98.星空の下で
「奈々、まだ怒ってるの?」
夏休みの朝、ひとり難しい顔をして朝食を食べる娘の奈々に母親が言った。幸太郎がいなくなって数日、奈々は自分に何の話もなく兄を出て行かせた母親に怒っていた。
「どうしてお兄ちゃんひとりで行かせたのよ!!」
「だから何度も言うけど、幸太郎がそうしてくれって言ったからでしょ」
奈々が泣きそうな顔で言う。
「お兄ちゃんが十日もひとりで生きていけると思う? 絶対干からびて死んでるよ……」
そう言いながら奈々が目を真っ赤にする。
「だからそれも心配ないって。雪平さんが食べるものは準備してくれているそうだから」
「お兄ちゃん料理全くできないんだよ。お米だってそのまま齧りそうだし……」
母親が苦笑して言う。
「そこまで馬鹿じゃないわよ、あなたの兄は」
「だって……」
奈々の頬に涙が流れる。奈々が言う。
「お兄ちゃんは奈々の作ったご飯しか食べないの。奈々がいないと死んじゃうの」
「ふふっ、幸太郎はあなたの犬なの? それにしてもあなたのブラコンはもう病的よね……」
奈々が涙を流しながら言う。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「次のお兄ちゃんの勉強合宿は、奈々とふたりで行っていい?」
母親は呆れた顔で答える。
「いいわよ、幸太郎が許せばね」
「うん、絶対いいって言うよ。だってお兄ちゃん絶対死にかけてるし、奈々がいなくて寂しがってるはずだもん!!」
奈々はポニーテールを左右に振りながら強く言った。
「ねえ、今夜は一緒に、寝よ……」
雨と風、そして時々鳴る雷の夜。
沙羅は布団の中から手を伸ばし、幸太郎の服を掴んで言った。
「え、ええ!?」
動揺する幸太郎。
雪平財閥の令嬢、美少女の沙羅から『一緒に寝よう』と誘われている。幸太郎が必死に脳を回転させ考える。
(お、落ち着け。落ち着くんだ!! 沙羅はただ雷が怖いからそう言っている訳で、別にそれ以上の他意がある訳じゃない。そ、そこは重要だぞ、幸太郎!!)
「あ、あのさ。それって一緒の布団で寝るってこと……?」
小さな声。外で降る雨風の音にかき消されそうな弱々しい声で幸太郎が尋ねる。沙羅は無言のまま、布団から出した顔を縦に振る。
(ま、マジか……!? い、一緒の布団で、ベッドで沙羅と寝る!? そ、それは雷が怖いのと、ああ、そうだ布団が一式しかないからだ。そうに違いない、決して他意など……)
ドン、ドオオオオン!!!
「きゃあ!!」
再び鳴る雷。
その音に悲鳴を上げた沙羅が、掴んでいた幸太郎の服をぐっと自分の方へと引き寄せる。
「え?」
不意を突かれた幸太郎がバランスを崩して沙羅のベッドへと倒れ込む。幸太郎の持っていた食器が音を立てて床に落ちた。
(さ、沙羅……!?)
ベッドの上に倒れた幸太郎の腕をぐっと握る沙羅。その手は雷で部屋が光ったり雷鳴が聞こえたりする度に強くなる。
言葉は要らなかった。
幸太郎は体の力を抜いてベッドに横になり、沙羅の手を握り返す。そして怯えて震える沙羅の体を布団の上から優しく撫でた。
元々間接照明だけの薄暗い部屋。幸太郎は自分の腕を枕にし、横になりながら布団にもぐった沙羅を見つめた。
(不思議、だよなあ……)
幸太郎が思う。
元々ネットの別人格で知り合ったふたり。それが偶然リアルで出会うことになり、最初はあれだけ否定されていたのに今はふたりきりで同じベッドの上で手を繋いでいる。
(沙羅は俺のこと、城崎幸太郎のことをどう思ってるんだろう?)
『こーくん』が大好きなのは知っている。
でもそこは会えないふたり。そんなふたりの間に今『幸太郎』が入り込んでいる。
(じゃあ、俺はどうなんだ……?)
あれだけ憧れていた『はるかさん』はもういない。彼女の幸せそうな顔を見て、それが自分が求めていたものだと分かった。
(沙羅は、じゃあ、沙羅は……?)
自分の中で沙羅がとても大きくなっていることは否定しない。
(俺は……)
幸太郎は知らない間に眠りについていた。
「おはよ」
(え?)
幸太郎は明るい光に気付き、目を開ける。
「沙羅?」
そこには部屋で立ってこちらを見る沙羅の姿がある。幸太郎は自分が彼女のベッドで寝ていることに気が付き飛び起きる。
「あ、ああ、ごめん。俺、寝ちゃった……」
沙羅が背中を向け、後ろで手を組んで恥ずかしそうに答える。
「い、いいのよ。私がお願いしたんだし……」
最後の方が掠れるような小さな声。幸太郎が尋ねる。
「風邪はもう大丈夫なのか?」
沙羅が振り返って答える。
「ええ、大丈夫だわ。ありがとう、あなたのお陰よ」
「そうか、それは良かった」
そう言いながら幸太郎が部屋の時計を見る。
「え? もうお昼前!?」
そんなに寝ていたのかと幸太郎が驚く。沙羅が言う。
「私の看病で疲れたんでしょ。よく眠っていたからそのままにしておいたわ」
そう言いつつ昨晩幸太郎と手を繋いで寝たことを思い出し、沙羅が顔を赤くする。沙羅が言う。
「あ、あのさ……」
「なに?」
「その、ありがとう。一緒に居てくれて……」
真っ赤になって下を向いて沙羅が言う。
「い、いや、いいんだ……」
(か、可愛い……)
そんな沙羅を見て幸太郎は心から抱きしめたくなる。幸太郎の目に明るい外の景色が映る。
「あ、台風過ぎたんだ」
幸太郎は窓の外から注ぐ久し振りの太陽の日差しをまぶしそうに見る。
「ええ、台風一過なのかな。朝から晴天よ」
「そうか、それは良かった」
そう言ってベッドから起き上がろうとした幸太郎が一瞬ふらつく。
(あれ?)
