第139話 誰に向かってものを言っておるのだ!!!◆――ローズ
あの時の怒りは、今も消えぬ痛みとなって我が肉体を焦がし続けている。
久しぶりに始まりのことを思い出したからだろうか。心も体も、死人のように冷たくなっていた。
一方、「甘い考えは捨てよ」と怒鳴りつけたアイビーが、小さな声で言った。
「……私はただ、主様にも滅び以外の救いがあれば、と思っているのです」
「救いだと?」
我はギロリとアイビーを睨んだ。
「魔王となったあの日から、我は憎しみだけを糧に生きる怪物となり果てたのだ。今さら救いなどいらぬ!」
「ですが!」
負けじとアイビーも食いついてくる。
「この王宮に来てから、いや、聖女のそばに来てから、主様の発作が減ったのは事実です! よいではありませんか、人間どもを利用して体を治して何が悪いのです? わたくしだけではありません。ショコラだってキンセンカだって、きっと同じことを薦めるはずです!」
「くどい!」
我はぶんっと手を振った。そばにあった机がガターンと大きな音を立てて倒れ、載っていたカップが粉々に割れる。
はぁ……はぁ……と我は肩で息をした。
「主様、手が」
その言葉にちらりと振り下ろした手を見れば、そこには鱗がかった竜の手があった。
気を乱してしまったために、そこだけ人型が解除されてしまったのだろう。
「ちっ……」
我は舌打ちすると、すぐに人型に戻した。
だが、アイビーに対するいらつきは一向に収まりそうにない。我は両手を椅子のひじ掛けにつくと、ぐっと力を込めて立ち上がった。
「主様! あまり無理をしては!」
「うるさい!」
立ち上がった途端、両脚の付け根に激痛が走る。
だが、それでも我はぐっとこらえて歩き出した。それほどまでに、アイビーのいるこの場にいたくなかったのだ。
――あやつは、よりによって聖女に救いを求めようとしている。
そもそも聖女のせいで我は苦しんでいるのだぞ! その聖女が我を救ってくれないか考えるなど、魔物にあるまじき願いだ!
そんな愚かなことを考える奴のそばにはいたくなかった。
「役立たずめ! 金輪際我のそばに近寄るな!」
「主様!」
我は痛む体を引きずって歩き出した。奴から離れられるのならどこでもいい。ひとりになりたい。
だというのに、アイビーのやつはおろおろとした顔で、それでいながら我の後ろを一定距離を空けてぴったりとついてくる。
「ついてくるな!」
「ですが」
歩く速度は、どう考えてもアイビーの方が早い。我はイライラしながら、少しでもアイビーから離れるために足を早めた。
けれど歩けども歩けども、アイビーが諦めてくれる気配はなかった。
くそ……! いつものことながらこいつは本当にしつこい!
「主様、もう帰りましょう。お体がつらいはず」
魔王を病人扱いするな! と罵ってやりたかったが、反応するのも癪な気がして我は何も言わなかった。
だがアイビーはそれをいいことに、ずっと話しかけてくる。
気づけば我はアイビーから逃れようと、いつの間にか王宮の外にまで出ていた。
草木が生い茂る森の中、痛む体を引きずりながらよろよろと歩を進める。
「主様。主様だって体がよくなっているのを感じているのでしょう。なら試してみる価値はあると思いませんか!」
我は何も答えなかった。
「……正直に申しますと、私はずっとこの日を待っていたのかもしれません。――初めてあなたにお会いした時、なんて美しい方なのだろうと思いました。それは今も変わりません」
はっ。
我は鼻で笑った。
美しい? 体中から血を噴き出しながら地べたを這いずり回っていた我が、美しいだと?
だとしたらこいつの目は相当節穴だな。
「けれど主様はずっと苦しんでおられた。何年も。何百年も。私にはもう見ていられません! とても、かわいそうで……!」
アイビーの言葉に、ぴたりと我の脚が止まった。
「……今、なんと言った?」
問いただす声が怒りで震える。
かわいそう?
我に向かって、かわいそうだと……?
ぶるぶると手が震えた。
「アイビー!!!」
我は吠えた。
その口から出た声は、もはや人間のものではなかった。
「お前……誰に向かってものを言っておるのだ!!!」
咆哮が上がる。
押さえつけていた人間の肉体は崩れ、元の肉体に戻った我は尾をアイビーめがけて思い切り叩きつけた。
***
魔王さまおこ。
そして気が付けば第三部もクライマックス近くなってきました……!






