気持ちは分かる。レティシアも……

「えぇ……今日こそ、越えましょう」

 その思いは、変わらない。

 そして、ようやく暖かい空気が戻った気がした。

「ところで、どうします?」

「そうだね……あの古い禁術書は図書館にあるだろうし、今日出来そうなのは……」

 アルバートは難しそうに考え込む。暫くして、いつもの明るい声が聞こえた。

「僕達の他にも巻き戻っている人がいるのか、探してみたいな……」

「確かに、ループしてるのは私達二人だけなんでしょうか……」

 とは言っても、今日一日で調べられるような事ではないだろう。


「本当に、なんなんでしょうね……」


この終わりなきループに、意味はあるのだろうか……?

意味があるというのなら、一体──


 そんな事を考えているうちに、アルバートが咳き込み出した。

 苦さを感じさせるコーヒーの香り。

 それがふわっと広がると思えば、机の上にはそのコーヒーが入ったコップが転がった。


「ごほっ……二回も毒を盛られるなんて……何なんだろう、本当に」

 アルバートは力なく唇を動かした。どうやら、またコーヒーに毒が……

「っ、アルバートさ……」

 レティシアの言葉を区切ったのは、アルバートの死──今日の終わり。

 そうして、四度目の今日は終わりを迎えた。



 ◇◆◇



 世界を──魔術


 この魔術には、最低二人を必要とする。

 その内、必ず一人は魔力量が生まれつき多い者でなければならない。これは、魔力量が少ない者であると、術が失敗する可能性がある為。

 万が一失敗した場合、歪んだ世界に取り残され、永遠に脱出が不可能となる可能性が考えられる。

 また──世界は選ぶことが出来ない。

 この術を発動させた場合、二度と戻ることは出来ない。

 連続して術を発動させ、何度も世界を──ことは可能である。

 だが、世界を──度に術の質は落ちる。

 段々と不完全になっていくため、歪んだ世界へと──こともある。

 ただ、連続して術を発動させることはほぼ不可能である。

 発動者の魔力は、基本的に術を発動させた後に消えてしまう為。

 それほどに魔力を必要とする魔術であり、何度も世界を──ならば、魔力量の多い人間をある程度集めておく必要がある。

 二人で行う場合、一人が生け贄となり、もう一人が発動者となる。

 発動者は自身の魔力を全て生け贄に捧げ、生け贄はその魔力を魔方陣に注ぐ。

 二人以上で行う場合も、生け贄の数は変わらない。生け贄以外が魔力を注ぎ、力を込める。その時魔方陣の内側に居たものだけが、世界を──事が出来る。

 生け贄は、その場で壊れて崩れ落ちる。

 尚、魔方陣の大きさに決まりはなく、上の手順を守れば術は必ず発動する。



 ◇◆◇



 パタン、とその本を閉じる音が、古びた静かな図書館に響く。

 他には、何の音もしない。

 今は昼間なので、勿論人はいるのだ。

 けれど、動かない。

 時が、止まっているかのように。

 本を閉じたその人物は、止まった人々を見て眉尻を歪めながら、その“禁術書”を棚に差し込む。そして静かに呟いた。

「魔力、私では足りない……生贄を、探さなければ……早く、終わらせてしまわないと……」

 ローブを羽織り、そのフードを深く被ったその人物は、声からして若い女だろう。

「探さなければ……生贄を……」

 女が見つめる先には、沢山の人々。

 きっと、本を借りに来たのだろう。

「生贄……魔力を持った者が良いが……」

 女は細く美しい指先をくるくると回す。

 すると、白黒の世界が元の鮮やかさを取り戻したように見えた。

「あの──」

「あ、あれ──」

 止まっていた時が動きだし、人々の賑やかな声。


 けれど、その先に──まるでバグのような、黒い靄が景色を遮った。

「時間が、ないみたい……今日はここで終わってしまう……また明日、か……」

 まだ昼間だと言うのに、辺りは暗く──黒い靄に消されて、呑み込まれていく。

「最初は、一日の終わりまで持っていた筈なのに……やはり、私の魔力が切れるのも時間の問題……それか、他の者が妨害しているのか……」

 女は光を灯さぬ瞳を少し歪ませ、呟いた。

「いや、まだ大丈夫。魔力はある……何度でも繰り返そう……魔力を持った生贄が見つかるまで……誰にも邪魔はさせない」



 ◇◆◇



 朝、いつものように突然目が覚めた。

「はぁ…」

 溜め息以外の言葉は出ない。

 何故、こんなことになってしまったのか。

 レティシアは棚の上にポツンと置かれた本を手に取り、パラパラとページをめくった。絵もどこか寂しげで、読んでいると、いつの間にか本の世界に入ってしまっているかのような。

