78.雪平家の晩餐会【後編】
雪平家主催の晩餐会に向かう車の中、ひとり後部座席に座り真っ赤なマニュキュアを眺めるマリアに執事が言った。
「お嬢様、本当におひとりのご参加でよろしかったのでしょうか」
執事は運転をしながら後ろの令嬢の心配をする。
雪平家の晩餐会では高校生以上の招待客は、ダンスペアを同伴して参加するのが決まりである。御坂家令嬢のマリアも今年高校一年。沙羅と同い年の彼女もペア役の男性の同伴が求められる。
マリアがマニュキュアを眺めながら答える。
「それには心配ご無用ですわよ、爺」
「と仰いますと?」
御坂家に仕える者として、当主令嬢に晩餐会のような場所で恥をかかす訳には行かない。ただでさえ突拍子な性格のマリア。少し前の新会社設立パーティーで三井社長に言い寄って相手にされなかった彼女を思い出す。
「お相手はね、もう向こうでお待ち頂いておりますの」
「向こうで、でございますか?」
「そうよ。現地調達とでも言うのかしら。おほほほっ」
マリアが細く白い手を口に当てて笑う。
肉食系女子のマリア。高校生ながらその強気な性格と財力で、級友から何処ぞこの御曹司など彼女の手に落ちた者は数多い。執事が言う。
「到着でございます。お嬢様」
「そう、ありがと」
マリアは止められた車のドアが開けられるのを待ってゆっくりと降りる。
「お待ちしておりました、御坂マリア様」
正装したホテルスタッフが丁寧に頭を下げマリアを迎える。マリアは周りの視線が自分に向けられたのを感じながら軽く会釈してそれに応える。ホテルスタッフが尋ねる。
「御坂様、失礼ですがお相手の方は……?」
マリアが微笑んで答える。
「もう待っておりますわ、この中で」
「失礼致しました」
ホテルスタッフは頭を大きく下げてそれに答える。マリアが心の中で言う。
(さあ、今、参りますわよ。幸太郎さん)
「わたくしと踊って頂けませんか?」
真っ赤なロリータドレスを着たマリアは、幸太郎の目の前に立って笑顔で言った。その腕には先日幸太郎が壊したブレスレット。今でもそのひびがしっかりと見られる。幸太郎が驚いて言う。
「マ、マリア。どうしてここに?」
「奇遇ですわ。奇遇」
幸太郎の後ろで立つ沙羅の顔が厳しくなる。幸太郎がマリアに言う。
「俺と踊るって、お前。ペアは?」
幸太郎がひとりで立つマリアに言う。マリアは少し笑いながら幸太郎に近付くと、その白く細い指を幸太郎の顎の下に当て言った。
「ここにいらしてよ」
「お、おい!!」
思わず幸太郎が後ずさりする。それと同時に沙羅が幸太郎の横に来てマリアに言った。
「あなた、何を考えているの?」
「あら、これは沙羅さん。お久しぶりでございます」
雪平家令嬢と御坂家令嬢がここで初の対決を迎える。沙羅が言う。
「そんなことどうでもいいわ。それよりこの男は私のペア。あなたの言っている意味が分からないわ」
マリアが口に手を当てて笑いながら答える。
「あら~、雪平家のお嬢様ともあろうお方が、このような簡単なこともお分かり頂けないとは、残念ですわ」
「どういう事よ、それは!!」
「あら、本当に物分かりが悪いこと。ですから……」
マリアが沙羅に何か言おうとした時、その声を遮って若い男の声が響いた。
「沙羅さんっ!!」
皆がその声への方を振り返る。
「三井様?」
マリアがその若い男を見て小さく言う。
三井孝彦。雪平グループ新会社に就任したばかりの若社長。長身のイケメン。隣には彼のペアとして連れて来たタイトなドレスを着た秘書が下を向いて立っている。沙羅が少し困った顔で言う。
「誰?」
「え?」
その言葉に驚く三井。慌てて沙羅に再び説明をする。
「ぼ、僕ですよ、沙羅さん!! 会社設立パーティーでお会いした社長の三井。三井孝彦です!!」
(新社長? ああ、あれが沙羅の言ってた『若社長』か……)
幸太郎は突然現れた長身のイケメンを見て思う。沙羅が冷たい目をして言う。
「ああ、あなたね。何の用? 今、忙しんだけど。私」
