57.その優しさは、辛いです……
「幸太郎君……?」
思わぬ胡桃のキス。
立ち尽くす幸太郎に声を掛けたのは、彼の想い人である藤宮はるかであった。
「はるか、さん……」
幸太郎は最も見られたくない人に、最悪のタイミングで出会ってしまったと思った。幸太郎が言う。
「はるかさん、今のはその……」
上手く言葉が出てこない。
何もはるかに言い訳する必要はなし、そもそもはるかに見られたと決まった訳じゃない。
「そうか、幸太郎君、胡桃ちゃんと……、そうなんだ」
(思い切り見られてるじゃん!!!)
幸太郎が何か深い闇の中へと落ちていく感覚を覚える。
周りの人達が急ぎ足で家路に帰る中、はるかが幸太郎に近付いて言う。
「いつの間に、……って、最初から仲良かったもんね。ふたり」
(か、完全に誤解されているぞ!!)
「はるかさんは、どうしてここに?」
「私? うん、私は友達と買い物に来て、これから帰るところ。幸太郎君は胡桃ちゃんとデートだったのかな?」
「あ、いや、そんなことは……」
デートであった。しかしそれを正直にこの目の前の女性に言うのはやはり憚られる。はるかが笑って言う。
「だって、愛の聖地行って来たんでしょ? ふたりで」
「え、愛の聖地??」
幸太郎がその少し違う名所を聞いて驚く。はるかが言う。
「そうよ、愛の聖地。恋人同士で訪れると愛が約束されるって場所。まさか知らないの?」
知らない。
胡桃からは『幸せの聖地』と聞いていた。そう言えば今から思えばすべてのハートのモニュメントに、後ろから訪れていた。
人が多かったとはいえ少し違和感があったのは、正面に回ってその名称を幸太郎に見せない為であったのだろうか。はるかが尋ねる。
「ねえ、幸太郎君」
「はい」
「今日、もしかしてこの【愛の聖地】巡りをしたの?」
「はい、しました……」
「今日だけで何か所巡ったの?」
幸太郎が指で数える。
「ええっと、ちょうどここで五か所、かな?」
はるかが苦笑して言う。
「なるほどね~、何も知らない幸太郎君を胡桃ちゃんは連れて回ったんだ」
「何のことですか、はるかさん?」
意味が分からない幸太郎がはるかに尋ねる。はるかが答える。
「この【愛の聖地】はね、全国に何か所もあるんだけど一日で五か所恋人と巡ると永遠の愛が手に入るって言われているの。まあ、ネットの噂なんだけどね」
「本当、ですか?」
幸太郎は通りで胡桃が急いで計画通りに行動していたのかと納得する。はるかが笑って言う。
「あくまで噂よ、噂」
「そうですよね……」
「でも……」
はるかが幸太郎の耳元で言う。
「こんな場所でキスしちゃうふたりには、そんなおまじないみたいなこと要らないんじゃない?」
(ぐっ!?)