 少女が自分で、目の前に魔法使いがいるかのような。いつの間にか読まされているような、不思議な感覚に襲われる。


 そして、最後のページを閉じ、また棚の上に静かに置いた。

 本は、少女が願い事を告げるところで終わっている。しかも、その内容も書かれていない。

 果たして、独りぼっちの少女は一体何を願ったのだろう。

 幼い頃はよく分からなかったが、今になっても分からない。もしも自分が少女だったなら、一体何を願っただろうか。

 当時は中途半端な終わり方に少しモヤっとした。けれど、それなりに衝撃で、印象に残ったのだ。

 レティシアはそろそろ行こうかと絵本から目を逸らし、立ち上がる。

 身支度を整え、部屋を出る。




 五回目の今日が、始まった。


 


「えぇ、それで……何か考えは……?」

 いつもとは違うカフェの個室席。しかも何も頼まず、多分安全な状況。

 レティシアは目の前のアルバートと、これからについて話し合うことにした。

「いやぁ、特には。死んでも死ななくてもループするんだし。取り敢えず一日一日を楽しんでいけばいいんじゃない?」

 なんとかなるだろうと無責任な笑顔を向ける彼からは、やる気など感じられない。

「はぁ……でもずっとこのままじゃ……」このまま、ずっと今日を繰り返すのだろうか。

「でもさ、何で僕なんだろうね……君は僕が巻き込んだとして、何で急に僕がループするようになっちゃったのか」

 アルバートが急に真剣そうな表情で考え込む。

 確か、一ヶ月ほど前に突然今日を繰り返すようになったと言っていたが……本当にきっかけは無かったのだろうか。

「そうですよね……誰か、私達と同じようにループしている人は居るんでしょうか……」

 他にもループしている人がいるのか分かれば、レティシア達のようにループしている人の共通点を見つけられるかもしれない。


 暫くして、アルバートは明るい笑顔を浮かべた。

「取り敢えずさ、外に出ない?違和感のある人とか、いつもと違う所を探してさ」

 確かに、ここにいても何も変わらない。だが、外に出るのはアルバートが危険ではないだろうか。アルバートが死ねば、結局戻ってしまう訳なのだし。

「でも、危険では?」

「大丈夫だよ、昼間だし。それに、何回でも戻れるんだから。やれるだけやってみよう」

 無邪気な笑顔で見つめられては、駄目だと言えなくなってしまう。


 結局レティシア達は、充分周りを警戒しながら外に出た。

 以外と平和そうな雰囲気で、繰り返す前の光景とは何も変わらない。

「ほら、大丈夫そう」

 そうだ、今日を繰り返しているのはレティシア達だけだから、他の人たちは普通にいつも通り暮らしている。

「そう、ですね」

 レティシアは遠い景色を眺めながら薄く微笑む。

「でも、気を付けながら行きましょう」

 だからと言って、危険性が全く無いわけではないのだし。

 レティシアは時々アルバートの様子を伺いながら町を歩いた。

 だが、特に怪しい人や変わった様子などない。

 もう一時間近く歩いているが、レティシアの瞳にはいつもと変わりない光景が映るだけであった。

「やっぱり、私達だけなんですかね……」

 町を出て色々な所を探してみたいとは思うが、一日でそんなに遠くへは行けないし、面倒だ。

 本当に、レティシア達以外で今日を繰り返している人などいるのだろうか。

「そうかもしれない……」

 アルバートも何処か遠くを眺めながらそっと呟くように口に出した。

「それにしても、いい眺めですよね」

 レティシアは誤魔化すように周りの景色を見渡しながら、その瞳に何処までも広がる美しい青を映す。

「そうだね」

 アルバートも、遠くに見える青を瞳に映して微笑んだ。

 海。海水は光を取り込み、その光は水の中を流れて美しく揺れる。表面がヒラヒラと揺れ動く度に、無意識にそれを目で追ってしまう。波の流れはゆったりとしていて、心が落ち着くような、そんな気がした。

