初心者向け講習会
ちょっと長めです。
その日は再び緑花亭に泊まり、明けて翌朝。
初心者講習会に参加するため冒険者ギルドに来ている。
時刻はもうすぐ9時の鐘が鳴る頃だ。
奥から昨日受付に座っていた顔に傷のある中年男性がやってきた。
「9人全員揃っているな、俺がここのギルドマスターのコーネリアスだ。奥に荷物を置いたら講義室で7日間の予定を説明する」
説明によると今日は丸1日座学。
明日は市場で必要な道具の買い方を学び、後半の5日が戦闘訓練だという。
この初心者講習会は100年ほど前に引退したとある冒険者の発案でスタートしたそうだ。
「彼」は2級冒険者として得た稼ぎで家と畑を買い、パーティーメンバーだった女性と結婚し、5人の子供に恵まれた。
ここまで聞くと人生の成功者のようだが、子供たちが成人すると悲劇に見舞われる。
家を継いだ長男以外の子供全員が冒険者となり、全員が1年足らずで死んでしまったのだ。
冒険者として成功した夫婦の子供が、両親の冒険譚に憧れて同じ道を目指すのを誰が止められるだろうか。
4人はそれぞれ才能があり、行く先々で歓迎されたが、若さゆえに思慮深さに欠けていた。
そして自分の実力を過信し、早く両親に追い付こうと無理をし、あっさり命を落とした。
彼は家と畑を長男に任せると、冒険者ギルドの臨時職員として働き始める。
そして変わり者の新人職員と共に過去の記録書を引っくり返し、冒険者の実態を調べ始めた。
3ヵ月後に判明したのは、目を覆いたくなるような新人冒険者の初年度死亡率だった。
畑を継げなかった農家の三男以下はひたすら搾取される小作人になるか、苦労と危険の多い開拓者になるか、一発当てるために冒険者となる。
これ以外のパターンは全体の1割以下だという。
だが農作業しかして来なかった人間が、慣れない町で冒険者として成功するのは難しい。
結果、大半の新人冒険者は3ヶ月ともたず5級か6級のまま行方不明となる。
生き残れたとしても4級以上に上がれる者は半分も居ない。
何度依頼をこなしても暮らしは楽にならず、ほんの僅かな躓きで借金にまみれ、奴隷に落ちる。
初心者は稼ぎのほとんどを酒と女につぎ込み、金が無くなれば依頼をこなすという生活を送っていた。
金を稼いでも使い方を知らないのでは意味が無い。
だが知識を得る機会は皆無だ。
そこで「彼」が考えたのが初心者冒険者向け講習会だった。
内容は彼自身の体験からヒントを得たもので、個人技能からパーティーを組んだ際の注意点など多岐に渡る。
基本的な武器の使い方。
各武器の有効な限定状況での運用方法。
弓や投石といった遠距離攻撃の有効性。
メジャーな魔物の特徴や殺した際の解体方法。
毒や呪いを持った危険な魔物の見分け方。
支援役を含む3人以上でパーティーを組んで役割を分担し、1人が怪我をしたらすぐ撤退に移ることで生存性を高める戦法。
酒も女もほどほどにし、少しずつお金を積み立て、より強力な装備品を手に入れる計画性。
今では当たり前に行われている事が全く行われていなかった。
有用な情報は各パーティー内だけで完結しており、競争相手である別パーティーと共有することなど考えられなかったのだろう。
「彼」が始めた講習会の噂はすぐに広まり、今では全ての冒険者ギルドで月に1回行われている。
その結果近年では中堅層が厚くなり、依頼の達成率が上がった事で冒険者ギルドの力はより強まったそうだ。
長かった座学が終わり、練兵場で野営の練習がてら全員で夕食を作る。
ここにきて初めてメンバーの紹介が行われた。ちなみに全員男である。
カーシー、ヒース、ベンは農家の息子で、イーノスは3人と同じ村だが猟師の息子。
