45.小さな嘘
土曜の朝。幸太郎はいつも通りに、いつものファミレスに、いつもの様に向かった。
「お疲れ様でーす」
幸太郎がいつも通りに事務所のドアを開ける。しかしその目にはいつも通りではない光景が目に入った。
「お疲れ様でーす、先輩っ!!」
「え?」
圧倒的に可愛い声。
少し茶色のナチュラルボブ。
胸に大きなリボンのある可愛いファミレスの制服を着た胡桃が笑顔で立っていた。
「胡桃ちゃん!?」
ドアを開けたまま幸太郎が立ち尽くす。
「お疲れ様です、幸太郎先輩っ!!」
その圧倒的に可愛い声が幸太郎の耳に響く。
「あ、幸太郎君。来た来た」
そこへはるかがやって来て幸太郎に言う。
「胡桃ちゃん、咲乃胡桃ちゃんだよ。新しく来て貰ったの。可愛いでしょ?」
「マジかよ……」
放心する幸太郎に胡桃が言う。
「可愛いでしょ? 先輩?」
「あ、ああ、うん……」
『可愛い』という言葉を聞き、不意に彼女から会う度に言ってくれと言われていたことを思い出す。はるかが言う。
「とりあえず胡桃ちゃんの教育担当は幸太郎君に決まったから、あとよろしくね」
「ええっ? 本当ですか!?」
驚く幸太郎にはるかが言う。
「ん? どうしたの? 可愛い子だから嬉しいでしょ?」
「は、はあ……」
戸惑う幸太郎の顔を見ながら胡桃が近付いて言う。
「可愛い胡桃ちゃんですよ。宜しくお願いしますね、先輩っ」
幸太郎が事務所に入り、ふたりだけになったのを確認して胡桃に尋ねる。
「どうしたの、一体?」
「どうしたのって?」
胡桃が首をかしげる。
「いや、突然バイト、しかもこんなとこで……」
「一度バイトしてみたかったし、ここの制服可愛いですし、それに先輩が偶然いたんで嬉しいです!」
「いや、そうじゃなくて……」
幸太郎の言葉に胡桃が不満そうに言う。
「えー、先輩は私がここでバイトするって言うの反対なんですか? お客さんからは『可愛い』ってよく言われるんですよ。でも私は先輩の口から聞きたいです。あ、もちろん家庭教師のことはナイショにしますね。私と先輩のふたりだけの秘密。うん、でも先輩って、いい響きですね~」
幸太郎はもはや自分の手に負える状況ではないことを理解した。
「幸太郎君ー!! 何してるの? 早くホール入って!!」
奥からはるかの声が聞こえる。幸太郎がすぐに胡桃に言う。
「じゃあ、すぐに行こうか!」
「はい、先輩!! 手取り足取り教えてください!!」
ファミレスの制服姿の胡桃を見て素直に可愛いと思う幸太郎であったが、どうしてこうなってしまったのかという思いは結局この日のバイト中ずっと彼の中で続いた。
「お疲れ様」
夕方バイトを終えた幸太郎が、同じく仕事を終えた胡桃に言った。
「お疲れ様です、先輩」
さすがの胡桃も疲れたようだ。
幸太郎が尋ねる。
「疲れた?」
「はい、もうくたくた。先輩~、足、マッサージしてくださいよ!!」
そう言って両手でスカートをつまんで少し上げて見せる胡桃。胡桃の真っ白な太腿が露になり、思わず幸太郎の目が釘付けになる。
「こ、こら、胡桃ちゃん!! ここは事務所でしょ!!」
驚き戸惑いながら言う幸太郎に胡桃は少し笑って答える。
「えー、じゃあ、事務所じゃなければいいんですか~? 私の部屋とか?」
「ち、違うって!!」
焦る幸太郎を見て胡桃が笑う。
「お疲れ~」
そこへバイトチーフの斗真が入って来た。
「お疲れ様です」
「お疲れ様でーす」
幸太郎と胡桃が挨拶をする。斗真が胡桃に尋ねる。
「どう、胡桃ちゃん。仕事は慣れた?」
胡桃が頷いて答える。
「はい、少し慣れました。今日は幸太郎先輩のお陰で仕事も楽しくできました!!」
胡桃はそう言って幸太郎を見てにこっと笑う。
「なんだ幸太郎。モテモテじゃないか」
「い、いえ、そんなことは……」
幸太郎が少し赤くなって下を向いて言う。
(胡桃ちゃんが来てくれたお陰で、少し場が明るくなったな……、それでも俺はどうすればいいのか……、あっ、忘れてた!!)
