10.胡桃の新計画
「なあ、咲乃……」
咲乃胡桃は学校の放課後、家に帰ろうとして後ろから声をかけられた。ややウェーブの掛かったナチュラルボブと、短めの制服のスカートが良く似合う胡桃。
彼女が呼ばれて振り返るとそこに大人しそうな同級生が立っている。
「谷君?」
谷雄一。
胡桃と同じ高校に通う同級生で、昨年まで同じクラスだった男。大人しく真面目なタイプだが、少し暗い一面もある。そして彼は幸太郎の前の『バイ友』であり、胡桃にそのバイトを教えたのも彼である。
「いや、あのさ。あれ、どうなったかなって思って」
「あれ?」
意味が分からない胡桃。雄一が言う。
「『バイ友』だよ。前に紹介したろ?」
「ああ、あれね」
胡桃は頷いて答える。谷が言う。
「その、紹介してみるって言ってた先生だったか? どうなったかなって思って」
「紹介したわ。私の家庭教師の先生。それがどうかしたの?」
谷が少しばつが悪そうに言う。
「いや、もしよければその先生の連絡先を教えて貰えないかな」
「はあ? なんで?」
胡桃の顔が少し曇る。雄一が言う。
「やっぱり色々心配でさ。あ、連絡先は教えてくれなくてもいいよ。これ、俺のSNSのアドレス。その先生に渡してくれないかな。できれば連絡欲しいって」
胡桃は一応その紙きれを受け取る。
「連絡できるか分からないよ」
「ああ、それでいい。サンキュ!」
そう言うと谷雄一は軽く手を上げて胡桃の前から去って行った。
「『バイ友』か……」
胡桃自身、幸太郎にこのバイトを紹介したのは彼の為を思えば良かったと思っている。短時間で高収入。幸太郎の喜ぶ顔を見るのは胡桃にとっても嬉しいこと。
(だけどなあ……)
胡桃は幸太郎が話していた『可愛いかったよ』と言う言葉が頭から離れない。
相手の女の子、高校一年と言うことなので自分と同い年。容姿ならそれなりに自信のあった胡桃だが、幸太郎に『可愛い』なんて言われたことはない。
「なんか、面白くな~い。どうしようかな、これ?」
胡桃は雄一から渡された彼のアドレスの書いたメモを持って少し悩んだ。
「胡桃ちゃん、聞いてる?」
月曜の夕方、家庭教師の為に咲乃胡桃の部屋へやって来た幸太郎がぼうっとする胡桃に言った。月、木の夕方、幸太郎に会えるこの時間が楽しみでなかった胡桃だが、前回幸太郎から聞いた『可愛かった』と言う言葉がやはり頭から離れずずっともやもやしたままだ。
「ここの問題はね、公式を使って……」
胡桃の隣に座って説明を聞いていると、まるで耳元で愛をささやかれているような気分になる胡桃。幸太郎の吐息が耳元の髪に当たり、体が痺れるような感覚になる。
そんな胡桃の目に机の上に置かれた幸太郎の指が映る。
(手荒れが酷い……)
指先があかぎれによってひび割れしまい見ているだけで痛々しい。胡桃は幸太郎の手に自分の手を乗せる。
「え? く、胡桃ちゃん!?」
胡桃がその手を包み込むようにして言った。
「酷いあかぎれ。やっぱりファミレス、ですか?」
胡桃は冬の時期に洗い物をずっとしていて荒れ放題の幸太郎の指を知っている。手を握られ驚いた幸太郎が答える。
「うん、洗いものが多くてね。これでもちょっと暖かくなってきたから随分良くなったんだよ」
そう言って自分で荒れた指を触る。胡桃が思う。
(大変なファミレスのバイトより、もっと家庭教師のようなバイトが先生には合ってる。何でそんなにファミレスを続けるのか知らないけど、『バイ友』みたいな仕事が増えれば先生の負担も減るよね、きっと!!)