「あ、鳥……」

 一羽の白い鳥が、その深い青と重なって見える。一羽しかいないのに、それが美しい。

 真っ白で汚れ無き羽を翻し、飛んでいくのだ。まるで、地上にふわりと舞い降りる雪のように。

 なんと、美しいのだろう。

 思わず見とれてしまうほど、たった一羽の鳥に、一瞬だけ心を奪われてしまった。


「綺麗……」思わず声が漏れてしまう。

 ここに来た目的など忘れてしまうほどに。

 その鳥と、それを追うように揺れる波だけを、目で追うのだ。


 いや──それ以外に、何も出来ない。

 足も止まってしまう。

 やはり、疲れているのだろうか。

 体が固まるような違和感と、美しい景色。

「ね……」

 波の動きが不自然に止まる。

 それと同時に、空中に縛り付けられたかのように、突然鳥の動きが固まった。

「だ……」

 先程から、誰かの声が耳に入ってくる。

 誰、だったか。

 知ってるようで、知らないような。

 ふわふわとしている。

 意識が遠のくような、眠くなるような声。

 空気を吸い込む度に、身体中が凍りそうなほど冷たくなる。

 今は、そんな季節ではない筈なのに。


 レティシアが目を閉じようとすると、


「大丈夫?」

 ふと、その声が頭を通り過ぎた。

 そうだ。アルバートの声。

 それを認識した瞬間、体が軽く、自由になる。足も動くし、変な怠さも何処かへ消えてしまったようだ。

 今のは、何だったのだろうか。

 違和感の正体を探るために周りを見回す。


「……何ですか、これ?」

 レティシアは思わず目を見開いてしまった。

「なんかね、時が止まってるみたいだよ」

 隣にいたアルバートがそんな事を呟く。


 ──そう。波は動かなくなり、鳥や人は凍ったように固まっている。空気は冷たく、レティシア達以外は瞬きすらしない。

「時が、止まる……そんな事、あり得るんですか?」

 レティシアは助けを求めて隣に視線を送る。

「でもさ、僕らは今日を繰り返してるし、時が止まるってのもありなんじゃない?」

 呑気に笑っているアルバートに対し、レティシアは瞳を鋭く細めた。

「……で、どうやったら戻るんでしょう?」

 時が止まっている。

 ならば、どうすれば動き出すのか。

 どうして止まったのか。

 冷静に見えるかもしれないが、これでも焦っている方だ。突然周りが動かなくなり、自分達だけが止まった時の中で動けている。なんとも不思議な現象。

「さぁ?止めたのは僕じゃないし。取り敢えず、戻るまで待ってたら?」

 この状況に何も感じていないのか、アルバートは落ち着いた口調でそう言うと、近くのベンチに座る。

「取り敢えず、周りを見てきますね」

 レティシアはそんなアルバートを他所に、暫く歩いてみることにした。

「本当に、全部止まってる…」

 笑い合う人々、舞い上がる木葉もその場で停止し、固まっている。  

 それと、何だか色がぼやけているような気がする。

 全てが白黒に見えると言うか……

 本当に、奇妙な空間だ。レティシアがそんな事を思っていると、ふとそれが視界に入った。


「う、動いてる……?」

 何かが、不自然に動いているのだ。

 黒い──よく見ると、それはローブを羽織った人だ。

 長い髪が印象的な、女性、だろうか。

 周りが動いていないことに動揺もせず、本を片手に静かに歩いていた。

 この全てが止まった時の中で、動いている。それは確か。

「もしかして」

 何か、知っているかもしれない。

 もしかしたら、自分達と同じように、今日を繰り返していたり──レティシアは女性に向かって小走りで叫んだ。

「あの……!!」

 女性が此方を振り向く。

 だが、女性はレティシアを見て、眉尻を歪めて驚くような仕草で声を漏らした。


「この空間で、動いている……?何故、まさか……」

 そう、聞こえた気がした。

 女性は呟いた後、逃げようとしているのか後ろを振り向いた。

「待ってください!」

 レティシアが叫ぶと同時に、女性はパチンと指を鳴らす。

 すると、鼻を通る冷たかった空気は柔らかくなる。

 ざわざわと、賑やかな人々の話し声が聞こえた。

「え?」

 時が、動き出した……?

