第138話 そうして我は、魔王となった。◆―――ローズ
――かつての我は、予知と知恵を授ける賢竜として山の奥深くに住んでいた。
白銀に輝く鱗に、空のような青い瞳。
当時の我は今と違い、そのような外見をしていたのだ。
木々に囲まれ、動物に囲まれ、厳かながらも静謐な空気が漂う。それが我の住処。
我の住む山は高く険しく、人間にとっては過酷な場所であるにも関わらず、連日我を尋ねる人間は後を絶たなかった。
「賢竜様、お教えください。この子の命は持ってあと何年ですが」
「汝の子はもってあと十年だろう。だが遥か西の国にいる竜のあざを持つ医師なら、汝の子を治す薬を作れる」
「賢竜様、お教えください。どうしたら私は出世できますか」
「汝は今のままだと出世はできぬだろう。人の十倍は努力をしろ。それが汝に残された唯一の道だ」
「賢竜様、お教えください。私の治世は長く続きますか」
「汝は近い将来、弟の反乱で殺されるだろう」
……だが、当時の我は知らなかった。
人間の欲望の深さと恐ろしさを。
我が予知を授けた人間は、未来を手に入れようと、あるいは未来を回避しようと死に物狂いで行動した。
――その結果、未来がいくつも変わった。
母の執念は、広い国でたったひとりの医師を見つけた。結果、自分の息子は助かったものの、その医師が救うはずだった数人の子どもの命は失われた。
その中には未来の賢王の命もあった。
出世を望んだ男は、絶え間ぬ努力を重ねて見事に出世した。
だが出世したことで男は地位に執着し、横暴で嫉妬深い人物へと変わった。結果、いくつもの若い有能な人材をその手でつぶすこととなる。
自分の長きにわたる治世を望んだ王は、反乱を起こすと言われた弟を自らの手で殺した。
その後も反乱を恐れ、少しでも逆らうものは容赦なく処刑した。
王の治世は長きに渡ったが、歴史書に「血濡れ王」として名を遺すことになった。
そうして我が知恵を授けた者たちにより、少しずつ、少しずつ、未来が変わっていく。
それによって、あちこちで世界の歯車が狂い始めたのだ。
我がそのことにようやく気づいたのは、我に予知と知恵を求めにやってくるはずの人間が、武器を手に軍団でやってきた時だった。
「人々をたぶらかす邪竜め!!! 我らが成敗してくれる!!!」
血走った眼でそう言われた時、我は静かに目をつぶった。
人間を恨む気持ちはなかった。
ただ何も疑わずに人間を信じ、予知と知恵を授けてしまった我の愚かさを儚んだからだ。
我が世界の理を乱してしまったというのなら、我は大人しくこの世界から退場しよう。
――だが、人間は我が死ぬことも許さなかった。
無残にも翼と四肢を切り取られ、あとは死ぬだけとなった我に、その場にいた誰かがこう言ったのだ。
「おい、この竜の鱗には不思議な効果があると聞いたぞ。血もだ。人が飲むと治癒効果があるらしい。ならこのままみすみす死なせるより、捕らえてみんなの役に立てた方がいいのではないか?」
我は耳を疑った。
そして見た。
我を殺そうとしていた人間たちの目から恨みが消え、代わりに欲望の色に染まっていくのを。
――そうして我は死ぬことすら許されず、体を切り刻まれる毎日が始まったのだった。
「グォオオオオオオオオオ!!!」
「おい! 御神体が暴れているぞ! 拘束具をもっと増やせ! 魔法使いも呼べ!」
幾重にも巻かれた魔拘束具の鎖。我を必死に抑え込む魔法使いたちの不快な魔法。
そしてひとたび我の命が危うくなれば、あわてて注ぎ込まれる治癒魔法。
生かさず殺さず。我は文字通り、道具として生きながらえていた。
その間人間たちはあろうことか、国名を『神竜の加護を得た神竜国』と名乗り始めていたのだ。我はその加護を授ける御神体らしい。
笑わせる。
神と崇めるものを捕まえて閉じ込め、切り刻む国が神竜国と名乗るとは。
――どのくらい、そうしていたのだろう。
……ああ、痛い。
痛い。
痛い。
痛い!
日々体に刻まれる痛みによって、魂がどんどんどす黒く穢れていく。
我をどこまで凌辱すれば、人間たちの気は済むのだ?
そして数十年経ったある日、我は突然気づいた。
――ああそうか。人間の欲望に底などない。我が人間を守る理由など、どこにもないのだな。
そう悟った瞬間、我はカッと目を開けていた。
異変に気づいた神官という名の監視係が、あわてて声を上げる。
「お、おい!!! 御神体の体がどんどん黒くなっていくぞ!?」
「それになんだあの瞳の色は……! 血みたいに真っ赤だ!」
ああ……。なんだ、こんなに簡単なことだったのか。
我はブチリと魔拘束具の鎖を引きちぎった。
体中に力がみなぎっていく。憎しみというものは、こんなにも力を与えてくれるものなのだな。
血湧き肉躍る、そんな気分だ。羽根が生えたように体が軽い。そう思って体を見ると、切り取られたはずの翼と四肢が再生していた。
「まずい!!! 応援を呼べ!!!」
血相を変えて走っていく神官たちは、まるで蟻のよう。
我が蘇った前脚を一振りすると、いともあっけなくぷちりと潰れた。
久しぶりに真っ直ぐ伸ばす翼が心地よい。あいかわらず全身の痛みはあったが、もはやどうでもよい。
我は憎しみに煽られるまま、破壊の限りを尽くした。
神殿を粉々に踏みつぶし、灼熱の炎で見渡す限りを焼き尽くす。
人間どもの悲鳴が聞こえたがどうでもよかった。むしろ心地よかった。悲鳴がひとつ聞こえる度に、魂に刻まれた消えない傷が癒えていくようだった。
――そうして我は、魔王となった。
一晩にして地図上から消された神竜国跡では、今なお呪いの炎があちこちでくすぶり、生き物を育まない死の大地となっているらしい。
我が魔城にたどり着いた時には、既に魔界中の魔物が集まっていた。
皆、我を見てひざまずき、こう言ったのだ。
『我が主様』
と。






