52.【side story 胡桃】
咲乃胡桃は小さな頃から人気のある女の子だった。
中学に入る頃になるとその可愛さ、人懐っこい性格から自然と男子が集まるようになり、圧倒的に可愛い声はそんな男の子たちのうぶな心をくすぐった。
胡桃の特徴は女子からも人気があったという点。真面目で実直な彼女は同性からも好かれた。
「胡桃、カラオケ行こうよ!!」
クラスで仲の良かった女の友達が放課後カラオケに誘う。ふたつ返事で一緒カラオケに行った胡桃は部屋に入って少し驚く。
「こんにちは、咲乃さん!」
そこには隣のクラスの男の子数名が先に座っていた。何も聞かされていなかった胡桃が友達に小声で尋ねる。
「え、どうして男子がいるの?」
友達は嬉しそうに小声で返す。
「だって~、二組の高山君が来るって言うんだよ!! 私達だけじゃ不安じゃん!!」
胡桃の隣のクラスの高山勇希。
学年の男子生徒の間で人気の高かった胡桃に対し、女生徒の間で圧倒的な支持を受けていたのが彼だ。皆が認める『学年No.1イケメン』である。
胡桃も名前と顔は知っていたがクラスも違うので話したことはない。
「よし、じゃあ、歌おっか!!」
高山は歌も上手かった。
長身のイケメンで、スポーツもでき歌も上手い。カラオケに居合わせた胡桃以外の女子たちはすっかり高山の虜となった。もちろん胡桃も純粋にカラオケを楽しんで帰った。
しかしこの日を境に胡桃の生活に変化が起きる。
「おはよう、咲乃!」
朝、登校する胡桃に必ずと言っていいほど高山が挨拶をする。
「お、おはよう……」
学年一のイケメン。
多くの女生徒達がその一挙手一投足に注目する。まったく高山に興味のなかった胡桃も徐々にその存在を意識するようになった。
やがてスマホの連絡先を交換し、グループ交際からふたりだけで会うようになり、迎えた中二の夏の終わり。訪れた夕方の海を歩きながら高山が胡桃に言う。
「咲乃、俺と付き合ってくれ」
その言葉を待っていたかのように笑顔になり胡桃が答える。
「うん、いいよ!」
こうして学年一のイケメンと、同じく学年一人気のある女の子の交際が始まった。
「うそぉ、胡桃、高山君と付き合ったの!?」
胡桃の友達がその驚くべく話に声を上げる。
「うん、ついにって感じかな……」
胡桃が照れながら答える。
「そっか、ふたりずっといい雰囲気だったもんね。応援するよ!」
「ありがと!」
胡桃だから周りの皆も高山との交際を認めてくれた。胡桃は幸せだった。
「胡桃……」
「勇希君……」
交際してすぐにふたりはカラオケへ一緒に行く。
どきどきの胡桃。
同級生なのにびっくりするほど落ち着いている高山。
「好きだよ。胡桃……」
「私もだよ」
そう言って顔を寄せる高山に、胡桃は少し首を振って可愛い声で言う。
「もうちょっと、先ね……」
「ああ、ごめんね」
素直に謝る高山を胡桃は嬉しくて涙目になって見つめた。
「胡桃、何だか最近嬉しそうね」
家で食事をしていた時、母親が胡桃を見て言った。
「うん、毎日楽しいよ!」
胡桃が笑顔で答える。そして母親に何気なく尋ねる。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「お母さんは、お父さんのどこが好きになったの?」
「え?」
胡桃の母親は美人だった。若い頃はかなりモテただろうと容易に想像できる。対する父親は背も低く、決してイケメンではない。正直若いふたりが一緒に歩いている姿は想像し辛い。母親は笑って答える。
「そうねえ、どこだろう。真面目なところかな?」
「真面目?」
「そうよ。お母さんね、若い頃は結構モテてね、色んな男の人に声をかけられたの」
「うん」
胡桃は興味津々で話を聞く。
「でもね、声かけて来る男ってみーんな軽い奴ばかりでね、本当の意味でいい男なんていなかったわ」
「そうなんだ」
「で、お父さんに出会ったんだけど、最初は全く興味なかったんだよ」
「だよね~」
胡桃も笑って同意する。
「でもさ、お父さん本当に真面目で、口に出さないけどいつも私のことを大事に思ってくれていて、全てに一生懸命なんだ。それからね」
「うん」
「嘘は絶対につかない人だったんだ」
「うそ?」
「そうだよ。それはとても重要なこと。で付き合ったんだけど、お父さんね、まるで空気のような存在だったの」
「空気? どういうこと?」
意味が分からない胡桃が母親に尋ねる。
「ふふっ、つまりね。一緒に居ても全く疲れない人」
「でも空気って……」
母親が笑って言う。
「空気はね、ないと死んじゃうんだよ」
「あっ」
母親が頷きながら言う。
「お父さんはそれぐらい私にとって大切な人になっていたんだ。私自身びっくりしちゃったけど」
「ふ~ん。そんなもんかな?」
「そうよ。あなたもこれからゆっくり勉強して行けばいいわよ。さ、ご飯食べて」
「うん、いただきます!」
(私は、大丈夫!!)
