67.沙羅の涙と幸太郎
土曜日の朝。
幸太郎はバイトの為にファミレスに向かった。
「お疲れ様です」
いつもと同じ事務所。幸太郎に気付いた社員が挨拶を返す。
何もかも同じのはずだが、バイトチーフの斗真がいないだけでこれほどまで雰囲気が変わってしまうのかと改めて思う。社員と話をしていたはるかが幸太郎に言う。
「幸太郎君。あのね、斗真さんがバイト辞めるって……」
「え?」
はるかや社員の人達が真剣な顔で話をしていた理由がようやく分かった。幸太郎がはるかに尋ねる。
「だって退院すればまたバイトに復帰するって……」
幸太郎は少し前にはるかから聞いていた斗真の話を思い出す。はるかが答える。
「うん、そうなんだけど。ちょっと精神的に弱っていて……」
はるかが悲しげな顔をする。隣にいた社員が幸太郎に言う。
「で、とりあえずバイトチーフは藤宮さんにお願いしようと思うんだ」
(はるかさんがバイトチーフに……)
バイト歴、人柄、仕事の出来から考えても最適の人事。ただ問題は精神的支えでもある斗真がいない今、その後任としてはるかがやって行けるかであろう。
「はるかさん、私、応援しますから!!」
それまで後ろにいた胡桃が大きな声で言った。
「でも、私……」
やはり元気のないはるか。幸太郎が言う。
「俺も力になります! 頑張りましょう!!」
「……うん、分かったわ」
はるかが頷いて答える。幸太郎はやっぱりこのバイトはしばらく辞められそうにないなと思った。
ガチャ
その時事務所のドアが開かれ、沙羅が入って来た。
「沙羅」
幸太郎が沙羅の名前を呼ぶ。
「あら、どうしたのかしら。こんなに集まって?」
幸太郎が沙羅に斗真が辞めたこと、はるかが新たにバイトチーフになったことを説明する。
「そうなの、分かったわ」
「よろしくね、沙羅ちゃん」
「ええ、こちらこそ。さ、私に仕事を教えてくれる? 教育係さん」
沙羅はそう言って幸太郎を見つめる。
社員たちは店長の厳命として沙羅の機嫌を損ねてはならないこと、そしてはるかも斗真から彼女だけは『治外法権』で、と話していたことを思い出す。
「じゃあ、指導よろしくね。教育係さん」
はるかはそう言って幸太郎の肩を叩いて言った。
幸太郎は沙羅がここに来たのは自分の責任だとは思いながらも、バイト中に面倒な令嬢の世話をさせられると思い気が重くなった。
(面白くない、面白くないんだから!!)
胡桃は社員の後ろで幸太郎と仲良くする沙羅を見てひとり思った。
「で、最初に水を出して、注文はさっき教えたこのハンディに人数、性別、それからテーブル番号を入力して、注文はこっちの……」
沙羅は一生懸命説明する幸太郎をぼうっと見つめる。それに気付いた幸太郎が言う。
「おい、ちゃんと聞いているのか?」
「聞いているわ」
「できそうか?」
「ええ、まあ大丈夫でしょう。想像よりも大変だとは思ったけど」
時折見せる沙羅の本音。
「無理そうなら皿洗いでもいいんだぞ」
「あなたやっぱり私を馬鹿にしてるでしょ? できるわよ、このくらい」
そう言って説明半ばで沙羅が立ち上がる。
ひとつにまとめられ帽子に入れられた長い黒髪。普段は見れない色っぽいうなじ。そして胸についた大きなリボンの制服も似合い、とても可愛いと改めて思う。
(もうちょっと素直だったらなあ、『サラりん』までとは言わなくても……)
幸太郎は少し拗ねながらホールに向かう沙羅の後姿を見て思った。
「いらっしゃいませ!!」
ファミレスにお客が来店する。席に着いたのを見てから沙羅が水を乗せたトレーを持って接客に向かう。
(頑張れ!)