 それと同時に、女性は人々の間に滑り込むように消える。

「あっ」

 先程まで目の前にいた筈の存在を、見失ってしまった。

 けれど、

『この空間で、動いている……?何故、まさか……』

 女性の言葉が頭を掠める。

「もしかしたら、何か知っているのかも」

 そんな期待も湧いてくる。一つ、手掛かりが見つかったのかもしれない。

 そんな事を微かに思った、その時だった。


「誰か来てくれ……!人が……人が馬車に……!」


 男性の叫び声。

 声のした方を振り向くと、馬車が道を外れて変な方向に止まっていた。

「ひっ」

 それを認識した瞬間、レティシアの顔は、段々と青く染まっていった。

 馬車の下からは、鮮やかな赤が溢れ出している。

 車輪にべっとりと付着した“それ”は、確かに下に人が居ると示している。

 そう言えば、そこにはアルバートが座っていたベンチがあった筈なのだが──大量の荷物を運んでいたのだろう。馬車は普通のものより大型で、操縦を誤ったか、ベンチごと人を──

「ア、アルバートさ……」

 地面の緑を侵食する赤は、止まることなく広がり続けた。

 巻き戻らないと言うことは、まだ生きている……?

「アルバートさん……!!」

 レティシアは慌てて馬車へと駆け寄った。

 けれど、集まってきた人が邪魔で、よく見えない。

 暫くして聞こえたのは

「死んでる……」誰かの冷静な声。


 アルバートが、死んだ。

 それを理解した瞬間、目の前が真っ暗になる。いつもと同じ。


 また、朝から再スタートだ。


 視界が呑み込まれる。

 景色が、消えていく。

 レティシアは自分でも驚くほどに落ち着きながら、闇へと落ちていった。



 ◇◆◇



 硬く冷たい床。

 同じく冷えた壁に背を向けた状態で、目が覚めた。

「ここ、どこ……?」

 いつもは宿のベッドで目覚めるところから始まる筈なのに、ここは宿ではないし、ベッドの上でもない。しかも、両手両足を硬く手触りの悪い紐で縛られていた。

 レティシアは慌てて隣を確認する。

「起きた?」聞き慣れた声。

 そこには、先程死んだ筈のアルバートが、けれどもレティシアと同じように縛られた状態で座らされていた。

 怪我もしていないし、包帯も巻いていないアルバートを見ると、確かに“巻き戻った”のだということが分かる。

 でも、何故。確かに巻き戻っては居る。

 けれど、ここは何処なのか。

 いつもとは違う場所、いつもとは違う始め方。

「えっと、何か知ってます?」

 そうやってアルバートの瞳を見つめても、正確な答えは得られなかった。

「さあね、死んで起きたらこんな状態」

 特に何も知らないと首を横に振るアルバート。先程から全く進まない。

「まず、何で縛られているのか……私達、何もしてないんですけどね……」

 レティシアは縄を解こうと身を捻ったり、縛られた腕を器用に動かしてみるが、力は入らないし縄は硬いし……無理だった。

 一旦諦め、視線を下に送る。

「変な模様……」

 木目の入った床には変な模様が描かれていて、それが何なのかは分からなかった。

 硬く冷たい灰色の壁は、縄と同じようにざらざらとしていて居心地が悪い。

 ──縄で縛られているということは、“誰か”の仕業だ。“誰か”が、レティシア達をこんな所に閉じ込めている。

