完璧なハイジャック対策
航空庁長官は、パイロット組合の委員長を長官室に招くと、おもむろに話を始めた。
「委員長、今日来て頂いたのは、ハイジャック対策の件だ…」
「はい…」
長官室のソファーに座った委員長は、神妙に返事をした。
「知ってのとおり、先日のテロリストのハイジャックによる通商センタービル突入の件、あれは大変なことだった…、あんなことは二度とあってはいけない」
「ええ…」
「なんとしてでも、テロ集団によるハイジャックを防止しなければならない」
「もちろんです」
「私も無い知恵で色々と考えてみた。どうしたら、根本的にハイジャックを防止、根絶できるのか…。操縦室のドアを頑丈にして、絶対に開かないようにするとか…。とは言っても、あの様なハイジャック犯は、特攻隊と同じで自分の身は捨てる覚悟だから本質的な防止は極めて難しい。それに、ハイジャック犯自身が飛行機の操縦訓練を積んでいるから操縦室に入られたらそれでおしまい。君たちパイロットがテロリストと撃ち合って勝てる訳がないだろう。ハイジャック犯にとっては、君たちを生かしておく必要はない。撃ち殺して操縦席に座れば良いのだから…」
「…」
「そこで、私は考えたのだよ…。操縦席に座られても絶対に操縦出来ないようにしてしまえばどうかと…」
「どうやって?」
「君らパイロットがハイジャック信号を出したときに、一切の操縦回路は切断され、操縦桿を押そうが引こうが、エンジン出力を上げようが下げようが、全くコントロールできない状態にする。そうなれば、テロリストに操縦席に座られても心配はない」
「えっ…、そうしたら、誰が操縦して機をコントロールをするのですか? 燃料が切れてしまえば、墜落してしまいますよ」
委員長は、ソファーの背もたれから体を離すと長官の前にのり出した。
「地上からコントロールする」
「地上から…、誰が? どうやって?」
「然るべき人間が、通信により…」
「冗談でしょう…。そんなことは出来ないですよ」
そう言うと、委員長は再びソファーの背もたれに寄りかかった。
「いや、可能なんだよ。君自身が一番良く知っていると思うが、飛行機の操縦はほとんどが自動化されている。飛行場への着陸は、進入角度、速度、大部分の点でコンピューター制御され、もはや異常な着陸はあり得ない。今やパイロットが行うべきことは、着陸するかどうかの決断くらいだ、と言う人もいる」
「それが、大事なのですよ…」
「まあいい…。地上のコントロールセンターから自動的に安全に着陸させることは、今の技術ではそれ程難しいことではない。つまり、ハイジャックの際には、操縦席では一切操縦出来ないようにして、地上からのコントロールで飛行場に着陸させることが可能だ。これで、完全にハイジャックを防止できる」
「…」
「どうだろう、画期的なアイディアだと思うが…。これにより、もうハイジャックなんて考えるやつもいなくなるだろう。そもそも不可能なのだから…。今日、委員長に来てもらったのは、他でもない。この対策にパイロット側としても賛成してほしいんだよ。君たちの気持ちも分かるが…」
「ちょっと、待ってくださいよ…。そうすると、ハイジャックが発生した時は、我々パイロットは何の意味を持たない。たまたま、乗り合わせた乗客と同じだと…」
「まあ、そういうことになるが…」
「冗談じゃないですよ。我々パイロットは乗客の身の安全のため最後まで責任を持って業務を全うしなければならないのですよ。その業務とは…」
「分かっているよ。だから、乗客の身の安全のために、君たちにパイロットには飛行機の操縦から手を引いてもらいたい…」
「もっともらしいことをおっしゃいますが、これは大変な話しですよ。この話を進めていけば、有事、すなわちハイジャック時でなくても我々パイロットは必要ない。そもそも飛行機の操縦はパイロットなしでも技術的可能だということになりかねないですよ。とんでもない話しですよ…」
「そこまでは、私は言っていない」
「いや、そうですよ、そうに決まっている…」
「あくまでも、有事の話だ、これは…」
「信じられない」
「委員長には、この話をなんとか理解して頂いて、パイロット組合として反対しないよう、うまく取り計らってもらいたいんだ…」
「ダメですよ、そんな話は絶対に…。我々の生活権もかかっています」
「なんとか、頼むよ…」
二人の話の始まりは、そのようなものだった。
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それから一年が経過した。
そこは、あるビルの地下の一室だった。
目の前の壁一面のスクリーンには、全国の地図上に飛行場の位置が表され、さらに、現在飛行中の旅客機の飛行状況も映し出されていた。
また、そこにある座席の一つは、飛行機のコックピットと同じであった。つまり、操縦桿がありエンジンスロットルレバーがあり…、本物と何も違いはなかった。
