束の間の平穏
ちょっと短いです。
マリカを買って10日が経った。
朝起きて走り込みと素振りを2時間。
朝食を食べたら冒険者ギルドで手頃な依頼を受け、夕方にまた走り込みと素振りを2時間。
夕食を食べて寝るというリズムが出来上がっていた。
マリカは毎日魔術を使った戦闘を行うが、この数日は慣れてきたのかほぼ瞬殺である。
使用可能な魔法の種類はかなりのもので、全種類確認するだけで半日以上かかっていた。
中でもウインディを憑依させて使うデスゾーンという魔法は凶悪だ
周囲の酸素濃度を低下させて獲物を無傷で仕留める事が出来るため、魔物の毛皮の買取額に毎回色を付けて貰っている。
今では一日で大銀貨5枚を超える稼ぎとなっているため、十分な資金が貯まりつつあった。
あまり根を詰めすぎるのも良くないと思い、今日は朝晩のトレーニングを含め丸一日お休みである。
「アンマ~イ! タイヨウ様、これもう一個買っていい?」
「いいけど食い過ぎじゃないのか」
「大丈夫、まだ全然足りないから!」
時刻は昼前。二人でサンディオの大通りを歩いている。
朝一番でマリカの革鎧を修理屋に預け、不足した細々した物を買い終わった所だ。
小遣いとして銀貨5枚を与えると、露店の甘い物を全て制覇せんとばかりに買い捲っている。
故郷の神殿で軟禁生活をしていた頃は日に二度の食事が出ていたが、甘味といえば果物くらいだったらしい。
蜂蜜や貴重な砂糖を使った菓子は話でしか聞いた事が無く、脱走の動機の一つになっていたのだという。
もっとも奴隷となってからは果物どころか更に粗末な食事しか与えられず、後悔しきりだったとか。
そう考えると今のマリカは夢を一つ叶えたということになる。
両手に砂糖菓子や水飴を持って満面の笑みを浮かべている所を見ると、買って良かったと思う。
いよいよ鉱山か娼館に売られそうになったら精霊の巫女である事を明かすつもりだったらしい。
もっともどうやってそれを証明するつもりだったのか尋ねた時、一瞬で真っ青になる様子はおっちょこちょいの謗りを免れない物だったが…。
精霊は巫女が呼べばホイホイ寄って来るわけでは無い。
精霊がいるであろう場所でしかるべき儀式を行い、精霊が現れるまでひたすら待ち続ける必要があった。
儀式には入念な下準備と精霊への対価として高価な使い捨ての触媒が必要で、利に聡い奴隷商人が悠長に待ってくれるとはとても思えない。
ウインディやディーネは精霊騎士である俺と、極上の依代である精霊甲冑に反応したため例外である。
しばらく甘味を堪能した後、マリカが足を止めたのは服屋だった。
俺達が今着ているのはありふれた量産型町民スタイルである。
飾り気の無い服はそうでもないが、ちょっと良いなと思えるデザインの物は簡単に桁が跳ね上がる。
基本的に着飾る必要があるのは豪商や貴族といった体面を気にする方々だけであり、平民には主に価格の面からほとんど縁が無い。
「なんだ、服が欲しいのか?」
俺が声を掛けるとマリカは首を横に振った。
「ううん、いいよ。この値段見たら欲しいなんて言えない」
視線の先にあるのはショーウインドウの中でマネキンが着ている飾り気の無い真っ白なワンピースだった。
お値段は金貨1枚。平民4人家族が半月食べていける額だ。
ちなみに貴族の令嬢が着る物は最低でもこの5倍以上するそうだから恐ろしい。
金貨1枚か。俺達の2日分の稼ぎと考えればそこまで高いとは思えないが、決して安いとは言えないな。
俺はそのワンピースをマリカが着ている所を想像してみる…。
「…よし、買おう」
何の迷いも無かった。
「ええ! 金貨1枚だよ?!」
「良いんだ。俺がマリカに着て欲しいんだ」
「ふぇっ?!」
固まるマリカに構わず俺は店に入り店員に声を掛ける。