幸太郎が立ち上がって斗真に言う。
「斗真さん、実は……」
幸太郎は少し勉強に専念したいので、平日のシフトをこれから一日減らしたい旨を伝えた。斗真が青い顔をして言う。
「マジかよ!! この間金曜日のシフト外したばかりで、またか!!」
「すみません」
申し訳なさそうな顔をする幸太郎に斗真が言う。
「まあ、幸太郎はバイトだから本当はそこまで言っちゃいけないんだけどな。元々誰よりもたくさんシフト入ってくれていたし。胡桃ちゃん、幸太郎は本当に有能で、一度言ったことは絶対忘れない凄い奴なんだぜ」
「そうなんですか!! さすが幸太郎先輩っ!! 尊敬します!!!」
「い、いや、そんなことは……」
下を向いて照れる幸太郎に斗真が言う。
「シフトの件は分かった。胡桃ちゃんも頑張ってくれるだろうし、人はまだ募集中だから何とかするよ」
「ありがとうございます!」
そう答えた幸太郎の耳元で斗真が小さく囁く。
「これで貸しひとつな」
(え?)
幸太郎は笑顔のまま顔色ひとつ変えずにさらりと言う斗真を見て、思わず鳥肌が立った。
「じゃあまた明日ね、幸太郎先輩!!」
「あ、ああ。また明日……」
駅まで一緒に帰った幸太郎と胡桃。
可愛くて大きな声が駅前に響くと、否が応でも周りの視線がふたりに集まる。胡桃は満面の笑顔で幸太郎に手を振り、改札の中へと消えて行った。
「はあ……」
幸太郎はひとり歩きながらため息をつく。
胡桃がやって来たことは意外だったが、ため息の理由はそれではない。今日のバイトの小休憩の際に、はるかから以前頼まれていた事について聞かれたのだ。
「ねえ、幸太郎君」
事務所でひとり休む幸太郎にはるかが近付いて言う。
「はるかさん……」
幸太郎に緊張が走る。
「前さ、幸太郎君にお願いしたことあったよね……」
幸太郎はすぐにその件を思い出す。
あの夜。
あの海。
星の綺麗だったあの日。幸太郎ははるかから頼まれごとをした。
――斗真さんに特定の人がいるかどうか聞いてくれないかな?
憧れのはるかに頼まれた幸太郎。
断り切れずに受けてしまったが、後日意外な形でその答えを知ってしまった。
「で、どうだった? 斗真さんには聞けた?」
はるかが目をキラキラさせながら幸太郎に尋ねる。
あれからかなりの時間が経っている。自分から何も報告しないので、さすがのはるかもしびれを切らしたのだろう。
「その……」
幸太郎が下を向いて答える。
「ごめんなさい、まだで……」
嘘をついた。
幸太郎には自分には憧れの人が、目の前で悲しむ姿など見ることはできなかった。
「そう……、じゃあ、しかたないな。ちゃんと聞いてよね~、約束なんだから!」
「え、ああ、はい……」
幸太郎は消え入りそうな声で返事をする。はるかが言う。
「斗真さんとはプライベートでもよく会うし、すごく優しくて、良くしてくれて……」
(違うんだ、はるかさん……)
うっとりしながら話すはるかを見て、幸太郎が内心思う。
「いい雰囲気までは行くんだけどなあ。なかなか、そうね……」
(斗真さんには既に彼女がいて、あなたは、あなたはただ、ただ、遊ば……)
そこで幸太郎が心の中の言葉を飲み込む。
「結構、私尽くしてるし、頑張ってるんだけどなあ。なかなか言ってもらえなくてね……」
(あなたにあの男は似合わない、似合わないんだ……、だから……)
幸太郎の頭の中で斗真と仲良く過ごす別の女の姿が浮かぶ。
「私なら大丈夫だよね? 幸太郎君」
そう言って幸太郎を覗き込むようにしてはるかが尋ねる。
――どうしてそんなことを俺に聞くんですか
「……はい」
幸太郎は涙を堪えながらまたひとつ小さな嘘をついた。
「ただいま」
アパートに帰った幸太郎がドアを開けると、すぐにその香りが鼻についた。
「おかえり、おにいちゃん!!」
すぐに聞こえる元気な妹の奈々の声。そして玄関に来て大きな声で言った。
「オムライス作ったよ!! さあ、食べて。どっちが美味しいか、教えて!!」
奈々は自慢のポニーテールを左右に大きく揺らしながら、自信満々の顔で言った。暗かった幸太郎の顔が一瞬で明るくなる。
「うん。よし、じゃあ、食べちゃうぞ!!!」
「さあ、早く食べて食べて!!」
幸太郎は元気な奈々を見て少しだけ心が救われた気持ちになった。その一方でどちらを選ぶにしろ、またひとつ嘘をつかなければならないとひとり苦笑した。
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