7.溶けない心
「ねえ、沙羅は何を読んでいるの?」
彼女の部屋のドア横にある赤のビニールテープで囲まれた四角。そこに立ちこちらに背を向け座って読書をする沙羅に幸太郎が話しかける。
「読書中、静かにしてと言ったでしょ」
こちらを向かない沙羅が本に視線を落としたまま答える。
「まあ、そうなんだど、読書は後でもできるだろ? 友達が遊びに来たんだ。もっと話さないか?」
沙羅がこぶしを握って机を叩き言う。
「友達? 私はそんなこと認めないし、そのつもりもない!」
「んー、まあ、でも俺は友達だと思ってるぜ」
沙羅が幸太郎の方を向いて言う。
「はあ? あなた馬鹿なの? 本人が違うって言ってるでしょ!?」
「俺も本人だ。こっちの本人はそうだと言っている」
「くっ……」
幸太郎を睨みつける沙羅。幸太郎が笑って言う。
「まあ、そんな怖い顔するなよ。可愛い顔が台無しだぜ」
「は? か、可愛い……!?」
怒りの顔から驚きの顔に変わり、そして顔を真っ赤にする沙羅。しかしすぐに真面目な顔をして言う。
「あなた、女の子に対して気軽に『可愛い』なんて言うの!?」
言われた幸太郎がきょとんとする。
「え? あ、そうだな。あんまり言わないかな……」
「じゃ、じゃあ、なんでさっき言ったのよ!!」
幸太郎は少し考えて答える。
「何でだろう、まあ、何となく……」
「はあ? 何となく!? そんなんで気軽にそんな言葉を言うわけ!?」
「気軽じゃないよ。本当にそう思ったから言ったんだぞ」
「……」
少しの沈黙の後、沙羅が言う。
「分からない。本当に理解できない」
「人間なんて理解できなくて当然。だからお互い知るために話をする。俺は沙羅と話がしたい」
「私はそんな風には思っていない。勝手に思い込まないで」
幸太郎が苦笑いして言う。
「何度も言うけど俺は沙羅と友達になりたいと思ってる。まあ、俺も考えたら友達いなくてさ。話すのはいつもバイトの人達。あ、あとは家族かな」
「学校は? あなた、学校は行っていないの?」
初めて沙羅が普通の質問をしてきた。少し嬉しく感じた幸太郎が答える。
「学校は行ってるけど、終わってすぐにバイトに直行だから友達作ってる暇なんてないんだ。家が貧しくて、バイト三昧ってわけ」
「バイト……」
お金に不自由しない沙羅は無論バイトなどやっていない。ただ興味というか、憧れのような感情はある。幸太郎が言う。
「だから俺もちゃんとした友達ってほとんどいないし、だからこうやって沙羅と友達になれるのかなって俺自身の挑戦でもあるんだ」
「何それ、意味分からない。もういいわ、帰って」
幸太郎が少しむっとして言う。
「いやだから、何度も言うけど話ししたいから帰らな……」
「時間よ」
「え?」
沙羅が壁に掛けられた時計を指差して言った。既に約束の一時間に達している。
「え、もう時間なのか? 延長とかないのか、カラオケみたいに」
「カラオケ? 何言ってるのあなた。早く帰って」
「分かったよ、仕方ないな……」
幸太郎はそう言うとポケットに入れておいた紙を椅子の上に置き言った。
「これ俺のSNSのアドレス。どうするかは沙羅次第だけど、友達追加してくれたら嬉しいな。じゃあな!」
幸太郎はそう言うと沙羅に手を上げて部屋を出て行った。
「意味分かんない!!」
沙羅は幸太郎が出た後、彼が座っていた椅子やドアノブを除菌剤できれいに拭き、倒れたパーテーションを元に戻す。そして椅子にあった幸太郎のアドレスが書かれた紙をティッシュでつまんでごみ箱に捨て、その上から大きな布をかぶせる。
そして半開きだった窓を全開にして、スマホを持ちベッドに寝転んだ。
「幸太郎君!」
広い雪平家の廊下を歩いていると沙羅の父、重定が声を掛けてきた。
「無事終わったようだね、どうだったかい?」