ジェフとヴィンスは別々の村の農家出身。
ティムとロドニーの兄弟は言いたくないそうだが、身なりが良いから十中八九どこかの貴族のボンボンだろう。
食材は冒険者ギルドから支給されるが、正直閉口するしかない。
日持ちする事しか考えてませんと言わんばかりの固いパン。干し肉。乾燥豆。スパイスを入れたワイン。
以上である。
パンはそのままでは無く、豆を入れたスープに入れてふやかしながら食べる。
干し肉はかじるかスープに入れるかは自由。
スパイスワインは少しぴりっとするが、正直美味いとは言えない。
体は温まるがそれだけだ。
アイテムボックスの魔法を使えず、魔法袋も買えないのが標準的な初心者冒険者である。
森やダンジョンを常に歩き回る彼らにとって荷物を減らす事は至上命題であり、それは食料を可能な限り減らす事と言い換える事が出来た。
その結果がコレなのだが、…俺アイテムボックス使えるんだよね。
容量までは確認していないが、入りきらなかった事は今まで一度も無い。
まあ何事も経験だと思って我慢しよう。便利さに慣れてしまうと後で困ることになるかもしれない。
量的には腹七分目だが、野営の際はそれ以上食べないようギルドマスターの注意が入った。
持ち運ぶ量を減らす意味合いより、食べた直後に全力疾走する可能性を考慮する必要があるためだ。
食休みが終わるまで魔物が待ってくれるとは限らない。
夜露を防ぐ天幕を張り、マットを敷いて横になる。これは雨が降ったら地獄だな。
まあ慣れるしかないか。この世界で撥水素材の軽量テントなんぞ望むべくも無い。
さっさと寝よう。
2日目は朝食後ギルドマスターの引率で市場に繰り出し、一日かけて武器屋、防具屋、雑貨屋などを回る。
講習会参加者はほとんどが素寒貧であり、全員が推奨されたアイテムを揃えられるわけではない。
ティムとロドニーの兄弟はギルドマスターに言われるままアイテムを買って魔法袋に入れていくが、他の参加者は目利きのポイントを教わるだけだ。
俺は後でフェリックスさんの所でまとめて買えば良いか。
武器屋で初心者向けとして勧められたのは、剣ではなく手斧とメイスだった。
ある程度重量があるため、技量が無くとも上段からの振り下ろしがそのまま必殺になる。
扱いやすい小楯とセットでの使用を勧められたが、俺は精霊甲冑があるから要らないな。
ウインディは槍や短剣が好きだと言っていたし、精霊甲冑を活かすには下手に防御するより攻めに徹した方が良さそうだ。
防具屋では最初に自分に合った靴を作るように言われる。
初心者が最も金を掛けるべき装備が靴だそうで、いざというとき踏ん張りが効くかどうかが生死を分けるのだという。
鎧、手甲、足甲、兜は予算と相談だが、中古でもいいからとりあえず着けておいた方が気持ち的に余裕が出るそうだ。
こちらも俺には関係無いな。
町の外では休憩する時以外はほとんど精霊甲冑を着けたままになるはずだ。
基本的な旅の道具は皆持っているようで、雑貨屋で勧められたのは清水瓶と魔石灯だけだった。
どちらも一番安い物で金貨3枚。
しかも基本使い捨ての魔石代は別である。
ティムとロドニーは金貨4枚の物を買うが、農村出身の6人は目を白黒させていた。
清水瓶は俺も持っていたが、魔石を交換した事が無い。
そもそも魔石が付いて無いんだが、もしかして神器級のアイテムだったりするんだろうか。
まあ言わなきゃバレないか。触らぬ神に祟り無しである。
最後は錬金術素材を扱う薬屋。
ポーションや毒消しは一番安い物なら銀貨数枚だが、効果はお察しである。
