66.令嬢マリア、始動。
「ん、分かった。明日はバイトに行くんだな」
沙羅の部屋。一時間の『バイ友』を終え、明日のファミレスのバイト希望を聞いた幸太郎が沙羅に言った。沙羅が答える。
「ええ、そうよ。明日、私が行ってあげるわ。店長に伝えておいて」
「ああ……」
ファミレスの話になり少し元気がなくなる幸太郎。それに気付いた沙羅が言う。
「あのバイトチーフは確かに気の毒だと思うわ。でもあなたが落ち込む必要はない。私は明日ホールで仕事をするのよ。そのことをしっかり考えておいて。いい?」
ファミレスのバイトを始めてずっと指導してくれた斗真。納得できない部分もあるが、それでもお世話になったことには変わりない。
だがバイトは明日も普段通りにやって来る。沙羅の言う通り、明日は明日の仕事をしなければならない。
「どうでもいいが、誰が明日お前がホール入るって決めたんだ?」
「誰? 知らないわ。私がやりたいだけだから」
相変わらずのマイペースに幸太郎が苦笑する。
「じゃあ、俺。そろそろ帰るから」
「え? あ、ああ、もう時間ね。分かったわ、気を付けて」
少し手を上げて幸太郎を見送る沙羅。部屋を出ようとした幸太郎が振り返って沙羅に言う。
「あ、そうそう。お前、あんまり親父さん困らせるなよ。すごく心配してたぞ」
「……わ、分かってるわよ。あなたには関係ないことでしょ!」
「はいはい。じゃあな」
幸太郎はそう言って手を上げて部屋を出た。
(確かにあいつの言う通りだな。バイトはバイト。明日は切り替えてやらなきゃな)
雪平家を出た幸太郎はひとり歩きながら沙羅との会話を思い出していた。
(そう言えば今日、初めてこんなに長い時間、赤線から出て会話したな。これって進歩か!?)
幸太郎は色々話があったとはいえ、少しずつ沙羅との距離が縮まっているような感じがして嬉しかった。
「さて、帰るか」
幸太郎が駅に向かって歩き始めた時、電柱の陰からこちらを見ながら慌てて逃げるような何かが目についた。
(え? 誰かいる!?)
幸太郎がその影を注視していると、一瞬電灯に照らされたその人物の顔が闇夜に浮かんだ。
「あ、お前、前の『バイ友』の!!」
幸太郎の声に逃げようとするその影。幸太郎は一直線にその陰に向かって走り出し、逃げる方向へ行き両手を広げて道を塞いだ。
「谷さん!?」
それは幸太郎のひとつ前の『バイ友』である谷雄一。幸太郎を見た雄一は顔を青くしながら言った。
「や、やあ。城崎さん。偶然だね……」
幸太郎はすぐに分かる。これは決して偶然じゃないと。
「谷さん、どうしてここに居るんですか?」
『バイ友』の契約上、一度解雇された者は特別な用事がない以上、雪平家に近付くことは禁止されている。とても偶然でこんな時間、家の前の陰に隠れているはずがない。雄一が答える。
「だから偶然だって」
「谷さん、『バイ友』の契約知ってますよね。あなたが今ここに居ること、重定さんが知ったらどうなると思います?」
「……」
無言になる雄一。
「重定さん、娘の危険を知ったら、本当にあなたどうなるか知らないですよ」
「や、やめろよ。そんな脅迫……」
「脅迫じゃないでしょ。あなたがやっていることはひとつ間違えれば犯罪になるんですよ」
「は、犯罪じゃない。僕は沙羅ちゃんが、素直にならなくて……」
「私がどうかしたのかしら?」
「え?」
その声にふたりが振り返る。
「沙羅!?」
部屋にいるはずの沙羅が門の前に立ってこちらを見ている。その手には幸太郎のジャケット。それを見た幸太郎が、彼女の部屋に置き忘れたのだと気付く。
「沙羅ちゃん、僕に会いに来てくれたんだね……」
雄一が引きつった笑顔で沙羅に言う。
「馬鹿じゃないの、あなた」
「え?」
「そういうの、何て言うのか知ってる?」
「さ、沙羅ちゃん……?」
「ストーカーよ。最低」
沙羅にはっきり言われた雄一が顔を青くしながら震えた声で言う。
