25.沙羅ちゃんは雷が嫌いのようです。
空には厚く真っ黒な雲が一面を覆っている。今にも雨が降り出しそうな空模様。少し遠くからは雷のような音も聞こえる。
「明日の土曜、時間ある? デートしよ」
そんな曇天の金曜の夕方、雪平家に『バイ友』にやって来た幸太郎に沙羅の姉である栞が笑顔で言った。
「し、栞さん!? それってどういう……」
「どういうってデートよ、デート」
真剣に言ってるのだろうか、幸太郎は玄関に現れた目の前の女性をまじまじと見つめる。栞が言う。
「えー、なに? 幸太郎君、デート知らないの?」
「い、いいえ、知ってますけど……」
「じゃ、しよ」
「……」
無言になる幸太郎。勉強オタクで陰キャのような幸太郎には無論デートの経験はない。先の沙羅との買い物が一番それに近いぐらいだ。
悩む幸太郎。しかし栞の次の言葉を聞いて否が応でもデートをせざるを得なくなった。
「試練って言ったら来てくれるのかな〜」
「え!?」
勝ち誇ったような顔になる栞。『バイ友』正式契約を勝ち取りたい幸太郎にもはや選択肢はない。すぐに翌日土曜日のスケジュールを思い出す。
(明日はファミレスのバイトは午前中だけ。午後からは家で試験勉強の予定だったけど……)
ここで栞の試練に合格しなければ『バイ友』を続けていくことは不可能になる。父親と沙羅、そしてこの目の前の姉の栞から認めて貰って初めて『バイ友』が本契約となる。
「わ、分かりました。土曜の午前はバイトに行くので、午後からでいいですか?」
「オッケー!! じゃあ、お昼過ぎに家に迎えに行くね!」
「え? 家!?」
幸太郎が驚く。それを見た栞がすぐに言う。
「住所、知ってるよ。パパに履歴書見せて貰ったんで」
「ああ……」
幸太郎はその意味を理解する。栞は幸太郎の肩を叩くと耳元で言った。
「じゃあ、楽しみにしてる。私を満足させてね。ふうっ」
「ひゃ!?」
そう言って栞は最後に幸太郎の耳に息を吹きかけて、手を振りながら自分の部屋へと戻って行った。
(俺、栞さん、本当に苦手……、陽キャのあのテンションにはついていけない……)
幸太郎は明日のことを思うとそれだけで自然とため息が口から漏れる。それでも何がなんでも栞を攻略しなければならないと改めて思い直した。
コンコン
沙羅の部屋に来てノックをする。
返事がない。いつかこのノックに返事がされる日が来るのだろうか。
幸太郎が少しドアを開けて中にいるだろう沙羅に声をかける。
「おーい、友達の幸太郎さんが来たぞー。入るぞー」
「……」
無言。やはり返事がない。
時間は過ぎているのでゆっくりと部屋へと足を踏み入れる。
(あれ?)
幸太郎は部屋に入っていつもと少し違う感覚に気付いた。
(窓が閉まってる? カーテンがあるから分からないけど……)
そしてその最も違う点に気付き体が固まる。
(え? 沙羅……?)
沙羅はいつもの定位置である机の椅子ではなく、部屋に置かれた大きなベッドの上で布団に頭から包っている。驚いた幸太郎が思わず声をかける。
「さ、沙羅。どうしたんだ!?」
様子がおかしい沙羅に幸太郎が尋ねる。ようやく幸太郎が部屋に居ることに気付いた沙羅が、布団の間から顔だけ出して幸太郎をじっと睨む。
「あ、わ、悪かった。ごめん!」
叱られると思った幸太郎が、すぐに定位置の四角い赤のビニールテープの中へと入る。
「……」
しばらくの沈黙。
外からは本格的に降り始めた雨と、雷の音が聞こえる。
(あれ、いつもならここで冷たい言葉のひとつでもあるんだけどな?)
幸太郎がそう思っていると、窓の外に大きな雷の音が鳴り響いた。
ドン、ドドドオオオオン!!!
「きゃあ!!!」
それと同時に布団の中に潜り込む沙羅。その瞬間、幸太郎は理解した。
(あ、雷が怖いんだ)
雨だから当然だがしっかりと閉じられた窓。そして外が見えなくなるような分厚いカーテン。いつもは冷たくあしらう自分にも、今日ばかりはまるで助けを求めているような目でこちらを見て来る。
「なあ、沙羅。もしかして雷が怖いのか?」
「……」
無言。
見事に言い当てられて恥ずかしいのか悔しいのか、それは分からないが沙羅が雷が嫌いだということは間違いないようだ。
ゴロゴロ、ドオオオオン!!!
「きゃあああ!!!」
再び大きな音が鳴り響くと我慢できなくなったのか、沙羅が布団の中から出て来て一直線に幸太郎の方へ走って来た。
(え、え、ええええ!?)
