58.奈々と同じ布団で……
いつもよりずいぶんと早く布団に入った幸太郎。今日は深夜の勉強もできない。その理由は簡単である。
「お兄ちゃん」
真っ暗な幸太郎の部屋。
いつもはひとりで寝るシングルの布団に、今夜は妹の奈々が一緒に寝ている。
「お、おい。触るんじゃないぞ……」
幸太郎は天井を見ながら隣でこちらを向いている奈々に言う。
「うん、分かってるよ」
薄暗い闇の中だが、奈々が喜んでいるのは伝わる。
いつもはひとりで寝るこの暗闇。奈々が居るだけで何やら全く別の空間にいるような感覚になる。
「ねえ、お兄ちゃん」
奈々が再び幸太郎に話し掛ける。
「な、なんだよ……」
妹相手に緊張する幸太郎。奈々が動く度に彼女の甘い香りが幸太郎を包む。
「奈々ね、この間ね、クラスの男子に告白されたんだよ」
「そう、なんだ……」
自分の妹ながらかなり可愛いと思う奈々。学校でもモテて当然であろう。
「でも、ちゃんと断ったから」
「どうして? タイプじゃなかったの?」
奈々がもぞもぞと動きながら答える。
「うーん、あまり考えたことがなかったの。他の男のこととか」
「誰か好きな人がいるのか?」
奈々がすぐに答える。
「いるよ。でも、全然ちゃんと相手してくれないの」
「そうか……」
幸太郎は思わず自分の状況と似ていると思ってしまった。憧れの人はいる。とても優しいけど、しっかりと向き合って貰うことはできない。
外から再び強く降り始めた雨の音が部屋に響く中、奈々が言う。
「その人ね、とても優しくて頼りがいがあるんだけど、奈々がいないと死んじゃいそうな人なんだよ」
(ど、どんな奴だよ、それ……)
幸太郎が内心突っ込む。そして言う。
「奈々は好きなの、その人?」
「うん」
「じゃあ、応援してやるよ。頑張れ」
「本当? 本当に応援してくれるの?」
「あ、ああ。いいぞ、それくらい」
「やった! 約束だよ」
「わ、分かった……」
幸太郎はなぜか少し返事に躊躇ったが、外に鳴り始めた雷がそんな考えを吹き飛ばす。
ドン、ドドドオオオオン!!
「きゃあ!」
奈々が思わず声を出す。
「雷か……」
幸太郎が小さく言う。無言の奈々。
「奈々、どうした?」
しばらくして布団をかぶった奈々が小声で言う。
「怖いよぉ、お兄ちゃん……」
奈々が震えている。一緒の布団に入っているからすぐに伝わる。奈々が言う。
「お兄ちゃん、手、つないでよ……」
(ええ!?)
今日一緒に寝る条件は絶対にお互い触れないこと。奈々は早くもそれを破ろうとしている。
「い、いや、それはちょっとな……」
ドオオオン!!!
「きゃ!!」
奈々が布団を頭からかぶる。
幸太郎は幼い頃、やはり同じように雷を怖がって布団の中で震える奈々を抱きしめてあげたことを思い出す。
(やれやれ……)
幸太郎はすっと腕を伸ばし、奈々の手を握った。
「お兄ちゃん……?」
「雷の時だけだぞ」
「うん!!」
奈々はそう言うと幸太郎の手を両手で強く握り返して来た。
(妹だからまだ冷静にいられるけど、これが他の女の子だったら我慢はできんだろうな……)
幸太郎はすべすべで細い奈々の手を感じながら思う。そして再び脳裏に浮かぶ胡桃とのキス。
(い、いかん。頭が混乱して来た……、胡桃ちゃん……)
今でもはっきりと思い出せる胡桃の柔らかい唇。甘い香り。そして恥ずかしそうに笑う彼女の笑顔。家庭教師をしているので彼女は決してそう言う目で見るべきではないと自制し続けてきた幸太郎の、守り続けてきたロックが外れかけていた。
「……お兄ちゃん、手、凄い汗だよ。緊張してるの、もしかして?」
手を握っている奈々が幸太郎の布団から顔を出して幸太郎に言う。
「え? い、いや、違う。違う違う。あ、暑いんだよ……」
まさか先程会った女の子とのキスを思い浮かべていたとは言えない。
「ふふっ……」
奈々が意味ありげな笑いをする。そして言った。
「明日の夕食。一品増やしてあげるね」
「あ、ああ。ありがとう……」
暗闇の中、幸太郎は奈々に悟られぬように自分を落ち着かせようと必死になった。
(こーくん、どうしたのかな……)
沙羅はその夜、しばらくの間スマホに表示された幸太郎の連絡先を眺めてから、いつも通りに『こーくん』にメッセージを送った。
(病気で寝込んでいるとか……)
しかしいつまで経っても返事のないスマホ。普段なら遅い時間でも必ず返信してくれるこーくんの静寂に沙羅が不安を覚える。
ドン、ドオオオン!!