「違う、違うよね。沙羅ちゃんは僕に会いたくて、でも恥ずかしくて。ああ、こいつが沙羅ちゃんに間違った事実を教えて……」
「消えろっ!!」
「ひぃ!?」
それを聞いていた幸太郎が雄一に言う。
「これが悪いことだと気づかないのか? もうここには来るな!!!」
「さ、沙羅ちゃん……」
泣きそうな顔の雄一が沙羅に助けを求める。沙羅が言う。
「それ以上近付かないで。もし今度来たら『法的手段』を取るわ」
「そ、そんなこと……」
雄一は小さくそう言い残すと、全力でその場を走り去った。
「ありがと……」
「え?」
沙羅が言った言葉に幸太郎が驚く。沙羅が言う。
「なによ。感謝して言ったのに。違ったの?」
「あ、いや。そんなことはないけど……」
幸太郎は素直な沙羅に少し戸惑う。沙羅が言う。
「少し前から気になっていたの。何か誰かに見られているって」
「そうだったのか?」
「ええ。でもあいつだって分かってすっきりしたわ」
『バイ友』は特殊な仕事。人同士の仕事である以上、こういったリスクは常にある。自分も何かひとつ間違っていたらああなっていたのかも知れない。幸太郎は雄一が走り去って言った暗闇を見つめながら思った。
「はい、これ」
沙羅は手に持っていた幸太郎が忘れて言ったジャケットを手渡す。
「ああ、ありがと。忘れちゃってたんだな」
「……」
無言で幸太郎を見る沙羅。
「ん? どうしたんだ?」
幸太郎がじっと動かない沙羅を見て言う。
「ううん、何でもない。ただ、あなた『ありがとう』って言う言葉、本当に上手に使うんだなって思っただけ」
「は?」
驚く幸太郎に沙羅が言う。
「何でもないわ。じゃあ、さようなら」
「あ、ああ。また明日な……」
幸太郎は綺麗な黒髪を風になびかせて戻って行く沙羅の後姿を見つめた。
「マリア様、こちらがご依頼されたものになります」
御坂家令嬢、御坂マリアに執事の爺が一冊のファイルを手渡した。
ひとりでいるには広すぎるマリアの部屋。カーテンや絨毯まで大好きな赤色に染められたその部屋に、やはり赤いロリータドレスを着たマリアが椅子に座る。フリルがたくさんついた可愛らしい服。
真っ赤なマニキュアが塗られた細い手でマリアがファイルを受け取る。そしてしばらく眺めてから言った。
「へえ~、公的な用事以外は外出はほぼしないって感じですわね。この城崎幸太郎ってのと会う日以外は」
「はい」
爺が続ける。
「何者かは分かりませんが、市営アパートで妹と母親の三人暮らし。学校は光陽高校の特待生。ただ、生活は苦しいようです」
「光陽高校の特待生ですって!? 頭は相当良いのね……、でも家計が苦しい。だからこんなにバイト頑張っているのね」
「はい。ファミレスに家庭教師、そして毎週金曜の夕方に雪平様のお宅に行っているようです」
マリアが爺の顔を見て尋ねる。
「怪しいですわね。一体何をしに行ってるのかしら?」
「それについてはようやく先程少し判明しました」
「何かしら?」
「ええ、城崎幸太郎の前にも同じように雪平家に向かった高校生がいまして、彼に接触して判明したのが……」
マリアは黙ってその話を聞く。
「雪平沙羅とお金で友達になる、というバイトのようです」
「お金で、友達……?」
マリアが首をかしげて尋ねる。
「ええ、目的は何だか分かりませんが、今その仕事を城崎幸太郎が行っているようです」
「意味がよく分かりませんね。で、沙羅の男性関係は?」
爺が首を横に振って答える。
「全くございません。唯一接触があるのが、その城崎幸太郎です」
「なるほどね~、ありがと、爺。もう下がって良くてよ」
「はっ」
爺はそう言って頭を下げて退室する。
「城崎幸太郎、ねえ~」
マリアはそう言いながら、街中の防犯カメラで撮られた幸太郎のプリント写真を見ながら言う。
「幸太郎さん、大変興味を持ちましたわ。わたくしが、落としてさしあげてよ」
マリアは手にした写真に軽くキスをした。
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