そして躊躇うことなく幸太郎に飛びつき抱き着いた。びっくりした幸太郎が沙羅に言う。
「お、おい、どうしたんだ!? やっぱり雷が怖いんか!?」
そして幸太郎は気付いた。
自分にしがみつき小さくなって震えている彼女を。
(本当に怖いんだ。こんなに震えて……)
恐怖のせいか体も冷たい。そのくせ手は汗でべっしょり。驚きつつも幸太郎は優しく沙羅を抱きしめた。
「大丈夫。ここに居れば安全だよ」
雷は室内、ましてや雪平家の豪邸ならばまず危険はない。
そんなことは分かっているのだが、雷嫌いの人間にはあの大きな音が聞こえるだけで恐怖を感じるのだろう。
(名前じゃないけど、サラサラの髪だな……)
幸太郎は沙羅を抱きしめながらその艶と気品のある黒髪に触れて思った。
(それにいい香り。女の子の香りだ。胡桃ちゃんとはまた違った、甘い香り……)
ゴロゴロ、ドオオン!!
「きゃ!!」
雷の音に反応して沙羅が更に強く幸太郎を抱きしめる。
(沙羅って、いつもあんなにツンツンしてるのに、体はやっぱり女の子。すっごく柔らかいなあ~)
雷に怯えている女の子。悪いと思いながらもそれはやはり男子高校生。このシチュエーションで100%紳士ではいられない。
ドオオン!!!
「きゃああ!!」
雷が鳴るたびに強く抱きしめられる幸太郎。不謹慎ながらも『もっと鳴れ』と思ってしまう。
「もう、大丈夫かな」
結局30分以上、沙羅を抱きしめていた幸太郎。ようやく雷が落ち着いて来たので、腕の中にいる沙羅にそっと声をかける。
「大丈夫だよ、沙羅……、え?」
よく見ると沙羅の目は真っ赤になって涙ぐんでいる。
(ほ、本当に怖かったんだな……)
少しいかがわしいことを考えていた幸太郎が反省をする。
「あ、ありがと……」
沙羅は素直にお礼を言った。
「あ、いや。別にいいんだけど……」
正直体に触れたことを叱られると思っていた幸太郎は、素直にお礼を言う彼女に思わず戸惑ってしまった。
雷の音は聞こえなくなったが、沙羅が恐る恐る窓の方に近付いてカーテンを開けると雨はまだ強く降っていた。沙羅はそのまま近くにあったベッドに腰かける。幸太郎も四角テープに置かれた椅子に座って沙羅に言った。
「すごい雷だったな」
「うん」
「あれなら誰でも怖い」
「うん……」
沙羅はまだベッドに座ったままどこか一点をぼうっと見つめている。そして話し始めた。
「昔ね、子供の頃、ずっとこの部屋でひとりでいて、雷が鳴っても誰も来てくれなくて、布団に入ってね、ひとり泣いていたの……」
黙って聞く幸太郎。
「雷は怖いものって、生まれたてのヒナの様にすりこまれちゃって。今もダメなんだ、雷が……」
「うん」
「みっともない?」
「全然」
「うそ」
「噓じゃないよ。誰にだって怖いものはある」
「あなたにもあるの? 怖いもの」
幸太郎は少し考えてから答える。
「あるよ」
「なに?」
「人を裏切ること」
「どういう意味?」
「俺が誰かを裏切って悲しませること。それが嫌で怖い」
「良く分からないわ」
「つまり、俺はお前の友達で、何があっても裏切って悲しませたくない」
「お金の関係でしょ?」
「きっかけはな。でも、今はもう友達だと思ってる」
「私が雷で怖いとき、来てくれるの?」
「ああ、連絡くれ」
「あなた、雷は怖くはないの?」
「怖いさ、でも沙羅より耐性はある」
「何それ」
「それだけのこと」
いつの間にか沙羅の顔に笑顔が戻っている。それを見た幸太郎は少しだけ安心した。
「そうだわ」
ベッドに座っていた沙羅が立ち上がり、部屋の棚に入っていた紙袋を持って幸太郎の方へやって来た。そして幸太郎に差し出し沙羅が言う。
「はい、これ」
「え、なに?」
「開けてみて」
まさか、と思いながら差し出された紙袋を受け取り中を見る。
「え!! また!?」
中にはブランド物の真新しい洋服やズボンが丁寧にたたまれて入っていた。沙羅が少し恥ずかしそうに言う。
「この間池に落ちたでしょ。あの時の服、同じじゃないけど貰って」
「い、いいのに!! こんな高い服、貰えないよ!!」
「いいの。貰って。あれはやっぱり私が悪かった」
なぜか今日は素直な沙羅。よほど雷が怖かったのかと幸太郎は思う。
「これが雪平家なの。貰って」
沙羅の頑固さは幸太郎も十分理解していた。沙羅に頭を下げて礼を言う。
「分かった。貰うよ。ありがとう」
「ええ、良かったわ。早速着てみて」
「は? 今?」
不思議そうな顔をする幸太郎に沙羅が言う。
「そうよ、サイズが合わなかったら交換しなきゃ」
「わ、分かった」
そう言うと幸太郎は上着を脱ぎ、Tシャツの上から貰ったばかりの長袖シャツを着る。
「あ、小さいかも……」
「うそ? 本当だ!! すぐに交換しなきゃ。ネットで買ったけど、交換は実店舗でしてくれるの。……ねえ」
「なに?」
「明日の土曜日、ちょっと付き合ってくれる? あなたと行かなきゃサイズが分からないの」
幸太郎は明日の土曜日、沙羅の姉との先約があることを思い出した。
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