ただ、違うのは、それがビルの地下にあるということだけだった。
長官が提案したハイジャック防止対策は、委員長が先導となってパイロット組合が猛反対したものの、結果的にそれは全く意味をなさなかった。
つまり、長官があえてリークしたものと思われるが、大手の新聞紙などに革新的なハイジャック防止技術が開発されつつあることが報道されると、各方面から速やかな実用化の声が上がったのである。
これまでの様な、小手先の手荷物検査、ボディチェック、操縦室ドアの強化など、本質的な解決にならない対策に対し、そのハイジャック対策は、絶対的な確実性をもって効果を発揮することが期待されたのである。
なぜなら、ハイジャック犯がいかに操縦技術に卓越していたとしても、機体をコントロールすることが出来ないのであるから。
その手順を説明すれば、以下のようなものだった。
まず、機長か副操縦士がハイジャックされたと判断した時には、直ちに目の前のパネルにある赤いボタンを押すのである。
このボタンが押されれば、即座に全ての操縦系統の電子回路が遮断され、水平飛行時の機はそのまま、上昇又は下降時の機は安全な高度まで上昇し、旋回飛行に移る。
同時に、飛行機からはハイジャック信号が発信され、地上のコントロールセンターにその知らせが伝えられる。
コントロールセンターには、緊急代理パイロットが常時待機しており、そのハイジャック信号が届いた時は、直ちにセンター内のミラーコックピットに着く。
ミラーコックピットとハイジャック機のコックピットとの間は、高度に制御されたデジタル通信により接続され、ミラーコックピットで操縦することにより、あたかも飛行機内のコックピットで操縦しているのと同じように、その機のコントロールが出来るのである。
もちろん、機の前方にはカメラが備えてあって、その情報もデジタル通信によりセンターに送られるため、センター内の緊急代理パイロットは、その映像などを見ながら飛行、コントロールし、適切な飛行場に着陸させるのである。
そういったものであった。
このシステムが期待通りの成果を発揮したのは、先月だった。
精神障害者にハイジャックされ、機長が殺害されたジェット機は、このシステムにより、地上のコントロールセンターから操縦され、無事緊急着陸させられたのであった。
この時に、地上の緊急代理パイロットとしてハイジャック機を完璧に操縦し、見事に着陸させたのが、パイロット組合の委員長だった。
パイロット組合が如何にこのシステムに反対をしようと、世間に対して正面から反対運動を続けることは出来なかった。
世論が許さなかったのである。どう考えても、素晴らしい、画期的な良いことなのに、自分たちの権利を守るといった理由だけで、パイロット組合もこのシステムを葬り去ることは出来なかったのである。
結局、その責任を取る形で委員長は飛行機を降り、この地下コントロールセンターの緊急代理パイロットになったのである。
いつ緊急ハイジャック信号が飛び込んでくるか分からないといった緊張を強いられる状況で、彼はミラーコックピットを操り、見事にその着陸をやり遂げたのであった。
このことは、新聞などにも大きく取り上げられた。このシステムがある限り、もはやハイジャックは何の意味もなさないことは明らかであり、国際テロ集団もハイジャックによるテロ行為は完全にあきらめたのだろう。
もう、このシステムは実際に機能することはないのかもしれなかった。このシステムがあるということだけでハイジャックの未然防止になり、その目的は十分に達せられているのだろう。
委員長を始めとした、そのコントロールセンター内にいる人間は、徐々に緊張の糸が解け始めていたのかもしれない。
彼らが、ぼんやりと壁一面に映し出された旅客機の運航状況を示すスクリーンを見つめていた時だった。
背後から、音もなく静かに侵入したテロリストたちが、彼らにピストルを向けていた。
「ボッシュ…」
といった、サイレンサーピストル特有の鈍い音が、続けていくつも響いた。
その瞬間、部屋の換気口から催涙ガスが勢い良く吹き出した。
ピストルを握ったままのテロリストたちには、一瞬何が起こったのか分からなかった…。
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航空庁長官は、委員長を前にして言った。
「大成功だったよ…。捕まえたテロリストたちが持っていたメモの解読から、彼らのアジトが分かり、一網打尽だったよ。最高指導者の男も逮捕された。こんなにうまくいくなんて誰が予想できたのだろう…」
「本当に、最初に長官からこの話を聞いたときは、そんなにうまくいくものかと思いましたが…、長官のアイディアには感服いたします」
「いや、いや、これも君がパイロットのみんなをうまくまとめて、絶対に秘密が漏れないよう、口裏を合わせてくれたお陰だよ…」