ここでは素材となる薬草類の見分け方や収穫方法のレクチャーを受けた。
いざという時のために一つ持っておけと言われたが、金持ち兄弟は大銀貨2枚するポーションを10個近く買った。
俺は今のところは要らないかな。そもそも甲冑着けた状態じゃ飲めないし。
最後におすすめの宿屋として緑花亭を紹介され、冒険者ギルドへ戻ることとなった。
3日目の朝。
代わり映えのしない食事を終えると、走り込みが始まった。
ひたすた走らされる。
倒れた者には水が掛けられ、転んで足を怪我した者には回復魔法が掛けられた。
どちらも同時にギルドマスターの怒号が飛ぶ。
「走れ走れ、すぐ後ろで魔物が尻に噛み付こうとしていると思え! 息が上がったからといって足を止める理由にはならんぞ!!」
水を飲む時さえ走ったままだ。
俺は甲冑を着たまま三日間走った経験から、フォームと呼吸を極力乱さない事を意識しながらひたすら足を動かす。
結局12時の鐘まで走らされた。
皆へとへとだったが、午後からは木剣を渡され素振りが始まる。
これも日が落ちるまで延々と続き、夕食を取ると全員泥のように眠りに着いた。
4日目はあいにくの雨模様だが、やることは変わらない。
泥濘に足を取られペースが落ちると、容赦なく怒号が飛んだ。
「靴が大事だと言った意味が分かっただろう! 泥で滑って転んで魔物に食われたくなかったら、剣を売ってでも靴を買うんだな!!」
息を切らせて倒れる者は少ないが、泥で滑るため転ぶ回数が大幅に増えた。
俺もきついがなんとか着いて行く。
午後になると槍の代わりとして身長ほどある棒を渡され、ひたすら型と素振りである。
日が沈み夕食の時間となった。
皆食欲が無いようだが、食わなければ持たない。
時間をかけて少しずつ胃に入れていく。
農村組みの6人は一塊になり、黙々と食事を取っている。
大柄な兄のティムは大丈夫そうだが、小柄な弟のロドニーはスープだけしか入らないようだ。
俺はさっさと食い終えるとすぐ寝てしまった。
5日目の朝。
朝食を終えると鎧を身に着けて荷物を持てと言われた。
持っていない者には訓練用の革鎧と20キロほどある砂袋が渡される。
俺は一瞬迷ったが、結局精霊甲冑を着けることにした。
ギルドマスターが「始め」と声を上げると一斉に走り出す。
甲冑の力のおかげか、20キロの砂袋はそこまで重さを感じない。
街道上を馬車と同じ速度で3日走り続けたわけだし、半日くらいは問題無いだろう。
案の上速度を抑えているものの、すぐトップが定位置になる。
皆は非常に走りにくそうだが、倒れたり転んだりする事は無かった。
ロドニーがやや遅れ気味だが、ティムが付いて励ましている。
美しい兄弟愛だな。
農村組みはイーノスだけが遅れているが、他の5人も気遣う余裕は無いようだ。
俺はイーノスを励まし、呼吸が戻るまで砂袋を持ってやる。
12時の鐘が鳴り、「やめ」の声が響く。
皆疲労困憊。元気なのは俺くらいだ。
午後は弓、投石、投げナイフといった遠距離攻撃の練習となる。
自前の弓を持っていたのは俺とロドニーとイーノスだけで、他のメンバーは練習用の弓で的を狙う。
だがまともに当てられたのはロドニーとイーノスだけだ。
投石と投げナイフは皆似たり寄ったりである。
夕食時、皆俺の甲冑の事を聞いて来たが、祖父の形見だとお決まりの嘘を吐いておいた。
農村組は珍しいのかべたべた触って来たが、ちょっと対応がおざなりになっていた感が否めない。
6日目と7日目は町の外で実際に魔物と戦う。
ギルドマスターの引率で近くの森へ入り、全員が日に5匹以上の魔物を倒すのがノルマとなる。
正直できるかどうか不安だったが、皆やっているのに俺だけできないというのは癪に障る。
