合縁奇縁。
部下達に挨拶をしながら自分のデスクに行けば既に書類やら何やらが高く積み上げられていた。
おい、何だこれ。
嫌な予感がしてパソコンの電源を入れ確認してみれば案の定、謝罪のメールがぎっしり。
勘弁してくれ…今日は朝から夢で疲れきっているんだ私は。
「田中先生から今さっきSOSが届いて、まさかの原稿が仕上がってないんです!」
「パソコンにも謝罪文章があった…まだ半分しか終わってないらしい…」
「半分?!明日の正午が〆切なのに?!」
デスクに置いていた鞄を持ち直して、すぐに行きますとメールを打つ。取り敢えず、田中先生が現実逃避をしないうちに様子を見に行くのが得策だろう。
今更だが私が勤務しているここは大手出版会社、朱雀出版。
そして私はそこの少女漫画編集部の編集長をしている。
(あの書類は明日に仕上げて、今日は原稿第一に動くしかないな…。あー…残業確定。)
残業どころじゃなく徹夜かもしれないという恐ろしい考えも浮かぶが、頭から追い出した。
気付いちゃいけない事実だと判断する。
エレベーターを待っていると廊下が急に騒がしくなり、温度も急に上がった。
「うわわっ、安心院先輩!イケメン!リアルイケメンが現れました!!」
「今はイケメンより原稿だ。田中先生にもう一度連絡しておいてくれ」
「はい!あぁ…でも本当にイケメン…」
彼女は三度の飯よりイケメン好きだったなと思い出し、そんな彼女が騒ぐ顔が少し気になって見てみれば確かにと頷く。
茶髪の短く切り揃えた爽やかな髪型にすらっとした体格。背も高く、浮かべる笑みも爽やか。
高校時代は絶対にバスケ部のエースだな…間違いない。
そのイケメンを案内している女子も、周りにいる女子も皆が顔をうっとりとさせ見惚れていた。
これから暫くは職場が騒がしそうだと思考をイケメンから原稿へと戻す。
チーン、とエレベーターの到着した音が聞こえ扉が開き乗り込もうとすると、編集長!と呼ばれ踏み出していた一歩をグッと引っ込める。
「引き止めてしまってすみません。今日からこちらの編集部に配属になった彼を編集長と面会させるようにと頼まれましたので…」
「轟 羽月です!今日から宜しくお願いします!!」
ニッコリと笑うイケメン、轟君にまたも女子達は心臓を撃ち抜かれていた。
何日か前に新入社員が少女漫画の編集部に配属されると言われたのを思い出す。
轟君がそうだったのか。忙しくてすっかり忘れてた。
「稀世すまん。言い忘れてたけど今日から配属の新入社員がもうすぐ来……………あ、いた」
「遥、言うのが遅いぞ…宜しく轟君、ここの編集長を任されている安心院 稀世だ。
挨拶して早々に悪いが轟君、君も来て貰おう」
「え?」
エレベーターに轟君を押し込む。
いきなり過ぎて彼には申し訳ないが致し方ない。田中先生の原稿を何としてでも完成させなければならない。
困惑している轟君とそんな彼をずっと見続けている私の後輩。
大学時代からこの子はこんな感じだったな。
「あ、あの…今からどこに行くんですか…?」
「かなりの緊急事態なんです!これは社会人一日目の最初の試練!頑張りましょうね!!」
「緊急事態?試練?…わ、分からないですけど分かりました」
「よろしい!ちなみに私は小山内 真昼です!小山内は嫌なので、真昼先輩って読んで下さい!絶対です!!」
真剣な顔をして頼む真昼が可愛くて思わず笑ってしまう。
ふわふわの腰まで伸びた髪と丸い目、加えて背も少し小さい真昼は何とも庇護欲を掻き立てられる見た目だ。二十四歳には見えない。
名字も「小山内」で「幼い」と読める事から本人は呼ばれるのを嫌っている。
(遥の担当は…矢賀先生か。うん、遥の方は心配しなくて大丈夫そうだな。)
佐波 遥は中学からの腐れ縁で私の友人でもある。大学は別だったが…まさか同じ職場に就職するとは思わなかった。
彼女のトレードマークである三つ編みは中学の時から変わらず、しかも童顔な遥は不思議なくらい年を取らない。
真昼と遥と一緒にいると私だけが年齢通りの見た目をしているんだよな…いかん、思い出したら悲しくなってきたぞ。
「田中先生からメール来ました!えーと…お告げが来ないから旅に出る、だそうです!!」
「ヤバいな…現実逃避し始めたか。必ず捕獲する。絶対に取り逃がすな」
「ラジャー!!」
「原稿を取りに行くんですよね…?」
私達の会話に困惑するしかない轟君。
携帯を操作して以前に田中先生と飲み会で撮った写真を彼に見せる。不思議な顔をされたがこのまま話を進めよう。
「良いか、轟君。もしこの顔を見たらすぐに捕獲するんだ。本気で旅に出るからなあの人は」
「原稿が問題なんですよね…?いつの間にか重大なミッションみたいになってません?」
「当たり前だ。これは命懸けの駆け引きなんだ」
「マジすか…」
電車に揺られる間に轟君に原稿の進行現状を話し、目的の駅に着いた瞬間に走る。
急いで田中先生の家に入ればアシスタント達に足を掴まれ動きを止められている田中先生がいた。
皆、目の下の隈が酷い。
「神は私に何のお告げも出さない!もう無理だ!私は旅に出てお告げを待つんだ!!」
「何馬鹿な事言ってるんですか先生!さっさと座って残り描けや!!」
「神は強制的に連れて来て下さい!!」
「助けてぇぇぇぇぇ!!」
最早、ここは戦場である。
上着を脱ぎ腕捲りをしていると何をするのかと疑問に思っている轟君の上着も脱がす。一秒も無駄には出来ないので謝罪は後だ。
この事態に慣れている真昼は既にアシスタントから話を聞いて作業に取り掛かろうとしていた。
「すみません、編集長!状況が読み込めてないんですけど僕?!」
「轟君、君はベタは塗れるか?」
「え…まぁ、やった事は何回かありますけど…」
「じゃあこのページを頼む。指示はあのアシスタントに聞いてくれ。健闘を祈る」
マジすか?!と後ろで言っていたがスルーし、泣きながら原稿と向き合う田中先生の所へと行く。
絵を見ると予想よりも真っ白、ついでに私の頭も真っ白になりそうだ。
今回は特に風景に力を入れたいと言っていた田中先生。確かに言った通り、絵は素晴らしいものになっていた。
「印刷所は何とかしておきます。だから田中先生は納得する原稿を完成させて下さい」
「あ、安心院さん…!!」
「アシスタントの皆さんもラストスパートです。全力でサポートしますので頑張りましょう」
外に出て印刷所に〆切についての交渉をすると耳が痛くなる様な大声で怒鳴られる。
しかしそこで負ける私ではない。
言って言って言いまくって、結果は勝訴。印刷の〆切を延ばせた。
携帯をズボンのポケットに仕舞い中へ戻ると轟君があ…えっと…と挙動不審になって立っていた。少し真昼に似てるな。
「終わったらご褒美だ。頑張るぞ轟君」
「っ、は…はい!!」
帰ったら絶対にビール飲んでやる。
今決めた。