第116話 ああ、世界が輝いている ◆――ユーリ
今日はエデリーンたちが帰ってくる日だ。
たったそれだけのことなのに、私は朝からソワソワしていた。
税収調査の書類を見終わり、側近に尋ねる。
「エデリーンたちの馬車は」
「まだです」
「そうか……」
まぁ焦ることはない。まだ朝だからな。
………………。
無言で書類に目を戻す。今度は魔物に関する報告書だ。あいかわらず各地方での魔物は激減の一途を辿っているらしい。
確認のサインをカリカリと書いて、また尋ねる。
「エデリーンたちの馬車は」
「まだです、陛下。次は嘆願書でございます」
「ふむ」
そこに書かれていたのは、傭兵たちからの嘆願だった。
魔物が減って平和になった反面、仕事がなくて困っているという内容だ。
「これは大臣たちともよく相談せねばな……。傭兵たちが周辺国に流れた場合、我が国にとっては重大な損失となる。何か彼らに仕事を見つけねば」
「それがよいかと思います」
「それで、エデリーンたちの馬車は?」
「何度も言いますが、まだです」
言って、側近の男がこらえきれないというようにくつくつと肩を震わせている。
それを見て、私は頬を赤らめた。
……さすがにせっつきすぎだと気づいたのだ。
「き、今日は時間が過ぎるのが遅いな」
「……そうですね、ふふっ」
まだ彼の肩が震えていたが、見なかったことにした。
そこへ、コンコンコンとノックの音がして、エデリーンとアイの侍女が顔を覗かせる。
「エデリーン様たちが帰ってきましたよ!」
「今すぐ行く」
私はガタガタッと立ち上がると、すぐさま王宮の玄関へと駆けて行った。
たどり着いた先では、ちょうどエデリーンがアイとともに馬車から降りてきたところだった。
エデリーンが実家に帰っていたのは三日間。
けれどたった三日間しか離れていなかったにもかかわらず、数日ぶりに見る彼女は女神のようにキラキラと輝いていた。
風に揺れる柔らかな金髪に、長い睫毛に縁どられたアクアマリンのような水色の瞳……。
――ちなみにアクアマリンには、『幸せな結婚』の象徴として知られる石らしい。私たちにぴったりではないか。
「エデリーン!」
私はつかつかと駆け寄ると、彼女が言葉を発するよりも早くその華奢な体を抱きしめた。
「きゃっ! ユーリ様!?」
ふわりと香る、エデリーンの甘い匂い。
それを胸いっぱいに吸い込みながら私は微笑んだ。
「おかえり。なんだかずいぶん長い間君を待っていた気がするよ」
事実、久しぶりにエデリーンもアイもいない部屋でしたひとり寝は、世界が色を失ってしまったのかと思うぐらい色あせていた。
睡眠は体力回復手段としか思っていなかったはずなのに、隣に誰もいないベッドのなんと侘しいことか。
いつの間にか私の体は、すっかりみんなと同じベッドで寝ることが当たり前になってしまったらしい。
ごろごろと転がったアイにのしかかられようとも、真横から腹を蹴られようとも、顔を蹴られようとも、あの小さな体温が隣にいることで得られる安心感は何物にも得難い。
いずれアイもひとり寝させることになるとは思いつつ、だからこそ今の時間が貴重なのだと改めて思い出される三日間だった。
「ユーリ様ったら。たった三日しか離れていませんのに」
エデリーンが困ったようにくすくすと笑う。
その顔も本当に女神のように美しくて……ああ、自分の語彙力が乏しいのが憎い! エデリーンをすぐに女神に例えてしまう! だが本当に女神の如き美しさ可愛らしさなのだ……!
私はぐぬぬ、とうなった。
――私たちが晴れて本当の夫婦となって以来、私の人生はかつてない輝きを見せていた。
アイをひとりぼっちにするわけにはいかないため、その日はふたりでこそこそとエデリーンの部屋に戻ったのだが、それでも夜が明けて起きた瞬間私は思った。
ああ、世界が輝いている、と
いつも通りのアイの横で、少しはにかんだ表情でこちらを見たエデリーンの可愛さと言ったら。
もしや、世の中の男はいつもこんな美しい光景を見ていたのか?
今まで恋愛にうつつを抜かす者をだらしないと思っていたが、訂正する。
愛しい女性と過ごすかけがえのない時間。そんなすばらしいものを前に、のめりこむなという方が無理だ。今までの私はなんと視野が狭く、そして考えが甘かったのだ……!
ふるふると拳を握っていると、エデリーンがおっとりと言った。
「今度はユーリ様も一緒に行きましょうね。最近バタバタしていましたし、みんなで一緒に視察を兼ねて、どこかゆっくりとバカンスに行きましょう」
バカンス。
その言葉に、脳裏に浮かぶのは一面の花畑の中、アイとともに微笑むエデリーンの姿だ。
美しい彼女にはきっと色とりどりの花が似合う。
その隣では、花冠をかぶったアイが妖精のような愛らしさで駆け回っているだろう。
今度はアイを抱き上げながら、私はうっとりと考えた。
よし、次はきっと花畑に行こう。いい場所を調べておかなくては。
「そうだ。それから……ユーリ様にひとつお願いがあるのですが」
「お願い? 何だい」
危うく、「君の願いならなんだって叶える」と言いそうになったのをなんとかこらえる。
さすがにその台詞を口に出してしまったら、ハロルドに盛大に笑われそうな気がしたからだ。
「実は……王宮に魔術師夫婦を招きたいんです。巷で噂になっているふたりなのですが、アイが彼らをすごく気に入っていて」
「アイが?」
その魔術師夫妻とアイの繋がりが全然見えない。
私が考えていると、エデリーンが声を押さえてそっと囁いてくる。
「実は……ただの人ではないようなのです。アイを異世界からこの世界に連れて来た人で」
「……なんだって?」
アイを、異世界からこの世界に連れて来た……?
ただならぬ響きに、私は一気に現実に引き戻された。
「エデリーン、どういうことなんだ」
「実は……」
エデリーンの説明によると、アイの記憶を“映像共有”で見せてもらったところ、アイをこの世界に連れて来た女神とその魔女が同一人物だったのだという。
「ただ、ローズ様――魔女様の方は、アイを連れてきた記憶はないようなのです。本当に関係がないのか、隠しているのか、それとも何か事情があって明かせないのか……そこはわかりませんでしたわ」
「なるほど……」
私たちは考え込んだ。
本人が否定しているとは言え、同一人物と言えるくらい、そのローズという人物とアイを連れて来た人物は似ているらしい。
偶然の一致にしては、あまりにできすぎているだろう。
「悪い人物ではなさそうなのですが、一度ホートリー大神官にもご相談したくて」
私はうなずいた。
「確かに、女神ベゼと言えばホートリー大神官だ。ならば、君の言う魔術師夫妻を王宮に招こう。彼らがこの国にやって来たのもただの偶然ではないのかもしれない」
アイには悪いが、私はアイほど無条件には彼らを信用できない。
彼らに敵意がないのならそれでよし。
だが、もし私の大事な家族を害するつもりなら……その時は容赦しない。
「まじょさま、おうちによんでもいいの? やったー!」
無邪気に喜ぶアイを見ながら、私は静かに決意をした。
***
側近の人、最初の一言の時点でたぶんもう笑いをこらえていた。






