32.優しくあざとい胡桃ちゃん
あっと言う間にGWに入ってしまった。
木々の新緑も美しく、この頃になると体感的にも暑いと感じる日すらある。
皆が楽しみにするGWだが、休み中の幸太郎のスケジュールは変わらずバイトでぎっしりと埋まっている。今日はそのバイトのひとつ、咲乃胡桃の家庭教師の日だ。
午前中は連休明けにある中間試験の勉強を自宅で行い、夕方になって胡桃の家へ向かう為に電車に乗る。
電車に揺られながら幸太郎がため息をつく。頑張れなきゃいけない勉強も、今日の胡桃の家庭教師のバイトもまだ気持ちが入らない。目を閉じれば斗真やはるかの顔が浮かんでくる。
(俺には関係ない話。いい加減割り切らなきゃ……)
幸太郎は駅を降りると大きく息を吐いてから胡桃の家へと向かった。
「いらっしゃい、城崎さん」
「こんにちは。お邪魔します」
胡桃の母親はいつも通り幸太郎を笑顔で迎えてくれる。胡桃に似た綺麗な母親。その母が尋ねる。
「最近胡桃はどうですか?」
幸太郎も笑顔で答える。
「とても頑張ってますよ」
「そうですよね。成績も随分良くなって主人も喜んでいますし、胡桃も城崎さんが来るのをとても楽しみにしてますよ」
「そうですか。それは良かったです」
「あ、先生いらっしゃーい!」
幸太郎が玄関で母や親と話していると、話し声が聞こえたのか胡桃が二階から降りて来て可愛い声で言った。
「こんにちは。胡桃ちゃん」
「さー、先生。勉強しよー!!」
そう言って胡桃は幸太郎の腕を掴んで二階へと連れて行く。
「頑張ってね、胡桃!」
ふたりで二階へ行く胡桃に、母親が片手でガッツポーズのような仕草をする。胡桃は横目でそれを見て小さくガッツポーズをして返した。
「胡桃ちゃん、頑張ってるね」
勉強を始めた幸太郎がすぐにその変化に気付く。予習復習を含め、これまで苦手であまり積極的でなかった教科もしっかりと勉強している。
「……胡桃ちゃん?」
声をかけた幸太郎が再度胡桃の名を口にする。返事がない。胡桃がシャープを机の上に置いて幸太郎に言う。
「先生、何かあったんですか?」
「え?」
驚く幸太郎。
「何かって?」
「いつもと違うんです。何と言うか落ち込んでいると言うか……」
(気付かれちゃったのか!? 分からないようにしていたのに……)
幸太郎は胡桃、いや女の子の勘ってのがいかに鋭いかと思い知らされる。
「何でもないよ。変わらないよ」
「うそ」
「胡桃ちゃん。さ、勉強しよ」
「いや。だって先生全然集中していないし、それに心ここにあらずって感じだもん」
(マジか……)
幸太郎は慌てて両手で頬を軽く叩く。そして観念したのか胡桃言った。
「ごめん。ちょっとバイトで辛いことがあって……、態度には出さないように気を付けていたんだけど、分かっちゃったみたいだね……」
「分かりますよ。様子が変だし、それに」
胡桃はそう言って引き出しの中から小さな手鏡を取り出し、幸太郎の顔の前に出す。
「目、真っ赤ですよ」
「え?」
胡桃が持った手鏡に映る自分の顔を見た幸太郎が驚く。そこには目を赤くして驚く自分がいる。胡桃はすっと椅子から立ち上がり、驚く幸太郎の頭を優しく抱きしめる。
「えっ、く、胡桃ちゃん!?」
胡桃の甘い香りがする大きな胸に幸太郎の顔が埋まる。焦る幸太郎の頭を優しく撫でながら胡桃が言う。
「辛いことがあったんですね。その辛いこと、私にも分けてください。だから先生、元気出して」
「胡桃ちゃん……」
幸太郎は恥ずかしさと、嬉しさと、何やら自分では処理しきれない感情に包まれ体の力が抜ける。胡桃が優しく幸太郎の頭を撫でる。
(誰かに頭を撫でられるなんていつぶりだろう……、こんなことされたら……)
幸太郎はゆっくり頭を上げると、自分を撫でてくれていた胡桃の手を取り机の上に置く。
「ありがとう、胡桃ちゃん。でも胡桃ちゃんは俺の生徒。こんなことを……」
「私は生徒である前に、ひとりの人間。ひとりの女です」
「うん、そうだね。さ、俺はもう大丈夫。勉強しようか」
幸太郎はそう言って胡桃を椅子に座らせ参考書を開く。胡桃はちょっと不満そうな顔をしたが、すぐに座ってシャープを握る。
「ねえ、先生」
「なに?」
胡桃が幸太郎の顔を見て笑顔で言う。
「次の試験で50位以内に入ったら私とデートして、何でも言うことを聞いてくれるって約束なんだけど……」
(ん? 微妙に話が違っているような気が……)
少し首をひねる幸太郎に胡桃が言う。
「私、絶対に入って見せますから! それで先生をいっぱい元気にしてあげますから!!」
「胡桃ちゃん……」
幸太郎はそんなことを言ってくれる胡桃を見て嬉しくなった。勉強ぐらいしか人の役に立たない自分にここまで言ってくれる。幸太郎はその気持ちが素直に嬉しかった。
(そして、私もデートして元気貰っちゃいますからね!!)
胡桃は参考書を見つめながらひとりクスッと笑った。
GWも中盤に入った5月1日。
幸太郎は沙羅との約束の為に、待ち合わせである駅前へ急いでいた。
(よし、今日は約束の30分前に着きそうだ。これならさすがに沙羅もまだ……、え?)
約束の駅前の案内板の横、そこには遠くからでもお嬢様オーラを放って立つ沙羅の姿が見える。幸太郎がスマホを見る。
(マジかよ!! 約束までまだこんなに時間あるぞ……)
幸太郎はなぜか敗北感にも似た気持ちを感じながら沙羅の元へと歩いて行く。
「よお、待った?」
沙羅がちらりと幸太郎を見て言う。
「あなた、また女の子を待たせたのね。それでも男なの?」
「いや、ちょっと。その、ごめん……」
別に悪くもないのだが、そう言われると謝ってしまう幸太郎。そして沙羅を見る。
(めっちゃ可愛いぞ……)
短めのスカートが可愛い真っ白なロリータ系ワンピースに、ベージュのカーディガン。手にはワンピースと同じ真っ白な小さなバックを持ち、鞄はガーディガンに合わせたベージュの革靴。
色の白い沙羅が着ると、まさにこの地に舞い降りた天使の様にすら見える。
(お昼、ラーメンとかカレーは無理だな……)
貧乏性の幸太郎。まずは女の子の服を褒めるべきなのだが、その服を見て汚したら大変だとつまらぬ心配をする。
じっと自分を見つめる幸太郎に沙羅が何か言い掛けようとして言葉を飲み込む。すぐに持っていた紙袋を渡して言う。
「はい、これ持って」
「あ、ああ……」
恐らく今日交換予定の幸太郎のサイズ違いの服。幸太郎がそれを受け取ると沙羅はくるりと背を向けて歩き出す。
「さあ、行くわよ。電車の乗り換えが必要だから」
「あ、ああ。分かった」
幸太郎が先に歩き出す沙羅の後を追う。
(わ、私、あいつに何か言って貰うのを期待してたの……?)
沙羅は前を向きながら赤くなった顔を隠すように速足で歩き出した。
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