胡桃は嬉しそうに話す母親の姿を見て自然と笑顔になるのと同時に、大好きな勇希に無性に会いたくなった。
(今日は予定より早く終わっちゃった。勇希君、もう待ってるかな~?)
生徒会に所属していた胡桃は予定より仕事が早く終わって、高山勇希と一緒に帰る約束をしていた学校のエントランスへと走る。胡桃が自分の下駄箱について靴を替えようとすると、その反対側から勇希の声が聞こえた。
「でさ……」
(あ、勇希君!!)
声を出そうとした胡桃が、彼が誰かと話していることに気付いてその動きを止める。
「楽勝だったよ、落とすの」
「マジですげえな、お前」
(あれ、誰かいるの?)
不思議と胡桃は下駄箱を挟んで聞こえてくる勇希の会話を黙って聞いた。勇希と話す男が言う。
「しかしあの咲乃胡桃を簡単に落としちゃうとは恐れ入ったよ」
(え? 誰と話してるの!?)
胡桃の体が固まる。勇希が言う。
「だろ? 俺の言った通りだろ? さ、賭けは俺の勝ち。今度牛丼おごってくれよな!」
(勇希君、い、一体何の話をしているの……、賭けって、なに……?)
「分かったよ。仕方ない、俺の負けだ。今度な!」
「ああ、楽しみにしてるぜ。それから実はな、もうキスも近いぞ」
「マジで!?」
「ああ、マジ」
下駄箱の後ろにいる胡桃の心臓が壊れるほど激しく脈打つ。勇希が言う。
「だから次の賭け、カラオケ代も頼むな!」
「マジかよ、それは半分冗談だったのに……」
(何の、何の話をしているの……)
胡桃は震えながら全く理解できない会話に混乱する。
「でさ、多分そのうち『それ以上』も行けそうだぜ」
「本当かよ!?」
「ああ、そうしたら次は……」
「いや、待てよ。そんなのお前の言葉だけじゃ信じられんわ」
少し間を置いて勇希が答える。
「分かった。じゃあ動画でも撮って見せてやるよ」
「そんなことできるのか?」
「大丈夫だ。あいつもう俺にベタ惚れだからな」
そこから先の会話は覚えていない。
ただ靴を履き替え、別の出口から一直線に家へ帰ったのは覚えている。
「胡桃、胡桃。どうしたの?」
部屋に閉じこもり、夕食にも出てこない胡桃を母親が心配する。
「ううっ、う、うわあああん!!」
胡桃はベッドの布団に籠って、ひとり涙を流した。
自分は遊ばれた、賭けの対象だった、浮かれていた馬鹿だった。胡桃は泣きながら心に決めた。
――もう男なんて信用しない!!!
翌日、電源を切っていたスマホをつけると、勇希からのメールや着信で溢れていた。
胡桃はそれを一切読むことなくすべて削除し、そして勇希の全ての連絡手段をブロックした。そしてまた涙を流しながら彼と一緒に撮った写真を削除していく。
「胡桃、おはよう……」
ようやく部屋から出て来た娘に母親が声をかける。
胡桃は無言で洗面所に行き、大量の水を出して勢いよく顔を洗い出す。そしてせっけんを取り、今度は念入りに彼と繋いだその手を洗う。何度も何度も力を込めて洗った。
この日より胡桃が一変した。
いつもにこにこ笑顔であった彼女の顔からその笑顔が消え、女友達とはこれまで通りだったが一切の男子の接近を拒んだ。
ほぼ皆の公認となっていた高山との交際も、彼女の態度から破局したことは明白であり、高山自身何度も胡桃のクラスへやって来て声をかけようとするがその前に胡桃が女子トイレへと逃げ込んだ。
(男なんて見るものイヤ!! 滅んでしまえばいい!!!)
純粋だっただけ裏切られた胡桃の悲しみは大きかった。
しかし同時に学校での成績が落ち始める。
これまでそれなりの成績であった胡桃だったが、あまりに辛い出来事に全てにおいて集中力を欠くようになっていた。見かねた母親が胡桃に言う。
「胡桃、塾の申し込みをして来たから行きなさい」
そう言って無理やり行かされた塾も、初日で辞めて帰って来てしまった。高校受験を控え、困り果てた母親が友人の友人の紹介でとある家庭教師をしてくれる高校生の存在を知る。
「胡桃、来週から家庭教師の先生に来て貰うことにしたの。今年は受験だからしっかり勉強して欲しいの」
胡桃は自分のことを心配してくれる母親を思って答える。
「分かったわ。勉強は頑張る。で、その家庭教師って男?」
「そうよ。でも全く知らない人じゃないから安心して」
「うん、分かった」
そう答えた胡桃だが、頭では全く違うことを考えていた。
(男なんて有り得ない!! 私の部屋に入るの? そんなの絶対イヤ!!)
そして家庭教師、初日を迎える。
「こんにちは、咲乃さん……」
(あれ?)
胡桃はやって来たそのひとつ上だと言う男子高生を見て思う。
「城崎幸太郎です。よろしくお願いします」
「あ、はい……」
胡桃は思った。
(この人、なんか違う。違うと言うか、まるで……)
――空気みたい
胡桃はこれまで自分に集まって来ていた男達とは全く違う感じの幸太郎を見て、不思議と戸惑ってしまった。
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