「でも一体、何で……」

「もしかしたら、僕達と同じようにループしている人かもしれないね」

 ループ……そもそも、一体何の為に行われているのだろうか。

 レティシアは、自身の身体を庇うように体を捩らせた。



 ◇◆◇



 優しく暖かい瞳で自分を見つめるこの人には、幸せになって欲しかった。

 かつて自分を庇って死んでしまったこの人には、明るい未来が待っていると信じていた。

 また視界に映るのは、あの時の姉の姿。

「早く、行きなさい……」

 家が燃えて、その中に三つ上の姉と取り残されたあの日。

 姉は自分を庇って、倒れてくる家具や屋根やらに押し潰された。

 痛みを我慢しながら、それを退かそうとする自分を睨み、早く行けと叫ぶその姿。

 もう脚が動かないからと笑って背中を押した、自分より大きな手。

 けれども、置いていくことは出来なかった。

 姉に駆け寄って助けを呼ぶ為に叫んだり、姉の上に乗った瓦礫を退かそうと必死だった。

 けれど、助けに来た大人たちが、何故か自分だけ助け出して姉を置いていった。

「私の脚はもう動きません。弟だけでも助けてあげてください」

 姉が、そう指示したからだ。

 もう家は崩れかけていたし、姉の下半身は既に潰れていたから、大人たちもそう判断した。

「ありがとうございます」

 そう力なく笑った姉の姿は、炎の中に一瞬で消えてしまった。


 この時、どうして何も出来なかったのだろう。


 その後、苦しそうに黒く焼け焦げた姉が見つかった。下半身はもう見ていられないほど形を崩していて、そんな姉の姿を見つけてからは何も言えなかった。


 あの時何も出来なかった悔しさと、今自分がここで生きているという事に、何故か嫌悪感が湧いた。本当なら、あの時自分が死んでいた筈なのに。

 何故、姉はこんな自分を庇ったのか。

 何故、姉は死んでしまったのか。

 そんなこと、誰も答えてはくれない。


 その日から、生きる気力を失った。

 死にたい。そう思うようになったが、自ら命を絶つ勇気は無かった。

 誰か、こんな自分を殺してくれないか、とそればかり願うようになった。

 姉は、きっとこんな自分を恨んでいる。

 庇ったことを後悔している。

 もう一度、あの笑顔を見たかった。

「アル」

 そうやって笑いかけてくれる姉は、もう此処には居ない。

 お気に入りのワンピースのスカートを翻し、そっとはにかむ姉の姿が蘇る。

 姉はきっと、幸せになるべきだったのに。

 そんな事を思いながら、誰かに殺してほしいと縋ることも、自ら命を絶つことも出来ずに五年という長い時が流れた。

「何で、生きてるんだろうな……」

 姉が好きだと言ってくれた瞳も、光を失ってただの黒になった。

 それとと同じ漆黒の髪も、手入れを怠ったことにより、どれも好きな方向に跳ねていた。

「いっそのこと、魔法で首を跳刎ねてみる?」

 どうせそんな勇気も無いくせに、よく言ったものだ。自分でも馬鹿らしくなって苦笑する。


 この体質に気が付いたのは本当に最近で──けれど、複雑な魔法なんかは扱えず、本当に簡単なものだけ。なので、少々勿体無く感じていた。

 これを活かせるのは、もう──いや、そんな勇気など持ち合わせていない。

 ふと、人混みの中呟いた。

「誰か、殺してくれないかなぁ」

 本当に、その時だった。

 

