第171話 消えた五時間 ◆――多視点
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◇ 聖獣・ショコラ ◇
◆――PM 19:44
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あ~冬って寒くてほんと嫌ね~~~。肉球が冷えちゃうわぁ~!
庭の茂みでトイレをすませたあたいは、王宮の廊下をてちてちと歩いていた。
大理石の廊下にはちゃんと絨毯が敷いてあるんだけど、外に繋がる窓枠はそうもいかないのよね。窓枠を踏むのが一瞬とはいえ、寒いものはやっぱり寒いじゃない? もういっそ、おちびに靴下でも用意してもらおうかしら。
あたいがそんなことを思いながら歩いている時だった。
ふいに、あたいのひげがピンと震えたの。
「!」
すぐにあたいは顔を上げた。
……なんなのこの感覚。
確かめるようにふんふん、と鼻を動かしてみると、冷たい夜気に混じって、嗅いだことのない匂いがしてくる。
なに? これ。
なんだろうこのまとわりつくような重い匂い。
食べ物でも生き物の匂いでもない。
そして、植物の匂いでもない。
あたいはなおもふんふんと鼻を動かしてその正体を探した。
それは金属のように冷たくて、鼻の奥を差してくる。それでいながら……油? のような匂いもする。まるで蝋燭を、うんと煮詰めたようよ。
それにこれ、前にも嗅いだことがある気がするのよね。どこで嗅いだんだっけなぁ……。
……。
…………。
……ああ、思い出した!
あたいがまだ、魔界にいた頃だったっけ!?
リッチーっていう、アンデッドになった元魔法使いの魔物がいるんだけど、そいつが魔法を使う時に生じる匂いだわ! あれにそっくりなのよ!
………………ってことは誰かが闇魔法使ってるの!?
あたいは仰天した。
ちょっとちょっとちょっと!!!
闇魔法って、確かこの国で禁忌扱いだったわよね!? 使っているだけで重罪ってやつ!
なのに、王妃の出産真っ最中になんてことが起きてんのよ!
それからあたいはハッとした。
……待って、おちびはどこ?
そう考えた瞬間、ゾワゾワっと背中に悪寒が走る。あたいの尻尾が、ブワッ! と膨らんだ。
「おちび!」
次の瞬間、あたいの体は巨大な獅子に戻っていた。
後ろ足にグッと力を込めて、勢いよく床を蹴り上げる。
よくない、よくない、よくない!
この感じ、すっごくよくない!!!
城の人間たちが驚くのも構わずに獅子の全速力で駆けると、一瞬で前聖女がいる部屋にたどり着いた。
前足でバン! と扉を開けると、中にいた前聖女が驚いた顔であたいを見る。
「まぁ……!? その姿はもしかして、ショコラなの……!?」
でも今は質問に答えている時間はない!
あたいは急いで室内に視線を走らせた。
けれどそこにおちびの姿はない。
……いない!
あたいはすぐさまスンスンと鼻を動かして、おちびの匂いを辿った。
ミルクのような甘いおちびの匂いに、いつも髪を洗う時に使う花石鹸の匂い。
こっちね!
あたいはくるりと踵を返した。
「待って! 何が起きたの!?」
後ろから前聖女の声が聞こえたけど、悠長に応えている時間はないわ! あたいはまた一目散に駆け出した。
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◇ 国王・ユーリ ◇
◆――PM20:05
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「……アイが、いなくなったと……!?」
サクラ太后陛下に呼び出された私は、言葉を失っていた。
目の前には、顔面蒼白になったサクラ太后陛下が座っている。太后陛下は座っているのがやっと、と言えるほど震えていて、いつ倒れてもおかしくないほどだった。
「教えてください、一体何があったのですか!?」
エデリーンが破水したのが昨日の深夜。
そこからすべての仕事を止め、ただひたすら傍に付き添い続けた。
どうしても私の承認が必要なものは、エデリーンのそばで目を通した。
けれどそこへ、「すぐに私の部屋に来てください!」という、サクラ太后陛下が発せられる最重要の命令が私に飛んできたのだ。
エデリーンの陣痛の合間を縫い、不思議に思いながら部屋にやってきたところで聞かされたのが、「アイがいなくなった」という話だった。
「あの子がトイレに行きたいというから、行かせたのよ……。イブという名の侍女と、双子の騎士の三人で」
もちろんその三人は知っている。
三人ともアイとエデリーンによく尽くす者たちで、私とエデリーンが絶大な信頼を置いている者らだ。
「ところが、しばらくしたらアイちゃんたちではなく、巨大な獅子の姿をしたショコラがやってきたの」
巨大な獅子。確か、それがショコラの真の姿だ。
以前ローズ様の真なる姿――魔王アンフィメッタと戦った際に、アイビーの真の姿であるワイバーンに襲われた私を助けてくれたのがショコラだ。
「ショコラはひどく取り乱していたわ。私の声掛けにも反応せず、うろうろと何かを探し回ったかと思うと、また風のような速さで消えてしまった。だから私も心配になって、アイちゃんたちを探しに行ったの。そしたら――」
そう言ってサクラ太后陛下が見たのは、床に倒れたイブ、オリバー、ジェームズの三人だったという。
いったんこの部屋に運び込まれた三人は、まるで死んでいるかのように青白い顔をしてぴくりとも反応しない。念のため呼吸を確かめたが、息はしているようだった。
「でも三人の近くに、アイちゃんも、ショコラもいなかった……」
そこまで言って、サクラ太后陛下はまた大きく震えた。
今にも倒れてしまいそうなその姿に、私は思わず進み出て肩を支えていた。
「落ち着いてください。それはいつの話ですか?」
「え、ええと……はっきり見ていないのだけれど……三十分も経っていないと思うわ……」
「なら、まだそこまで遠くには行ってないはずだ。急ぎ、騎士たちを連れて追跡します」
「でもどこに……!? それに、エデリーンはどうする気なのですか! 彼女は今、出産中なのですよ!」
太后陛下の言葉に、私はギッと奥歯を噛みしめた。
……よりによって、今この瞬間のエデリーンを置いていかなければならないなんて……!
