69.捨てる神、拾う神。
真っ黒なレザーシート。高級な芳香剤にピンと張りつめた空気。幸太郎は御坂マリアの車の後部座席に乗って体を固まらせていた。
(どうする、どうする!? 冷静に考えてこれはまずい状況だ……)
女の子に怪我をさせてしまい、更に高価なブレスレットを壊してしまった。自分の不注意とは言え、この拉致のような状況はまずい。
「あ、あの……」
幸太郎は同じく後部座席に座る赤い学校の制服を着たマリアに尋ねる。
「これからどこへ行くんですか?」
「どこって、わたくしの家ですわよ」
「何を、しに……?」
マリアは組んでいた足を組み替えて答える。
「何って、幸太郎さんとお話がしたくてよ。それともそれ以上のことがお望みかしら?」
同じ高校生とは思えぬ色香に幸太郎が下を向く。マリアが長く赤いカールのかかった髪を指でくるくる回しながら尋ねる。
「それともわたくしとお話しするのはお嫌でしょうか?」
「あ、いえ、そんなことは、決して……」
顔を上げた幸太郎の目に、赤く擦り剝けたマリアの膝が目に入る。
「あ、あの、その足、大丈夫でしょうか……」
幸太郎はポケットに入れてあったハンカチを取り出してその傷に当てようとする。
「触らないで!!」
(え?)
突然マリアの大きな声が車内に響く。すぐにマリアが言う。
「あら、いやだ。大きな声を出してしまってごめんなさい。わたくしは大丈夫ですから」
「あ、はい。ごめんなさい……」
思わず幸太郎も謝る。
マリアが再び足を組み替えて幸太郎に言う。
「ねえ、幸太郎さん。わたくし、お願いがありますの」
(お、お願いだって!?)
「あ、あの、俺、お金全然ないですから。すみません……」
幸太郎は壊してしまったブレスレットを思い出して言う。マリアが微笑んで答える。
「お金なんて要りませんわ。わたくしのお願いと言うは……」
マリアは幸太郎の方へ少し寄り、そして動揺する幸太郎の額から鼻を人差し指でつうっと滑らせて言う。
「わたくしと、お付き合いして頂けませんか」
やや暗い車の中、幸太郎はバクバクと心臓を鳴らしながらマリアの顔を見つめた。
八神斗真は孤独だった。
彼女だった由香に振られた後、見舞いにやって来た大学の友人たちはその変わり果てた顔を見て哀れみの表情を浮かべ、皆、口々に同情の言葉を並べた。
家族も『無事で良かった』とは言いながらも嗚咽し、慰めの言葉を掛けて涙する。
(違う、そんな目で、そんな顔で俺を見ないでくれ……)
変わらぬよう接して欲しかった。
無理かもしれないがこれまでと同じように話をして欲しかった。
それから斗真は一切の面会を拒絶した。
「あの、今日もやはり無理でしょうか……」
大学の試験とチーフになったファミレスのバイトが忙しく、数日ぶりに病院を訪れたはるか。斗真の面会拒絶を知ったのはその頃である。
それからはるかは彼の傍に寄り添ってやれなかった自分を責め、毎日のように病院へやって来るようになった。受付の看護婦が答える。
「うーん、まだ無理のようですね。何せ精神的なものですから」
「……はい」
スマホも繋がらない。
いつも電源が切られている。
はるかは毎日毎日大学の講義を休んで病院へ通った。
(俺は生きていても仕方ないんじゃないか……)
斗真は窓の外に見える青々と茂った木を見て思う。
(あんなに元気に茂って、太陽の光をたくさん浴びて……、羨ましい……)
正常に動く世の中のものすべてが憎かった。羨ましかった。
その流れから完全に取り残された自分には、生きる価値も、一遍の存在価値すらないような気になる。斗真が病室を見つめる。
(静かな部屋だ。この静寂に俺自身も溶け込めば、もう悩むことなんて何もなくなる……)
静寂に包まれる部屋。
その至る所に死とか、無とか、虚無とか、自分の悩みを消してくれる言葉が見え隠れする。
斗真は無意識に机の引き出しに入れてあったスマホを取り出した。
(これは俺が生きていた頃の証。今ではこいつも死んじゃってるがな……)
斗真は不思議とスマホに命を吹き込むかのように、久し振りに電源を入れる。
(え?)