 言葉では言い表せないほどの痛みが背中に走る。

 それも、刺されて──誰だかは分からなかった。ただ、刺されていると言うことだけを理解する。

 ばたっ、と何かが落ちるような音がするのを、黙って聞いていた。

 それが自分の体なんだと気が付いたときには、笑ってしまうほどだった。

 神は、願いを叶えてくれた。

 天国にでもいるような気分だ。

 やっと、やっと……

「死ねるんだな……」

 この先に待っているのが天国ではなく、地獄だということを知らぬまま。


 歯車が動き出す音に気づかないまま。


 こうして、最初の死を迎えた。



 ◇◆◇



「はぁ……」

 溜め息を吐く音。

 それは自分のものである。

 レティシアは退屈そうに表情を歪め、寒さに身を丸めた。

「これじゃあ、何にも出来ない……」

 縄で縛られ、二人きり。更に寒いとは。

 窓一つない部屋の中で反響する息の音。

 それにはもう慣れてしまった。

 ふと、アルバートの退屈そうな声。

「暇だよね。僕達を捕まえた張本人も出てこないし……」

 アルバートはあくびをして、瞼を閉じようとする。

 が、それを必死に堪えているように見えた。

 そこから流れる沈黙。こんな状況だからか、とても重く感じる……ような気がする。

「何か、話します?」

 何もすることがないのに、沈黙まで流れてしまっては居心地が悪すぎる。

「話すことなんて無いけどなぁ」

 そう言いながらも、沈黙には耐えられないらしい。アルバートは考えるような難しい表情をした後、暫くして何か思い付いたように口を開いた。

「そうだ、そう……名前」

「名前?」

 名前がどうしたのだろうか。

「ほら、名前を聞いても?」

 先程の退屈そうな表情とは違い、面白そうに笑みを浮かべている。


 ──そう言えば、まだ名乗っていなかった。


 レティシアは今までの事を思い出して思わず失笑する。

「よく、名前も知らない女と行動できましたね……」

 ふふっと肩を震わせるレティシア。アルバートはそれに合わせて

「それどころじゃなかったからね」

 とまたもや笑みを溢した。

「私は……」

 それを告げようとした瞬間、タイミング悪く目の前の扉が開いた。

「貴方は──」

 立っていたのは、昨日の──フードを被っていた女性。

 今日は特に顔を隠していないらしく、艶のある長い髪が印象的な人だった。

 同性だというのに、思わず見とれてしまう。

 ──この人が、レティシア達を此処に?

「長く待たせてしまってごめんなさいね」

 女性は怪しい笑顔を浮かべながら此方に近付いてくる。

「貴方、誰ですか?」

 レティシアは一歩下がろうとするが、背に冷たい壁が当たる。

 すると、女性は口元に指を当ててしーっと子供を扱うように笑った。

「私は貴方達を必要としている。悪いことはしないから、大人しくしていて?」

 中央に置かれたテーブルに置かれたのは、オレンジ色の炎を怪しく揺らすランプ。

 女性は此方に近づき、何故かレティシア達の縄を解いた。

「あの……」

「単刀直入に聞くけど、貴方達二人とも、何度も今日を繰り返している……?」

 女性はレティシアの顔を覗き込む。

 レティシアは目を見開いた。

 ──この人も、今日を繰り返している?

「それが、何か?」

 アルバートは警戒しながら女性の反応を伺う。

 そうだ、相手はレティシア達を此処に閉じ込めた人。油断は出来ない。

「そう、魔力があるのはそちらの貴方……」

 女性は淡々と呟く。

「あの、貴方は、このループについて何か知っているんですか……?」

レティシアは自身の手を握りしめ、キリッと女性の瞳を貫いた。

 それを耳にした女性は、艶のある唇を吊り上げながら、ぐるぐると渦巻く瞳を此方に向ける。




「ええ、勿論……この可笑しなループを引き起こしたのは、私だから」




 女性は美しい笑顔を浮かべているのに、この地獄のようなループを引き起こした張本人だと言うのだ。

「……?何故……」

「世界の──いえ、私の為ね」

 意味の分からないことを言って愛らしく笑う女性は、レティシアから離れて今度はアルバートの元へと近づいていく。

「何故、僕を殺した……?」

 アルバートが笑顔の女性を睨み付けると、女性は一歩下がって口を開いた。

「あら、何の事?」

 分からないといった様子で首を傾げる女性。

「確かにループを引き起こし、貴方達を此処に連れてきたのは私。けれど、それ以外は関係がない」  

 そんな事を言って、女性は近くの椅子に座る。

「何で、私達をルー……」

 レティシアが言う前に、女性が首を横に振った。


「私が貴方達を選んだんじゃない。貴方達が自ら気がついてしまっただけ」

 黒髪を揺らして此方に笑いかけている女性。その意図がどうにも掴めなかった。

「確かに私は──いや、今此処に生きている者達は皆、今日を繰り返している……けれど、それは世界の為。貴方達は、何かのきっかけで繰り返していることに気が付いてしまった、それだけ。本当は貴方達が経験している以上に今日は繰り返されている。何百回、数千回とね」

 分かった?と女性は笑みを浮かべるが、全く理解が出来ない。


「世界の為?繰り返す事に気付いた?何故、ループを引き起こしたんですか……?何の意味が……」

 女性はそれを待っていたと言うように今まで以上の笑みを浮かべる。

 そして、言った。


「そうねぇ……世界は、明日滅びる……そう言えば分かるかしら?」

 世界が、滅びる。

「それはどういう……」


「私は……この魔力のお陰で、未来を見通すことが出来る……そして、繰り返す前。私は確かに世界の終わりを見た。信じたくないのなら、信じなくてもいいけれど」

 未来を、見通す……?


