96.縮まるふたりの距離
「沙羅、入るぞ」
「ええ」
幸太郎は何とか形になったおかゆを持って沙羅の寝ている部屋へ入った。
ベッドの隣の机には幸太郎が持ってきたバスボウルのお湯とタオルが置かれている。その横には昨晩着て寝たクマのプリントされたワンピース。今はこの別荘にやって来た時に着ていたワイシャツとショートパンツを履いている。
「体は拭けたのか?」
「ええ、すっきりしたわ。ありがとう」
「体調はどう?」
「まだ少しだるさはあるかな。熱もまだ下がっていないみたい」
幸太郎が沙羅の額に手を当てる。それに一瞬どきっとする沙羅。
「うん、まだ微熱があるかな。今日はしっかり休んだ方がいい」
「え、ええ……」
出会った頃は『バイ菌』と言って触れたものに除菌までしていたことなど、沙羅はもうすっかり忘れている。
「それは洗濯する?」
幸太郎が机の上に置かれた彼女のワンピースを指差していう。
「いいの? そうしてくれると有り難いわ」
「沙羅が気にならないならいいぞ。洗っとく」
「ええ、大丈夫。助かるわ」
幸太郎は頷いてから持ってきたおかゆを机に置く。
「あとおかゆだけど、何とか形にはなった。味は知らん。とりあえず食べてくれ」
「見た目はいいわね。頂くわ」
沙羅は机に置かれたおかゆを手に取る。
「棚にあった常備薬の中に風邪薬もあった。食べたらこれも飲んで」
「分かったわ」
沙羅は礼を言うと幸太郎の作ったおかゆをひとくち口に入れる。幸太郎が恐る恐る尋ねる。
「どう、美味いか?」
「不味いわ」
「そ、そうか。ごめんな、上手くできなくて……」
相変わらず正直と言うか、ストレートな沙羅に苦笑いする幸太郎。下を向いて申し訳なさそうにする幸太郎に沙羅が言う。
「味なんてこの際どうでもいいの。食べなきゃ体力が戻らないから全部頂くわ」
「あ、ああ、そうか。たくさん食べてくれ」
沙羅は頷いておかゆを口に運ぶ。
幸太郎は窓からずっと降り続いている雨を見つめる。ただの雨にしては長く続いている。気のせい風も出てきたようだ。幸太郎が言う。
「雨、止まないな」
「当然でしょ。台風が来てるんだもん」
「え? 台風!?」
驚く幸太郎に沙羅が言う。
「そうよ、あなたそんなことも知らなかったの?」
「あ、ああ。そう言えばそんなこと言っていたような……」
バイトや勉強に忙しくてテレビなどほとんど見ない幸太郎。時々スマホでニュースを読む程度である。ここはネット環境がないので尚更情報がない。
幸太郎があることを思い出して沙羅に尋ねる。
「ということはお前、しばらくここに泊まるのか?」
「そうよ。そのつもりで来たわ」
おかゆを食べながらさらっと言う沙羅。驚く幸太郎が尋ねる。
「重定さんは、知ってるの?」
「ええ、当然。パパの車で来たし、運転手にも『私は大丈夫だから心配しないで』と伝えておいたわ」
(いや、絶対心配しているだろう。それ……)
雨の中暗い山道で降りた娘を心配しない親などいない。
(とは言え今は台風だし、ここには連絡手段はないからじっとしているしかないか……)
「ねえ、ひとつ聞いていい?」
「なに?」
おかゆを食べ終わった沙羅が器を机の上に戻してから言う。
「私、ここに来て良かったのかな?」
「え? なんで?」
少し驚く幸太郎が言う。
「だって、あなたここに勉強に来たんでしょ? 静かにひとりになるために」
「……うん」
「それなのに私がやって来て、熱出して寝込んで看病させて。……迷惑、だよね?」
幸太郎が首を横に振って答える。
「そんなことない。嬉しかった」
「嬉しい? 本当に?」
「ああ、心配して来てくれたわけだし、こうして会話もできたし、ちょっとエッチな沙羅も見られたし」
沙羅の顔が真っ赤になる。
「そ、そう言うつもりで来たんじゃないわ!!」