幸太郎は別の仕事をしながら沙羅を横目で見守る。
「いらっしゃいませ」
抑揚のない低い声。沙羅がテーブルに人数分の水を置く。客は中年の男ふたり。沙羅を見たひとりの男が言う。
「お、これはまた可愛い女の子だね~、ここのバイト?」
沙羅が無表情で答える。
「あなたには関係のないことだわ。注文は決まったの?」
凍り付く空気。
沈黙。
それを近くで聞いた幸太郎が振り返る。
沙羅に言われた中年の男が苦笑いして答える。
「いやー、まあ、ランチでいいかな。今日のランチは何?」
沙羅がテーブルに置かれた大きなメニューを指差して言う。
「そこに書いてあるでしょ? 好きなのを選んで」
バン!!
「きゃ!!」
それを聞いていたもうひとりの中年の男が机を叩いて沙羅に大声で言う。
「何だ、お前、その言い方は!!! 客を何だと思ってる!! 責任者を呼べっ!!!!」
男は顔を真っ赤にして怒鳴る。
大きな声に店内の注目が沙羅と中年の男に集まる。
「私、私……、そんなこと……」
生まれて初めてと言っていい。こんなに大声で怒鳴られたことは。
沙羅は自分を睨みつける中年の男を見て体が震え始める。恐怖で言葉も出ない。
(いい気味だわ。あなたにはまだ早いのよ、ホールは)
胡桃は接客をしながら横目で怒鳴られる沙羅を見て内心微笑む。
「責任者を呼べ!! 何をしているんだ!!!」
大声で怒鳴る客を前に沙羅の顔が真っ青になる。
「すいません!! まだ入りたての新人で!!」
どうしていいか分からず立ち尽くす沙羅の前に、幸太郎が前に出て頭を下げた。
「ああ? お前が責任者か?」
幸太郎が頭を下げながら答える。
「私が彼女の教育の責任者です!! 不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした!!」
怒鳴った客よりももっとずっと大きな声。その声の大きさにお客も周りを見回す。
「沙羅ちゃん、こっち」
幸太郎の後ろで立つ沙羅の手を、はるかが小声で名前を呼びながら引っ張り事務所へと連れて行く。中年のお客が幸太郎に言う。
「も、もう、いい。そんなに大きな声出すな。注文するぞ」
「あ、はい! ありがとうございます!!」
幸太郎は何度も頭を下げながらお客の注文を承った。
「お疲れ、幸太郎」
調理場に戻った幸太郎に社員が肩を叩きながら声をかける。
「沙羅ちゃん、裏だ。そっちも頼む」
「あ、はい……」
幸太郎はゆっくりと事務所へと向かう。
「沙羅……」
事務所の隅にある椅子に沙羅が目を赤くして座っている。
「沙羅、大丈夫か……?」
声をかける幸太郎。
沙羅は下を向いたまま返事をしない。
幸太郎は膝の上に置いた沙羅の手に落ちる涙に気付いた。
「さ、沙羅……?」
沙羅が震えた声で言葉を出す。
「……怖かったの」
「え?」
「怖かったの。どうしてあんなに大きな声で……、私……」
沙羅の手の上にどんどん涙が落ちる。
「訳が分からなくなって、頭が真っ白になって、……私が、悪かったの?」
真っ赤な目をした沙羅が顔を上げて幸太郎を見つめる。
(沙羅……)
幸太郎は涙を流す沙羅の顔見て、不謹慎にも綺麗だと思ってしまった。
そして自然と彼女の頭を抱きかかえ、頭を撫でながら言った。
「言葉が悪かった。あれじゃあ、怒るよ。でも、本当に怖かったんだな」
「私、私……」
幸太郎に抱かれ沙羅の涙が止まることなく溢れる。
「よく頑張った。一生懸命なのはよく分かってる。今日はまだやれそうか? できるなら皿洗いを頼む」
しばらく幸太郎の胸でじっとしていた沙羅が小さく言った。
「……やるわ。あなたが見てるんだもん」
(沙羅……)
幸太郎はその言葉に沙羅に聞こえるんじゃないかと思うほど、胸が激しく脈打った。
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