品の良い女性店員に念のため持っている金貨を見せると、満面の笑みでワンピースとマリカを試着室へ引っ張っていった。
しばらくして試着室から出てきたマリカは呆然としている。
うーん、思った通りだ。良く似合っている。素晴らしいとしか言いようが無い。
「大変よくお似合いでございますよ。サイズも直しいらずでぴったりですわ」
「じゃあ頂きます。着たままでいいですよね?」
「はい、お買い上げありがとうございます!」
金貨1枚を払い終え、店を出てもマリカは心ここにあらずという状態だった。
「おーい、マリカ?」
「あ、あたし、鉱山か娼館送りになる所を助けて貰った恩だってまだ返せてないし。こんな高くて綺麗な服見た事無かったし、自分が着れるなんて全然思ってなくて。でもタイヨウ様は私に着て欲しいって言ってくれて、それで、う、ああああ…」
マリカは堰を切ったかのように早口でそう言うと店の前でぼろぼろと涙を流し始めてしまった。
周囲の視線を集めている。こりゃマズイ。
「と、とりあえず行こう」
俺はハンカチを渡すとマリカの肩を抱いて歩き出す。
10分ほど歩き、中央広場のベンチに腰掛ける頃には落ち着きを取り戻してくれた。
あー、メッチャ焦った…。
ここまで焦ったのはストーンゴーレムに空中へ放り投げられた時以来かもしれない。
「…ごめんなさい、いきなり泣いたりして」
「気にするな。泣きたい時は泣いていい」
マリカは俺をチラチラ見ながらまだ鼻をぐずぐず言わせていた。
俺はしばらく無言で人の流れを眺める。
空を見上げるといつもと変わらず、六角形の影に遮られて少し元気の無い太陽が見えた。
人工物である事は今更疑いようが無いが、あれってどれくらいの高度にあるんだろうな。
宇宙にあるとすれば手の出しようが無いんだが、本当に世界樹に行けばどうにかなるんだろうか。
あるいは世界樹から宇宙に行く事になるんだろうか?
…何にせよ今のところ手掛かりは世界樹しか無い。それにしても片道2ヶ月は長いな。
王都まで1ヶ月。世界樹までは更にもう1ヶ月である。
可能であれば地と火の精霊も仲間にしておきたい所だが、さすがに贅沢か?
よしんば精霊が4人になったとしても、依代は精霊甲冑かマリカの2択になってしまう。
かといってマリカ以外の精霊の巫女が簡単に見つかるとは思えないし、精霊甲冑に至ってはおそらく唯一無二の代物だ。
今以上の戦力アップをどうするべきかが課題になりそうだな。
何にせよ明日からは王都行きの準備を始めるとするか。
しばらく物思いにふけっていると、肩に何かが当たった。
「すぅ…、すぅ…」
視線を向けるとマリカが俺の肩に頭を預けて静かな寝息を立てている。
泣き疲れて寝てしまったか。
まあここ10日はかなりハードだったし、気が緩んだのだろう。しばらくこのままにしておこう。
マリカは30分ほどで目を覚ますと俺に謝った。俺はまた「気にするな」と言っておく。
夕食はサンディオに着いた初日にフェリックスさんに連れられて入った店で個室を取る。
アードルフさんが腕を振るう緑花亭の夕食に輪を掛けて美味しかったが、値段は5倍でも効かなかった。
マリカは何を食べても美味しい美味しいとしか言わず、店に入ってからずっと笑顔のままである。
まあたまにはこういうのもいいだろう。
…その夜はマリカ発案による二人での協議の結果、10日振りにパスを繋ぐための儀式を行った。
いや、もう既にパスは繋がってるから儀式をする必要は無いんだけどね…。
でもウインディ達からはやってはいけないとも言われていない。
マリカは今後俺が儀式を行いたくなったらいつでも構わないと言って来た。
俺がすぐ2度目の儀式の準備に取り掛かったのは言うまでも無い。
読んで頂きありがとうございます。
第一章はこれで終了です。閑話等は無しで明日から第二章の投稿を開始します。