「あはははっ、分かってるよ。冗談冗談」
沙羅は昨晩から少し熱っぽかったとは言え、あの『裸エプロン』みたいな格好はやり過ぎたと今更反省する。幸太郎が言う。
「早く治して、ご飯作ってよ」
「え、ええ……」
沙羅はある意味治らない方が自分のプライドが保てるかと密かに思う。幸太郎が立ち上がり、沙羅の食べた食器と汗でしっとりとしたワンピースを手にする。
「じゃあ、俺行くから。ゆっくり休んで」
「あ、う、うん……」
部屋を出ようとする幸太郎に沙羅が声を掛ける。
「ね、ねえ……」
「ん? なに?」
プレートを持ったまま幸太郎が振り返る。沙羅が恥ずかしそうに言う。
「と、時々部屋に来てね。ひとりだと、その、寂し……、退屈だし……」
「何言ってるんだ。ちゃんと寝て治せよ。俺は隣の部屋で勉強してるから。じゃあな」
「う、うん……」
幸太郎は部屋を出てふうと大きく息を吐く。
(『時々部屋に来て』か、何かどきどきしたな……)
幸太郎は少し眠そうでベッドに座る沙羅を思い出して不思議と癒された気分になる。
(これ、沙羅の服……)
幸太郎の手には沙羅が昨晩着て寝た服がある。やや湿った服。無意識に幸太郎はそれを鼻に近付ける。
(こ、これは……)
何とも甘酸っぱい、女の子を凝縮したような、形容しがたい男を惑わすフェロモンのような香り。
(このまま洗わずに袋に入れて持って帰りたい……)
幸太郎は決してしてはいけないことをしている背徳感に包まれる。沙羅に見つかったら刺身包丁で刺されるだろう。それでもその誘惑に負けてもう一度匂いを嗅ぐ。
「ああ……」
変態と罵られようが男を縛り付けるこの『女』と言う匂いを嗅いでいたい。
幸太郎は洗濯機へ向かいながら、これを洗ってしまうのは勿体無いなとしばらく悩んだ。
(勉強に集中できん……)
ひとり部屋に座って参考書を開く幸太郎。鉛筆を手にしたまま動けない。
「はあ……」
隣の部屋には風邪で寝ている沙羅。熱のせいか少しだけ自分に甘えてくる感じがする。ベッドに横になり自分を見つめて来る目がなんとも色っぽい。
「いかん、いかん。勉強に集中!!」
そう言って参考書に目を向けるも、洗濯機が洗い終える音が聞こえすぐに沙羅の服を干しに部屋を出た。
(『こーくん』に何も言わずに来ちゃったな……)
沙羅はベッドに横になりながら、大好きな『こーくん』に何も言わずにここに来てしまったことを思った。
幸太郎が山にひとりで行ったと聞き、何も考えずに来てしまった自分。何となくは思っていたがここに来たら数日間は戻れない。それに後悔はないが、『こーくん』に無断で来てしまったことだけが心残りではある。
「でも、いいか」
不覚にも風邪をひいてしまったが、ここで幸太郎とふたりで過ごす時間が嬉しかった。『こーくん』が友達と認めた以上、信頼したいしされたい。
(それに……)
沙羅は昨晩の幸太郎の慌てる顔を見て頬を緩める。
少し頭がぼうっとしてはいたとは言え、ちょっとだけエッチな格好をしてあげた時のあの態度。時々偉そうな態度で接してくる幸太郎が黙って大人しくなる姿を思い出すとおかしくなる。
(私の存在を認め、受け入れてくれる……)
沙羅は幸太郎と居ると何時しか安心できるようになっていた。
(そろそろお昼か。たぶん……)
コンコン
「沙羅、入るぞー」
(来たわ!!)
沙羅が布団の中にもぐり、頭だけ出して入って来た幸太郎を見る。
「お昼のおかゆだ。食べられそうか?」
「またあの不味いおかゆ?」
「何だよ、要らないなら戻るぞ」
沙羅が笑って言う。
「冗談よ。食べてあげる」
そう言いながら沙羅は、楽しみにしていた幸太郎のおかゆを笑顔で受け取った。
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