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59.後悔してませんから。

「このままでは推薦入学は難しいな。まあ、一般入試なら十分行けると思うぞ」


 幸太郎は担任の話す言葉を混乱する頭で何とか理解した。

 有数の難関大学である光陽大学。そこに合格できるだけで誇らしいことなのだが、幸太郎にはそれだけでは不十分であった。



(推薦による特待生でなければ、学費が掛かる……)


 特待生制度がある光陽大。

 優秀な学生には学費の免除を行っている。その為に系列校である光陽高校で優秀な成績を収める必要があった。



(前回の中間試験が11位。そして最近の小テストでもあまり点数は良くないな……)


 幸太郎自身、確実に成績が下がっていることに気がついてはいた。しかし最近の多忙な生活でそれを見て見ぬふりをしていたのも事実。バイトに励んで家計を助けるのはいいとしても、学費が掛かる大学入学となってしまっては本末転倒。

 気持ちよく晴れた空の下、学校から帰宅しながら幸太郎が思う。



(真剣に何とかしないといけない……)


 不思議といつも見る駅の風景が何か違ったものに見えた。






(まただわ……)


 沙羅は学校からの送迎の車を降りて、車庫の中から感じる外からの視線に気づいた。


(誰なの?)


 沙羅が意を決して車庫の外に出る。



「お嬢様?」


 突然外に出た沙羅を心配する運転手の初老の男。沙羅が周りを見回す。



(誰もいない)



「どうなされました?」


 運転手の問いに沙羅が答える。


「いいえ、何でもないわ」


 そう言って沙羅は家の中へと戻って行った。




「沙羅」


 玄関を開けた沙羅を父親の重定が待っていた。


「ただいま」


「おかえり、沙羅」


 重定が笑顔で言う。そこへ真っ赤なパーティードレスを着た栞が現れる。



「沙羅、準備ができたら行くわよ」


 真っ赤なフィッシュテールドレスを着た栞が言う。すらっと伸びた足に歩くたびに揺れるレースが上品さと女性らしさを出している。腰の辺りには大きなリボン、腕はシースルーで色っぽさも感じられる。



「ええ、分かってるわ」


 沙羅が鞄を持ったまま自室へ向かう。


「着替えが済んだら下に来なさい。ここで待っているよ」


「ええ」


 沙羅が自室へと戻る。




「はあ……」


 部屋の隅には今日の新会社設立記念パーティへ着て行くドレスが掛けられている。

 先日、父重定に紹介された三井孝彦が社長に就く新会社である。



(面倒だわ……)


 沙羅は壁に掛けられたドレスに着替えながらひとり思う。

 雪平家のしきたりとは言え沙羅はこのようなパーティが大嫌いであった。薄気味悪い笑顔を振る撒き心にも思っていないことを言い合う参加者。羨望や、時には軽蔑の目を向けられる令嬢姉妹。つまらない挨拶の後、見た目だけは豪華な食事をとる。



「オムライス、美味しかったな……」


 沙羅はふと幸太郎たちと一緒に食べたオムライスを思い出す。なぜあんなに美味しかったのか自分でも分からない。また食べたいなと無意識のうちに思っていた。



「沙羅、着替え終わったの?」


 気が付くと姉の栞がドアを叩いて呼んでいる。



「ええ、終わったわ」


 沙羅は姉の栞とは対照的に落ち着いたキャップスリーブ、動くたびにふわっと広がるサーキュラースカートの薄いピンクドレスである。



「さあ、行こうか」


 重定はフォーマルスーツに身を包み、美しく着飾ったふたりの娘達と一緒に車に乗り込んだ。






(緊張する、緊張する……)


 幸太郎は月曜日のバイト、家庭教師をしている胡桃の部屋の前に立って思った。

 今でも昨日の胡桃の唇の感触をまだはっきりと思い出せる。生徒とデートをしてしまったことがそもそも間違いだったと思う反面、あれはどうしようもなかったと自分に言い聞かす。



 コンコン


「胡桃ちゃん、いる?」


 居て当然である。胡桃の母親も笑顔でいつも通り迎えてくれている。


「はーい、先生。どうぞ!!」


 明るく圧倒的に可愛い声。その声からは全くいつもの胡桃と変わらない様子。



「こ、こんにちは。胡桃ちゃん……」


 明らかに緊張で上ずった声。胡桃は部屋の真ん中で立ち、幸太郎の顔を見るとにこっと笑って言った。


「こんにちは、先生」



(可愛い……)


 もはや幸太郎の中で胡桃を()()の生徒として見ることはできなかった。

 確実に女性であり、意識してしまう相手であり、一緒に居たくなる女の子へと変貌していた。胡桃が言う。



「先生、昨日はありがとうございました」


 胡桃はそう言うとぺこりと頭を下げる。幸太郎が慌てて答える。



「あ、いや、お礼を言うのは俺の方で、楽しかったしお昼も美味しかったし……」


 そして思い出す胡桃のキス。



「本当、楽しかった。ありがとう」


「本当に楽しかったですか?」


 胡桃は後ろに手を組んで幸太郎に近付きながら尋ねる。



「あ、ああ、もちろんだよ。楽しかっ……」


 胡桃は幸太郎のすぐ傍までで来て小さな声でささやく。



「胡桃も、楽しかったですよ……」


 そう言いながら胡桃は頬を真っ赤にして幸太郎を見つめる。



「あ、あれ、その、俺……」


 一気にテンパってしまった。

 あのことは極力意識しないでおこうと決めてやってきたはずなのに、入室数秒で見事に撃墜されてしまった。胡桃が言う。



「先生が良ければ、もっと別のことも……」


「さあ、胡桃ちゃん。勉強しようか!!」


 このままでは撃墜され木っ端みじんに破壊される。幸太郎は必死に操縦桿そうじゅうかんを引き、最悪の事態を回避しようとした。



「はーい。分かりました」


 幸太郎の気持ちが通じたのか、胡桃は小さく頷くと自分から机の方へと向かっていく。その後につき幸太郎もいつも通りに彼女の机の横へ立つ。



「先生」


 胡桃は参考書を用意しながら幸太郎に言う。


「私、嬉しかったですから。あれは私の初めて。後悔していませんから」



「胡桃ちゃん……」


 前を向きながらそう話す胡桃を幸太郎が見つめる。


「また、行きましょうね。デート」


「え、あ、ああ……」


 幸太郎は曖昧な返事をして誤魔化した。






 新会社設立パーティー会場である五つ星ホテルに向かう車の中、じっと車窓を流れる町のネオンを見ながら沙羅が思う。


(本当に無駄な時間だわ。早く家に帰ってこーくんと話したいのに……)


 車に乗ってから一言もしゃべらない沙羅を気にして重定が声をかける。



「沙羅、何かあったのか?」


「いえ、何でもないわ」



 そう答えると沙羅は再び窓の外の景色に目を向けた。

 一方のパーティー会場では、今日の主役の三井孝彦が真っ白なスーツを着て沙羅たちの到着を待ちわびていた。



(早く来て欲しい、沙羅さん。そして僕はこの想いを君にぶつける!)


 三井はこれからやって来る強気の令嬢沙羅の姿を思い浮かべて、ひとり興奮した。

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