第102話 願ってやまないこと
彼女はいまだ抵抗ひとつ見せず、その表情はすべてを諦めたように虚ろだ。
「サキュバスのあなたが、どうしてマクシミリアンと手を組んで私を狙ったの?」
「……弱体化するためよ。あなたと国王が不仲になれば、力を失う人物がいるでしょう」
私とユーリ様の不仲で力を失う?
「それって……」
言いかけて、私はパッと手で口を押えた。
だって気付いてしまったんだもの。
リリアンが、なぜ『力を失う人物』なんてまわりくどい言い方をしたのか。
それはアイに、「聖女であるアイを傷つけるためにやった」、と聞かれたくなかったからかもしれないということに。
それはささやかなことかもしれない。けれどそういうささやかな部分にこそ、人の本音は出るのではないのかしら?
なら……リリアンは本当に、アイを友達だと思っていたということ?
「ねえ。アイを友達だと思っているのに、それでもやらずにはいられなかった理由は何?」
思えば、最初の頃のリリアンは、確かに今言ったような企みを持っていた気がする。
けれど一時、リリアンは別人のように毒気が抜けていたのも事実だ。
私の質問に、リリアンはふっと鼻で笑った。
「魔物であるわたくしに、人間を傷つけるのに理由なんて必要?」
「確かにそれが、魔物と人間かもしれないわね。でも少なくとも、あなたは人間であるアイを、今でも友達だと思ってくれたのでしょう? でなければあんな気遣うような言い方、しないはずだわ」
私の言葉に、リリアンが黙り込む。
「だったら、どうして? このままあなたはずっと私の護衛騎士で、ハロルドのように、年や立場は違えど、アイの良き友達……そんな未来は、選べなかったの?」
胸の中では、抱きしめたアイもじっとその言葉を聞いていた。ユーリ様も、オリバーも、ジェームズも口を出さず、静かに言葉を待っている。
やがて、リリアンの口から、はあと大きなため息がもれた。
「……そんな道はないわ。猫じゃあるまいし、主様に生み出されたわたくしが主様を裏切れるわけがない。あの方をこれ以上の絶望に落とすことなんて、できないもの……」
猫? どういう意味かしら。
でもそれより、リリアンの口から出てきた「主様」という言葉が気になるわ。リリアンを送り込んだ黒幕ということよね? 同時に、生み出されたということは、親でもあるの?
「リリアン、あなたは優しいのね」
私はふっと微笑んだ。
リリアンは一見するととんでもない悪女のようだけれど、話を聞けば聞くほどわかる。
彼女は……自分のためには、何ひとつ行動していないのよ。
主と呼ぶ人物のためにイヤイヤ働き、アイを裏切りながらも、極力傷つけないようにしている。
もちろん、彼女がした行いは悪よ。けれど。
私は顔を上げると、今度はユーリ様の方を向いた。
「ユーリ様。私はリリアンの減刑を嘆願しますわ。しかるべき罰は受けさせても、彼女の命までもを奪う必要は、ないと思います」
「……彼女が、魔物であってもか」
「魔物であっても、です」
私はきっぱりと言った。
「魔物は確かに忌むべき敵。ですが彼女には人間同様、意思も心もありますわ。それを魔物だからと言って切り捨てたら、私たちの方が、魔物と同じになってしまいそうな気がするんです」
「逆に言えば、意思を持たない有象無象の魔物より、よほど彼女の方が危険だと思わないのか? 今回だって、あと一歩の所で、君を救えなかったかもしれない」
「そうですわね。そういう一面も、あるのでしょう。考えが甘いと非難されるかもしれませんわね。それでも私は魔物を――いえ、リリアンという人物を、信じたいのです」
その言葉に、ユーリ様はふぅと大きなため息をついた。その顔には困惑と迷いが浮かんでいるが、先ほどまでの冷酷な光は、消えていた。
次に私は、アイと手を繋いだまま、リリアンに向かって歩いて行った。
「あなたにも言いたいことがあるのよ。オリバー、このロープをほどいてちょうだい」
私がリリアンの手首に巻かれたロープを指さすと、オリバーは戸惑いの表情になった。
「ですが」
「お願い」
私の懇願に、オリバーは一瞬ちらりとユーリ様に視線を走らせた。その後、ためらいながらもしゅるしゅるとロープをほどいていく。
その様子を、リリアンはじっと見つめていた。
「ねえリリアン……。あなたが主と呼ぶ人物が、どんなにつらい過去を抱えているか、私は知らないわ。あなたと主の間に、どんな深い繋がりがあるのかも。でもね……これだけは覚えていてほしいの」
私はそっとリリアンの片手を包み込んだ。
「あなたの人生は、あなただけのものよ。どんなに大好きな親だったとしても、親の悲しみや憎しみを背負ってあなたが頑張る必要は、どこにもないの」
大好きな親のために子どもが頑張りたいと思うのは、自然なこと。私だって幼い頃、母や父に喜んでもらいたくて、色んなことを頑張ったもの。
でも、だからといって自分の本当にやりたいことを我慢して、いやいや悪事に手を染めるなんて――あまりにも、悲しすぎる。
子どもは親を慰めるために、生まれてきたわけじゃないのよ。
「……そんなの、綺麗ごとだわ。あなたは人間で、王妃じゃない」
「そうね。そうかもしれない」
私が恵まれた生まれだというのは、自覚している。侯爵家という裕福な家に生まれて、婚約解消など多少の波乱はあれど、両親は良き人物で、深く私を愛してくれたわ。
でも、だからこそ思うのよ。
両親に愛されて育った私だからこそ、できることはないのかと。
両親が私を包み込んでくれたように、今度は私が、誰かを包んであげられないのかと。
世の中には負の連鎖という言葉があるわ。
泥棒の家に生まれた子は、何もしない限り自然と泥棒になる。
なら、その逆は?
恵まれた私だからこそ繋げられる、愛情の連鎖はないの?
綺麗ごとで、偽善で、傲慢と言われてもいい。
私の手の届く範囲は本当にわずかで、全員を救うことはできない。
それでも、手の届く範囲で精いっぱい、誰かを良き方向に連れてこられたら……。
そう願ってやまないのよ。
「この考え方を強要はしないわ。でも、あなたの心が何物にも縛られず、自由になってほしいと思っているのは本当よ。だってあなたはアイの大事なお友達ですもの」
私がそう言うと、まだ目が赤いながらも、アイもこくりとうなずいた。
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皆が自由に、健やかに(とても大事)生きられる世の中になったらいいのになという祈りにも似た願いを考える時があるのですが、なかなかこう、現実は厳しいですよね……。






