5.『バイ友』、行ってきます!!
朝、狭いアパートで朝食をとる城崎家。
小さなテーブルに幸太郎、妹の奈々、そして今日はパートが遅番で時間に余裕がある母親が座る。
「いただきます!」
薄っぺらい食パンにコーヒー。奈々はミルク。これが城崎家のいつもの朝食メニュー。贅沢など無縁の食事だ。コーヒーを飲みながら幸太郎がふたりに言う。
「金曜の夜のバイトだけどさ、新しい家庭教師をやることになりそうなんだ」
さすがに得体の知れない『バイ友』とは言えない。
「新しい家庭教師?」
母親が尋ねる。
「うん、結構時給良くてさ」
幸太郎が毎月家に入れる金額は決まっている。もし『バイ友』が軌道に乗ればそれを増やすこともでき家計を助けられる。奈々がちょっと不満そうな顔で言う。
「ねえ、お兄ちゃん。それってまた女の子なの?」
「うっ、そ、そうだよ。よく分かるな……」
幸太郎はやはり鋭い中三の妹を見つめる。セーラー服を着た奈々がむっとした顔で言う。
「お兄ちゃんが心配なの。変な女がつかないかって」
「あら、幸太郎はまだ彼女はいないの?」
そう母に言われた幸太郎の顔が赤くなる。すぐに否定しようとしたのだが、それより先に奈々が言った。
「いないの!! お兄ちゃんに彼女なんていないの!!」
「まったく、奈々ちゃんは。いくつになってもお兄ちゃん子だね」
そう言われて赤くなって下を向く奈々。そして小さな声で幸太郎に尋ねる。
「ねえ、どんな人なの? もう会ったの?」
幸太郎はトーストを食べ終えると、コーヒーを飲みながら答えた。
「会ったよ。色白で、長い黒髪の子」
「色白で長い黒髪……、うぐぐっ……」
それでお金持ちなら完璧なお嬢様じゃないかと奈々は思った。同じく朝食を終えた母が幸太郎に言う。
「悪いねえ、幸太郎。本当に無理させちゃって」
「いいよ、俺、頑張るから!」
幸太郎は絶対に新しい仕事を頑張ろうと思った。
金曜の学校を終えた幸太郎は、沙羅がいる雪平家へ向かって電車に乗っていた。
電車内には幸太郎と同じ高校生が多く乗っている。これから同じ高校生である沙羅の友達になるために彼女の家へ訪れる。
(友達になるって、一体どうするんだっけ……)
そんなことは意識したことがない。そもそもここ最近はバイトばかりで友達を作る時間も、遊びに行く暇もない。
(そんな俺が友達になれるんかな?)
初めての、経験のないバイトに少なからず不安になる幸太郎。しかし今更引き返せない。いや、引き返すつもりはない。やれることを全力でやるだけだ。
幸太郎は雪平家の大きな門の前に立ち、一度息を大きく吐いてからインターフォンを押した。
「よく来てくれたね、幸太郎君。さ、座って」
『バイ友』初日、通されたのは沙羅の父重定の書斎の様な部屋。黒や茶色をベースに落ち着いた色調の部屋で、重厚な机に年代物の椅子、部屋の中央にはふかふかのソファーが置かれている。
幸太郎が座ると重定もゆっくりとその前に腰を下ろした。
「よろしくお願いします」
先に幸太郎が頭を下げて言った。重定は笑顔のまま言う。
「おかしな仕事だと思うかね、幸太郎君」
意外な質問だった。
先に仕事の契約について話があるとは聞いていたが、これは全く予想していなかった問いかけ。幸太郎は素直に言った。
「変わった仕事だと思います」
「変わった仕事か……」
「ええ、でもおかしいとは思いません」
「どうしてそう思う?」
「それを必要とする人がいて、その仕事を受けようとする人がいればそこに何も『おかしい』ことは生じません」
「なるほど」
部屋をノックして中年の女性が入って来た。着物を着た上品な女性。初めて幸太郎がここへ来た時、対応してくれた人だ。
「紅茶だ。コーヒーの方が良かったかな」
重定は少し笑って幸太郎に言った。
「いえ、何でも好きです。いただきます」
幸太郎は女性が置いた紅茶を口に入れる。
「美味しいです」
「そうか、それは良かった」
正直、味など分からなかった。きっと高い紅茶なのだろうと思ったが、幸太郎にはスーパーで売っている安いものとの味の区別はつかない。
女性が頭を下げて退室してから重定が説明を始めた。
「『バイ友』への理解があって助かるよ。早速今日から一時間、沙羅の相手をして貰うのだが、その前に幾つか言っておくことがある」
「はい」
「失礼とは思ったが、君の身元は調べさせて貰ったよ」
「身元?」
「ああ、大切な娘と同じ時間を過ごす相手だ。悪いとは思ったが詳しく」
「そうですか。でも、当然だと思います」
重定もテーブルに置かれた紅茶を一口すすってから言う。
「光陽高校へ特待生で入学。昨年学期末試験では学年三位、性格も真面目で犯罪歴もなし。ただ、バイトが多いね」
幸太郎はそんなことまで調べられているのかと少し驚いた。冷静に努めて答える。
「母子家庭でして。家が貧しく自分がバイトをして家計を助けています」
「うん、今時大した若者だよ。若い時の苦労は買ってでもしろと言うが、沙羅たちも見習ってほしいものだ」
(沙羅たち?)