先程の落ち着いた感じとは打って変わり、幾分興奮している様にも見える。幸太郎が答える。
「どうって言われても、幾つかの話はできました。意外と時間は早かったです」
「そうか、そうか……」
重定は少し小さな声で幸太郎に言う。
「少し私の部屋に来てくれないか」
「あ、はい」
幸太郎はそう言うと黙って重定の部屋へと向かった。
部屋に入ったふたりがソファーに座る。重定が話始めた。
「沙羅と栞はね、私が妻と別れてから男手ひとつで育ててきたんだ。でも雪平財閥って知ってるかな。仕事が忙しくてね。時間をかけられない分、お金をかけて来たんだ」
「はい……」
幸太郎は少し寂しそうな重定の顔を見つめる。
「物には不自由なく育ててきた。困ったことがあれば何でもお金で解決させてきた。そんなつもりはなかったのだが、今思えば私がしてきたのはそう言うことだったんだ」
「はい」
「考えれば当たり前のことなんだが子供達が望むのはそんな事じゃない。私との会話や一緒に過ごす時間だったのかもしれない。でもその時すでに沙羅はちょっと変わった子に育ってしまっていたんだ」
「変わった子?」
「ああ、小学生時代から友達との関係を全てお金で考えるようになってしまってね。友達に言うことを聞かせたいときはお金を払ったり、困った時にはお金で解決したりと、ははっ、まるで私がしてきたことのようなんだ」
「そうでしたか……」
幸太郎はあまりにも自分とは違う世界に一瞬たじろぐ。重定が言う。
「でも沙羅が通う学校もお嬢様学校。お金に困った子供などいない。お金で解決できなくなった沙羅は徐々に誰とも話をしなくなってしまったんだ。気付いた時にはもう今の状態。私達家族にもきちんと話をしてくれない。すべて私の責任だ」
「……」
無言で軽く頷く幸太郎。重定が言う。
「そしてまた私はお金でそれを解決しようとしている。滑稽に思うかな。でも、私はこうも思ってる。彼女の心を溶かすのは『人の心』だと、それは決して家族じゃなくてもいいと」
「……はい」
「沙羅のこれまでの話だ。少しでも良い友達になって貰う幸太郎君の為になればと思って話した。情けない父親に代わって君の力を貸して欲しい。よろしく頼むよ」
重定は幸太郎に向かって頭を下げて言った。
幸太郎も慌てて頭を下げ、そして部屋を出た。
「城崎さん」
エントランスで靴を履く幸太郎に着物を着た上品な女性が声を掛けた。
「はい」
女性は頭を下げて幸太郎に言う。
「ここで働いております木嶋と申します。よろしくお願いします。こちら今日の分でございます」
そう言うと木嶋は真っ白な高級な封筒を幸太郎に手渡した。
「あ、ありがとうございます!」
幸太郎はそれを受け取り中身を確認する。
「え? ちょっと多いような……」
時給の一万円より多く入っている。木嶋が答える。
「交通費でございます」
「え、交通費も出るんですか!?」
「ええ。ではまた来週、お待ちしております」
木嶋は丁寧に幸太郎に頭を下げて言った。
(すげえ、すげえ、すげえ!! こんなにたくさん!!!!)
雪平家の庭を歩きながら幸太郎は一万円札を飛び跳ねる様に何度も眺めた。
「馬鹿じゃないの。やっぱりお金目的じゃん……」
それを二階の窓から見つめる沙羅。飛び跳ねて喜ぶ幸太郎を見てから、バンと音を立てて窓を閉めた。
(絶対に友達になんかなってやんない!! 絶対に!!!)
沙羅はそう思いながら再びベッドに寝転がりスマホの電源を入れる。そしてすぐに書き込んだ。
『こーくん、こーくん、ねえ、聞いて!! こーくん!!!』
スマホをマナーモードにしていた幸太郎は、掲示板から届いた新着メッセージにすぐには気付かなかった。
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