紫蘭の湖 1
「鬼ごっこ、知ってる?」
瀬名がまじめに尋ねるものだから、僕は「当たり前だろ」と言えずに口ごもってしまった。弁当箱のミートボールをつまみながら固まる僕に、瀬名は続けた。
「鬼になったひとは子を捕まえなければならないじゃない? でもね、私は未だに捕まえられてないのよ。」
ずっと鬼のままなの、と瀬名は言い、紫色の花飾りに触れた。
瀬名の癖だった。
言いにくいことや照れ隠しの際に、髪留めとして使っている紫色の花飾りをいじる癖。
それはすごく自然だったけれど、僕にはすぐわかる。ああ、この話題は話しにくいのか。ああ、今は照れているのか、可愛いやつめ。などなど。
今回は恐らく前者だろう。窓の外を見る薄い茶色の瞳が、とても寂しそうだから。こんな瀬名を見るのは久しぶりだな。箸でつまんだミートボールを口に放り込む。
瀬名はイタズラ娘だ。
小さいものから、時には腰を抜かしてしまいそうな大仕掛けなものまで。僕も何度騙されたものか。でも質の悪いものではなく、いつも瀬名のそれには優しさがあった。
数学で赤点を取ったとき『今回の試験は難しすぎたから、赤点者も救済されるらしいわ』と瀬名は言った。僕は意気揚々と職員室を訪ね、そしてそのまま補習室へ連行された。失意のどん底から一時的とはいえ僕を救い、それだけではなく学力向上に一役買ってくれた。
うん、素晴らしい。
みんなが嫌いな授業の時にはチョークや先生の教材をすべて隠し、授業を阻止したこともあった。それが数学の授業で、阻止されたから僕が赤点を取ったわけだが。まぁ、良しとしよう。
優しいイタズラ娘は、いつも僕らのリーダーだった。みんなが嫌がる仕事は率先してやったし、クラス委員も務めた(先生は断固反対していた)。まぁ、その立場を利用してさらにいたずらをしたのは言うまでもない。
うん、素晴らしい。
策士め。と
彼女はイタズラをこよなく愛し、そして僕らはそんな瀬名を好きになった。
中にはイタズラされたくてうずうずしている奴もいる。そんな奴は将来ましな大人になれないだろう。そして瀬名も、「イタズラしてください。さぁ、どうぞ!」と、待ち構えている奴には決して手を出さなかった。僕が、両者同意の上だからいいじゃないか、と聞くと、彼女は、ありえない! と大袈裟にため息をついて見せた。
『相手を驚かせたくてやっているの、私。それがないなんて、まるでハズレのない宝くじみたいなものよ』
スリルがないわ、と言った。
買えば必ず当たる宝くじも中々捨てがたいと思う僕は、彼女に言わせてみればゆとり教育の産物らしい。
スリルがないわ。
そう言われた気がする。