命を吹き返したスマホはすぐにたくさんの着信とメッセージで溢れ返った。
(うそ、だろ……)
たくさん来ているだろうとは予想していた。
ただ最初の頃家族からの連絡を除いて、そのほぼすべてが藤宮はるかからのものであった。
「はあ、はあ……」
斗真は急に苦しくなってスマホの電源を切る。はるかとは事故直後に話して以来会っていない。
その夜斗真は一晩悩み続け、翌朝回診の際に看護師へ「藤宮はるかが来たら面会したい」と頭を下げてお願いした。
「斗真さん……」
久し振りに会う斗真。大きなマスクにサングラス、そしてニット帽をかぶって斗真ははるかを迎えた。面会にやって来たはるかを見て斗真が思う。
(変わらないな……)
当たり前だが以前のままのはるか。
「斗真さん、心配しました……」
「ああ……」
少しの沈黙。斗真が言う。
「バイトは大丈夫か」
「はい、私がチーフやらされてます。本当は斗真さんに戻って来て欲しいんですよ」
はるかが少し笑って言った。斗真が暗い声で返す。
「俺は、もう戻れない。もう、昔の俺じゃないんだ……」
そう下を向いて言う斗真にはるかが言う。
「何も変わらないです! 斗真さんは斗真さんです!!」
斗真が思う。
(こいつは何も知らないんだ。俺の顔が今どんなことになっているか。どれだけ醜いか。どれだけ忌み嫌われるものなのか。こいつだって必ず俺から距離を置く!!)
斗真は自分を見つめるはるかを見て思った。はるかが言う。
「斗真さん、顔を見せてくれませんか」
無言の斗真。はるかが再度言う。
「斗真さん、お願いです。私に顔を……」
「やめてくれ!!」
「え?」
「さっきも言っただろ! 俺はもう昔の斗真じゃない。お前達の知らない男なんだよ!!」
「斗真さん……」
「お前も俺を馬鹿にしに来たんだろ? 俺の無様な顔を笑いに来たんだろ? 俺の、惨めな姿を……、う、ううっ……」
斗真の頭に楽しかったバイトの光景や皆と車に乗って遊びに行った思い出が蘇る。
「俺は、俺はもうダメ、なんだよ……」
斗真は最近止まっていた涙が再び出るのを感じた。
顔に違和感があっても涙はちゃんと出て来る。死んだと思った自分が生きている証である涙を流すことが滑稽に思えた。
「斗真さんは斗真さんです。さっきも言いました。私の想いは変わりません」
はるかはそんな斗真に真正面から言った。
その真剣な目に嘲笑やからかいの気持ちは感じられない。真面目に自分に向き合ってくれる目。
(だけど、こいつだって俺の顔を見れば絶対に……、こいつが向い合っているのは過去の俺。今の俺を見れば絶対に……)
「斗真さん!!」
自分を見つめるはるか。
そう思いたいのか、そう信じたいのか、これまでにやって来た奴らとは違う感じがする。はるかが言う。
「私、たったひとりでこの街に来て、誰も友達がいなくて、寂しくて……」
はるかの目が少し涙ぐむ。
「田舎の言葉をからかわれ、馬鹿にされてひとりで泣いていたんです」
「はるか……?」
「でも斗真さんだけはそんな私の言葉を『可愛い』って言ってくれました。バイトに慣れない私にいつも一生懸命指導してくれました。私には、あなたが必要なんです!!」
「はるか……」
ただの遊びの女。
呼んだら出て来る都合のいい女。
そんなはるかの奥底にあった心に、初めて斗真が触れた。
(信じて、もう一度だけ誰かを信じてもいいのか……)
斗真はゆっくりとマスクとサングラスを外す。そして最後に被っていたニットをとってはるかを見つめた。
ほんの僅かな静寂。
はるかが笑顔で言った。
「斗真さんだ!」
感覚を無くしつつあった斗真の目に、心の中に、また涙が流れた。
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