幸太郎はなぜか複数形になっていることに気付いた。重定が言う。
「まず合格とは言ったが、最初は仮採用となる。雪平家の三つの試験をクリアして初めて本採用だ。ああ、むろん仮採用中でも料金は払うよ」
(三つの試験!?)
幸太郎は意外な話に少し驚く。重定が言う。
「三つの試験とはすなわち、私の試験。これは前回の面接などで合格済み。残りは沙羅の姉、そして沙羅自身に『友達』として認められること。以上だ」
幸太郎は先程の複数形の意味を理解した。
「三人から認められる、ですか……」
「ああ、でも私はもう認めているから、実質残りふたりだ。ちなみにこれをクリアした人はまだいない」
幸太郎の目の前が真っ暗になる。
これまで何人挑んだのか知らないが、本採用がゼロと言うことは合格率もゼロ。その理由が先に会ったあの気難しい娘から認めて貰わなければならないと言うのであれば納得もできる。
「あと細かいことはこれを」
そう言って立ち上がった重定は、机の上にあった数枚の書類を持って幸太郎の前のテーブルに置いた。
細かな文字が書かれた書類で、一番上に【バイト友達に係る契約書】と記載されている。書類をじっと見つめる幸太郎に重定が言う。
「細かな規定は幾つかあるけど、大切なことは今から話すことにしよう」
「はい」
幸太郎は顔を上げ、重定の顔を見つめる。
「まず当然だが、娘へ手を出すことを禁ずる。これは説明は要らないよね」
「ええ」
「続いて部屋でのスマホの使用は緊急時を除いて極力避けてほしい」
「スマホですか?」
幸太郎が尋ねる。
「ああ、一時間の間ずっとスマホをいじって終わりでは友達になると言う意味がないからね。もちろん緊急の連絡や、沙羅との交流上必要ならば問題ない」
「分かりました」
「それから『バイ友』以外の時間も友達として遊んでもらって構わない。休みの日とかね。給与は出ないけど」
「はい」
「あとはこのバイトの件はあまり人には話さないで欲しい。どうしてもという時は信頼できる人だけ話すことを許可しよう。やはり娘もお金で友達になって貰っていると言うような噂を立てられたくないだろうし、早く本当の意味での友達を作って欲しいと私も願っている」
「そうですね、分かりました」
「あと何か聞きたいことはあるかな?」
重定は紅茶を飲みながら幸太郎に尋ねる。
「はい。沙羅さんとお姉さんに認められて本採用となると言うことですが、期限みたいなものはあるのですか?」
重定は紅茶のカップを机に置いて答える。
「ああ、そうだったね。忘れていた。基本期限はないと思っていい。ただ、沙羅が君を不要だと思えば、その時点で悪いが解雇となる。そこまでの給与を払って契約解除だ」
「そう、なんですか……」
これには少し驚いた。下手すれば娘の言いなりになる可能性がある。重定が言う。
「やはり頭のいい幸太郎君は気付いたようだね。そう、下手すれば娘との間で『主従関係』のようなものができてしまうかもしれない。でも私が望む友達関係はそんなものは要らない。何でも話し合って、助け合える本当の友達。そう言ったいびつな関係にならないよう努力して欲しい」
「はい……」
時給一万円、その意味が少しずつ分かってきた気がする。
気難しい女の子。
『解雇』と言う切り札を持つ以上ゲームの主導権は相手にある。その上で信頼関係を築いて友達にならなければならない。しかも時間は週一時間。圧倒的不利な状況でこの試練に挑まなければならない。
(だから時給一万円。だが家の為にも俺は負けられない!!)
黙り込む幸太郎に重定が言う。
「馬鹿な親だと思うかね」
「いえ、そんなことは……」
複雑な気持ちであった。それは否定しない。でもこの目の前の人も必死で真剣なのは伝わって来る。
「無理を承知で頼んでいることだ。娘の身の上話はまた後にしよう。あ、そうだ。給与はどのような形で払おうかな。銀行振り込みか、それとも現金か」
「現金でお願いします!」
即答する幸太郎に重定は苦笑して言う。
「分かった。では毎回帰りの際に現金で渡そう。木嶋、さっきの和服を着た女性から貰ってくれ」
「はい! ありがとうございます!!」
幸太郎は頭を深く下げて言った。重定が言う。
「じゃあ、早速『バイ友』を始めて貰おうか。その契約書は家に持って帰ってしっかり読んでから署名をして貰っていい。今日の分の賃金はちゃんと払うから心配しないで。では、娘は二階の奥の部屋で待ってるよ」
「はい、分かりました。では失礼します」
幸太郎は立ち上がって頭を下げると部屋を出た。
(いよいよ始まる。俺の『バイ友』生活……)
幸太郎は部屋を出て階段を上がる。その彼の前にひとりの女性が現れて声を掛けてきた。
「君が幸太郎君ね? 意外とカワイイ顔してるじゃん!!」
「え?」
階段の中央に立つその女性、髪は茶色で丸みのフォルムと流れる前髪が大人っぽいワンレンボブ。真っ白な肌はまるで沙羅のよう。女性が言う。
「私、沙羅の姉の栞、よろしくね!!」
妹とは全く違うその明るい陽キャの女性を見て幸太郎は暫く固まった。
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