74.沙羅が笑った。
『こーくん、こーくん、ねえ、聞いて!!』
日曜の夜、勉強をしていた幸太郎のスマホに『サラりん』からのメッセージが届いた。いつも通りスマホで素早く返事をし、その間にPCの電源を入れる。
『どうしたの?』
『あ、こーくんだ! 嬉しいな、また繋がれて!! あのね、ちょっと伝えなきゃいけないことがあって……』
(伝えなきゃいけないこと? 何だろう? 文章から見てあまりいいこととは思えない……)
『あのね、サラりん、穢されちゃったの……』
『穢された……?』
幸太郎が驚く。サラりんが続ける。
『うん、あのね、前あの男にダンスを教えるって言ったでしょ? サラりんね、練習中に、あの男に色んなところ触られちゃったの……』
(うぐっ!!)
幸太郎は沙羅と踊った際に転倒して、彼女の胸を鷲掴みにしたのを思い出す。意識しないように、思い出さないようにしていたのだがやはりそこは男子高校生。あの柔らかな沙羅の胸の感触がいまでも手に残っている。
『ダ、ダンスって手を繋ぐんでしょ? 大丈夫だよ、それくらい……』
沈黙。いつも即答するサラりんから返事がない。
(意識してる、意識してるっ!! あの沙羅でもやっぱり意識してる!!)
ドキドキして返事を待つ幸太郎。そしてメッセージが送られてきた。
『こーくんは、穢れたサラりんでも好き?』
何をもって『穢れた』と定義されているか分からない。だがやはり胸を揉まれたことだろう。だったら問題ない。何せ揉んだのは自分だから。
『大丈夫だよ。俺にとってサラりんは天使。何があっても、いつまでも永遠の天使だよ!!』
幸太郎は自分の中に棲まう悪魔のような存在に苦笑する。
『やっぱりこーくんは、こーくんだ。いつもサラりんのことを考えてくれているし、一番分かってくれている。嬉しいな!』
(それでもまだ、正式な友達にすら認められていないんだが……)
幸太郎は、『城崎幸太郎』として接する自分が未だ『こーくん』に遠く及ばないことを自虐的に笑う。
『次の練習もよろしくね、サラりん!』
次回の練習はバイトがない火曜の夕方である。しかしそのメッセージを受け取った沙羅は少し違和感を覚える。
(あれ、なんかまるでこーくんが練習に来るみたい??)
『うん、サラりん頑張るね!』
沙羅はあえてそれを隠して返事をする。
『よろしくね、サラりん!!』
幸太郎はそうメッセージを送ると再び深夜の勉強を始めた。
火曜日の夕方。学校の帰り、電車に揺られながら幸太郎が考える。
(せっかくバイトのない日を作ったんだけど、なかなか勉強ができないな……、今日も沙羅の家でダンスの練習だし。やっぱり、あれは本気で準備しなきゃいけないな……)
幸太郎は本業である学校の成績が落ち、光陽大への推薦入学ができなくなることを恐れた。バイトや沙羅との関係も大事だが、やはり家に無用な負担をかけさせてしまっては本末転倒。少し無理してでも勉強の時間を作らなければならない。幸太郎は改めて決意をした。
「ただいまー、ん?」
幸太郎が自宅アパートに帰ると、玄関に見慣れない女の子の靴がある事に気付いた。
「あ、お兄ちゃん!! おかえり!!」
制服を着た妹の奈々が元気に迎えてくれる。それに答えようとした幸太郎がその後ろにいる女の子に気付く。奈々が言う。
「お兄ちゃん。これね、奈々の親友のミキたんだよ」
(ミキたん?)
幸太郎が『ミキたん』と呼ばれた女の子を見つめる。
背は奈々と同じぐらい。オレンジがかったツインテールの可愛らしい子で、赤い眼鏡が特徴的だ。ミキたんが奈々の後ろから出てきて頭を下げて言う。
「あ、あの……、今日はよろしくお願いします……」
見た目とは違って大人しいと言うか、おどおどしている。幸太郎が言う。
「ああ、どうも。よろしくね……、ん?」
答えながら幸太郎が思う。
(あれ? なにがよろしくなんだ??)