歯ぎしりしたくなるほど腹立たしく、悔しい。
だがそれ以上に、アイの命が大事だ。
たとえ自分の命を差し出してでも、私はあの子を守らなければいけない。
それはきっと、エデリーンもわかってくれるはずだと信じている。
「敵は闇魔法使い。ならば、闇魔法の痕跡が残っているはず。それを追跡できる者を使います」
人を呪い、そして人の心を操る闇魔法は、この国では禁忌とされている。
だが禁忌であると同時に、その対策法を知らなければいいように操られてしまう。そのため、王宮には密かに少数の闇魔法使いたちが匿われてひっそりと生活しているのだ。
彼らを借り出し、アイを見つける。
救出に連れて行く騎士はごく少数だ。
それから……。
「太后陛下、このことはくれぐれもエデリーンには言わないでください」
「それは……!」
今エデリーンがこのことを知ったら、下手すると彼女の命が危ない。
「ホートリー大神官にも、他のすべての人にも。今回この件を知っているのは、私とあなただけですね?」
「え、えぇ……それはそうですが……!」
「責任はすべて私が負います。それに、今は誰が味方かわからない状況なのです。下手に騒ぎを大きくして、混乱を大きくしたくない。万が一エデリーンの耳に入ったら、それこそ彼女の命が危ないかもしれない」
「……」
そう言われて、太后陛下も同じことを心配したらしい。太后陛下の眉間にギュッと皺が寄る。
「……わかりました。ならばこの事実は、しばらく隠しておきましょう。エデリーンには、あなたが不在なことをできるだけ誤魔化してみますが、限度はあります。だから……」
サクラ太后陛下がキッと強い眼差しで私を見た。
「だから、エデリーンが子を産む前に、すべてを終わらせてアイちゃんを連れ帰ってください。……いいですね?」
「約束します」
私はうなずくと、すぐさま部屋を出た。
連れて行くメンバーはもう決まっている。ハロルド、それからリリアン、それから第三騎士団にいた時代から知り合いの、信頼できる騎士たち。
待っていてくれアイ。すぐに助ける。
私はギリ……と眉間に皺を寄せると、大股で歩き出した。
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◇ 聖女・アイ ◇
◆――PM20:30
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……。
…………。
……………………。
めのまえが、ぼんやりする。
きづけば、わたしはばしゃにのっていた。
がたごと、がたごと、ばしゃがゆれる。
どのくらい、すわっていたんだろう?
がたん、というおとがしてとまると、ばしゃのとびらがひらいた。
「――ようこそ聖女様、お待ちしておりました」
ひくい、おとこのひとのこえ。
だあれ? どこかできいたことがあるきがする……。
わたしはふらふらと、ばしゃからでた。
めのまえには、おおきなたてものがある。
りっぱな、おうち。だれの、おうち?
わたしにはなしかけてきたひとをみると、そのひとはしろいかめんをしていた。
でも、かめんをしていても、なんとなくみたことがあるきがするの……。どこで、みたんだっけ……よく……おもいだせないよ……。
「さぁ、どうぞこちらへ。聖女様のためのおもてなしのご用意をしております」
おもてなし……?
わたしを、おもてなししてくれるの……?
あれ……そもそもわたし、なんでここにきたんだっけ……?
あたまが、ぼんやりする……なんだかとてもねむい……。
たっていられなくて、わたしはたおれそうになった。
そんなわたしを、だれかがうけとめる。
「お疲れのようですね。でもご安心ください。ここでは好きなだけ、眠っていられますから――……」
そんなこえがきこえてくる。
……でも……アイは……いまねちゃだめなんだよ……。
だって……たすけてくれるっていうから、きたんだよ……。
……でも、だれを……たすけるんだっけ……?
まぶたがおもい。
だれかが、わたしをだきあげている。
ほんとうはやめてっていわなきゃいけないのに、もう、めをあけていられないよ……。