「きゃ!!」
不意に鳴った雷の音に驚いて、沙羅が布団に潜り込む。
(怖いよ……、こーくん……)
沙羅は布団の中で体を小さくしながら『こーくん』と、この間同じく雷の時に抱きしめてくれたもうひとりの男のことを思った。
翌朝、幸太郎が目を覚ますと、同じ布団で自分をじっと見つめている奈々の顔が目の前にあった。
「わっ、奈々!?」
驚き飛びあがる幸太郎。しかも奈々は既に学校の制服姿になって横になっている。
「おはよ、お兄ちゃん」
「おはよ、じゃないだろ! な、何やってんだよ!」
と言いつつも幸太郎は昨夜は一緒に寝たことを思い出す。とは言え布団の中で制服姿はおかしい。奈々が答える。
「えー、昨日は一緒に寝たじゃん。奈々は先に起きて準備したんだけど、お兄ちゃんがちっとも起きて来ないから起こしに来たんだけど……、一緒に寝ちゃった。てへ」
幸太郎が焦りながら言う。
「だ、だからって一緒に寝る奴があるか! 制服で」
「いいじゃん、兄弟だし」
「よくない!! さ、もう起きろ!!」
「はーい」
奈々はそう言ってくすくすと笑いながら部屋を出て行く。
幸太郎は昨夜奈々と一緒に寝たこと、そして胡桃のキスを思い出し全然寝れなくてぼうっとした頭で鞄の中に入れておいたスマホを確認した。
「げっ!?」
スマホには『サラりん』からの受信メッセージで埋め尽くされていた。
『こーくん、今いい?』
『こーくん、起きてる?』
『どうしたのかな? 本当に寝ちゃったの?』
『もしかして、病気?』
『こーくん、生きてる?』
『こーくん、返事して……』
『こーくん……』
そこからはっきりと感じ取れる沙羅の心境の変化。
胡桃とのデートの邪魔になると思ってスマホをマナーモードにしておき、鞄の中に放置したままであった。
『ごめん、サラりん! 昨日は疲れてそのまま寝ちゃったよ』
しばらくしてサラりんから返事が返って来る。
『こーくん、良かった。無事で。サラりん、本当に心配したんだから!!』
幸太郎は少しだけサラりんとメッセージの交換をして朝の支度にとりかかった。
「次、城崎」
「はい」
光陽高校。幸太郎のクラスでは、今季初めての進路相談が行われていた。
一年の頃から幸太郎の進路希望は、系列大学である光陽大学への特待生での推薦入学。学費が免除になるので是が非でも枠を掴みたい。狭き門であるが成績優秀で特待生である幸太郎には決して無理な話ではなかった。
誰もいない静かな教室で担当の教師が椅子に座って待っている。
いつもは賑やかな教室がまるで息をしていないかのように静寂に包まれている。担任が言う。
「城崎は光陽大への推薦希望だったな」
「はい」
担任の前に座った幸太郎が教員の質問に答える。教員は手にした資料を見ながら静かに言った。
「このままの成績では難しいな」
外は昨日の荒れた天気とは打って変わった晴天。勉強だけには自信のあった幸太郎にはまさに青天の霹靂であった。
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