きょとんとする幸太郎に奈々が言う。
「あ、お兄ちゃん。ちょっと言うの忘れてた。今日ね、ミキたんと一緒に家で勉強するんだよ。で、お兄ちゃん、勉強教えて!」
「は?」
まったく何も聞いていない幸太郎。そもそも今日は沙羅とのダンスの練習に行かなければならない。
「よろしくお願いします……」
ミキたんが奈々の後ろで再度頭を下げて言う。幸太郎が奈々に言う。
「勉強って、成績はお前の方がいいだろう。お前が教えればいいじゃんか」
奈々は幸太郎と違い学年でも何度もトップをとる優秀な子。努力型の幸太郎と違い、奈々は天才型。最低限の勉強でほぼ完ぺきに理解してしまう。奈々が言う。
「うーん、教えたんだけどねえ……、奈々が教えても上手く伝わらないんだよ」
「奈々ちんの教え方って、なんかよく理解できないんです。何言っているのか分からなくて……」
ミキたんが申し訳なさそうに言う。
(そうか、奈々は天才肌。人に教えるのは苦手なのか……)
「と言う訳で、よろしくね。お兄ちゃん!!」
そう言いながら奈々がポニーテールを左右に振りながら幸太郎の手を引き家の中へと引っ張る。幸太郎は時計を見ながら言う。
「わ、分かった。1時間だけな。その後出かける」
「えー、1時間? まあ、いいか。じゃあ、早速勉強しよ!」
「うん、頑張ろうね。奈々ちん!」
「でね、でね、お兄ちゃん、光陽高校の特待生なんだよ!」
「へえ! 凄いです、お兄さん!!」
奈々は勉強と言うより始まってからずっとひとり喋り続けている。奈々がミキたんの耳元で小声で言う。
「でもね、ご飯とか全然作れなくて、奈々がいないとお兄ちゃん、死んじゃうんだよ」
「ぷっ、くすくす。そうなの~?」
「そうなの! 干からびて死んじゃうの!」
「ぷぷぷっ……」
幸太郎は勉強を教えながらふたりの女子中学生の内緒話にやきもきする。
(な、何をこちらを見て笑いながら話してるんだ!? って言うか、勉強しろ、お前ら!!)
「でな、ここはだな……」
幸太郎はあえて大きな声で勉強を教え始める。奈々が言う。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「声大きいよー、うるさ~い!! きゃはははっ!!」
幸太郎はがっくりと下を向き、やはりこの中学生の妹には敵わないと改めて思わされた。
「遅かったわね。何してたの?」
沙羅は時間より少し遅れてやってきた幸太郎に向かって不満そうに言う。
「ああ、ごめん。ちょっと妹に勉強教えていたんだ」
「そう、じゃあ、始めるわよ」
沙羅は前回と同じくジャージ姿で、黒髪を後ろで束ねている。ただ気のせいか顔が少し赤い。沙羅が言う。
「わ、私に触れるのは、ダンスの練習のためだからね。勘違いしないように!」
そう言いながらどんどん顔が赤くなっていき、気がつけば耳まで赤く染まっている。幸太郎は前回倒れて沙羅の胸を揉んでしまったことを思い出し、急に体が硬くなる。
「わ、分かってるよ。さ、さあ。始めるぞ」
そう言って幸太郎が沙羅に近付き、その細くしなやかな手を握る。
(うわ、汗っ!! 沙羅、すっげえ汗かいてる!!)
握った手は既に多くの汗をかき、そして前回と違って硬直している。
(め、目を合わせない!? って言うか、沙羅もめちゃくちゃ意識してるじゃん!!)
前回はかなり密着して踊ったふたり。今日は不自然なぐらい距離が空いている。
「ちゃ、ちゃんと踊りなさいよ。今日は!!」
窮屈な姿勢で不格好なステップを踏むふたり。当然上手く踊れるはずもなく、今回は先に沙羅の足がもつれてバランスを崩す。
「きゃっ!!」
「え、沙羅っ!?」
ドン!!
再び倒れるふたり。
しかし今回は前のようなアクシデントはなく、ふたりで仰向けに並ぶように転んだ。
「ぷっ、あははははっ!!!」
仰向けになりながら突然沙羅が笑い出す。
「さ、沙羅? 大丈夫……」
幸太郎が顔を上げて隣で仰向けになる沙羅を見る。そして思った。
(こんな顔して笑う沙羅って、初めて見た……)
沙羅の笑った顔を見て、幸太郎も寝転んで一緒に笑った。
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