看病疲れか、それとも寝すぎたのか。
一瞬分からなかった幸太郎の耳に沙羅の声が響く。
「外、いい天気だよ。お昼はデッキで食べようか」
「え? あ、ああ。それがいいね」
幸太郎は笑顔で沙羅に答えた。
お昼。ふたりで別荘にあるデッキへ向かった。幸太郎にとっては到着日以来の外の景色。晴れの天気となるとこれが初めてである。
「綺麗だね」
「そうだね、私も一度しか来たことないけど、こんなに空気が美味しいんだ」
沙羅の長い黒髪が山の涼しい風に吹かれて舞う。
(本当に綺麗だ……)
幸太郎は光を浴びて輝くその髪に目を奪われた。
「さあ、食べよっか」
「え? あ、ああ……」
テーブルの上には温めた冷凍のピザがある。沙羅にとっては久し振りのおかゆ以外のまともなメニュー。美味しそうに、あっと言う間に平らげてしまった。幸太郎が笑って言う。
「それだけ食べられればもう大丈夫だな。俺のも食べる?」
沙羅が顔を赤くして言う。
「ふ、ふざけないでよ! まるで私が大食いみたいじゃない!! それが女の子に言う言葉??」
(まあ、それだけ元気なら大丈夫だろう……)
心の中で幸太郎はそう思いながら笑った。
昼食後はふたりで外を散歩。まだ雨でぬかるむ地面に気を付けながら晴天の山を楽しんだ。
夕食は沙羅がどうしても食べてみたいと言うカップラーメン。幸太郎は彼女の料理が食べたいと伝えたが、まだ病み上がりなのでと言って断られた。
食事の片づけをする幸太郎に沙羅が言う。
「ねえ、見てよ。すごい星だよ!!」
窓の外には満天の星が輝いていた。ふたりは再びデッキに行き、頭上に輝く無数の星を眺める。
「すごい。こんなに星ってあるんだ」
「綺麗だね。多すぎるぐらい」
台風一過のお陰か、雲ひとつない美しい星空。やや風はまだ強いがそんなことも気にならないほど無限に輝く星にふたりは目を奪われた。
(ちょっと寒いな……)
幸太郎はそんな風に吹かれながら少し寒気を感じる。隣にいる沙羅は大丈夫だろうか。幸太郎が声を掛けようとすると沙羅が星を見て言った。
「あ、流れ星!!」
「え?」
その声で幸太郎が顔を上げる。辛うじて大きな流れ星を少しだけ見ることができた。
「綺麗だね。何かお願いしたの?」
黙って見続けていた沙羅が答える。
「ううん、そんな余裕なかった。でもね、お願いすることはちゃんとあるんだ」
そう言って沙羅は幸太郎を見上げる。デッキでふたり並んで星を見るふたり。いつの間にかふたりの間はとても近く、手を伸ばせば肩を組めるぐらいの距離になっている。
真っ暗な夜。満天の星空。風で木々の葉が揺れる音だけが辺りに響く。
「なに? お願いって」
幸太郎が沙羅の顔を見つめる。星の明かりで白い沙羅の顔がより一層美しく見える。沙羅が見つめ返しながら尋ねる。
「あなたはあるの?」
(俺は……)
幸太郎が一瞬そう考えた時、不意に沙羅が声を上げた。
「きゃ!!」
(え?)
沙羅が急に幸太郎に抱き着く。
「な、何か腕にくっついて……」
虫か何かを心配したのだろうか。幸太郎が目をやると風で飛ばされた木の葉が舞っている。幸太郎が落ち着かせるため言う。
「大丈夫、葉っぱだよ……」
そう言った幸太郎が固まる。
(さ、沙羅……)
腕の中には不安そうな顔で自分を見つめる沙羅。お互いの顔は頭を少し下げれば触れ合うぐらいの距離。一瞬で幸太郎の頭が沙羅のことで埋め尽くされた。
「沙羅……」
名前を呼ばれた沙羅が少しだけ下を向き、そしてゆっくりと顔を上げる。幸太郎は全身に力が抜ける感覚になりながら、腕の中にいる女の子を心から愛しいと感じた。
(えっ)
沙羅が幸太郎の顔に両手を添え、自分の方へと引寄せる。
「ん、んん……」
星達の光の下、ふたりの唇が重なり合う。
お互い初めてのキス。何をどうすればいいか分からず、そのまましばらく唇を重ね続ける。
「んん……」
キスを終え至近距離で見つめ合うふたり。
幸太郎は少し恥じらう沙羅の顔を心から可愛いと思った。沙羅が下を向いて言う。
「べ、別にこういうことがしたくて、来たんじゃないから、ね……」
無言の幸太郎。
沙羅が幸太郎を見て再度言う。
「聞いてるの? わ、私、そういうつもりじゃ……、え?」
バタン
幸太郎がその場に崩れる様に倒れる。
「幸太郎っ!?」
沙羅が倒れた幸太郎の名を叫ぶ。そしてその顔に触れて初めて気づいた。
(すごい熱!!)
自分も火照っていて全く気付かなかった幸太郎の熱。沙羅は自分を責めながら幸太郎の名前を何度も呼んだ。
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