36.『可愛い』は養分。
幸太郎の忙しいGWはあっという間に過ぎて行った。
連休中、唯一の休みは沙羅と服の交換に出掛けたあの日だけ。それ以外は何かしらのバイトを入れ、アパートに帰ってからは夜遅くまで勉強をする毎日を過ごした。
しかし忙しかったGWを無事終え充実感に満ちる幸太郎とは対照的に、全く兄に構ってもらえなかった妹の奈々だけは休み明けもずっと不貞腐れていた。
「はい、ごはん」
(え?)
城崎家の夕食。幸太郎の前に白米と梅干が置かれる。幸太郎が奈々に尋ねる。
「ね、ねえ。奈々ちゃん。これはどういうことなのかな~?」
「……知らない」
奈々はそっぽを向いて母親とご飯を食べ始める。むろん彼女と母親の前にはそれ以外にも数品のおかずが置かれている。母親が言う。
「奈々。お兄ちゃんにそんな意地悪しないの」
「別にしてないよ。お兄ちゃん、毎日お出掛けして、きっと美味しいもの食べて来たんだからしばらくはこれで十分なの」
ぷいと顔を背けてご飯を食べる奈々。母親が幸太郎に小さな声で言う。
「この子、連休中全然相手して貰えなかったんで拗ねてるのよ。幸太郎が悪いんじゃないから」
「あ、ああ。そう言うことか」
そうは言ってもこれからずっと白米と梅干だけでは体がもたない。バイトとは言えお金を貰う仕事。睡眠や休息と共に、しっかりと食べることは重要である。幸太郎が言う。
「なあ、奈々」
「……」
返事がない。トレードマークのポニーテールがピクリとも動かない。
「じゃあ、今度、一緒に美味しいものでも食べに行くか?」
奈々の箸が止まる。
「お兄ちゃんとふたりで行きたい」
「おい、それじゃあ母さんが……」
それを聞いた母親が言う。
「いいわよ、ふたりで行ってきなさい。母さんはパートで忙しいから」
「え、でも、母さん……」
「いいってば」
その横でポニーテールを左右に揺らしながら小さくガッツポーズをとる奈々。幸太郎が尋ねる。
「で、何食べたいんだ?」
「ステーキ」
「はあ!?」
今度は幸太郎の箸が止まる。奈々が言う。
「だって、お兄ちゃん、『女の子と会うだけの高額バイト』してるんでしょ? 会って話すだけでお金貰えるやつ」
「お、おい、なんか刺のある言い方だな……」
奈々が不満そうな顔で言う。
「だってそうでしょ? そんな得体の知れないバイトして、たくさんお金貰って、だから奈々がそれを使ってあげるの」
隣で苦笑する母親。幸太郎は白旗を上げるように言う。
「分かったよ。その代わり安いとこだぞ」
「うん、いいよ!! あとね……」
奈々が不気味な笑みを浮かべる。本能的に危険だと感じる幸太郎。
「あとね、毎日必ず奈々に『可愛いよ』って言って」
「はああ!?」
意味が分からない幸太郎。奈々が言う。
「だって、女の子は毎日誰かに可愛いって言って貰うと本当に可愛くなるんだから。女の子にとって『可愛い』は養分。生きるために必要なの!」
「だ、だからって兄貴に言わせるか、普通?」
「だって誰も言ってくれないんだもん!!」
「だったら自分でスマホに録音でもして毎日聞けばいいじゃんか」
「嫌だよ、そんなの!!」
顔を膨らませて怒る奈々に母親が言う。
「奈々、あんまりお兄ちゃんを困らせるんじゃないの」
「だって……」
「幸太郎、あなたもひと言ぐらい言ってあげたらいいじゃない。女にとってはとても大切なのよ、そういう言葉は」
「そ、そうなのか……?」
眉間に皺を寄せて腕を組む幸太郎。
それを見た奈々がすすっと隣にやって来て言う。
「さあ、さあ。早く言って、お兄ちゃん!」
難しい顔をする幸太郎を下から覗き込むようにして奈々が言う。観念した幸太郎が小さな声で言う。
「仕方ない、分かったよ。……お前は可愛い俺の妹、これでいいのか?」
それを聞いた奈々が目を閉じて答える。
「もっと」
「もう十分だろ!」
奈々が目を開けて幸太郎に言う。
「え~っと、明日のお兄ちゃんの夕飯は、ごはんと梅干と……、あとは何かあったかな~?」
(く~、食事を掴まれている以上、勝ち目はないか……)
「な、奈々……」
「何? お兄ちゃん」
「か、か、可愛いよ」
「え? 何、聞こえな~い!」
「可愛いぞ、奈々!!」
見かねた母親が言う。
「奈々、もうそのくらいにしなさい」
「はーい!! 養分補充完了!!! はい!!」
奈々はそう言って自分達の前にあったおかずを幸太郎の方へと移動させる。そしてポニーテールを大きく揺らしながら言った。
「ステーキデートの日程は、奈々に任せてね。あ、あと、お兄ちゃんの空いている日も教えてね」
静かになる幸太郎をよそに、奈々はひとり嬉しそうに夕食を食べ始めた。
「うん、いいね。胡桃ちゃん、来週からの中間試験、これならもう大丈夫だね」
連休明け、咲乃胡桃の家へ家庭教師に行った幸太郎が、次々と問題を解いていく胡桃の姿を見て言った。
「はい、先生にいっぱい教えて貰ったんで大丈夫です!」
圧倒的に可愛い声。笑顔の胡桃が幸太郎に答える。
「そんなことはないよ。連休中、相当頑張ったんでしょ?」
胡桃が頷きながら答える。
「はい! どんなデートコースが良いのか、お昼はどこがいいのか、効率よく周りにはどうしたらいいのか相当頑張って考えました!!」
「へ? 何の話?」
笑顔で話す胡桃を見て幸太郎が尋ねる。
「なんのって、デートですよ。デート」
(デート!? あ、学年50位に入ったら行くって言ってたやつ……)
幸太郎は中間試験で学年50位に胡桃が入ったらデートをするって言う約束を思い出す。
「そ、そう言えば、そうだったね……、胡桃ちゃん、50位は行けそう?」
胡桃が幸太郎の顔見て拳を握って言う。
「行けそうじゃなくて、行くんです!!」
「そ、そうだね。確かにその通り……」
なぜか自信にあふれる胡桃を見て幸太郎が言う。
「でも、胡桃ちゃん、可愛いから俺なんかとデートしなくても、学校でよく声かけられるんじゃないの?」
それを聞いた胡桃の動きが一瞬止まる。
「先生。今何と言いました?」
「え? いや、よく声かけられるんじゃないって……」
「違います! その前っ」
思い出せない幸太郎。胡桃が幸太郎の手を握って言う。
「胡桃のこと、可愛いって言いましたね?」
「え、あ、ああ、言ったかな……」
幸太郎の背中に汗が流れる。胡桃が言う。
「先生、お願いです!! その言葉、ここに来るたび言って貰えませんか?」
「く、胡桃ちゃん、何を言って……」
「女の子にとってその言葉は養分なんです!! だから毎日でも言って貰って……」
またか、と幸太郎は顔を青くして思った。
そして中間試験が終わり、胡桃は見事宣言通りに学年50位以内を勝ち取った。
お読み頂きありがとうございます。
続きが気になると思って頂けましたら、ブックマークや評価をぜひお願いします。
評価はこのページの下側にある【☆☆☆☆☆】をタップすればできますm(__)m