「先生……」
胡桃が小さな声で幸太郎を呼ぶ。
「なに?」
幸太郎が胡桃を横目で見る。
「先生の前に『バイ友』をやっていたって言う友達、このバイトを紹介してくれた友達がね、先生と連絡とりたいって言うの」
「俺と?」
「うん。理由は分からないんだけど、どうしよう。連絡先はここにあるけど……」
そう言って胡桃は雄一に渡された紙きれをカバンの中から取り出す。幸太郎はその紙きれを見て思う。
(何だろう? 俺と話がしたいって? アドバイスでもしてくれるのかな? じゃなきゃリスクはあるが、しかし……)
「一応貰っておくね。何か有益な情報を教えて貰えるかもしれない」
「はい……」
胡桃はそう小さく言うと幸太郎に紙きれを渡した。
(やっぱり面白くない……)
自らあの『バイ友』の女を手助けることになるかもしれない行為。本当は幸太郎の全てを知りたい。学校だって光陽高校なんて超進学校でなければ転入して一緒に行きたいぐらい。幸太郎と同じ部活なんてやって『先輩!!』って呼んで可愛がってもらいたい。
(『可愛い』……)
胡桃は再び勉強を教え始めた幸太郎の横顔を見て言う。
「ねえ、先生……」
「ん? なに?」
「私って、可愛いですか?」
「は?」
こちらを見つめる胡桃を見つめ返す拓也。
唐突の質問。先生と呼ばれてはいるが、ひとつ下の女の子。そう言われてどきどきしないはずがない。しかも決して口にはしないが胡桃は相当可愛い。
「な、なんだよ、急に……」
胡桃は真剣な顔で言う。
「だって、その『バイ友』の女の子に可愛いとか言って、私だって先生からそう言うこと言って貰いたいし……」
そう言ってぷっと頬を膨らます胡桃。焦る幸太郎。
(は? 俺がいつ沙羅に『可愛い』なんて言ったんだ? と言うか何でそんな訳の分からないことを胡桃は知ってるんだ?)
「ねえ、先生……」
胡桃が頬を少し赤く染め、幸太郎を見つめる。
(うっ、か、可愛い……)
先生という立場なのでそう言った感情は持たないようにしていたのだが、幸太郎もまだ高校二年生。目の前で可愛い女の子に頬を赤く染めてそんなことを言われたら自分を抑えるのは難しい。
元々、家庭教師のバイトは完全な個人でやっているので恋愛禁止とか言うルールもない。抑えていたのは自主規制。ぶっちゃけ彼女と付き合ったって問題ない。
「先生ぇ……」
そう言って座りながら少しだけ幸太郎に体を寄せる胡桃。幸太郎が言う。
「可愛いよ」
「え?」
胡桃の顔がパッと明るくなる。
「胡桃ちゃんは俺の可愛い生徒」
「え? あ、はあ……」
ちょっと意味は違ったかもしれないが、幸太郎から『可愛い』と言う言葉が聞くことができ胸がキュンとなる胡桃。笑顔で言う。
「まあ、いいわ。許してあげる」
「え、あ、ああ、ありがとう……」
幸太郎は一体何について許されたのかよく分からないまま返事をした。その瞬間、胡桃がある事を思いつく。
(あ、そうだ!! 私も先生のファミレスでバイトすればいいんじゃん!!)
胡桃は今まで気付かなかった幸太郎との新たな接触方法に興奮する。
それなりに裕福な家の胡桃。バイトなどしなくてもお小遣いだけで十分やりくりできるので働くという発想は思いつかなかった。
(そうだ、そうだ。うん、そうしよう!!)
「よーし、頑張るぞ!!」
胡桃は両こぶしを握り軽く上にあげて言う。
「おお、いいねえ。頑張ろう、勉強!!」
幸太郎も喜んでそれを見つめる。
胡桃はすぐに以前聞いた幸太郎が働いているファミレスの場所を頭に思い浮かべた。
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