「でも、そんなの可哀想でしょう?だから、出来るだけ平和な今日を繰り返して──でも、貴方達のせいでこの不完全な時空が狂ってしまった」

 理解できない。世界が滅ぶ未来を見たから今日を繰り返す?

「狂った……?」

 女性の言っていることが本当だとして、狂ったとはどういう事だろう。

 そして、何故アルバートが死ぬのか……


 女性は先程まで優しい笑みを浮かべていた筈なのに、急に険しい顔付きで言った。

「私は、魔力量が少ない……そして、そこの貴方。見たところ、貴方の魔力は凄まじい量のようね……貴方の魔力量、そしてループに気がついていると言う点から言えるのは……貴方が、無意識に私の術を狂わせてしまったということ……

魔力量が多いほど、使える魔法やその規模が大きくなるのは知っている?」

 テーブルに置いてあったランプが落ちて、ガラスが割れた。

 一気に冷えた空気が漂う。


「私の術は、ただ繰り返すだけ──見たところ、貴方達は私の術とは違う内容のループをしているようだけど。もしそうなら、それは貴方の魔力が関係しているかもしれないわ……私が言いたいのは、そう言うこと。貴方の魔力と私の術が混ざり合い、複雑になってしまったのかもしれない」

 そんな事、あり得るのだろうか。

 ならば、レティシアが巻き飲まれたのは、魔力の強いアルバートに近づいたから……?

「っ……もし、それが本当だとして、私達をどうするつもり何ですか?貴方の言うことが本当なら、ループを終えても世界は滅び、ループし続けても、その度にアルバートさんは死ぬ……何故、此処に私達を……?」


暫く考えるような仕草をしながら、やがて女性は静かに告げた。


「このループは、私が死ぬか魔力が切れるまで終わらない。しかも、新たな魔力が混ざり合い、このループは更に複雑になってしまった……私の力では──いや、誰がどうしたとしても世界は滅ぶ……なら、逃げてしまえばいい」


 そう、不気味で美しい笑みを浮かべた。


「全ての者を救えなくてもいい。そんな時間も……ただ、私と貴方達は逃げることが出来る」

「……逃げる?」

 アルバートの低い声が響き、女性は「そう」と止まることなく淡々と話し続ける。


「これは完全に自己満だけど、皆死ぬよりは、誰か一人でも生きていた方が良いじゃない?」

 意味がよく分からないが、女性は詳しい説明もしないまま笑顔を見せる。

 女性は軽い足取りでアルバートの前に立つと、その両手を取り、握手するように胸の前で握りしめた。

「……!?」


その瞬間、床が鋭く白い光りを放つ。


「魔方陣!」

 変な模様だと思っていたが、それはよく見ると複雑に描かれた魔方陣だった。

 部屋全体に、描かれている。


「何を……!?」

 やがて、魔方陣がまるで血のように赤黒く光り出す。


「ふふっ、あはははっ……!!」

 狂気に満ちた笑い声が聞こえてきたかと思えば、それは先程まで見とれてしまうほどに美しい笑みを見せていた女性で。


 ──何が起こっているのか、よく分からなかった。


 急な展開についていけないまま、魔方陣は目が潰れてしまいそうなほどに眩しく鋭く光る。

 目蓋の裏がオレンジ色に染まり、開けない。

 何も見えない。

 


 ──さぁ、行こう


 何処からかそんな声が聞こえた気がして、自分の耳を疑う。

 最後に、何かが崩れ落ちるような音。

 そして、視界が真っ白になる。


 何が、起こったのか。

『なら、逃げてしまえばいい』

 女性の声が頭を殴られたかのように響き渡り、やがて通りすぎた。

 世界が滅ぶ。

 ループにはアルバートの凄まじい魔力量が影響している。

 あとは──この、変な魔方陣。

 凄まじい光を放ち、もう白以外は感じられない。

 やがて、優しい暖かさを覚えた。


 何を、していたんだっけ。


 此処は何処だった?

 今何をして、誰と話していた?

