第170話 もう、わたしをよぶこえしか、きこえなくなって ◆――アイ
「う……うぅ……」
寝ていたはずの私は、痛みで目が覚めた。
お腹が、ずくん、ずくん、と波打つような痛みを発している。
横になっているのがつらくなって、私は水を飲もうと体を起こした。
「……エデリーン?」
そこに聞こえてくるのは心配そうなユーリ様の声。
すぐさま彼が、私の足元に駆け寄ってくる。
「どうした。お腹が痛いのか?」
「そう……ですわね。でも大した痛みではありませんのよ。ただ喉が渇いて……」
「待っていろ。水ならすぐに持ってくる」
アイを起こさないよう、こそこそと小声でささやきあう。
やがてユーリ様が、水を入れたコップを持ってくる。
「ありがとうございますわ」
受け取って水を飲もうとした私は――次の瞬間、パシャン、という音を聞いた。
「え?」
それから、ビシャッと太ももの間を伝う水の感触。
「やだ、私こぼして……?」
最初は、持っていた水をこぼしたのかと思った。けれどそう思って見たコップの中には、渡された時と変わらないたっぷりの水が入っている。
それに、太ももを使う水は、なにやらなまあたたかい――……。
その意味を最初に理解したのは、ユーリ様の方だった。
「!!! エデリーン! 破水している!」
「えっ、え?」
破水?
破水ってあの破水?
赤ちゃんが生まれる時の……破水?
まだ、臨月じゃないのに?
咄嗟のことに理解が追い付かず、私が固まっている前でユーリ様がそばに寝ていたショコラに声をかけた。その声は、命令を出す王の声そのもので。
「ショコラ! 破水だ、大神官に伝えろ!」
「にゃっ、にゃあん!?」
寝ているところを叩き起こされたショコラははじめ目をしょぼしょぼさせていた。けれどすぐにユーリ様の言葉を理解したみたいで、転げるようにして部屋の中から飛び出していく。
その後ろにはユーリ様も続いていた。廊下に立つ双子騎士に向かって、ユーリ様が強い声で指示を出す。
「急いで医者を呼んでくるんだ! 全員叩き起こせ! エデリーンが破水した!」
それを、私はどこか遠くの出来事のように聞いていた。まだ、実感がなかったのよ。
「う……ん……。ママ、どうしたの……?」
目をこしこしとこすりながら、もそりとアイも起き上がる。
その時になってようやく私はハッとした。
ぼうっとしている場合じゃないわ! しっかりしなきゃ!
「大丈夫よ、アイ。どうやら……ママ、これから赤ちゃんが生まれるみたいなの」
まだ、臨月を迎えていない。
けれど、そう思っているそばから、ずくん! と今までとは比べ物にならないほどの痛みがお腹を襲う。
「ッ……!!!」
顔を歪めた私に気づいたアイが、青ざめた顔で近づいてくる。
「まっ、ママ、だいじょうぶ!?」
「大丈夫、よ……! 赤ちゃんを産む時は、とても強い痛みを感じるの……。でも大丈夫、みんな通る道だから……!」
……みんな通る道だからといって、それが安全というわけではない。もちろん、そのことは今のアイには言わないけれど……!
「ママ……きっと大きな声が出てびっくりするだろうから……! アイはその間、みんなと一緒にお部屋で待っててくれる……?」
ズクン、ズクンと、痛みがどんどん大きくなってくる。
け、結構痛い……! 最初の痛みはまだ準備運動みたいなもので、これから本番が来ると習ったのだけれど、現時点で結構痛いのね……!?
私の呼吸がふっふっと荒くなってきたのに気づいたのだろう。アイが緊張した顔でうなずいている。
「わ、わかった!」
きっと、アイなりに精一杯頑張ってくれているのだと思う。
「エデリーン、横になるんだ。今皆が来てくれるから!」
そこにユーリ様が戻ってきて、私をゆっくりと横たえてくれた。
「ありがとう、ございますわ……! どうか、アイをよろしくお願いします……!」
「大丈夫だ。サクラ太后陛下も呼んだ。すぐに来てくれる!」
「よかっ……た……!」
言っているそばから、ふっ! ふっ! と痛みに息が荒くなってくる。
そこから周囲がバタバタとし始めて、そしてお腹の痛みが強くなってきて、私はだんだんと思考力を失っていった。
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◇ 聖女・アイ ◇
◆――PM 19:32
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……ママ、だいじょうぶかなあ……。
わたしはおたんじょうびにもらったクマのぬいぐるみを、ぎゅうっとだきしめた。
あのひ、まよなかにママがくるしみはじめてから、もう、どれだけたったんだろう。
あかちゃん、すぐにうまれてくるのかとおもったら、ぜんぜんうまれなくて。
さいしょは、わたしもママにあえてたの。
いたいのがとまるときがあって、そのときのママはくるしそうだったけど、わたしにニコッてわらってくれてた。
でも、だんだんそのかいすうがへって。
そして、あさになっても、ひるになっても、またよるになってもうまれなくて。
そのあいだに、たくさんのひとが、ママのおへやにはいっていった。
それでもやっぱり、あかちゃんはうまれなくて。
「……ママ、だいじょうぶかなぁ……」
わたしがもういちどクマさんをぎゅってすると、ちかくにいたおばあちゃんがわたしのあたまをなでてくれた。
「大丈夫ですよ、アイ。どうやらエデリーンはなかなか難産のようですが……」
そういったおばあちゃんのかおが、いっしゅんしんけんなかおになる。
でも、すぐにわたしがじっとみているのにきづいて、おばあちゃんはにこっとわらった。
「ホートリーをはじめとした神官たちが、全力でエデリーンを支えていますからね。もしかすると少し長引くかもしれませんが、エデリーンも、そしてお腹の赤ちゃんもきっと大丈夫です」
わたしはコクンとうなずいた。
ほんとうは、とってもこわいけど……ママががんばっているのに、こんなこといっちゃだめだもんね……。
「アイちゃん、今日はばあばと一緒に寝ましょうか。もし寝ている時に生まれたら、すぐに知らせてあげますからね」
わたしはもういちど、コクンとうなずいた。
ほんとうは、パパといっしょにいたいんだけど……パパはずっとママにつきそってるから、それはできないの。
それもちょっとだけさみしくて、あとママがしんぱいでこわくて、わたしはげんきがでなかった。
そのとき、ぶるっとからだがふるえた。
あ、そういえば……。
「ねるまえに、おといれいってくる」
じゃないと、おねしょしちゃうかもだから……。
ほんとはショコラに、「いい? あたいがいない時は、お外に出ちゃだめだからね?」っていわれてるんだけど、といれくらいなら、いいよね?