やはり見られていた。
一番見られたくない人に、胡桃とのキスを見られてしまっていた。慌てて幸太郎が言う。
「いや、はるかさん! あれは違って……」
「何が違うの? ふたりはお似合いだと思うよ」
(はるかさん……)
彼女は嘘やお世辞を言う人じゃない。きっと本気でそう思っているのだろう。そう思った幸太郎が力なく下を向く。
「私もこういうところ一緒に回ってみたいんだけどなあ……、幸太郎君は優しんだね」
その一言一言が幸太郎の胸に突き刺さる。
彼女が素直であるだけ、彼女が優しいだけ幸太郎には辛かった。はるかが改まって尋ねる。
「ねえ、それより例の件ってどうなったかな?」
はるかが小声になって言った。
例の件とは斗真に特定の人がいるかどうかと言う話である。こっそり聞いておいてくれと頼まれてずいぶん経つが、未だ彼女には返事をしていない。答えは分かっている。でもそれを伝える勇気は幸太郎にはなかった。
「あの、それが……」
はるかがふうと息を吐いて言う。
「まあ、斗真さんバイト中忙しいからね。個人的に外で会うことも幸太郎君はないだろうし」
幸太郎が意を決して逆に尋ねてみる。
「はるかさんは、直接聞いたことないんですか?」
幸太郎の胸がどくどくと脈打つ。
「あるよ」
「本当ですか?」
「うん、あるんだけど。何か上手く誤魔化されちゃって。何となくなんだけど、他に女の人がいるような気がするんだよなあ」
やはりそれとなく気付いていたのか。
幸太郎ははるかの言葉を聞いてそう思った。幾ら器用な斗真とは言え、完全に隠すのは難しい。特にその仲が深ければ深いほど。
はるかが時計を見て言った。
「そろそろ私帰るね。幸太郎君も濡れているから早く帰った方がいいよ。あ、これ使って」
はるかはそう言ってカバンの中から花柄のハンカチを取り出して差し出す。
「こんな綺麗なの、使えないですよ!! 俺なら大丈夫ですから」
断る幸太郎にはるかが無理やりハンカチで頭を拭く。
「はいはい。お姉さんの言うことは聞くもんよ。風邪でも引かれてバイト休まれたら大変だから」
「あ、はい……」
そちらの心配か。
幸太郎は分かっていながら少し寂しい気持ちになった。
「じゃあね、幸太郎君!」
「あ、はい。また……」
はるかはハンカチを幸太郎に手渡すと、そのまま人混みへと消えて行った。
「ただいま」
真っ暗な夜道をコンビニで買った傘をさして幸太郎がアパートへ戻った。頭の中には先程の胡桃のことで一杯になっている。
「おかえり、お兄ちゃん!!」
すぐに玄関で迎える妹の奈々。
既にパジャマを着ており風呂にも入ったのか、髪をトレードマークのポニーテールを下ろしている。後ろにいた母親が部屋に入った幸太郎に言う。
「幸太郎!」
「なに?」
母の声色から少し怒っているのが分かる。
「あなた、今夜奈々と一緒に寝るって約束したの?」
「あっ」
そう言えばそんなことを朝約束したのを思い出す。
「ああ、まあ、成り行きで……」
母が怒りながら言う。
「何が成り行きですか! 年頃の妹と一緒に寝る兄がどこにいるのよ!」
まったくもってその通りである。思わぬ援軍。幸太郎が奈々に言う。
「と言う訳だ、奈々。母さんがそれは許さないって」
奈々が顔をぷっと膨らませて言う。
「ダメだよ、そんなの!! お兄ちゃんは奈々と約束したでしょ!? 奈々は気にしないんだから!!」
「奈々、だからさっきも言ったけど、ダメなの!!」
奈々が泣きそうな顔で言う。
「いいの、今日はお兄ちゃんと寝るの!! だってそう約束したでしょ!! 約束守らないならもう家事一切やらない!!」
「そ、それは……、困る……」
奈々が怒るのも当然である。
今日のお出掛けを許可したのも、一緒に寝て貰えると思ったからである。約束を守らず、一般論を持ち出して奈々を責めるには無理があった。
そして彼女の切り札『家事』を持ち出されては幸太郎も、パートで家をよく空ける母親も反論ができない。
「もういいわ。幸太郎、あなたに任せるから」
母親はそう言うと居間に戻りくつろぎ始める。残された幸太郎に奈々が問いかける。
「で、お兄ちゃん。どうするの? 奈々と寝るの??」
妹とは言え、女の子の声でそう言われると一瞬どきっとする。
「分かった。約束だから、仕方ない……」
幸太郎が白旗を立てて言う。奈々が頷いて答える。
「うん、そうだよ。素直でよろしい。さ、早くお風呂入って来て」
もはや兄弟の会話とは思えない。
幸太郎は奈々に言われるがままお風呂へと向かった。
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