三井がそれを聞いて思う。
(ああ、なんて冷たい目、冷淡な言い方。刺さる、刺さる、僕の心臓を突き刺すように刺さる……)
三井は話しながら沸き起こる興奮を抑えられなくなる。
(社長……、やはり私は……)
三井の隣に立つ秘書は全く自分に興味を示さない社長を見て寂しさを覚えた。
そんな気はしていた、自分は都合のいい女だと。ただ改めてこうして辛い現実に直面すると言い表せぬ惨めさを感じる。三井は興奮しながら沙羅に言う。
「沙羅さん、ぼ、僕と踊って……」
「消えて」
「え?」
三井に沙羅から冷たい言葉が掛けられる。周りに集まって来ていた招待客たちが一斉に静かになり沙羅と三井を見つめる。
「さ、沙羅さん……」
「消えてって言ってるの!!!」
「ひゃっ!?」
三井は再度沙羅に怒鳴られずずっと後退する。
「社長……」
傍にいた秘書が呆然として反応がなくなった三井の腕を取ってその場から離れていく。
「あらあら、何ともまあ残念なお方ですこと……」
マリアはその場から離れていく三井を見て嘲笑する。同時に一時的とは言え、あんな男に心奪われてしまったことを少し恥ずかしく思った。改めて幸太郎を見つめてマリアが問う。
「それで幸太郎さん。わたくしと踊って頂けるんでしょうね?」
マリアの突然の挑発的行動に、いつしか周りには大勢の招待客らが集まって来ていた。雪平家の令嬢が御坂家令嬢に喧嘩を売られている、そんな構図が集まった人達をグイグイと引き込む。
「パパ、いいの? あれ」
少し離れた場所からその様子を見ていた姉の栞と父親である重定。心配した栞が重定に尋ねる。
「ああ、あのままにして置こう。欲しいものは力づくで奪う。その姿勢に私は共感するし、子の喧嘩に親が出るべきではないからね」
(両家の地位、場所を考えると、とても『子の喧嘩』では済まないと思うけどね。ま、いっか。面白いし!!)
栞は不安に思いつつも、つまらないパーティーで最高のショーが始まったことに胸を躍らせる。
「ふざけないで!! この男は私と来たの!! あなたと踊る訳ないでしょ!?」
沙羅が一歩前に出て言う。いつも控えめで、人前に出たがらない沙羅にしては珍しい行動。マリアが笑いながら答える。
「あ~ら、それはどうでしょう? 晩餐会は相手を求め合って奪い合う場所。誰と踊るかは、そう。幸太郎さんがお決めになる事なのでは?」
(え!? マジかよ? 俺が決めるって、そんな場所なのか、ここは……?)
沙羅が幸太郎を指差してマリアに言う。
「この男は私と踊るためにここに来たの!! ダンスだって私が教えたんだから!!」
珍しく沙羅が感情をあらわにして言う。マリアも負けずに言い返す。
「そんなことが一体何の関係があるのでしょう? 幸太郎さんが躍りたい人と踊る、至極単純なことではありませんか?」
マリアはそう言ってひび割れたブレスレットを何気なく幸太郎に見せる。
(げっ!! あれは!! くそっ……、そう言うことだったのか……)
幸太郎はマリアが何度も自分に言った『私の指示した時に指示したことに従いなさい』という言葉の意味をようやく理解した。更にマリアが追撃を行う。
「そうそう、言い忘れましたけど幸太郎さんとわたくし、実はお付き合いしておりますの」
「え!?」
この言葉にはさすがの沙羅も驚きを隠せない。両手を顔に添え、頬を赤らめるマリアに幸太郎が言う。
「お、おい!! お前、何言ってるんだよ!! ……ぐふっ!!」
マリアに怒鳴った幸太郎に沙羅が近付いてお腹に肘打ちを入れる。
「な、何するだよ!!」
沙羅が顔を赤くして言う。
「あ、あなた、あの女と付き合ってるの!?」
気のせいかその目が赤くなっている。幸太郎が慌てて答える。
「そんな訳ないだろう!! 付き合ってなんかない!! そう言われたのは事実だけど……」
「なに? やっぱり言われたの??」
沙羅が言い返す。マリアが笑みを浮かべて言う。
「ねえ、幸太郎さん。それよりも早くわたくしと踊りましょう」