 なんだっけ、何か大事な……

 記憶が薄まる感覚。


 そう、瞼を閉じた。




 ◇*◇




「早く、新しい家見つけないとなぁ……」

 レティシアはベッドから身を起こして、直ぐにそんな言葉を口から洩らす。

 けれど今、レティシアの体にはその言葉とは全く関係ない現象が起こっていた。

「泣いてる……何で……?」

 何故か、目から暖かい涙が流れていた。

 怖い夢でも、見ていたのだろうか。

 特に思い当たることは無かったので、すぐにパジャマの裾でそれを拭う。


 昨日買った歯ブラシで歯を磨き、同じく昨日買った新しい服に着替えた。

「はぁ……いい物件あるといいんだけど……」

 この宿は明日までなので、今の内に荷物を纏める。

 暫く部屋を片付けてから、外に出た。

「やっぱり、町は疲れるなぁ……」

 人が多過ぎて、昨日のように酔ってしまいそうだ。

 レティシアはなるべく早く人混みを抜けようと歩くスピードを早め、けれどもぜえぜえと息を切らしながら進んでいく。

 気分転換に昨日の屋台にでも行こうと思ったのだが、今日は店が出ていなかった。


「はぁ……」

 本日何度目か分からない溜め息を吐く。

 その度、幸せが逃げていくような気がする……

 皆、よく平気で町を歩けるものだ。こんなに人が多くて暑いのに。

 レティシアがぼーっと町を彷徨い続けていると、突然、隣をすれ違う誰かと肩ぶつかった。

「すみません」

 ふと振り向くと、相手は髪と瞳の両方に漆黒を持つ珍しい容姿の男性だった。

 何故か、それに懐かしさを覚える。

「此方こそすみません」

 そっと笑う男性。

 儚いというか、何だろう。

 言葉では言い表せない。

 けれども、その色彩はすぐに通り過ぎてしまう。

「あの……」

 何故か、通り過ぎようとしていた彼に声を掛けてしまった。

 自分でも驚いてしまう。

「……なんでしょう?」

 男性はその漆黒にレティシアを映す。

 その色に目を奪われながらも、無意識にポツリと声を出してしまった。


「何処かで、会ったことありません?」


 そう言ってみれば、男性は何の事だろうかと首を傾げている。

 ──やっぱり、気のせいだっただろうか。

 レティシアは顔を赤く染めながら、慌ててそれを取り消そうとする。

「あ、すみま……」

 けれど、男性は見覚えのあるような、どこか懐かしさを感じさせる笑顔を浮かべた。



「君……名前、名前はなんと言うの?」



 ◇◆◇



 世界を越える魔術


 この魔術には、最低二人を必要とする。

 その内、必ず一人は魔力量が生まれつき多い者でなければならない。これは、魔力量が少ない者であると、術が失敗する可能性がある為。

 万が一失敗した場合、歪んだ世界に取り残され、永遠に脱出が不可能となる可能性が考えられる。

 また、飛ばされる世界は選ぶことが出来ない。

 この術を発動させた場合、二度と戻ることは出来ない。

 連続して術を発動させ、何度も世界を越えることは可能である。

 だが、世界を越える度に術の質は落ちる。

 段々と不完全になっていくため、歪んだ世界へと飛ばされることもある。

 ただ、連続して術を発動させることはほぼ不可能である。

 発動者の魔力は、基本的に術を発動させた後に消えてしまう為。

 それほどに魔力を必要とする魔術であり、何度も世界を越えるならば、魔力量の多い人間をある程度集めておく必要がある。

 二人で行う場合、一人が生け贄となり、もう一人が発動者となる。

 発動者は自身の魔力を全て生け贄に捧げ、生け贄はその魔力を魔方陣に注ぐ。

 二人以上で行う場合も、生け贄の数は変わらない。生け贄以外が魔力を注ぎ、力を込める。その時魔方陣の内側に居たものだけが、世界を越える事が出来る。

 生け贄は、その場で壊れて崩れ落ちる。

 尚、魔方陣の大きさに決まりはなく、上の手順を守れば術は必ず発動する。











 時々、夢を、見ることがある。

 町でその誰かと出会って、その人は自分に優しく笑いかけてくれる。

 でも、それは凄くはっきりとしていて、まるで体験したことがあるかのように現実味がある。

 

 明日の自分は、一体何をしているのだろうか──


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

私としては恋愛要素薄めのシリアスに仕上げたつもりですが、最後まで楽しんで頂けていれば嬉しいです。

まだまだ至らぬ点はございますが、また私の作品を見掛けることがありましたら、その時はよろしくお願いします。

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