「とんでもありません。パイロット仲間だって、自分の命がかかっているかもしれませんから、必死ですよ。家族にだって漏らす訳がありません。それにしても、テロリストも本当にそんなシステムが完成していると思ったのでしょうかね」
「出来ていると思ったから、侵入したんだよ…。誰しも考えるだろう。そんなシステムが出来たのなら、飛行機をハイジャックするのではなく、コントロールセンターをジャックすれば良いって…。コントロールセンターを占領してしまえば、飛行中の全ての飛行機を思うがままに目標に向けて飛行、墜落させることができるのだから、こんなうまい話はないよ。政府の対策を逆手に取るなんて、笑いが止まらないだろう…。事実、センターに潜入したメンバーの中には、二人のパイロット、いや操縦訓練を積んだ人間がいた」
「しかし、そんな話は全くの作り話で、センターのコックピットだって、廃棄した飛行機のそれをただ置いただけの置物だっていうことが分からなかったのでしょうかね。中にいる男たちも人間のように見せかけた人形だったのに…。だけど、長官が先月にプレス発表した、このシステムでハイジャックが防げたという作り話、あれは、本当に堂々とした発表で驚きました。そんな事実はどこにもないのに…。記者たちは随分、根ほり葉ほり質問していましたよね…」
「ああ、あれには参ったよ。想定問答を用意して事前に相当練習をしたのだが、なかなか鋭い質問ばかりで…。まあ、彼らを騙せないようじゃテロリストも騙せないと思って、こっちも必死だったけどね…。それより、コントロールセンターの場所をテロリストが本当につきとめてくれるか心配だったよ。政府のトップシークレットにしておけば、絶対にどこかからか漏れると思っていたのだが、うまくいった…」
「長官、ところで、こんなシステムは本当にあり得ないでしょうね…?」
「オイ、オイ、出来る訳がないだろう…。いくらセキュリティーを高めたデジタル通信で地上から飛行機をコントロールするとしても、その信号を解読されて真似られたらどうするのかね。テロリストたちが出した信号で、あっという間に全ての飛行機が彼らの手中に落ちてしまうよ。そんなハイリスクな対策が取れる訳がないじゃないか…」
「そりゃ、そうですね」
「いずれにしても、我が国家もしばらくはテロリストによるハイジャック対策は考えなくて良いし、君たちも安心して業務を全う出来るって訳だ…」
「本当に、大成功でしたね」
「ああ…」
「しばらくは、このシステムがこのまま運用されていることにするのですよね?」
「もちろんじゃないか…」
二人は、ソファーから立ち上がると改めて固い握手を交わし、同時に片目をつぶって見せた。
(おわり)
2001年9月の国際テロリストによるニューヨーク世界貿易センタービルへの旅客機突入には、誰もが驚かされたところだと思います。まさか、あのようなことが映画などの世界ではなく、現実に起こり得ようとは思いもよりませんでした。
自らの命を投げうって行動を起こされた場合には、それを阻止する手段は極めて限られた、難しいものだということをまざまざと見せつけられた気がします。
そのようなハイジャック行為に対して、根本的な対策としてどの様なものが考えられるか色々考えてみましたが、ここで提案している手法は決して空想物語ではなく、実現可能なものと思っています。
今回のテーマは、リスクをどうとらえ、リスク回避をどう行うか、すなわちセキュリティー対策です。
世の中は全ての場面において、システム化、統合化による効率化、合理化の流れにあり、システム化が進めば進むほど、そのセキュリティー対策が重要になります。
つまり、システム化が進めば、システムが破綻した際の打撃、被害が大きくなり、かつ、その復旧に長時間有するという問題があります。
例えば、導管供給の都市ガスとプロパンガスを比較すれば、地震など災害の際に被害を受ける確率やその被害の大きさ、さらに復旧の迅速さについて考慮すれば、圧倒的にプロパンガスの方が有利となります。水道と井戸水も同様です。
我々の生活に身近な、電気、ガス、水道といったインフラ一つをとって見てみても明らかで、そのセキュリティー対策には、膨大な資金を投入する必要があります。
今回の作品を書くに当たっては、社会の進展として、システム化は不可欠ですし、その推進は自明なのですが、そのために必要となるセキュリティー対策を考えれば、どこまでシステム化し、セキュリティー対策投資を行えば良いのか、その限度はどう考えるべきなのか、少々悩んでしまいました。
当然、多くの関係者がそれを考え研究していますが、国民一人一人がリスクとコスト、そしてベネフィットをゆっくり良く考えてみることも必要ではないかと思いました。
最後に、本作品は2001年(平成13年)12月16日に作成したものです。