そう言いながらブレスレットをした腕を幸太郎に差し出す。
(うっ! あれは……)
そして隣にはこちらを目を赤くしてみる沙羅の姿。
(俺は、俺にはあんな高いブレスレットの弁済なんてできない……、だけど、だけど……)
「え?」
幸太郎は隣にいた沙羅の右手を左手で強く握って言う。
「踊るぞ、沙羅」
固まったままの沙羅が言う。
「……いいの?」
少し戸惑う沙羅に幸太郎が言う。
「ああ、お前と踊りたい」
沙羅の雪のように白い顔がぽっと赤く染まる。しかし別の理由で顔を赤くしたマリアが怒気を込めて言う。
「あ、あなたはわたくしとお付き合いしているのよ!!」
「俺はそう思っていない」
マリアが自分を指差しながら言う。
「ば、馬鹿なことを仰らないで!! 本人が言っているのよ!!」
「こっちの本人はそう思っていない」
静まり返る周りの人々。マリアがブレスレットを幸太郎に見せながら言う。
「こ、これはどうするの!! 弁済しなさい!! じゃなければわたくしの言うことを……」
「弁償する」
「え?」
幸太郎の言葉にマリアが驚く。
「時間はかかるかもしれないがきちんと弁償する」
マリアが震えながら言う。
「び、貧乏なあなたにそんなことができて? わたくしはあなたの恋人よ。その女は一体何なのよ!」
マリアが沙羅を指差して言う。幸太郎は沙羅の手をしっかりと握って言う。
「沙羅は俺の友達。大切な友達だ」
「な、なにが友達で……」
震えながら言うマリアを無視して幸太郎が沙羅に言う。
「さ、行くぞ」
「あ、うん……」
そう言って踊りに向かう幸太郎と沙羅。慌ててマリアが言う。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
「ひゃー、カッコいいねえ、幸太郎君!! ん? パパ??」
離れた場所で見ていた栞が重定がいないことに気づく。
「ちょっと待ちなさいって……」
「こんにちは、マリアちゃん」
納得のいかないマリアに重定が声をかける。驚くマリアが振り向いて言う。
「あ、おじ様」
重定が尋ねる。
「そのブレスレットのこと、ちょっと聞かせて貰おうかな」
重定は笑顔のままマリアに言った。
「こんにちは、沙羅さーん。友達の幸太郎さんが遊びに来たぞー」
次の金曜日。幸太郎はいつも通りに沙羅の部屋を訪れた。
コンコン
「入るぞー」
そしていつも通りにドアを開けて中に入ろうとする。
ガチャ
(あれ?)
いつもは自分で開けるドアが勝手に開いた。
「沙羅?」
そこには頬を赤くした沙羅が下を向いて立っている。そして小さく言った。
「いらっしゃい……」
(ええっ!?)
驚く幸太郎。歓迎の言葉を掛けられたのはこれが初めて。更に部屋の中に入りある変化に気づいて言った。
「あ、あれ? 赤線は?」
ドア付近にあった赤ビニールテープの囲い。『バイ友』専用の居場所。それがなくなっている。部屋に入りながら沙羅小さくが言う。
「友達にそんなのは、……良くない、でしょ」
「え? 今、なんて言った? それって……」
「いいから、早く入りなさい!」
沙羅が幸太郎に恥ずかしそうに言う。
「俺、なれたのか? お前の友達に……」
沙羅が無言で小さく頷く。幸太郎がガッツポーズを作って喜びながら沙羅に言う。
「よおおし、やった!! なあ、沙羅」
「何よ」
幸太郎が嬉しそうに言う。
「お前、ちょっと俺に惚れたんだろ?」
「は、はああああ!?」
一瞬で沙羅の顔が真っ赤になる。
「ばっかじゃないの!? あなた!! 帰りたいの? 帰って! すぐ帰って!!!」
「あはははっ、冗談、冗談!!」
幸太郎は友達として初めて沙羅に認められたことを心から喜んだ。
それは友達と言うだけでなく、ひとりの『人間』として見て貰えるような嬉しさ。顔を赤くして怒る沙羅を前に、幸太郎はいつまでも笑って彼女を見つめた。
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