だってショコラもいま、おといれにいっているんだもん。かえってくるのをまってたら、おといれ、しっぱいしちゃうかも。それは、やだもん。
わたしがたつと、おばあちゃんがあったかいうわぎをかけてくれた。
「廊下は寒いから、あたたかくしていきなさい」
ほかほかのうわぎは、だんろのまえであっためられていたみたい。そのあったかさに、ちょっとだけ、ほっとした。
「では行きましょうか、アイ様」
「うん」
やさしいイブが、わたしのてをひいてくれる。
アンとラナはいま、ママのそばでずっとおてつだいをしている。
ふたりはいつもニコニコしているのに、おひるごはんのあとにみたふたりは、とってもしんけんなかおをしていた。
それに、いつもわたしに「アイ様~!」ってえがおでこえをかけてくれるのに、そのときはとってもいそがしいみたいで、わたしのことに、きづいていなかったとおもう。
「大丈夫ですよ、アイ様」
イブがにこっとわらう。
「きっとすぐに元気なエデリーン様に会えますからね。もちろん、アンとラナにも」
「そうですよ!」
ふたごの、オリバーがいった。
「それまで、しっかり俺たちが守りますから!」
ふたごの、ジェームズもいった。
ママがあかちゃんをうんでいるあいだ、ふたりはわたしのそばで、ずっとまもってくれるんだって。
「うん……」
わたしはうなずいた。
それから、あるきながら、ぽけっとにはいっているものをぎゅっとにぎる。
――それは、ママにみせたくろいいしだった。
これをみつけたのは、おにわでさんぽしているとき。
あるいていたら、なにかが、ぴかっとひかってね。
なんだろう、とおもってひろってみたら、このくろいいしだった。
でもね、ふしぎなの。
このくろいいし、ひろったしゅんかんに、わたしにはわかったんだよ。
このくろいいしが、おまもりだって。
そう、いしがいったの。
だからわたしは、このいしにずぅーっとママをまもってくださいっておねがいしてる。
それに、ぎゅってすると、ちょっとこわいのがなくなるんだ。
だからあかちゃんうまれるまで、わたしはこのいしをずーっともってるつもりなんだよ。
……でもね、これはみんなにはないしょなの。
だって、いしがいったの。
このことを、ほかのひとにはなしちゃだめだよって。
ほかのひとにはなしたら、おまもりのちからがきえちゃうんだって。
……だから、このことはみんなにないしょ。
ショコラにも、ないしょなの。
わたしはイブたちといっしょに、おといれをすませた。
そのかえりみち――……。
『アイちゃん』
ふと、だれかによばれたきがした。
「だあれ?」
わたしがきょろきょろすると、イブがふしぎそうにわたしをみる。
「アイ様? どうかされたのですか?」
「あのね、いまだれか、アイのこと、よばなかった?」
「そうですか……?」
イブがくびをかしげる。まえとうしろにいる、オリバーとジェームズもふしぎそうなかおをした。
……だれかよんだきがしたんだけどなあ……? きのせいだったのかなぁ。
『……アイちゃん』
「!」
やっぱりきのせいじゃない!
どこだろう……。
「アイ様?」
『アイちゃん』
こえは、どんどんおおきくなってくる。
でも、イブたちには聞こえていないみたい。
『こっちだよ……』
「こっち……」
こえがきこえる。わたしを、よんでいる。
「アイ様?」
あるきだしたわたしを、イブがふしぎそうにみている。
『アイちゃん……』
「よんでる……」
だれだろう?
おんなのひとか、おとこのひとか、わかんない。どっちにもきこえるふしぎなこえ。でも、やさしそうなこえ……。
『こっちこっち。ママを助けたいんでしょう?』
「うん……! たすけてくれるの?」
きづけば、わたしはイブのてをはなして、はしっていた。
「アイ様!?」
うしろからイブたちのこえがきこえる。
「アイ様待ってくださ……! きゃあっ!」
「なんだこの霧は!?」
「まさか闇魔法か!? ぐあっ……!」
うしろから、イブたちのこえがきこえる。
でも、イブたちのこえは、だんだんちいさくなって……。
『アイちゃん。こっち。早く来て……』
「わか……った……」
もう、わたしをよぶこえしか、きこえなくなって……。
わたしはふらふらと、ろうかをあるいていった。
***
突然始まるトゥエンティ―フォー!
……というほど長くはないのですが、邪魔になるかもしれないのでここからは4巻終わりまであとがき欄は静かになります!