中でもカーシーは手斧、ティムはバスタードソードを振るいあっさり魔物を狩っていく。
甲冑とウインディのサポートもあり、俺もそこまで苦労せず3匹のゴブリンと2匹の森狼を仕留めた。
というかウインディがここ数日の鬱憤を晴らさんとばかりに、皆がドン引きするレベルで暴れまくっている。
魔物は討伐証明部位をギルドに持ち込めば銀貨3枚になるそうだ。
命の危険があることを考えると安過ぎる気がするが、ここ最近魔物の数が増えたため値下げしたらしい。
…槍の穂先がゴブリンの肉に食い込む感覚がいつまでも手に残る。
自分の意思で生き物の命を奪う経験なんて日本ではまず無かったからな。
その夜。森の中で野営するが、夕食では皆微妙な表情だった。
全員魔物を追い払った事はあっても、自分の手で殺した経験は無かったらしい。
けろっとしているのは猟師の息子のイーノスくらいだ。
それを見てギルドマスターが口を開く。
「冒険者を続けていくということは、魔物を狩り続ける事と言い換える事が出来る。明日の夜になっても同じ顔をしている奴は、村に戻って畑を耕すか開拓者になるんだな」
あいにく俺にはどちらの選択肢も無い。
まあ慣れるしかないか。
食事が終わると3人が火の番をし、6人が寝るローテーションを組む。
蝋燭が燃え尽きたら交代だ。
ギルドマスターは「何かあったら大声で起こせ」と言うとさっさと寝てしまった。
最初は俺達の組で、俺以外はティムとロドニーの兄弟である。
二人とも俺の甲冑に興味を持っているようだ。
「爺さんの形見なんだって? 見た目はボロだけど動きやすそうだな」
ティムは体力はあるものの、重厚な金属製の鎧を着けており長時間走ったりするのは苦手らしい。
そのため昨日俺が甲冑を着て誰よりも早く走っていたのが不思議だったという。
「あまり見ない意匠だね。何処で作られたのか見当が付かないよ。タイヨウのお爺さんは何者だったの?」
ロドニーはスケイルメイルだが、随所に細かな細工があり明らかに高価そうだ。
俺の甲冑を見て出自が分かる人間はいないだろう。
精霊騎士は伝承の中の存在で、記録はほとんど残っていないらしい。
「俺にとっては唯一の身内だったけど、俺が生まれる前に何してたのかはほとんど知らないんだ」
何しろ架空の存在だからな!
深く突っ込まれる前に話題を変えておこう。
一応全員が寝息を立てている事を確認する。
「そういえばお前ら貴族だろ? 商人の息子だったら人前であんな派手な金の使い方はしないはずだ」
「それは…」
ティムは言いよどむが、俺は構わず言葉を続ける。
「初心者がそんな使い方してたら変な奴に目を付けられるかもしれない。貴族って事を隠す気なら今後は控えろよ?」
「あ、ああ。そうだな。短慮だったかもしれん」
「兄さん、あとどれくらいあるんだっけ?」
金の管理はロドニーがしているようだ。数秒考え込むと口を開いた。
「結構使ったから、二人合わせてあと白金貨3枚くらいだな」
結構使ってそれかい。貴族様は違うねぇ。
とは言いつつも俺だって鎧や武器は買う必要が無いし、大容量のアイテムボックスまで持っている。
標準的初心者冒険者から見れば大分恵まれているな。
結局魔物が出ること無く交代となり、俺達は眠りに着いた。
その後3組目の見張りの途中で全員が起こされたが、ギルドマスターは周囲を探ると「森狼だが逃げたようだ」と言い残して寝てしまった。
気が付いたのはイーノスらしい。猟師の息子は優秀なようだ。
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