第140話 新たな希望となることを願わずにはいられない
「へぇえ。これが〝タイヤキ〟ですか。まさか母上の世界のものを食べられるなんて」
そう言って感動しているのはダントリー様だ。
線の細いさらさらの髪に、まつ毛の長い甘くやわらかな眼差し。可愛い見た目をしたたい焼きも、彼が持つと絵になるから不思議なものだ。
「思えば、私はあなたたちにご飯を作ったことがありませんでしたね。料理人に甘えず、もっといろいろ作ってやればよかったと、今になって思うのです」
しんみりとした顔のサクラ太后陛下に、ダントリー様があわてて言う。
「何を言うのです。母上は乳母をつけず、我ら兄弟を全員手ずから育ててくださったのです。それだけでも十分ですよ。……父上があんな方でしたから」
あんな方、という単語に、その場にいた人たちが黙り込む。
私はほとんど関わりがなかったけれど、女性にかなり奔放だったことは聞いている。
その代わり、懐が広くて人懐っこいお方でもあったらしい。女好きと言う欠点を含めてもなお、前国王陛下はよく愛されていたのだ。
サクラ太后陛下も、そんな国王を愛したおひとりだった。
「……そうですね。後にも先にも、あんな浮気男はいないでしょうね」
本当にしょうがない人、そう言ったサクラ太后陛下の口ぶりはどこか寂しそうだった。
そばにいたユーリ様とダントリー様が顔を見合わせる。
同じ父を持つ、けれど腹違いの兄弟。
サクラ太后陛下が苦しんだ十年も、その間に国が受けた傷も、決して軽いものではない。
けれどそれを乗り越えた今、新たな絆も生まれようとしていた。
サクラ太后陛下とユーリ様。ダントリー様とユーリ様。
その絆がこの国の、そしてユーリ様にとって新たな希望となることを願わずにはいられない。
そう私が思った時だった。
ドォオオオオン!!! という、文字通り地を揺るがすような轟音が、王宮中に響いたのよ。
◆
「きゃあっ!!!」
「わあああっ!!!!」
ぐらぐらと、王宮全体が揺れている。
それは地震が来たのかと勘違いするほどすさまじい衝撃だった。ぱらぱらと天井から塵が落ちる。
あまりの衝撃に私は立っていられず、よろりとその場に手をついた。
あ、アイは……!? アイは無事!?
「王妃陛下! 大丈夫ですか!」
アイを探していた私の腕を掴んだのは、ダントリー様だった。
「え、ええ、それよりアイは!」
「アイは無事だエデリーン!」
ユーリ様の声がして見ると、怯えたアイをユーリ様がしっかりと抱き留めていた。
よかった……!
ホッとしてそのまま座り込みそうになる。
でもこれで油断している場合ではないわ。むしろここからが大事だ。
「エデリーン、私は何が起きたか調べてくる」
ユーリ様はアイを私に渡すと、すぐに扉の方へと走っていった。
「はい! ユーリ様、くれぐれも気を付けてくださいませ!」
その後ろ姿に向かって叫びながら、私はぎゅっとアイを抱きしめた。
こんなに重い地揺れが起きたのは初めてだ。アイの実の両親が来た時ですら、こんな振動はなかったのに。
バタバタと、王宮の廊下をたくさんの人たちが走っていく。部屋にいたダントリー様が言った。
「王妃陛下! 王宮の隠し通路に避難しましょう! あそこなら万が一何か起こっても、しばらくは隠れられるはずです!」
「えぇ!」
そばにはサクラ太后陛下もいる。何が起きたかわからない以上、今は早急に避難すべきだ。
そう思って駆け出そうとした時、アイが叫んだ。
「ママ、まって!!!」
「どうしたの、アイ。早く避難しなくちゃ!」
「そうだけど、でも、でも、まって!」
小さな手をぎゅっと握り、アイが一生懸命何かを話そうとする。
「おねがいママ! はやくパパのあとをおいかけてほしいの! じゃないと、じゃないとパパ、しんじゃうかもしれない!」
アイは泣きそうな顔をしていた。
私は驚きに目を丸くする。
そこにアイをなだめようと、ダントリー様が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですアイ様。ユーリ国王陛下は強い。なんと言ったって、騎士団の団長なんだ。それに他の騎士たちもいる。陛下を心配させないためにも、今は避難を先に――」
「おねがいママ! アイをしんじて!」
私は息を呑んだ。
――普通に考えれば、ダントリー様の言うことが正しいだろう。
アイは聖女と言ってもまだ幼い。様々なスキルを持っていても、その判断能力はあくまで五歳のものだ。
それにここにはサクラ太后陛下もいる。現場はユーリ様たちに任せ、私は幼い子どもと老人を避難させるべきだろう。
……そう、頭では理解しているのに。
ドゴォオオン!
またどこかで轟音がした。ぐらぐらと王宮全体が揺れる。
「ママ!!!」
次の瞬間、私はぎゅっと口を結ぶと、アイに向かって言った。
「わかった。行きましょう!」
そしてユーリ様が走り去った方向に向かって、アイとともに全力で走り出す。
「王妃陛下!? アイ様!?」
「ふたりともどこへゆくのです!」
後ろからダントリー様とサクラ太后陛下の声が聞こえる。でも振り返っている余裕はなかった。






